現代社会になくてはならない建築資材、コンクリート。
道路や橋脚はもちろん、マンションや戸建ての基礎にも使われているため、あなたにも馴染み深い材料だろう。
現在のコンクリートは1,800年代に開発されたものである。
しかし2,000年以上も前、すでに古代ローマで製法の違うコンクリートが作られ使用されていたのだ。
名高いローマ街道をはじめとして、水道橋やトンネルはもとより、パンテオン、コロッセオなどありとあらゆる建築物にローマン・コンクリートは使われていた。
しかし古代ローマで使用されていたコンクリート、ローマン・コンクリートは、残念ながらローマ帝国滅亡とともに正確な製法が失われてしまったのである。
失われた技術であるローマン・コンクリートとは、いったいどのようなものだったのだろうか。
ありとあらゆる古代ローマのインフラ事業に使われていた、ローマン・コンクリートについて見ていくことにしよう。
そもそもコンクリートとは?
そもそもコンクリートとは、いったいなんだろう。
「古代世界の超技術 」の著者である志村忠夫氏は、同著のなかでコンクリートを次のように説明している。
コンクリートは、骨材(一般には砂、砂利)と水、セメントをこね混ぜて固まらせた一種の人造石を指す。
古代世界の超技術「古代ローマ」(志村忠夫著)より
人造石、つまり自然界には存在しない、人の手によって作り出された石のように強固な物質、ということだ。
それだけなら単なる石の代用品だが、石にはないコンクリートの最大の特長は、どのような形にでも比較的簡単に成形できることだろう。
また、この説明に出てくる「セメント」は、厳密に言うとコンクリートとは違うものだ。
あなたはコンクリートやセメント、モルタルについて、違いがわかるだろうか。
そこで、ローマン・コンクリートの前に、前提である
- セメント
- モルタル
- コンクリート
の違いについて、説明しておくことにしよう。
すでにご存知なら、読み飛ばしていただいても構わない。
セメント、モルタル、コンクリートの違い
セメントとは、石灰石と粘土を高温で焼いたあとにできる、粉末のことだ。
セメントの特長は、なんといっても水を混ぜると化学反応を起こして固まる性質だろう。
セメントはモルタルやコンクリートの素材の一つであり、セメントこそがコンクリートを特長づける材料ということができる。
またセメントをつくるためには、高温を出力できる装置(窯など)が必要になる。
モルタルとは、セメントに水と砂を加えて固めたものである。
セメントを使った式に表すと、モルタルは次のようになる。
セメント + 水 + 砂
壁塗り材や、石、レンガなどをつなぎ合わせる目地材としても使われる。
左官職人が壁の塗装によく使うもの、という理解でかまわないだろう。
コンクリートとは、セメントに水と砂、さらに強固にするための骨材である砕石(または砂利)を同時に加えて練り混ぜ、固めたものである。
ダム建設や道路の舗装などに利用されているのは、おなじみだろう。
モルタル同様、セメントを使った式で表すと、コンクリートは次のとおりだ。
セメント + 水 + 砂 + 骨材である砕石(砂利)
以上がセメントとモルタル、コンクリートの説明である。
この3つの違いを前提として、以下の記事を読んでいただくといいだろう。
古代ローマ以前のコンクリート
ローマン・コンクリートを見る前に、古代ローマ以前にコンクリートは存在したのだろうか。
いまから約2,000年以上も昔のローマ時代に、コンクリート技術があったこと自体も驚かされるが、実は古代ローマ時代以前にもコンクリートは存在したのだ。
イスラエル、イフタフのコンクリート
2019年現在、最も古いコンクリートが確認されているのは、イスラエルの南ガレリア地方にある、イフタフだ。
調査の結果、紀元前7,000年(今から9,000年前!)の遺跡から、石灰石を焼いた粉(セメントに相当)と石灰石の粒(砂に相当)を混ぜ、床に敷き詰めて使われていたものが発見された。
また、遺跡の別の場所からは、粘土を焼いて作ったレンガのようなもの(砂利に相当)を使用していた形跡も見つかってるという。
中国、大地湾のコンクリート
次に古いコンクリートの使用例は、中国にある大地湾遺跡の大型住居跡にある床部分で、いまから約5,000年のものである。
この床に使用されたのは、炭酸カルシウムと粘土を含んだ「料きょう石」とよばれる特殊な石を焼き、それを粉末状にして水と混ぜたものだったらしい。
中国の例は、正確にいえばセメントをペースト状にした「セメントペースト」と呼ばれるものだが、コンクリートの製法過程にあることは間違いないだろう。
これらの遺跡からコンクリートが発見されたことは驚きだが、一部地域に使用が限定されている。
広大な地域に、大規模で、多種多様な使用例がある古代ローマは、やはりコンクリート建築の父といっても過言ではないだろう。
ではなぜ古代ローマだけが、コンクリートを使いこなすことができたのだろうか。
その秘密は、古代ローマのコンクリート、ローマン・コンクリートの製法上の特長と、古代ローマ人が発明したローマン・コンクリートの工法にあった。
ローマン・コンクリートの製法上の特長
古代ローマ時代にコンクリート建築が、爆発的に増えた製法上の秘密とは何か。
それは古代ローマ人の「ある発見」によるものだったのである。
その発見こそが、奇跡の粉と呼ばれる火山灰、ポッツォナーラだ。
奇跡の粉ポッツォラーナ
イタリアの中部に、日本と同じく独立峰の火山が存在する。
それがウェスウィオ火山である。
紀元79年、8月24日の噴火で古代ローマ都市、ポンペイや周辺の町をを滅ぼしたことでも有名だ。
このウェスウィオ火山周辺の地域には、火山灰などを含む土が堆積している。
この火山灰が、ポッツォナーラである。
ユリウス・カエサルや、初代皇帝アウグストゥス帝の時代に活躍した、ウィトルウィウスの著書『建築論』には、次のような記述がある。
自然のままで驚くべき効果を生じる一種の粉末がある。
コンクリートの文明誌(小林一輔著)より
ポッツォナーラである。
これは、バーイエ(ナポリの西方にある海岸の保養地)一帯およびウェスウィオ山の周辺にある町々の野に産する。
これと石灰および割石との混合物は、建築工事に強さをもたらすだけでなく、突堤を海中に築く場合にも水中で固まる。
古代ローマ以前にも、地中海周辺の地域では、石灰石を焼いてできた石灰の粉に、水と海砂や川砂を混ぜたモルタルを使用していた。
このモルタルは、乾くと固まる性質があり、もっぱらレンガや石を積み上げる時の目地材(くっつける役割がある材料)に使われていた。
しかし古代ローマ人は、石灰石に混ぜるものを、砂ではなくポッツォナーラに変更したのである。
その配合は、次の通り。
石灰1 : 火山灰(ポッツォナーラ)2 : 水0.5
この混合物には、従来のモルタルにはない、次の特長があった。
- 石灰だけより固まり方が速い
- 乾いて固まるのではなく、水と化学反応を起こして固まるため、水に強い
- 耐久性がある(時間が経っても壊れない)
またポッツォナーラは、ウェスウィオ山周辺の広範囲で産出できるため、現地調達が可能な素材でもあった。
さらに古代ローマ人は、ポッツォナーラに変わる素材まで見つけている。
それが「石切り場の砂」と呼ばれるものだ。
彼らは石造建築に、現在のラティオからカンパーニア一帯に埋まっている凝灰岩を利用していた。
この凝灰岩は、ポッツォナーラと同じような成分でできており、石を切り出すときに出る粉が、ポッツォナーラと似たような働きをすることを見つけ出したのである。
古代ローマ人が、いつからこの素材を見つけ出し、使用したかはわかっていない。
だが、はじめてポッツォナーラの性質を見抜いた石工や建築工は、漫画ハイキューの主将のセリフを借りるなら、次のように思っただろう。
これでローマ建築は、爆発的に進化する!
事実、古代ローマの建築物に、コンクリートが使われないものはない、といっても過言ではないほど、建築資材として一般化していくことになる。
ローマン・コンクリートの材料
もう一つの秘密であるローマン・コンクリートの工法を見る前に、ローマン・コンクリートの材料を紹介しよう。
以前にも述べた「古代世界の超技術 」の中で紹介されている、ローマ建築の著作者であるパーキンズ(1912~81)は、ローマン・コンクリートを次のように説明している。
ローマのコンクリートは、近代的な意味でのセメントでもなく、コンクリートでもない。
古代世界の超技術「古代ローマ」(志村忠夫著)より
それはモルタルの中に混じられた骨材(石・砂利・砂)の集塊から成る材料で、単なる充填剤としてばかりでなく、単独でも使える性質の建築材料である
つまり、
(コストを抑えるための)空の箱のなかに入れて補強するだけではない、ローマン・コンクリート自体で木にも石にも代わる材料
ということだろう。
ローマン・コンクリートを作る材料について、古代ローマ時代の博物学者である大プリニウスは、著書「博物誌」の中で次のように紹介している。
少し長いので、興味のない方は読み飛ばしてほしい。
※なお、大プリニウス「博物誌」の記述は古代世界の超技術「古代ローマ」(志村忠夫著) より引用させていただいた。
石灰
- 白い石灰石からできるものが良質
- 硬い石でつくったものは壁に適している
- 多孔質の石灰石でつくったものは漆喰(しっくい)に適している
- レックス(硬い凝灰岩)でつくった石灰は、いずれの目的にも使用されない
- 切り出し石ででつくったもののほうが、川岸から採取した石でつくったものより長持ちする
- 良質の石灰は碾臼(ひきうす)に使用した石(油性を帯びている)でつくる
砂
- 砂には3種類ある
- 石切場の砂――その1/4の重さの石灰を加える
- 川砂あるいは海砂――その1/3の重さの石灰を加える
――さらに1/3の重さの壺の破片を加えるといっそう上質になる
砂と石灰の混合物
- ローマにおける建物の崩壊の主な原因は、石灰の割合をごまかすことである
- 粗い石が必要なモルタルなしで積まれることになるからである
- 砂と石灰と水の混合物は保存しておくと質がよくなる
- 昔の建築法規には、三年経たないものを使ってはならないという制約があった
- このため、昔の漆喰工事は割れ目が入って歪むということはなかった
- 化粧漆喰は砂モルタルで3回、大理石化粧漆喰で2回塗りをしないと、求められる輝きが出ない
- 湿気にさらされている場所の建物には、壺の破片で作った漆喰で下塗りをしておくと有益である
- ギリシャでは漆喰工事用の砂モルタルは、それを伸ばす前に捏鉢(こねばち)に入れて木の棒で練る
- 大理石化粧漆喰が適当な濃度になったことを確かめる目安は、それが鏝(こて)にくっつかないことで、白塗りする場合の目安は消石灰が膠(にかわ)のようにくっつくことである
- 石灰の消和(生石灰に水を加えると、熱を発して粉末状の消石灰を生じる現象)は、それが塊になっているときに行わなければならない
- ミネルウァの神殿にはミルクとサフランを加えて練り上げた漆喰が塗られ、指につばをつけてその漆喰を擦(こす)るといつまでもサフランの匂いと味がする
材料どころか、その材料をどのように扱うかなど、詳細な説明までしてあるところが興味深い。
私は以前TV番組にあった、「大改造!劇的ビフォーアフター」をよく視聴していたのだが、大プリニウスの記述の中には、その番組の中で説明されている内容が、ちらほらと顔をだしていて、とてもおもしろいのだ。
※例えば湿気にさらされている場所の注意事項など
この説明からもわかるように、古代ローマ人が決して適当にコンクリートの材料を決定していたわけではなかったのである。
ローマン・コンクリートの工法
いよいよローマン・コンクリート建築のもう一つの秘密、コンクリートの工法について見ていこう。
オプス・カイメンティキウム工法
オプス・カイメンティキウム工法とは、二枚の型枠の間を、大小さまざまな骨材である粗石と、モルタルを詰めて固め、分厚い一枚の壁をつくる工法である。
実はこの工法、古代ローマ人のオリジナルではなく、イタリア半島の南に住んでいた古代ギリシア人の技法だった。
古代ローマ人は、イタリア半島統一戦争でギリシア人都市を攻略し、ギリシア人の持っていたエンプレクトン工法を獲得したのである。
ただし、古代ローマ人は、ギリシアの持っていた技法をそのまま真似したのではなく、より強固で緻密な壁を作れるように改良したのだ。
古代ギリシア人のコンクリート工法である、エンプレクトン工法では、次の手順で行った。
1. 一定の高さまで型枠の間に粗石(骨材)を敷き詰める
2. モルタルを流し込む
3. 棒で突いてモルタルを粗石(骨材)の中に押し込み、コンクリートにする
※あとは型枠の高さまで1~3をエンドレスリピート
※図はコンクリートの文明誌(小林一輔著) のものを拝借
この方法では、モルタルが柔らかくないと、骨材の間に入らず、コンクリートに隙間ができてしまう可能性があった。
そこで古代ローマ人は、モルタルの流し込みと骨材の敷き詰めを入れ替えた、オプス・カイメンティキウム工法へと改良したのだ。
オプス・カイメンティキウム工法の手順は次の通り。
1. 一定の高さまで型枠の間にモルタルを流し込む
2. その上に粗石(骨材)を敷き詰める
3. 棒で突いて粗石(骨材)をモルタルの中に押し込み、コンクリートにする
※あとは型枠の高さまで1~3をエンドレスリピート
※図はコンクリートの文明誌(小林一輔著) のものを拝借
この手順だと、モルタルに骨材を埋め込めば、骨材の間に隙間ができることはなくなる。
さらにモルタルを硬めにつくることができるため、 エンプレクトン工法よりも強度の高いコンクリートを作ることができるようになった。
しかし、この工法の獲得で重要な点は、それだけではない。
コンクリート以前の木や石での建築には、多数の熟練した木工職人と石工職人が必要だった。
それが、 オプス・カイメンティキウム工法 により、型枠を作るための石組職人(のちにレンガ組職人)が熟練の技を必要とするだけで、コンクリート自体の施工には、未熟な労働力でも代行できるようになったのである。
ポッツォナーラを混ぜるという材料革命と、未熟な労働力でも代行できる工法。
このツートップが、古代ローマのコンクリート建築を爆発的に増加させる推進力となっていった。
ベトン工法
ベトン工法とは、あらかじめ別の場所で砕石などをモルタルと一緒に練って混合しておき、これを型枠の中に流し込んで固める工法である。
余談だが、「ベトン工法」という名前は、古代ローマ時代から約1,500年後のルネッサンス期、フランス人土木技術者によって名付けられたので、古代ローマ人の命名ではない。
現代ではミキサー車などで練り込み、生コン(固まっていないコンクリート)を工事現場に持ち込むことはご存知だろう。
古代ローマでは、施工環境の悪い場所、たとえば橋梁や港などの水中基礎工事などで、コンクリートを施工する術として開発されたようである。
ベトン工法は、現場で練り込む必要がないため、次に説明する複雑な形、たとえば曲面をつくるアーチやヴォールト、ドーム型の部材にもこの工法が使用された。
組積造建築の「迫り持ち式」工法
石造りやレンガ造りの建築で、小さな部材を積み重ねる建築法は、一般的に組積造建築(そせきぞうけんちく)と呼ばれる。
この組積造建築の中で、部材の積み方に迫り持ち式(せりもちしき)と呼ばれる工法があり、古代ローマ人はこの迫り持ち式工法を徹底的に活用した。
迫り持ち式の具体的な構造には、「アーチ」「ヴォールト」「ドーム」の3種類がある。
ではこの、
- アーチ
- ヴォールト
- ドーム
とは、どのような形なのだろう。
アーチとは、上方向に曲線を描く形のことで、橋梁などでおなじみの形だろう。
両端の支点に重さが伝えられるため、曲線の両端を広げたり、曲線を高くすることで、下の空間を広くとることが可能になる。
ヴォールトとは、アーチを前後に長くした形のことで、トンネルなどはこの形になっている(正確には筒型ヴォールトと呼ばれる)。
ヴォールトもアーチと同じく、支点部分の壁に重さが伝えられる。
ドームとは、アーチを回転させた形のことで、ボールを半分に割ったような形である。
アーチやヴォールトと同じく、ドームも荷重は支点部分の壁にかかるようになっているので、ドームの下部に柱は必要なく、大空間を作ることが可能である。
旧来であれば、石などの部材を使って組み立てていた工法を、古代ローマ人はコンクリートを用いることで、飛躍的に発展させた。
コンクリートは木やレンガなどの型枠しだいで、自由に形を作ることができたからである。
さらにコンクリートを使うことで、複雑な形ですら未熟な作業員を動員し、当時としては圧倒的な短期間で、しかも低コストを実現することが可能になった。
この工法を活用した究極の建築物とも言えるのが、コンクリートの巨大ドームを備えたパンテオンである。
古代ギリシアで同規模の建物が40年かかったのに対し、パンテオンはわずか7年で建造されたのだった。
その他にもカラカラ浴場やコロッセオなどで全面的に使用されている。
コロッセオについては、コロッセオ ―エレベーターや天幕まであった、ローマ一の構造を誇る円形闘技場―でも書いているので、読んでいただくといいだろう。
コールドジョイントの克服
ローマン・コンクリートの施工上の悩み
古代ローマも帝政期に入ると、壁体の型枠を石からレンガへと変更した。
レンガに変更した理由は次の3つ。
- 型枠の施工時間が短くなった
- 帝政に入ると、組織的でどのような形のレンガも生産が可能になった
- コンクリートと親和性(相性)がいいため、型枠とともに壁の表面材として使用するのに最適だった
レンガの型枠を使用することで、ますますコンクリート建築の生産性を上げることに成功したのだが、コンクリート特有の悩みのタネがあった。
それがコールドジョイントと呼ばれる不連続面の発生である。
コールドジョイントができる仕組み
コンクリートの施工は、まず型枠となるレンガを組み上げるところから始まる。
レンガの型枠は、ある程度の高さまでしか組み上げることができない。
この型枠の中にコンクリートをいったん流し込むと、次の型枠を組み上げるまでに時間がかかる。
そのあいだに先に流し込んだコンクリートが固まってしまうのだ。
当然先に流し込んだコンクリートと、後から流し込むコンクリートの間には、不連続の面が発生してしまうことになる。
これがコールドジョイントの正体である。
コールドジョイント部分は、他の箇所と比べて弱いため、強度や耐久性が弱くなる。
古代ローマ初期のコンクリート建築は、コールドジョイント問題で悩んでいたらしい。
コールドジョイントを解決する方法
ではいったい古代ローマ人は、どのようにしてコールドジョイントを解決したのだろう。
古代ローマ人は、この問題を平レンガでコンクリートに蓋をすることで解決したのである。
レンガに変更した理由でも書いたとおり、コンクリートとローム層の土を焼いてつくるレンガの相性は非常によく、レンガは時間が経つとコンクリートとしっかり接合していくのだ。
このため蓋をした下部からも、蓋の上部に流し込むコンクリートからも接合されて、強いコンクリートができあがるのである。
また、これ以外にも平レンガで蓋をするには、2つのメリットがあった。
- 平レンガで蓋をするため、コンクリート表面からの水の蒸発をおさえてくれる
- 工事の区切りをつけると同時に、壁の水平度を確認できる
平レンガでの蓋は、このようにとても理にかなう方法だったのだ。
古代ローマの建造物に、ときおり小さな穴が等間隔であいていることがある。
この穴は可動式の足場を支える、木材の差込口と言われている。
作業のための足場を確保できない場合や、足場を組む時間がないときに見られるもので、組積工事の特色の一つらしい。
日本の山陽新幹線の高架橋工事に採用された、ブラケット工法とよばれる急速施工のさきがけと言えることも、古代ローマでおこなわれていたのだ。
ローマン・コンクリート建築増加の理由
古代ローマは、それ以前の文明にはない圧倒的なコンクリート建築の出現した時代だ。
古代ローマ人が獲得したコンクリートの製法と、彼らが生み出した施工方法をどのように活用して、数多くのコンクリート建築を行ったのだろうか。
分業化・組織化の進行
ローマが地中海周辺の国々を飲み込んで大国となると、効率的な統治体制を築くため、共和制から帝政へと移行した。
帝政期にはいると、職業の分業化が進んでいく。
大規模な建築現場には、建築家と直属のスタッフ、機械の作業員、一般助手の他に、
- 石工
- 煉瓦工
- 大工
- 運搬工
- 鍛冶工
- 配管工
- 彫刻工
- ストゥッコ(左官)工
- モザイク工
- 専門知識を必要としない、半熟練労働者
などがいた。
専門分野の人間がチームを組み、建築工事に当たるのは、現代でもおなじみの光景だろう。
分業、組織化は施工スピードを早くしたのである。
建築資材供給の組織化
建物を立てるには、当然ながら建築資材が必要になる。
コンクリート建築には、型枠となるレンガは欠かせない建築資材だ。
職業が分業・組織化したおかげで、ネロ帝時代以降、ローマやローマ近郊にある港町オスティアの建築業者は、どんな数や形(寸法)のレンガも注文することができた。
そして、注文したレンガは建築現場にただちに配送される体制が整っていたのである。
安価な労働力の供給
さらにローマ帝国は広大な領土を手に入れる過程で、大量の奴隷を獲得していた。
彼ら奴隷と貧民たちは、コンクリートの建造物をつくるための未熟練労働者として、安い労働力の供給元になった。
これまで見てきたとおり、コンクリート建築では型枠を作るための職人は必要だが、コンクリート自体の施工は未熟なものでも可能だ。
貧民や奴隷を大量に投入することで、より早い施工スピードと、建築コストの低減が実現できたのである。
また当時の為政者(皇帝)からすれば、コンクリート建造物の建築は、公共事業という仕事を生み出し、貧民対策にもなるという一石二鳥にもなったのだ。
以上3点の理由から、ローマン・コンクリートを利用した古代ローマの建造物は、爆発的に増加したのである。
ローマン・コンクリートと現代のコンクリートの違い
ではここで、ローマン・コンクリートと現代のコンクリートの違いを見てみよう。
インターネットのニュースなどで「ローマン・コンクリートは現代のコンクリートより優れている」という記事を見かけることがあるが、本当なのだろうか。
ローマン・コンクリートと現代のコンクリートの違いを表にすると、次のとおりだ。
ローマン・コンクリート | 現代のコンクリート | |
---|---|---|
セメント | 石灰石、大理石を焼いたもの(生石灰)に水を混ぜてできた消石灰 | 生石灰と、粘土・珪石・鉄の混合物を焼いて塊にし、砕いたもの |
小さめの骨材 | 海砂、川砂、凝灰岩を砕いた砂 | 砂、砂利、砕石、人工的な骨材など。5mm以下のもの |
大きめの骨材 | レンガくずや凝灰岩の石材など。直径10cmを超えるものも使われる | 小さめの骨材と内容はおなじだが、5mm以上のもの |
混和材 | 火山灰(ポッツォナーラ)や石切り場の砂 | 高炉スラグ、シリカフューム、フライアッシュなど |
固まる仕組み | 消石灰と骨材、火山灰のあいだ起こるポゾラン反応と、消石灰の炭酸化 | 混和材とセメントの水和反応(水を混ぜたことによる化学反応) |
養生期間 | とても長い | 通常3日、長くて8日 |
鉄筋の有無 | 無筋コンクリート | 大多数が鉄筋コンクリート |
※古代世界の超技術「古代ローマ」 の中にある表3-4を改変
素材の違い
まずローマン・コンクリートと現代のコンクリートでは、コンクリートをつくる素材が違う。
この素材の違いが、固まる仕組みの違いを生み出している。
ローマン・コンクリートと現代のコンクリートでは、骨材にそれほど大きな差はない。
では何が違うのか。
それは、セメント本体と、混和材と呼ばれるコンクリートの固まり方を助ける材料がちがうのだ。
現代のコンクリートでは、表に書いたものを材料としたセメント、「ポルトランドセメント」が使われる。
プラス混和材として、
- 製鉄所の高炉から出てくる、ガラス質のものを冷やした粉末である、高炉スラグ
- フェロシリコン(合金鉄)をつくるときに出る、シリカフューム
- 火力発電所でできた灰を冷却した、フライアッシュ
を使う。
一方ローマン・コンクリートでは、今まで見てきたとおり、セメントの材料は石灰石。
もう少し詳しく説明すると、石灰石を900℃以上の温度で焼いた生石灰に水を加え、化学反応を起こしたあとにできる消石灰がセメントの材料だ。
消石灰を材料としたセメント自体にも固くなる性質があるが、この中にポッツォナーラを加えることで、ポゾラン反応と呼ばれる化学変化がおこり、水を加えて固まる水硬性の性質が生まれたことは、ローマン・コンクリートの製法上の特長で説明したとおりだ。
さらにポゾラン反応は、海水中でも進行していくことが発見されたという。
ではコンクリートの素材の違いで何が変わるのか。
その答えは固まる速さである。
現代のコンクリートは、通常3日程度で固まる。
それに対し、ローマン・コンクリートでは、現代のコンクリートに比べて固まる期間がとても長い。
文献に正確な長さを載せているわけではないので、一体どれほどかかるか正確にはわからないが、おそらく月単位、下手をすれば年単位での養生が必要と思われる。
この長さが養生方法の違いを生んだ。
養生方法の違い
養生とは、コンクリートがしっかりと固まるのを手助けするために行う保護のことだ。
現代のコンクリートは、固まる期間が速いため、木や鉄鋼などで仮の型枠を組んで養生し、コンクリートが固まるとそれを取り外してコンクリートの表面を出す、というのが一般的な方法だろう。
それに対してローマン・コンクリートの場合、非常に長い養生期間が必要となる。
古代ローマ人は、養生をどうしていたのか。
古代ローマ人は型枠にレンガ壁を利用したことは、すでに述べたとおり。
その型枠につかったレンガ壁をコンクリートと一体化する(取り外さない)ことで、固まるまでの長い養生を可能にしたのである。
この長い養生期間でじっくりと固まっていくポゾラン反応こそが、ローマン・コンクリートに2,000年経っても崩れない耐久性を生み出しているのだ。
鉄筋の有無
ローマン・コンクリートと現代のコンクリートの、もう一つの大きな違い。
それは現代のコンクリートには、コンクリート建築に鉄筋が使われている、ということ。
裏を返せば、ローマン・コンクリートの建築物には、鉄筋の使われていない無筋コンクリート建築、ということになる。
実はローマン・コンクリート自体も、現代のコンクリートと比べると強度が高くない。
イタリアのナポリ近郊にある、ソンマ遺跡で発見されたモルタルを調査・分析した結果、ローマン・コンクリートは、現代コンクリートの5分の1程度の強度だった。
そしてさらなる強度の差を生んでいるのが、コンクリート建築に使われている鉄筋である。
だが、鉄筋の使用はコンクリート建築の耐久度を著しく下げるという副作用があった。
鉄筋を使用すると、建物自体の強度は上がるが、建物の寿命は50年、もって100年程度になるという。
なぜ鉄筋をつかうとコンクリートの寿命が短くなるのかは、コンクリート診断士であるE.Yasuda氏のnote、コンクリートのローマ史 にとても分かりやすく説明されているので、参考にしていただくといいだろう。
ローマン・コンクリートの建築物は、すべてが鉄筋を使わない無筋コンクリートである。
そのため、コンクリートでできた建物の強度自体は、現代と比べるととても弱い。
ウェスウィオ山をいただくイタリア半島と、そこに建国したローマに、地震はつきものだっただろう。
おそらく地震のたびに、建物が倒壊していたのではないだろうか。
事実、紀元63年のポンペイに起こった地震で、建物が倒壊しているレリーフが残っている。
ローマン・コンクリートは、鉄筋を使わなかったため、強度を犠牲にした代わりに、2,000年たった現代にまで残る耐久力を手に入れた、ということができるだろう。
ローマン・コンクリートが失われた原因
古代では群を抜いた施工スピードと低コストに加え、優れた耐久力を誇ったローマン・コンクリートの建築が、どうして廃れたのだろうか。
理由は次の2つ。
- コンクリートの建築物にかかるメンテナンス費の増大による、ローマ帝国の財源圧迫
- ローマ帝国の衰退による、建築チームの組織化の困難
メンテナンス費用増大による、財源の圧迫
コンクリートの建築物には、不断のメンテナンスが必要である。
ローマ帝国各地にコンクリート建築物が爆発的に増えたため、皮肉にもその建築物をメンテナンスするために費用も、年を追うごとに増えてしまったのだ。
そのためローマ帝国の財政は圧迫され、衰退の一因となってしまったのである。
そしてローマ帝国が衰退すると、ローマン・コンクリートを使った建築物も、新たに作られることがなくなっていった。
建築チームの組織化の困難
先にも述べたとおり、大規模なコンクリート建築にはさまざまな職業の人々がチームを組み、建設にあたる必要がある。
しかしローマ帝国が衰退すると、費用はもとより、建築をするチームを組めるだけの組織力がなくなっていた。
また、ローマン・コンクリートの製造原料である良質な石灰石、およびポッツォナーラを、現地まで運ぶことができる運搬力が、ローマ帝国の衰退で低下してしまったことも見逃せいない原因だろう。
失われたローマン・コンクリートと建築技術
やがて東西へと分割されたローマ帝国の西側である西ローマ帝国が滅亡すると、ゲルマン諸部族により小さな地域へと分割されてしまう。
そうなると上記で述べたコストの捻出と建築チームの組織化、さらに原料運搬能力の低下が、ますます加速した。
実はローマ帝国が滅亡したあとも、コンクリート製法が伝わっていた南フランスのカルカソンヌ城では、建造物の一部にコンクリートが使われた形跡がある。
しかし、このコンクリートを調査した研究者は、ローマン・コンクリートに比べて
均質でなく、調合が悪く、つき方もまずい。使用された石灰は質が悪い
と指摘したようだ。
やがてローマン・コンクリートは、中世ヨーロッパの石造建築に取って代わられ、その製法技術と建築工法は失われてしまった。
コンクリート技術が新しくなって歴史に再び登場するためには、西ローマ帝国滅亡からおよそ1,500年後のイギリスまで待たなければならなかった。
今回のまとめ
古代ローマの建築資材、ローマン・コンクリートについて、もう一度おさらいしておこう。
- 古代ローマでコンクリート建築が増えた原因は、それまでより速く固まるコンクリート製法と、未熟な労働力でも施工可能なコンクリート工法の発明による
- さらにローマが巨大帝国となったことで、建築チームの組織化と、建築資材の量産化がすすみ、コンクリート建築の急速施工と低コストが実現できた
- ローマン・コンクリートと現代のコンクリートの主な違いは、固まる速さと鉄筋の有無
- ローマン・コンクリートと建築技術が失われた原因は、建築チームの組織化能力と、ローマン・コンクリートの材料運搬能力の低下(欠如)
ローマン・コンクリートは、2,000年たった現代にまで形を残す耐久度をそなえた素晴らしい建築素材だが、素材のポテンシャルを最大限まで引き出したのは、古代ローマ人の細密で丁寧な建築技術によるものだ。
さらに重要なことは、古代ローマ人がコンクリート建築のメンテナンスを怠らなかったことである(すくなくとも、現在まで残っている建造物については)。
コンクリート建築にとって、
- 丁寧な施工こそが耐久力をうみ
- 絶え間ないメンテナンスが建物の寿命を伸ばすこと
- そしてメンテナンスには膨大な費用が必要であること
を、古代ローマ人は2,000年も前に経験し、私達に教えてくれているのではないだろうか。