旅するローマ皇帝ハドリアヌス ―テルマエ・ロマエにも登場する五賢帝の三番手―

旅と美青年と風呂を愛したローマ皇帝ハドリアヌス

ローマ皇帝ハドリアヌス。
五賢帝の一人として数えられるハドリアヌスの名を聞いて、あなたはどんな人物を思い浮かべるだろうか。

賢帝だけに賢そうな人物だろうか。
近年ハドリアヌスの名を有名にした作品、テルマエ・ロマエの劇場版 では、市川正親が演じていた。
かの作品では弱々しいおじいさんだったので、なよっとした姿だろうか。

私も実際に見たことがないので想像の域を出ないが、現存するハドリアヌスの胸像からは上記のような姿は微塵もない。
ひげを蓄えた顔からは、むしろ覇気があり意志の強さを感じる。

弱々しく見えるハドリアヌスも、精悍で眼差し鋭いハドリアヌスも、そのどれもが側面を映し出したものだ。
ではハドリアヌスとはどのような人だったのだろうか。

そこで今回は、旅する皇帝と言われたハドリアヌスの姿を書いてみたいと思う。

古代ローマ皇帝初の“ひげダンディ”、それがハドリアヌス

あなたはローマ皇帝と聞いてどんな顔を思い浮かべるだろうか。
皇帝だから、アメリカの大統領リンカーンや、日本の伊藤博文のように、さぞかし威厳があり、ひげの一つでもはやしている姿だろうか。

実はローマ皇帝として、初めてひげを生やした姿で登場したのがハドリアヌスである。

共和政時代はローマ人、少なくとも首都ローマでは、ひげを生やす習慣がなかった。
事実、大スキピオやカエサルなどの顔には、ひげが全く生えていない。

それが帝政以降、徐々に庶民の間ではひげを生やす者も現れた。
しかし皇帝になる人物は、ひげを蓄えていない。
おそらくローマ人は祖先の威風と伝統を重んじる風習があったので、公の場ではひげを剃るという行為が礼儀としてあったのではないだろうか。

そのような風習を、ある意味ぶち壊したのがハドリアヌスなのだ。
当時のはやりをいち早く取り入れ、ひげを蓄えることで威厳やたくましさを強調し、何より『おしゃれ』に気を使ったのではないか。

ひげのエピソードはハドリアヌスが過去の慣習や常識にとらわれないことをよく表しているだろう。

旅する皇帝、ハドリアヌスの足跡

私は子供の頃、『皇帝』と聞くと、部下にたいして

良きに計らえ

などといっては自分で何もせず、享楽にふける姿を想像していた。

しかしハドリアヌスは、私の想像した皇帝とは真逆の人間だった。
治世をとおして、ローマに滞在する期間が極端に短いのだ。

では何をしていたのか。
ハドリアヌスは帝国の各属州を隅々まで視察したのである。
国境の防衛軍が正常に機能しているか、各属州の生活はどのようになっているか、などなど……。

視察した属州は次のとおり。

120年~121年 ゲルマニア視察
121年~122年 ブリタニア視察
122年 ヒスパニア視察
123年 小アジア視察
125年~127年 ギリシア視察 ― シチリア経由でローマへ
128年 アフリカ視察 / アテネ視察
129年 カリアキリキアカッパドキアシリア視察
130年 エジプト視察

各属州の位置は、ローマ帝国最盛期の属州一覧 -ヨーロッパからアジア、アフリカまで-にまとめているので、そちらを参考にしていただきたい。

ローマ帝国最盛期の属州一覧 ローマ帝国最盛期の属州一覧 -ヨーロッパからアジア、アフリカまで-

10年の間に一体何カ国行くのかというほど、いろんな場所へと移動した。

当時としてもローマ皇帝が属州の一地方にまで来るのは珍しいことだったので、ハドリアヌスが行くたびに視察先の属州ではお祭り騒ぎ。
記念のコインが発行されるわ、催しが開催されるわで盛大な歓迎を受けたようだ。

また、ハドリアヌスも歓迎に対してお礼に記念の建物を建てるといった、超豪華なプレゼント交換が行われた。

寵愛した美青年のために、1つの都市までプレゼントするハドリアヌス

ハドリアヌスは男色家としても有名だ。
五賢帝のなかで男色を自認するのは、ハドリアヌス以外には存在しない。

ハドリアヌスが皇帝だったころは、男性同士の恋愛はさほど珍しいことではなかったが、特に公にすることもなかった。
ハドリアヌス以前の皇帝たちも男色にふけることはあっても、公にはしなかっただろう。

しかしハドリアヌスは一人の美青年を愛したことが、しっかりと記録されている。
美青年の名はアンティノウス。
アンティノウスはハドリアヌスに愛されたが、不幸にもハドリアヌスのエジプト視察中、同行したアンティノウスはナイル川に落ちて亡くなってしまう。

ハドリアヌスはアンティノウスの死をとても悲しんだ。
悲しんだだけではなく、エジプトにアンティノオポリス(アンティノウスの都市)を建設してしまったのだ。
ちなみにハドリアヌスはそれだけではなく、アンティノウスを神格化して神殿をつくり、帝国中に像を建て、さらに天空にアンティノウス座まで作ってしまうという徹底ぶり。

死者のたむとして、常識はずれの豪華なプレゼントの数々だった。

ハドリアヌスは本当にテルマエ・ロマエで描かれたような『風呂好き』だったのか

ヤマザキマリの漫画テルマエ・ロマエ にも風呂好き皇帝として登場するハドリアヌス。
ハドリアヌスは本当に作中に描かれたような、お風呂大好き人間だったのだろうか。

ハドリアヌスの風呂好きエピソードとして、お風呂にかける情熱はお湯より熱い!古代ローマ人が愛したテルマエを語ろうにも紹介した退役軍人の話がある。
詳しい説明は控えるが、彼が公衆浴場によく通っていた現れであろう。

しかしそこまで風呂好きであれば、ハドリアヌスの名前がついた公衆浴場を一つでも建てたのかと思いきや、首都ローマにハドリアヌスが建てた公衆浴場は一つもない。
だがローマにはなくても属州の都市には存在した。
それが属州アフリカ(現リビア)のレプティス・マグナという都市に建設したハドリアヌスの浴場である。

レプティス・マグナの浴場は帝国最大規模の浴場で、かつレプティス・マグナで初めて大理石が使われた建造物なのだ。
そのこだわりっぷりは、やはり風呂好きの証ではないだろうか。

ハドリアヌスがローマ皇帝として目指したもの

これまでハドリアヌスにまつわる4つのエピソードを紹介したが、これらはハドリアヌスの側面の一部に過ぎない。
ではハドリアヌスとはどのような皇帝だったのか。

ハドリアヌスは元老院からは不人気の皇帝だった。
人気がない理由は2つある。

  1. 前帝トラヤヌスの拡大路線から安定路線へと変更し、獲得領土を切り捨てたこと
  2. 首都ローマにとどまる時間が短かったこと

前帝トラヤヌスの拡大路線から安定路線へと変更し、獲得領土を切り捨てた

トラヤヌスはローマ帝国の歴史で最も領土を大きくした皇帝として有名だ。
もちろん五賢帝の一人で『至高の皇帝』としても名高い。

しかし彼は領土を拡大したがために、それを維持するための軍事費がかさむことは目に見えていた。
だが、拡大時は目に見えて成果が上がるため、国民にも元老院のお偉方にも受けがいい。
これを変更することは、名声や人気を捨てることにつながるのだ。

ハドリアヌスはそれを知りつつも、トラヤヌスの獲得した東方の属州3つ(アッシュリアメソポタミアアルメニア)を切り捨てている。
このことで防衛ラインを縮小し、結果として帝国の軍事費を抑えることができた。

首都ローマにとどまる時間が短かったこと

旅する皇帝、ハドリアヌスの足跡でも書いたとおり、ハドリアヌスは即位3~4年ですぐに属州各地の視察に出発している。
そのため、首都にいない皇帝として、元老院からは“受け”が悪かった。

しかしハドリアヌスは元老院にかまわず視察行にでかけた。
目的は、防衛ラインの軍備を確認し、必要があれば強化する、ということ。

強化ときくと、兵力を増やして補填すると思いがちだが、ハドリアヌスはトラヤヌスの拡大路線を変更した皇帝だ。
国家財政を圧迫する軍事費は絶対に抑える必要があったので、軍人の増員は考えもしなかっただろう。

では何をしたのか。ハドリアヌスが行ったのは次の2つだ。

  • 軍規を引き締める、軍の質を上げること
  • 防衛ラインに壁を設けること

ブリタンニアでは北方から侵入する蛮族の対応が度々問題になっていた。
そこで、ハドリアヌスは東西に長い壁、ハドリアヌスの長城(ハドリアンウォール)を築いた。
これにより、一時的な建設費は必要だが、建設後は軍事費が大幅に減少したという。

その他、防衛ラインの最前線、ゲルマニアを始め、公衆浴場を建てたレプティス・マグナのあるアフリカや、東方戦線のシリアなど、あらゆる土地で軍の様子と効率的な防衛方法を模索したに違いない。

視察が終わった彼の治世中はもちろんのこと、賢帝中の賢帝と言われたアントニヌス・ピウスの代でも防衛ラインを突破されることはなかった。
ハドリアヌスは、現世の名声や栄誉を捨ててまで、ローマ帝国の繁栄にとって必要なことを実行した皇帝だということができるのではないだろうか。

ハドリアヌスの最期

ハドリアヌスは晩年体調を崩し、視察に行くことはおろか、自殺を何度も考えるほど苦しかったという。
アントニヌス・ピウスを後継者として指名し、さらに最後の五賢帝、マルクス・アウレリウス・アントニヌスとルキウスの後見人をアントニヌス・ピウスに託してハドリアヌスは死んだ。

享年62歳。
ハドリアヌスの亡骸は、彼が生前建設したハドリアヌス廟(現サンタンジェロ城)に安置された。

ハドリアヌスが建設した代表的な建物

創建

ハドリアヌス廟(サンタンジェロ城)

ハドリアヌス廟(サンタンジェロ城)
場所ローマ
建設開始135年
完成139年

ハドリアヌスが自らの亡骸を安置するために建てた霊廟。
その後、要塞や牢獄、避難所として利用された。

この記事内の関連項目

ヴィッラ・アドリアーナ

ヴィラ・アドリアーナ
ヴィッラ・アドリアーナ (ティヴォリ) | Wikipedia
場所ティヴォリ
建設開始118年
完成133年

ローマから約30km離れた保養地ティヴォリに建てたハドリアヌスの別荘。
視察した各地の素晴らしい情景を再現させたと言われている。

ハドリアヌスの長城

ハドリアヌスの長城
場所イングランドとスコットランドの境界線近く
建設開始122年
完成132年頃

属州ブリタンニアの防衛経費削減を目的として建設した東西118kmにも及ぶ防壁。
高さ4~5m、厚さ3m。6kmごとに砦が築かれていた。

レプティス・マグナの浴場

レプティス・マグナのハドリアヌス浴場
photo credit: North Africa 2007 123 Leptis Magna Baths via photopin (license)
場所リビア北西部のアル=フムス市

属州アフリカの都市、レプティス・マグナにある公衆浴場。
街の治水事業完成をうけて、建設された。
巨大な冷水浴場や屋外プール、50人が並んで用を足せるトイレがあった。

再建

パンテオン

パンテオン
場所ローマ
建設開始118年
完成128年

ローマの神々を祀る神殿として、もともと初代皇帝アウグストゥスの腹心アグリッパが建てた建築物。
後の火災で消失してしまったため、ハドリアヌスが再建。
ハドリアヌスは再建の際、自分の名前を刻まなかったため、近年になるまでアグリッパが建てたことしかわからなかったという。

なお、パンテオンについてはパンテオン ―1,900年前の姿を残す、古代ローマコンクリート建築の芸術―に詳しくまとめているので、興味のある方は読んでいただくといいだろう。

1900年前の姿を残すパンテオン パンテオン ―1,900年前の姿を残す、古代ローマコンクリート建築の芸術―

今回のまとめ

ハドリアヌスについて、もう一度おさらいしておこう。

  • ローマ皇帝で初めてひげをはやした先駆者
  • 10年以上に渡って帝国各地を視察した
  • 男色を隠さず、亡き”恋人”のために都市を建設した
  • 属州都市に巨大な教習浴場(テルマエ)を建設するほどのお風呂好き
  • 名声や栄誉より、ローマの安定化を図った

ハドリアヌスは皇帝の中でも特に、古い慣習にとらわれず、自分の思ったことを実行できる意志の強い人物だった。

至高の皇帝と賢帝中の賢帝に挟まれて当時は不人気だったが、ローマを平和と繁栄に導いた素晴らしい皇帝だったと私は思う。

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