ワインと聞いて思い浮かべる国は、なんといってもフランスだろう。
生産量はイタリアにゆずるものの、ワインの質やブランド力は世界一といっても過言ではない。
だが、フランスワインは常に一番で有り続けたかと言うと、そうではないのだ。フランスにワインが伝わったのはある程度古いものの、ワインの生産量が増えるのは、古代ローマのガリア属州時代からなのである。
では、フランスワインはどのように広がり、発展していったのだろう。そこにはブドウの革命とガリア独特の文化が関係している。
そこでこの記事では、古代ローマ時代を中心としたフランスワイン発展の歴史を紐解くとともに、現在の地方別おすすめワインを紹介したい。
あなたにとって、古代ローマとフランスワインに新たな発見があれば幸いだ。
古代ローマ時代までのフランスワインの歴史
ワイン飲酒の歴史
ガリア地方での飲酒の始まり 王や貴族のワイン
現在のフランスからは想像できないかもしれないが、そもそもフランス、古代ローマ以前からガリアと呼ばれていた土地の人々が飲んでいたお酒は、ワインではなくビールの祖先セルヴォワーズだった。
では、ワインはいつから飲まれるようになったのだろうか。
南フランスにギリシア産のブドウが持ち込まれるのは、紀元前600年ごろ。しかし当時のワインは非常に高価で、
アンフォラ一壺=奴隷一人
ほどの値がついていたようである。当時の奴隷は、現代の高級外車一台分の価値と考えればいいだろう。そのため、王族が権威を誇るために飲む嗜好品だった。
前3世紀~前1世紀 裕福な市民へワインが広まる
それが前3世紀から前2世紀ごろには、王族や貴族の飲み物から、商人や職人、小地主など、「懐に余裕のある」層にもワインを飲む習慣は広まっていく。
前2世紀末、ガリア・トランサルピナ(ルビコン川以北のイタリア)や、南仏(現プロヴァンス地方やラングドック地方)へ、ローマの支配領域が拡大すると、イタリアから見てアルプスより遠い地方にブドウの植え付けを禁止する法令まで出されるようになる。
この法令では、ローマ市民は対象外だったので、移住したローマ市民やイタリア商人の利権を守るためだったのだろう。
そして前120年~60年、ガリア全域でワイン交易が最盛期を迎えた。しかし高価なワイン輸送には危険が伴う。ガリアで出没する強盗や、一部のガリア、ゲルマニア部族による妨害は、ローマ商人にとって目障りな存在だった。
この状況のなかで、前58年、カエサルによるガリア遠征が行われる。もちろんカエサルの遠征は、個人的な軍事的栄誉を求めた行為だが、同時にワインと奴隷、鉱物や金属との交易路を確保するという、ローマの公益にもかなう行動だったのである。
カエサルの成功により、ガリアのローマ化は急速に進んだ。ワイン交易と消費も同時に増え、ついには競合するセルヴォワーズを駆逐することになる。
前1世紀~ ワインは庶民へ
紀元前1世紀末からは、ガリアに住む庶民にもワインの飲酒が広まった。例えばスペインのローマ属州バエティカや、南仏のガリア・ナルボネンシス産ワインなどが、飲酒の対象となるワインだった。
と同時に、ウィッラをもつローマ人や現地のガリア貴族たちは、イタリアの銘酒である、
- カンパニア産ファレルヌム
- カンパニア産スレントゥム
- ウェネティア(現ヴェネツィア)産アクイレイアワイン
などを好んで飲んでいた。
後1世紀以降 ガリアへの広まり
後1世紀ともなると、さらにガリアでのワイン消費は多くなる。
ブルディガラ(現ボルドー)ではスペインやイタリア産ワインの消費が増え、ナルボ(現ナルボンヌ)・トゥールーズでも大量のワインが消費されていく。
さらにローヌ川沿いに北へと広がり、ガリアの属州都であり交易の最重要拠点ルグドゥヌム(現リヨン)では、ありとあらゆるアンフォラが各地へと輸送される。必要ならルグドゥヌムでも生産されていた。
またルグドゥヌム自体では、イタリア産の他にも、南仏のマルセイユ、ベジエ、ヴィエンヌ、アルバ産ワインが飲まれていた。
さらにワイン消費は北へと広がっていき、
- オータン
- オルレアン
- ランス
- パリ
- メッツ
- トーリア(ドイツ。昔はガリアの一部だった)
での消費が確認されている。
これだけワインの飲酒習慣がガリアに浸透すれば、当然現地でもブドウを栽培し、ワインが作りたくなるのが人間の性というものだろう。
ではガリアでのブドウ栽培とワインの生産は、どのように進んでいったのだろうか。
ブドウ栽培とワイン醸造の歴史
ブドウ栽培の起源
ワイン飲酒の歴史でも触れたとおり、言い伝えによれば、紀元前600年ごろ現在のプロヴァンス地方にあるマッシリア(現マルセイユ)にギリシア産のブドウが伝わったという。
伝えたのは、現在のトルコに当たる小アジアに住むイオニア系のギリシア人、ポカイヤの人々だ。旧港ラキュドン入り江の北側に、数株のブドウを植えた。
ではこのブドウがすぐに広まったかというと、そうではない。なぜならマッシリアの周り住む原住民リグリア人たちが敵対的だったので、ブドウ栽培はごく限られた土地でしか行われなかった。
ケルト人の大移動とローマ人のガリア支配
ところが前4世紀に入ると、ケルト人が大陸東から移動し、現在のフランスやスペイン、イギリス、アイルランドにも住むようになる。その部族の一つであるウォルカエ族は、ワインを好んで飲んでいた。
彼らがラングドック地方(フランス南西部の地中海沿岸)に住むようになると、ブドウ栽培はマッシリア西のアルク側流域でも行われるようになった。
それより西にギリシア人の交易拠点アガラ(現ベジエ近郊)があり、エトルリア(現イタリアのトスカーナ地方)ワインを各地に送り出していたが、近くにブドウ栽培地が現れる。また、ラット(現モンペリエ近郊)でもブドウ栽培が行われるようになった。
前2世紀、現プロヴァンスからラングドック地方、南仏の地中海沿岸地域はローマの支配下に入ると、前1世紀にかけて箱庭程度のこじんまりとした畑が、ようやくブドウ栽培地と呼べるほどの大きさになった。
そして前1世紀を通じ、『ガリア地峡』と呼べる地域にブドウ栽培が広がっていく。
ドミティア街道沿いに、現ニーム~ナルボンヌ、その先のトゥールーズ~ボルドー近く
ただしこの頃のワインは、ガリアワインというより、ローマ人が栽培するローマワインといえるものだった。また、この頃栽培されていた南仏のブドウは寒さに弱く、フランス中央高地の南に広がるセヴェンヌ高地以北では、ブドウを栽培することが難しかったのである。
しかし後一世紀になると、さらに北にもブドウの栽培地が広がっていくのである。一体どのようにして、彼らは寒さを克服したのだろうか。
「寒冷に強い」ブドウの登場
この問題を解決したのは、ガリア部族の一つ、アロブロゲス族の栽培するブドウだった。アロブロゲス族は、現ドフィーネ地方のヴィエンヌを中心とする地域に住む部族で、ブドウ栽培とワインづくりも行っていたのである。
アロブロゲス族の栽培するブドウには、次のような特性があった。
厳しい寒さによく耐え、秋も深まってから熟す
ワインの文化史 Ⅰガリア人とワイン―ローマ支配以前と以後
彼らの栽培するブドウは、どうやらシラー種と類縁関係にあるらしい。それはともかく、アロブロゲス族の土地に、最初に入植したローマ人たちが彼らのブドウ栽培を引き継ぎ、ブドウの剪定法と醸造法の基礎を教えた。
寒さに耐えられるブドウは評判になり、ヴィエンナとローヌ川右岸の急斜面に栽培地は広がっていく。
後1世紀後半には、ガイヤック地域(タルン川流域、トゥールーズあたり)、ボルドーでもブドウ栽培がはじまった。おそらくクラウディウス帝のブリタンニア(現イギリス)遠征を機に、太平洋経由のワイン輸出が大幅に増加したためだろう。
ドミティアヌス帝の禁令
ローマ帝国内でブドウ栽培が盛んになると、耕作をコントロールする動きも出てくる。その例が後92年に発令された、時の皇帝ドミティアヌス帝のブドウ栽培に関する禁令である。
ドミティアヌスはイタリアで新しいブドウの植樹を禁止し、属州で少なくとも半分のブドウを引き抜くよう命じる勅令を発布した。
その理由は次の2つ。
- ブドウ栽培が増えすぎて、穀物用の畑作りが疎かになり、小麦不足を心配したため
- ワインあまりで価格がだぶついたため
ドミティアヌスの心配が実際にはどれほどのものなのか、詳しいことはわからない。ただし、この勅令は属州で守られなかったようである。属州総督にとって、属州からの収入がそのまま成績につながるため、「儲かる」ワインの生産を減らすことは、自分の首を締めるに等しいからだ。
しかし勅令そのものは、約200年あまり廃止されることはなかった。歴代皇帝たちが、勅令があることで、ある程度ブドウの栽培を統制したかったのだろう。
その後280年、プロブス帝の時代になり、ようやくドミティアヌスの勅令は廃止される。それどころか、プロブス帝はガリアのワイン造りを逆に奨励したのである。
容器革命「木樽」
古代ローマ時代のワイン造りが広まるとともに、一つ重要なことがガリアで起こる。それが木樽をワインの輸送容器に使ったことだ。
ローマ人たちが運搬用に使用していたのはアンフォラ、つまり陶器の壺である。
アンフォラの長所は、次の通り。
- 取っ手があり、持ち運びに便利
- 船底に積む場合、横に寝かせれば安定し、ある程度積み重ねができるため、立てておいてもぎっちり積める
- 口が小さいので、栓をして密封しやすい。密封することで、ワインの変質をおさえることができる
このように便利なアンフォラだが、短所もあった。
- 重い。空のアンフォラは、中に入れるワインの量と同じ重さ(ちなみに木樽なら1/10程度)
- 陶器製だっただめ、壊れやすい
ようするに、陸揚げの時や陸上輸送が大変だったのだ。
このアンフォラに変わる容器として目をつけたのが木樽だった。もともとガリア人たちは、現地で飲んでいたセルヴォワーズ(ビールの祖先)の保存、運搬用として木樽を使用していたのである。
アンフォラと違い、木樽は軽い。さらに壊れにくいため転がして運ぶこともできた。また、彼らには原理がわからなかっただろうが、木樽に1、2年入れておくと、熟成しておいしくなった。
後1世紀後半から早くも使われ始めた木樽の素材は、アカシアやポプラ、栗などが試されたが、最終的にはオーク材で作られるようになった。そしてこれ以降、ワインは樽で保存した。この保存方法は、瓶の登場まで続くのである。
ローマ帝政下で、ブドウ栽培はガリア全域へと広がっていく。発泡ワインで有名なシャンパーニュ地方でブドウ栽培が始まったのも、このころではないかと思われる。
しかしローマ帝国は3世紀の危機を迎えて徐々に支配が不安定になり、4世紀末の東西分裂後、ゲルマン人の大移動を経て476年、西ローマ帝国が滅亡する。
ではローマ帝国崩壊後のフランスで、ワイン造りはどのような変遷をたどったのだろうか。
古代ローマ帝国滅亡後のフランスワイン
キリスト教と修道院の影響
西ローマ帝国が滅亡すると、フランスにはゲルマン人の中でもフランク族が居座るようになった。その中でローマ帝国後期から徐々に広まり始めたキリスト教が浸透していく。そしてキリスト教の広まりとともに、ワインもまた必要とされていくのである。なぜか。
キリスト教(カトリック)には、聖体拝領の儀式にワインが必要なのだ。聖体拝領とは、キリストの体となった「パン(肉)とワイン(血)」を食する儀式である。この儀式に使うため、キリスト教ではワイン生産を奨励した。
特にワイン造りを広めたのは、キリスト教の修道院の力が大きかった。修道院には古代ローマ時代の別荘(ウィッラ)を拠点としているものが多く、ウィッラで営まれていたワイン造りの技術が継承されいたのではないかと考えられる。
この頃フランスにあった修道院を、いくつかピックアップしてみよう。
- ベネディクト修道院:ブルゴーニュ全域(ジュヴレ・シャンベルタン村、ヴォーヌ・ロマネ村)
- シトー会:クロ・ド・ヴージョ(ディジョン近郊)
- クレルヴォー大修道院:シャンパーニュ地方
またキリスト教とは離れるが、ローマ帝国のような巨大国家とは違い、インフラ整備に莫大な費用も技術も使えない中世の国々では、新鮮な水がいつでも手に入るとは限らなかった。そのため飲料としてのワインは、庶民にとっても必需品だったのだ。
王や諸侯の影響
キリスト教の修道院とともに、ワイン造りに影響を与えたのは、王や諸侯たちだ。
特に今日フランスワインの二大産地となっているボルドーとブルゴーニュは、彼らの力が大きかった。
ヘンリー2世とボルドー
まずはボルドーから見てみよう。
1144年、当時のフランス王ルイ7世は、フランス南西部に広大な領地を持つアキテーヌの王女アリエノールと結婚する。
王とつくと、フランス全土を支配していると思われがちだが、当時の王権はまだ限定的なものでしかなく、直轄地もロワール川流域からパリにかけてのごく限られた地帯にしかなかった。
つまり、アキテーヌ王女との結婚は、領地を広げる上でも大事な政策だったのである。
ところが相性が悪かったのか、その後ルイ7世はアリエノールと離婚してしまった。だけならいいのだが、アリエノールはアンジュー伯で、ノルマンディ公でもあった11歳年下のアンリと再婚を決めたのだ。
アンリはこの2年後にイングランドの王位も相続し、ヘンリー2世(アンリの英語読みはヘンリー)となる。つまり、アンリはイギリスとフランスの南西部にまたがる巨大な領土を獲得したのである。
この結婚が後の百年戦争へとつながるのだが、それはひとまず置くとして、このアンリに取り入ったのがボルドー市だ。
ボルドーは古代ローマ時代からワインの産地としても有名で、ボルドー出身の詩人でもあるアウソニウスが、この地のワインに焦がれる詩を読んだことでも知られている。
事実彼はボルドーに、広大なウィッラを構えていた(この別荘地跡が、ボルドーの最高級ワインを生むシャトー・オーゾンヌ)。
ボルドー市は英国領となったおかげで、イギリスとの貿易にさまざまな特権を与えてもらうことができたのである。ここでは詳しく書かないので、興味のある方は、山本博氏の著作「ワインの歴史」 を読んでもらうといいだろう。
ブルゴーニュ公家
もう一つのブルゴーニュはどうか。
ヘンリー2世の時代から遡ること300年以上前、フランク王国を治め、ヨーロッパをほぼ手中にしたシャルルマーニュ(カール)大帝がいたことは、あなたも聞いたことがあるかと思う。
そのシャルルマーニュが築いたフランク王国は、ウェルダン条約により東から西にかけて縦に3分割された。その中の真ん中に当たる地域、北海からイタリア北部にまたがる長いベルト状の王国が、ロタール王国である。
ロタール王国は、ガリア時代からブルグンド族が住んでおり独自の文化圏を築いていた(ブルゴーニュはこの部族の名が由来)。この王国を、ブルゴーニュ公家が支配する。
ブルゴーニュ公家はその後、婚姻政策でフランドル地方(現ベルギー)を支配すると北海貿易で潤い、ブルゴーニュ領の首都ディジョンはとても繁栄した。当然彼ら王族の宴会で出されるワインも、優れたものが選ばれるようになる。
ちなみにさらに時代が下ってルイ14世、いわゆる絶対王政下のころに、ブルゴーニュの赤がワインの王様としての地位を確立した。この時期に当確を表したワインの一部が、かの有名なロマネ・コンティなのである。
容器革命その2、ガラス瓶とコルクの普及
一方、ブルゴーニュ地方とワインの覇権を争っていた地域がある。発泡ワインで有名なシャンパンの生産地、シャンパーニュだ。
「ドンペリ」という名を聞いたことがあるだろう。「ドンペリ」は正式には「ドン・ペリニヨン」といい、シャンパンの王様とでも呼べる高級酒である。この名の元となる人物が、修道僧のドン・ペリニョンその人だ。
ちなみによく誤解されるのが、ドン・ペリニョン師がシャンパンの考案者だという説。実はシャンパン(というか、発泡ワイン)は、ドン・ペリニョンが登場する以前から知られていたのだ。ただし、当時は2次発酵が遅れて泡立つワインは失敗作と考えられいたのである。
このシャンパンを洗練させ、安定した品質に仕上げたのが、嗅覚や味覚に優れていたドン・ペリニョンなのだ。ただし、発泡ワインの保存方法が問題だった。そこでガラス製のボトル(瓶)とコルクの登場である。ただし両者の開発や発明自体はワインの保存にも役立つことになる。
古代ローマのガラス、ローマングラス ―製法、用途、流通など―でも紹介したとおり、ガラスの容器を作る技術は、古代ローマ時代からすでにあり、中世にかけてその技術を発展させている。しかしワインに適した瓶の製造に成功したのは、1600年代なかばのイギリスだった。
イギリスでは瓶づくりのために、石炭を燃料として使ったのである。このおかげで、次の2つの特性を得ることができた。
- 瓶自体の強度が増したこと
- 瓶の色が透明ではなく、黒っぽくなったこと
とくに後者は紫外線によるワインの劣化を防ぐのに、非常に役立った。ただしこれだけではワインを密閉することはできない。そこでしっかりと瓶の口を塞ぐコルクが開発されたのである。また、同時にコルク栓を抜く「コルク・スクリュー」も発明された。
ガラス瓶とコルク栓のおかげで、ワインは長期間熟成させ、味に深みをもたせることが可能になったのである。
さて、発泡ワインを保存するには、もう一つ技術が必要だった。発泡ワインは普通のワインとは違い、瓶内部にかかる気圧が非常に高くなる。そこで瓶の厚みを均一にする技術と、瓶内の気圧を調整できる「フランソワの比重計」の発明により、ワインの保存ができるようになったのだった。
フランスワイン存亡の危機、フィロキセラ
酵母菌の働きにより発酵が起こるという、微生物学者パスツールの解明により、ワイン造りは神の奇跡から科学の力へ移行する。しかしパスツールの解明から数年も立たないうちに、フランスワインに最大の危機が訪れた。それがブドウの病気、フィロキセラである。
実はフィロキセラ発病の前後にも大きな病気が2つ発生しているのだが、こちらは10年ほどで沈静化しているので、ここでは詳しく触れないでおく。興味のある方は、山本博氏の著作「ワインの歴史」 をどうぞ。
さて、フィロキセラとは何か。誤解を恐れず簡単に言うなら、ブドウの根っこに寄生したアブラムシ(この虫がフィロキセラ)が樹の養分を奪い、樹そのものを枯らす病気だ。1863年にアルルで発見されたフィロキセラはヨーロッパ中に広まり、欧州の全ブドウ畑の4/5が壊滅したという。
フィロキセラ発病の原因は、アメリカにあった。もともとアメリカ大陸にしかいなかったフィロキセラが、蒸気船の発達により死なずに持ち込まれていたのだ。しかしアメリカのブドウは枯れていない。それは、フィロキセラに耐性があったからだった。
ヨーロッパのブドウ栽培家はそこに目をつけた。彼らはアメリカのブドウ株に、ヨーロッパ系のブドウの枝を接ぎ、フィロキセラに対抗したのである。こうしてフィロキセラの被害は、1893年までに(一部遅れた地域はあったものの)回復した。
ただし、フィロキセラがワインに与えた影響は大きかった。大きな資本がない生産者や、ブランド力のないワイン醸造家は、ことごとく事業に行き詰まり、倒れていった。
またフランスでは、ワインの生産地域が塗り替えられた。ロワール川以北のブルターニュ(北西フランス)、ノルマンディ(英国との海峡近く)、ピカルディ(ベルギー国境付近)のブドウ畑はほぼ姿を消した。
またシャブリを生み出す地区「黄金丘陵(コート・ドール)」を除き、ブルゴーニュの北辺にあったブドウ畑や、パリ周辺のイル・ド・フランスの畑もなくなってしまったのである。
逆に南仏のラングドック・ルシヨン地方は、ワインの生産量が上がった。北部でなくなったワインの生産地に代わり、この地方のワインが大衆の需要に応えてくことになったのである。
以上、ざっくりとではあるが、古代ローマからのフランスワイン生産の変遷を紹介した。
以降は、これまでの説明を踏まえて、ワイン生産地ごとのおすすめワインを紹介しよう。
フランスワインの格付け用語
フランスワインのおすすめを紹介する前に、フランス特有のワインの格付けに関する用語を、いくつかピックアップして説明しようと思う。
フランスワインを理解する上でもためになるので、少しだけお付き合いいただきたい。なお、すぐにでもおすすめワインがみたいあなたは、フランスワインの生産地方とおすすめワインをご覧いただくといいだろう。
テロワール
テロワールとは、気候や土壌、地形、農法など、栽培地特有のいわゆる「お土地柄」のこと。ブドウの味や特性は、品種が同じでも土地(や栽培法)により大きく変わってしまうため、テロワール、というフランス特有の考えが生まれた。
テロワールを理解するには、日本のお米を想像してもらうのが一番だ。例えばコシヒカリでも「新潟県の魚沼産」で栽培された米(特に水晶米)は、ブランド米となるし、違う場所で生産されたコシヒカリは、その土地特有の味や粘り気がある。
日本の米のように、フランスのブドウにも、「◯◯地方の〇〇という畑で取れたブドウ」が、ワインの味を決めるブランドとなるのである。
AOC(アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ)
AOCとは、日本語では「生産地呼称統制」と訳される。
ワインの原料であるブドウの品種や収穫量、栽培法、剪定法、醸成法を明確に規定し、そのワインがどこで作られたのか、という真正性(正しいということ)と原産地を消費者に保証する制度のこと。
なぜこの制度があるかというと、テロワールでも説明したとおり、ワイン製造では作られた場所がブランドであり、重要になってくるからだ。
違う場所で作られても「〇〇地方の〇〇産ワイン」と偽り、高値で売ったとしたら、品質はもちろん信用性も失ってしまうだろう。日本の米なら、違う場所のこしひかりを「魚沼産」と偽って売るようなものである。
そのようなことが起こらないために、ワインを飲む方に品質を保つよう(そしてブランドを傷つけないよう)、AOCを設けている。
グラン・クリュ、プルミエ・クリュ
グラン・クリュとは、ブドウ畑の格付けで、最高級のワインをうみだす畑(特級畑)を指す。畑には、次のような格付けがされている。
- 格付けなし
- プルミエ・クリュ(一級畑)
- グラン・クリュ(特級畑)
またワインラベルに「グラン・クリュ」と記載されている場合は、特級畑のブドウのみで製造されたワインを意味する。
もとはブルゴーニュ地方の畑を格付けするために使われていたが、アルザス地方やシャンパーニュ地方でも同様の格付けがある。
シャトー、ドメーヌ
シャトーとは、ブドウ畑を所有し、ブドウの栽培から醸造、熟成、瓶詰めまでを一貫して行う醸造元を指す。特にボルドー地方ではシャトーによる格付けがあるため、シャトー名が重要になってくるのである。
これとは別に、ドメーヌという言葉があり、こちらも醸造元の意味だが、シャトーと違うのは、畑を複数で管理している、というところ。そのため畑(クリマ)の名前が同じでもドメーヌ(作り手)が違うため、味も価格も全く別物、ということもありえるのである。
フランスワインの生産地方とおすすめワイン
それではフランスワイン生産地と、その地方のおすすめワインを紹介することにしよう。
なお各地方で栽培されるブドウの栽培法と品種により、その地方のワインで味に傾向がある。料理や用途に合わせて、生産地方とワインを選ぶといいだろう。
ボルドー地方
赤ワイン | メルロ |
---|---|
カルベネ・ソーヴィニヨン | |
カルベネ・フラン | |
白ワイン | ソーヴィニヨン・ブラン |
セミヨン |
ブルゴーニュ地方とともに、フランスの誇る名産地の一つ。赤から白まで上質なワインが幅広く揃っている。
ボルドー地区では、AOCのほか、シャトー(CH)の格付けが有名。19世紀のパリ万国博覧会でワインの格付けが行われた時、1級から5級まで各シャトーが5段階に分類された。
パリ博で1級シャトーに選ばれた、ラフィット・ロートシルト、マルゴー、ラトゥール、オーブリオンに加えて、後に加わったムートン・ロートシルトの5大シャトーが最上級とされる。
5大シャトーの一つ、ラフィット・ロートシルトで造られた赤ワイン。繊細でエレガントな味わいを楽しむことができる。
最高級シャトーに手が出ないあなたには、コストパフォーマンスの高いソシアンド・マレを。多くの評論家から格付けの昇格を求められているシャトーの、味、香りともに1級品の味わいです。
複雑な香りと味わいの最高級ワイン。いくつもの香りの要素が絡み合う、力強さと上品さが共存する一品。お祝い事などにどうぞ。
ブルゴーニュ地方
赤ワイン | ピノ・ノワール |
---|---|
白ワイン | シャルドネ |
「偉大なブドウ畑」と評される地域。黄金丘陵と呼ばれるコート・ドールは
- コート・ド・ニュイ
- コート・ド・ボーヌ
の2つを合わせた地域の総称。この地域にAOCの一等畑(プリミエ・クリュ)と特級畑(グラン・クリュ)が並んでいる。また「ブルゴーニュ地方の黄金の扉」と言われるシャブリ地区も有名な産地の一つ。
赤はピノ・ノワール、白はシャルドネ、アリゴテ、ピノ・ブランなどのブドウが栽培されている。
ブルゴーニュワインの最高級といえば、やはりロマネ・コンティは外せない。8つのグラン・クリュの一つ、リシュブールのブドウから造られた一品は、豊満で気品のある味わいを与えてくれる。
チェリーなどの果実の香りにほんのり漂う天草、ブリオッシュの匂い。かすかだが深みのある果実味と上品な渋み。エレガントだけど、しっかりとしたボリューム感を味わえる。こちらもギフト用に。
ブルゴーニュトップクラスの作り手による、最高級の白ワイン。フルーティで長い余韻が残る味わいは、白身魚にぴったり。
シャンパーニュ地方
赤ワイン | ピノ・ノワール |
---|---|
ピノ・ムニエ | |
白ワイン | シャルドネ |
世界的に有名なスパークリングワイン(発泡ワイン)の「シャンパン」は、この地方で作られたものにしか与えられないブランド名。
フランスワインの産地の北限で、石灰質土壌の上に植えられている。
ローマ軍の遺跡として、道路建設のために白亜を切り出すため地下深く掘られた広大な洞窟があり、大戦中の爆撃の最中でも、洞窟の中で休みなくワインが作られていたという。
「ドンペリ」の名でおなじみの最高級シャンパン、ドン・ペリニヨン。その中でも20年以上熟成された、レゼルヴ・ド・ラベイ。ドンペリゴールドとも呼ばれる色づきで、見た目にも魅了されるきれいな色と、甘く香ばしい香りと力強い味わいが、絶妙なハーモニー生み出す。
45度の急斜面で栽培されるため、「重労働」と名付けられたシャンパン。まるで海外の人が日本人の相撲取りに抱く幻想のような名前が微笑ましい。10年以上の熟成期間で力強さとエレガントさの調和がとれた一品。海産物とともに。
シャンパンをお手頃価格で楽しみたいあなたに、おすすめする一品。特級畑のシャルドネから生まれたミネラル豊富な泡立ちで、柑橘系の香りを楽しむことができる。カクテルや牡蠣などとともに飲むにも最適。
ボジョレー地方
赤ワイン | ガメ |
---|---|
白ワイン | シャルドネ |
ガメ種のブドウを栽培する地方。11月の第3木曜日に解禁される「ボジョレー・ヌーボー」で有名。
ガメ種のワインは新種でおいしく飲める数少ないワイン。ただし数週間以内に飲まないと、味が落ちてしまうので注意が必要だ。
ボジョレー地方には、新酒を味わうワインを作る地区のほか、長期熟成に適したワインを生む10地区が存在する。
ブルゴーニュの名門が所有する、ボジョレー地区の独立したワイナリーで生産された赤。ボジョレー・ヌーボーで迷ったら、これを選べば間違いないと言われている。後から漂うベリー系の香りと、さっぱりとしているが余韻が残る味わい。軽めの肉料理や、味の濃い魚介類とともに。
ブルゴーニュの有名なワインの造り手、ルロワによるお手頃なワイン。豊かな果実味と女性的な優しさを備えた一品。
ルイテッドのボジョレーヌーボーは、フルーティなブドウの味わいが楽しめるワインでありながら、骨格のしっかりした濃縮感のあるボジョレーであることが特長。お好みの料理に合わせて楽しむといいだろう。
ちなみにこの品はボジョレー・ヌーボー解禁日の11月に届くので、その点だけ注意してほしい。
ヴァル・ド・ロワール地方
赤ワイン | ガメ |
---|---|
ピノ・ノワール | |
カルベネ・フラン | |
白ワイン | シュナン・ブラン |
ソーヴィニヨン・ブラン | |
ムロン・ド・ブルゴーニュ |
フランス最長の川、ロワール流域のブドウ産地。全長約1,000kmにも及ぶため、上流と下流では、ブドウの品種や特性も違う。
下流域にあるペイ・ナンテ地域からは、有名なミュスカデワインが作られる。「シュールー・リー」という、ワインの沈殿物を取り除かない特殊な製法で作られるため、しばしば微発泡のワインもみられるとか。
またアンジュ・ソミュール地区では、赤・白・ロゼとあらゆるワインが作られている。
シュール・リー製法を用いたミュスカデワインは、特有の酸味と強いミネラル感が爽やかに味わえる。さらに翌年3月まで熟成させることで、よりコクのある深みある味に。白身魚などとともにどうぞ。
プイィ・フュメといえば、ロワールの辛口白として有名。その中でも「ロワールの鬼才」ディディエ・ダグノー氏が生み出したプイィ・フュメは最高品質を誇る。現在は亡き父に変わってご子息が受け継がれているが、納得できる味わいのようだ。
フランス三大ロゼワインの一つである、ロゼ・ダンジュ。ロワール川上流で造られたこのロゼワインは、やや甘口で口当たりがよく、フルーティな香りが楽しめる。色合い的にもお祝い事のプレゼントに向いているだろう。
南西地方
赤ワイン | マルベック |
---|---|
タナ | |
ネグレット | |
フェール・セルヴァドゥー | |
白ワイン | コンパール |
プティ・マンサン | |
グロ・マンサン | |
モーザック |
ボルドー地方の南から南東にかけてブドウ畑が広がっているため、ブドウ品種の多様性が目立つ地方。栽培品種は300種にも及び、そのうち120種が土着品種ブドウになる。
品質の割にはお手頃価格のため、非常にコストパフォーマンスの高いワインを数多く生み出している。
色の濃さから黒のワインと呼ばれるカオールの赤。その中でもこのワインは、渋みを抑え、ジューシーな味わいを持つ一品。赤ワインの濃厚な味は、肉料理に最適。牛肉のステーキとともに。
ワイナリー設立の1980年からわずか8年後に、ボルドーで行われた「厳選世界甘口ワイン」で5位に入賞したほどのワイン。グレープフルーツと完熟オレンジをミックスしたような味わい。ハーフサイズなので、お試し用に。
フランス伝統品種タナ種を主ブドウとしてブレンドした赤ワイン。このタナを復活させたのが、アラン・ブリュモンだ。非常に濃厚だがまろやかで、時に甘みを感じられるなめらかな味わい。
ラングドック・ルシヨン地方
赤ワイン | カリニャン |
---|---|
グルナッシュ | |
シラー | |
ムールヴェードル | |
白ワイン | ルーサンス |
マルサンヌ | |
ヴィオニエ | |
グルナッシュ・ブラン |
フランス最大の栽培面積を誇る産地。ブドウ栽培の歴史は古く、古代ローマ時代から行われていた。
かつては安価な大量ワインを生産していたが、1970年代ごろから安価ワインにも品質が求められるようになったこと、ボルドーなどの醸造家が自由なワイン造りを求めて進出してきたことで、品質は向上。「フランスの新世界」と呼ばれるまでになった。
ボルドーの1級シャトー、ラフィット・ロートシルトで8年間技術責任者をしていたエリック・ファーブルが手掛けた一品。シラーやムールヴェードルなどをブレンドして造る赤は、果実やスパイスの香りと芳醇かつエレガントな味わいを演出。鶏肉料理とともに味わおう。
甘口の赤という、珍しい一品。白のように冷やしてそのままデザートワインとして飲むもよし、チョコレートやナッツと合わせて飲むもよし。
南仏のシャルドネ種白ワイン。ゆったりとした果実味と樽由来のバニラ香が心地よい、飲み口がソフトでボリューム感がある味わい。オーストラリアの会社が経営しているため、ラングドック地方では革新的な技術を用い、数々のコンクールで受賞している。
プロヴァンス地方
赤ワイン | シラー |
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グルナッシュ | |
サンソー | |
ムールヴェードル | |
白ワイン | ユニ・ブラン |
ロール | |
グルナッシュ・ブラン | |
クレレット |
フランス最古のブドウとワインづくりが伝わった地方。ロゼの生産量はフランス国内で一番多い。その他、ごく少数だが赤や白も作られている。
地中海沿岸特有の気象条件が、ブドウ栽培にとてもよい影響をあたえ、それに加えて土壌にも恵まれているため、希少性の高いワインが造られる。
夏になると冷えたロゼが店頭に並ぶのは、日差しが強く暑いプロヴァンス地方の風物詩となっている。
昼夜の寒暖差が激しい土壌で育ったブドウを使うため、清々しい酸を保ちながら丸みがあり、はつらつとした長い余韻を楽しめる。見た目がかわいいのも、プレゼント用としてのポイント高。
フレッシュかつミネラルの風味が際立つカシーの白ワイン。プロヴァンスでも珍しい白の一品。ブイヤベースとの相性がいいので、冷やして合わせると最高のコンビネーションを生むだろう。
プロヴァンスの山麓にある「龍の丘」コート・ド・ドラゴン。その龍の背で栽培されたブドウで造られたのが、この赤ワインだ。甘草や砂糖漬けのバナナのフルーティさと、黒コショウなどの刺激的な香りが調和。また、液体に溶け込むタンニンの味わいは、素晴らしい余韻を演出する。肉料理にピッタリ。
ローヌ地方
赤ワイン | シラー |
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グルナッシュ | |
カリニャン | |
ムールヴェードル | |
サンソー | |
白ワイン | ヴィオニエ |
ルーサンヌ | |
マルサンヌ |
ローヌ川沿岸約200kmにまたがる地方で、南北でテロワール(土地の特色)がガラリと変わるのが特徴。
北部は大陸性気候の影響を受け、一日の寒暖差が大きい。また日照時間が短いことから、早熟のブドウが栽培に適しているとされる。
反対に南部は地中海に近く、一年を通して比較的温暖で日照時間も長い。
北部では「コート・ロティ」や「エルミタージュ」などのエレガントで力強い赤、「コンドリュー」などコクのある白を生産。また南部ではフルーティな赤や辛口の白が多く生産されている。
北部ローヌ、エルミタージュ地区でとれたブドウで造る赤。とても綺麗な酸があり、果実味とタンニンのバランスも取れていてスパイシーながら複雑味も感じられる。10年以上の熟成期間をおいているので、深みも増した一品。
マンガ「神の雫」でも取り上げられたワイナリーの生産する赤。凝縮された濃厚な味わいが楽しめる、コストパフォーマンスの高い一品。
平均樹齢50年のブドウから造られるワイン。その味わいは、こなれたタンニンとプラムのフレーバーがあり、複雑でリッチかつボリュームの大きな味わい。よく熟した赤みの香りが漂う。
アルザス地方
赤ワイン | ピノ・ノワール |
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白ワイン | リースリング |
ピノ・グリ | |
シルヴァネール | |
ピノ・ブラン | |
ミュスカ |
ドイツとの国境地帯にあるため、フランスとドイツ西方の影響を受けているワインが特徴。
ブドウの品種が重要なアルザスでは、気候、風土がドイツに似ているため、香り豊かな白ワインを生産している。ただし、ドイツが甘口なのに対し、アルザスワインはスッキリとした辛口が多い。
またアルザスは、地区ではなく51区画のグラン・クリュ(特級畑)に分かれている。
さらに地域内でも地質が異なるため、その場所ごとの特徴をいかしたワインが造られている。
フランスの三ツ星レストラン全店に置かれている、品質の信頼厚い白ワイン、トリンバック。その中でもこのワインは、スウェーデン王室マデレーン王女の結婚披露宴の際に使用された逸品。ワイン単体でも楽しめるが、豚肉や白身魚などとの相性も抜群。
同じくリースリング種を有機栽培したブドウで造られたワイン。長期熟成型で、ワインの色は澄んだイエローゴールド。リースリング種特有のペトロールの香り(むかしのキューピー人形の匂いに例えられる)の後に白桃の香りが漂う一品。
アルザスでも、このリースリング種でつくったワインは辛口で優雅。海産物料理、焼魚、煮魚にピッタリの食中ワイン。
ジュラ・サヴォア地方
赤ワイン | プールサール(ジュラ地区) |
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モンドゥース(サヴォア地区) | |
ガメ(サヴォア地区) | |
白ワイン | サヴァニャン(ジュラ地区) |
ジャケール(サヴォア地区) | |
シャスラ(サヴォア地区) | |
アルテス(サヴォア地区) |
なぜか一緒にされがちなジュラ地区とサヴォワ地区だが、2つの地域には距離があり、気候や風土が違うため、「ジュラワイン」「サヴォアワイン」と呼ばれている。
ジュラ山脈の麓に広がるスイスとの国境、ジュラ地区では、「ヴァンジョーヌ」という特殊なワインが造られる。
一方レマン湖を隔ててスイスと国境を接するサヴォアでは、辛口でフルーティなワインが造られている。
フランス5大ワインの一つである、シャトー・シャロン。ジュラ地方で一番有名なワインといえばこれ。超辛口な味わいに、ドライフルーツやナッツなどの香りが漂う一品。魚介類との相性抜群。
サヴァニャン種100%のジュラ地区産白ワイン。酸味がしっかりとし、濃厚さもも感じられる味わい。
レマン湖(スイス)のすぐ南で造られたサヴォワワイン「フランジー」。アルテスという品種100%で造られており、柑橘系とミネラルの香り、爽やかな酸味が特徴。白身魚やチーズとの相性バツグン。
今回のまとめ
それではフランスワインの歴史について、おさらいしよう。
- フランスにワイン(ギリシア産ブドウ)が伝わったのは、紀元前600頃(と伝承されている)
- フランスのブドウ栽培とワイン醸造が広まったのは、古代ローマ時代
- 古代ローマ時代に、木樽で保存する容器革命が起こった
- 西ローマ帝国滅亡以降、フランスではキリスト教と修道院のちからによりワイン造りがますます広まる
- さらに王権により、ワインのブランドが確立していく
- 瓶とコルクの普及で、ワインの保存法に第二の革命が起こる
- 19世紀後半のブドウ疫病、フィロキセラによりブドウ栽培地が大きく変化する
古代ローマ時代から本格的に始まったワイン醸造により、ワインといえばフランスとまで認識されるようになったのである。フランスに根付くブドウ栽培とワインづくりは、やはり古代ローマ時代の影響が大きかったと言わざるを得ないだろう。