古代ローマのトンネル ―街道だけでなく、水道にも使われた掘削技術―

古代ローマのトンネルについて

古代ローマの3大インフラ事業である、

  • 街道
  • 上水道
  • 下水道

この3つ全てに必要な技術がある。
それがトンネルの掘削だ。

古代ローマでは、2,000年前にもかかわらず、驚くほど長いトンネルを掘る技術があったのである。

ではこのトンネル、

  • 何の目的で
  • どのような技術を使い
  • どこに

作ったのだろうか。

この記事では、古代ローマ人が作ったトンネルについて、見ていこう。

トンネルを掘る目的

古代ローマ人は、作るのに時間も労力もかかり危険が伴なうトンネルを、何のために掘ったのだろうか。
彼らがトンネルを掘った目的は、主に次の2つ。

  1. 街道の短縮
  2. 水道の導水路

街道の短縮

一つ目は、峠を越えるための道を作るより、山腹を貫くトンネルを通したほうが、圧倒的に街道距離を短縮できるからである。
この街道距離の短縮には、次の2つのメリットがあった。

軍隊や駅伝・郵便の移動

ローマ街道の主要幹線道路は、もともと軍用の高速道路である。
ローマ軍は街道利用による圧倒的な移動速度で、いかに早く戦場につくことができるかを目指し、これを踏まえた防衛戦略を練っていた。

またローマ軍の兵士は、戦士であるとともに土木の現場作業員でもある。
彼らの荷物には、ツルハシなどの工具が含まれており、かなりの重量があった。
さらに、城や街を攻めるために使う投石機などの攻城兵器も、ローマ街道を使って運ぶのである。
峠越えをするよりトンネルを使ったほうが、現地につくまでに無駄なエネルギーを消耗しなくてすむというメリットもあった。

もう一つ、中継地点で次々と車や馬を乗り換える、駅伝での情報伝達にも街道を使うので、トンネルがあるとないとでは、圧倒的なスピードの差が出たのである。

このため、街道の延長で掘られたトンネルは、二輪馬車2台がすれ違えるだけの幅を確保できるようにした。
なぜなら1台分の幅では、もしトンネルを両方向から同時に利用する場合、後で入るほうは、入り口で立ち往生するしかないからだ。

最初に労力をかけてでも、後の利便性を保つ。
これが常にローマのやり方の規範だったのである。

商業の活性化

軍隊や駅伝・郵便の移動が公の都合なら、商業や経済の活性化は民間の都合といえるだろう。

直線距離では近くにある、商業的に重要な都市であっても、間に高い山がそびえ立っていては、道を通すのも一苦労。
ましてやその峠を超えて隣町に物資を運び、人やモノの交流をするのは、とても骨が折れる。

この都市どうしを最短距離でつなぐために、ローマ人はトンネルを掘った。
のちに説明するが、特にカンパニア地方は海岸に都市が点在していたが、陸路は間に山があり、交通が大変だった。
この都市間にトンネルを掘ることで、大いに賑わったという。

水道の導水路

トンネルを掘った目的の2つ目は、水道、特にきれいな水を都市へと運ぶ上水道の導水路を作るためだ。

ローマの上水道は水道橋建設が有名だが、ローマ市に引いた11本の上水道のうち、地上部を流れる部分はわずか15%程度、その他はすべて地下、つまりトンネルの中を通って流れてくる。

ローマ人が上水道を運ぶために、単なる溝ではなくトンネルを使った理由は次の2つ。

  • 上部が開いた溝を流れると、途中で不純物が混ざる可能性が高い。とくに動物の死骸やフン、雨水などで汚染する恐れがあった
  • 敵から侵入経路を隠すため

ローマ人は特に水の清潔さに気を使った。
そのため水源の表層水ではなく、深層水の上水利用にこだわった。
この深層水を、汚染の可能性が少ない地下道、つまりトンネルを使って都市に引き入れたのである。

トンネルの掘削方法

古代ローマ人は、様々な技術を持っていたが、その大半はローマ人のオリジナルではなく、模倣(マネ)によって獲得した技術だ。
トンネルも例外ではなく、 ローマ建国当時にあった北の大国、エトルリアから学んだものである。
では古代ローマ人は、どのような方法でトンネルを掘っていたのだろうか。

竪坑(垂直方向の地中路)からの両方向掘削

私などの土木建築シロウトは、トンネルは入り口から出口にかけて一方向に掘っていくと想像していた。
しかしこれでは掘る人数が決まってしまい、作業員の大量投入ができない。

古代ローマ人は、まずトンネルの道筋ごとに垂直の孔(あな)を掘り、トンネルの高さまで達すると、そこから両方向に掘り進める。
この方法だと、決まった間隔ごとに孔をいくつも掘れば、大量の人間を使って急速施工することができるのだ。

また、掘った竪坑は採光と空気穴となるだけではなく、メンテナンス時の通路としても利用できる。
まさに一石三鳥の方法なのである。

しかし、この竪坑をつかった掘削も、古代ローマ人のオリジナルではない。
はるか東方、メソポタミア地方のペルシア(現在のイラン~イラク)では、「カナート」と呼ばれる地下水を横穴で地表まで運ぶ掘削技術があった。
この技術がローマに伝わったようである。

岩盤の掘削

トンネル掘削では、いつもツルハシで掘れる柔らかい土ばかりとは限らない。
ときにはツルハシではどうしようもない、硬い岩盤が出てくることもある。
こんなとき、古代ローマ人はどうしたのだろうか。

彼らは次の手順で岩盤を掘削した。

  1. 作業場で火を炊く(岩盤を膨張させるため)
  2. 熱した岩盤に水をかける(岩盤を急速冷却する)
  3. 冷却により急収縮した岩盤にクラック(割れ目)ができるので、そこに楔(ノミ)を打ち込み、掘削する

古代ローマ人はこれらの方法でトンネルを掘ることで、トンネルの総延長63kmの旧アニオ水道を約3年、80kmのマルキア水道を約4年という、ダイナマイトも機械駆動もない時代としては、恐るべき速さで完成させたのである。

古代ローマ時代に作られたトンネル

上記のような方法でトンネルを掘った古代ローマ人たち。
ではここで、彼らが掘った具体的なトンネルの例を見てみよう。

フルロ・トンネル

フルロ・トンネル
フルロ・トンネル
AlMare [CC BY-SA 2.5 ]
全長 38.5m
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高さ 5.95m

フルロ・トンネルはアペニン山脈を東西に貫くフラミニア街道にあったトンネル。
もともと紀元前3世紀頃、エトルリア人によって作られたトンネルの横に、紀元後1世紀、ウェスパシアヌス帝が幅を拡張する形で新しいトンネルを掘削させた。

よくみるとこのトンネル、山というより岩盤をくり抜いて作ったといってもいいようなトンネルだ。
これを「2輪馬車がすれ違うことができる」両車線の道路にしてみせるローマ人の技術と心意気を感じることができるだろう。

ポッツォーリ・トンネル

全長 711m
4.5m
高さ 4.6m~5.2m

ポッツォーリ・トンネルはナポリとプテオリをつなぐ街道に作られたトンネル。
採光、空気穴として2本の斜坑がある。
プテオリはローマ近郊の町オスティアに港が作られるまで、主にローマへの物資を陸揚げされた港町として栄えた。
ちなみにプテオリの町ちかくで産出する火山灰こそ、ローマンコンクリートの原料である「ポッツオーリの火山灰」だ。

プテオリに港があるため、近郊の町の商人たちはこの港に物資を集めて外国への輸出をする。
そのため、プテオリへ近道となるトンネルの掘削は、経済効果も望めたのである。
ポッツォーリ・トンネルはよほど重要だったのか、古代ローマの道路地図である「タブーラ・ペウテンゲリアーナ(ポイティンガー図)」にもトンネルのイラストがしっかりと描かれている。

ポッツォーリ・トンネルの位置
ポッツォーリ・トンネルの位置
Konrad Miller [Public domain] | Wikipedia より

ポッツォーリ・トンネルは、ローマ帝国滅亡後も使用された。
1,445年には当時の支配者アラゴン王により、道路面が約3m掘り下げられた。
さらに1,748年にブルボン王が、1,893年にナポリ市が、明かり採りのために13m掘り下げている。

その後閉鎖されていたが、1,930年に崩落防止のため、9mの埋め戻しが行われたようである。

コッセイオ・トンネル

全長 970m
4.5m
高さ 4.6m~8.0m

コッセイオ・トンネルは、プテオリと近郊の町クーマエをつなぐために掘られたトンネル。
このトンネルにも、採光と換気のため5本の斜坑が作られた。

前述したプテオリは、海以外の三方を山で囲まれているため、侵入は難しいが交流もしづらいという側面があった。
そのため、ナポリへの近道であるポッツォーリ・トンネルと、クーマエへの近道であるコッセイオ・トンネルが掘られたのだ。

セイヤヌス・トンネル

全長 780m
4.0~6.5m
高さ 5.0m~8.0m
※入口は採光のため14m

セイヤヌス・トンネルもプテオリ近郊に作られたトンネルだが、他の2つが交易のためという公の目的があるのとは違い、このトンネルは皇帝の別荘に直通するためだけに作られた、いわば完全プライベート目的のトンネルだ。

初代皇帝アウグストゥスが遺贈を受けた別荘を、2代目皇帝ティベリウスの側近である近衛隊長のセイアヌスが拡張し、トンネルを完成させたために、トンネルにセイアヌスの名がついている。

トンネルは帝政末期まで使用されたが、その後長いあいだ忘れられていた。
次にこのトンネルが日の目をみるのは、1,840年の道路拡張工事によって発見されたとき。
その1年後、ブルボン朝のフェルディナンド2世により再建された。

現在ではポッツォーリ・トンネルとともに、見に行くことが可能なトンネルである。

ピスキーナ・ミラブル

最後に、トンネルとは違うが、ローマ人の掘削技術により作られた、ピスキーナ・ミラブルを紹介しよう。

ピスキーナ・ミラブルとは「驚異の水槽」という意味で、ローマ艦隊に水を補給するためにつくられた、地下の大貯水槽である。
縦70m × 横25.5m × 高さ15m。
この空間に12600m2もの水を貯めることができた。

ではピスキーナ・ミラブルの空間のつくりはどうなっているのだろう。

ピスキーナ・ミラブルは巨大な凝灰岩を掘削してできた空間だ。
中には天井を支えるための柱が、4列 × 12列に配置されている。
ただし、この柱は凝灰岩のままではなく、周囲をレンガを型枠に使用したモルタルで補強している。
また壁は防水用の漆喰で施工し、水の侵食を防いでいる。

天井には何カ所かの開口部があり、この開口から石を切り出したのだろう。
掘り終えたあとは、空気穴兼採光用の開口部となった。

今回のまとめ

古代ローマのトンネルについて、もう一度おさらいしよう。

  • トンネル掘削の主な目的は、街道の短縮と水道の導水路
  • トンネルは多人数を投入できる竪坑からの両方向掘削。岩盤は膨張と旧収縮でひび割れを作り、ノミで掘削
  • トンネルには私用のみでつくられたものや、地下水槽に掘削技術が転用された

トンネルの掘削は、古代ローマのインフラを支えた技術の一つだ。
その技術力は、2,000年を経た現代でも実用に耐えるレベルだったのである。

本記事の参考図書

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