実は強引伝説の宝庫!古代ローマ「インフラの父」、アッピウス・クラウディウス・カエクス

ローマインフラの父 アッピウス・クラウディウス・カエクス

『すべての道はローマに通ず』

この言葉に象徴されるように、ローマといえば古代の中でもインフラストラクチャーが著しく進んだ国家であった。

特に古代ローマの高速道路であった『ローマ街道』とローマの諸都市を潤した『上水道』の整備において、同時代としては比肩できる国家はなかっただろう。

この2つの事業を同時に行った人物がローマにいたことを、あなたはご存知だろうか。

アッピウス・クラウディウス・カエクス。
彼こそ街道の女王と呼ばれる『アッピア街道』と、ローマ初の上水道『アッピア水道』を建設し、『古代ローマインフラの父』とまで称される人である。

これほどまでに偉大な人物であれば、人格もさぞかし優れているだろうと思いきや、このアッピウスという人、強引な上に平民嫌いで有名だった。

そこでこの記事では、カエクス(盲目の)・アッピウスの強引伝説を紹介しようと思う。
『インフラの父』の意外な側面をご堪能いただきたい。

アッピウスの強引伝説その1:ケンスル(監査官)辞任拒否事件

アッピウス・クラウディウス・カエクス(以降アッピウス)は、紀元前312年ケンスル(監査官)に就任した。
ケンスルとは、ローマ市民権保持者の数を調査し、貴族や騎士階級などの数を確定していく、現代の国勢調査官のような役割を担っていたが、アッピウスの就任時には公共事業も行う公職だった。

ケンスルに就くことで、街道の再整備(アッピア街道の敷設)やローマに初の上水を引き入れる水道工事を行うことができたのだ。

特に水道工事は、当時まだ都市ローマの人口が少なく飲水に不足しているわけではなかったので、わざわざ上水を引き入れる工事を進めることは大英断であり、後のローマ発展に欠かせない先見の明がある事業だったと言える。

と、ここまでなら偉大な人物として名を残すだけなのだが、アッピウスはなんと1年半という就任期間が来ても、ケンスルを辞めなかった
アッピウス辞任拒否の理由はこうだ。

もともと5年間だったケンスルの就任期間が、アエミリウス法によって1年半に短縮されたのだが、

「アエミリウス法によって短縮されたのは、法律が成立した当時のケンソルだけ」

というただの屁理屈(にもならないわがまま)。
ジャイ◯ンといい勝負である。
護民官(平民の権利をまもる平民代表)が説得してもダダをこねて応じない。

結局アッピウスは、逮捕されそうになっても5年間ケンスルを勤めあげ、街道および上水道を完成させたという。

なお、アッピウスより敷設道路の建設とされるローマ街道については、地球2周分にも及ぶ大事業、古代ローマインフラの一つローマ街道についてで紹介しているので、興味があれば読んでいただけると嬉しい。

すべての道はローマに通ず ローマ街道 地球2周分にも及ぶ大事業、古代ローマインフラの一つローマ街道について

アッピウスの強引伝説その2:コンスル(執政官)強引就任事件

アッピウスは紀元前307年、296年の2回に渡ってコンスル(執政官:行政最高責任者)に当選する。
このうち2回目のコンスル就任が強引だった。

執政官は権力集中を避けるため、選出は2人とされている。
さらに一方が貴族出身であれば、もう一方は平民でなければならないと法で定められていた。

すでに貴族出身者がコンスルの当選を決めていたので、法に従えば平民出身の人間しかなれないはずである。
しかしアッピウスはこれを無視して自分をコンスルに就任させるよう、当選者に圧力をかけるという強引手段に訴えたのだ。

結局はすでに当選していた人が就任を辞退するということで話は収拾したが、下手をすれば法の裁きを受けることになるはず。
そこまでして就任したいか、アッピウス……。

アッピウスの強引伝説その3:戦場でもとことんインフラ事件

当時ローマはイタリアの背骨であるアペニン山脈付近を拠点とするサムニウム族と戦争中だった。
さらにサムニウム族の働きによって、ローマ北方にある反ローマ都市同盟のエトルリアが動くと、アッピウスはエトルリア戦線の担当司令官として戦場に赴いた。

しかしアッピウスは陣営に二重の柵と堀を張り巡らすという、戦場の中のインフラ整備に勤しんでいる。

援軍に駆けつけたローマ軍司令官は、アッピウスがさらに堅牢な陣営を築くための木材を調達させていることを知ると、エトルリアを攻めるためにアッピウスを咎めて柵を引き抜くよう命じたという。

それでは怖いと頑なに主張したアッピウスだが、結局は元老院によってローマに引き戻されてしまった。

戦場でもインフラを忘れないアッピウス、ぶれない男である。

アッピウスの強引伝説その4:ピュロス戦争講和反対事件

紀元前280年頃に始まった、エピルスの王ピュロスとの戦闘で、ローマは二度も大敗をした。
元老院は、ピュロスの提示した講和条件をのむところだったが、ここですでに引退したアッピウスが、久々に元老院に登壇して演説を試みた。

この時アッピウスは齢70を超え、さらに盲目となっていたが元老院議員に向かってこう叫んだ。

わたしはもはや目は見えないが、耳も聞こえなければと思うほどだ。
あんなピュロス風情の和平に応ずるとは何事なのか。
ローマの名声をだいなしにすることはなはだしい。
常日頃、諸君が全人類に言いふらしていた文句はどこに言ってしまったのか。
“もしかのアレクサンドロス大王がイタリアにやってきて、われわれの父祖と戦っていたら、今ごろ彼は無敵と讃えられるどころか、敗走して、ひょっとしたら命を落としていたのかもしれないのだ”と。
あの気概はどうしたのだ。

プルタルコス『英雄伝』「ピュロス伝」

戦場でインフラ整備に勤しんでいる口がいうか、というツッコミはさておき、この演説によってローマは再びピュロスと戦い、ついにはイタリア半島から彼を追い出すことに成功した。

強引は迷惑だが、時には役に立つのである。

今回のまとめ

「古代ローマインフラの父」、アッピウス・クラウディウス・カエクスの伝説を楽しんでいただけただろうか。

始めて事をなすことの執念が、数々の伝説からひしひしと伝わってくる。
下手をすると法に触れそうなものだが、これだけ強引な方法を使っても、なんだかんだと当時の人から愛された人物だったのではないだろうか。

愛される強引なおじさん。
それがアッピウス・クラウディウス・カエクスであった。

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