あなたはローマ皇帝ネロについて、どのようなイメージがあるだろうか。
暴君、芸術家、ローマを火の海に変えた真犯人。
母親とも関係を持った淫乱な権力者。
果たして本当のネロはそのような人物だったのだろうか。
後世の歴史家からは彼の一面を誇張したエピソードが色々と伝えられているが、私はネロを形作る要因として、次の2つが大きいと考えている。
- 母アグリッピナへの鬱屈した反抗心
- 母親コンプレックスからくる強烈な承認欲求
この記事では暴君の代名詞として名高いネロが、実際はどのような人物だったのかを書いていこうと思う。
あなたに少しでも新しい発見があれば嬉しい限りだ。
記事の内容
ネロの母、アグリッピナ
ネロを語るには、まずネロの母親について知る必要があるだろう。
ネロの母アグリッピナは、ネロが11歳の時に4代皇帝クラウディウスと結婚した。
彼女は3代皇帝カリグラの妹という皇帝の血筋ではあったが、クラウディウスとの結婚前の人生はそれほど恵まれていなかったらしい。
彼女にとって老皇帝との結婚は、連れ子のネロを皇帝にし権力を握るためのものだった。
そのために、クラウディウスの実子であるブリタンニクスを孤立させるように画策し、さらにネロを次期皇帝候補にするべくクラウディウスの養子にしてしまう。

Carlos Delgado [CC BY-SA 3.0]
そしてすべての準備が整ったあとに皇帝クラウディウスが都合よく急死すると、まんまとネロを皇帝に擁立することに成功する。
紀元54年、ネロ16歳のことだった。
クラウディウスの死はアグリッピナの毒殺とも言われているが、真偽は定かではない。
ネロ、ローマ皇帝になる

shakko [CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズより
アグリッピナはネロを皇帝に担ぎ上げ、自らの影響力で帝国を支配し、権力欲を満たしたかったのではないだろうか。
ただし彼女自身は統治に必要な知性が備わっていたようで、優秀な2人の人物をネロのサポートならびに養育係として登用している。
それがルキウス・アンナエウス・セネカとセクストゥス・アフラニウス・ブッルスである。
ネロの幼少期の家庭教師であり、政治的ブレーン。
ストア派の哲学者としても有名。
クラウディウス帝時代からの近衛隊長。
権力者に対しても、歯に衣着せぬ意見を言える、清廉な軍人。
彼らを登用したおかげで、ネロが皇帝に即位してから5年の間は、ネロの5年間として善政の引き合いに出されるほど良い時代だったとされている。
しかし彼らがいかに優秀であっても、受け止める側に聞く耳がなければ、使いこなせるわけではない。
さらにネロには彼らが母によって用意された助けだった事もあっただろう。
私はネロが、アグリッピナに常々このような言葉を言われたのではないかと想像している。
ネロ、あなたはいったい誰のおかげで皇帝になれたと思っているの!
大スキピオやグラックス兄弟、カエサルの母からは絶対に出ることのない言葉。
ネロの母アグリッピナは、子供の教育に関しては著しくバランスを欠いていたのではないだろうか。
それは母への鬱屈した反抗として、ネロの行動に次第に現れだす。
アグリッピナに対するネロの反抗
反抗その1:正妻オクタヴィアの扱い
アグリッピナはネロをクラウディウスの養子とするために、クラウディウスの娘であるオクタウィアとネロを結婚させている。
これは完全な政略結婚だったし、おとなしいオクタウィアはもともとネロの好みではなかったのだろう。
ネロは皇帝に後すぐに、アクテという解放奴隷を寵愛している。
これがアグリッピナは気に入らなかった。
彼女はアクテをネロから引き離そうとしたが、セネカの口利きで引き離されずにすんだようだ。
しかし母と子の間には、次第に隙間風が吹いていく。
反抗その2:義兄ブリタンニクスの毒殺
ネロに独立心(アグリッピナにとっては反抗心)が芽生えるにつれ、アグリッピナはやりにくさを感じていたに違いない。
アグリッピナは自分の野望を達成するために、クラウディウスの前妻の子であるブリタンニクスに目をつけた。
かつてネロを皇帝にするために自分の手で退けたのに、である。
彼はネロより年下で、まだ成人にはなっていなかったが、帝位継承権は持っていたのだ。
しかしブリタンニクスは成人する前に、なぜか急死してしまう。
ネロがアグリッピナの考えを察知して、ブリタンニクスを毒殺したと言われている。
反抗その3:愛人ポッパエアとの関係
さらにネロは親しい間柄にあったオト(後の皇帝)の妻、ポッパエア・サビナを愛人にした。
ポッパエアは美しいだけでなく愛嬌があり、特に会話がうまかったらしい。
さらに母の指図ではなく自ら選んで惚れた女性だ。
そんなポッパエアにネロは夢中になったことだろう。
もしネロがポッパエアとの関係を愛人にとどめ、火遊び程度で終わらせるつもりなら、母アグリッピナは何も言わなかったのではないか。
しかし、ネロは正妻であるオクタウィアと離縁し、ポッパエアを皇后に迎えるつもりだった。
ここに至ってアグリッピナとネロの関係は決定的に壊れる事になった。
ただし、息子と禁断の関係を結ぶことを疑われるぐらい、権力に執着したアグリッピナの執念を垣間見ることができるだろう。
反抗その4:母アグリッピナの誅殺
母の干渉が耐えられなくなったネロは、ついに実母の殺害を決意する。
ネロは壊れやすい船を用意して、ナポリの海上に母を誘い、沖まできたところで船を沈めた。
しかしアグリッピナは泳ぎが上手く、無事に岸までたどり着き、なんとか自分の別荘まで帰り着いたらしい。
アグリッピナはネロが殺害計画を立てている事を知らず、すぐさまネロに無事の知らせを届けさせた。
これにはネロも肝をひやしたことだろう。
ネロは知らせを届けた使者が短剣を持っていたので、自分を殺しに来たといいがかりをつけてアグリッピナの別荘まで刺客を送り、彼女を殺害した。
反抗その5:オクタウィアの殺害とポッパエアとの結婚
母アグリッピナの命を自らの手で奪ったことにより、タガが外れたのだろうか。
ネロは母に与えられたものをどんどん処分していく。
まずは皇帝となるための布石としてあてがわれた、前皇帝の娘、オクタウィアだ。
自らが選んで愛したポッパエアと結婚するため、オクタウィアをあらぬ嫌疑で島流しにしたあと、彼女を自死に追い込んだ。
性格的におとなしく、夫に尽くした妻の最期。
まだ22歳の若さだったという。
これで障害のなくなったネロは、ポッパエアと結婚し、皇紀として迎えた。
しかしこの結婚も長くは続かない。
ポッパエアが第二子懐妊中に、夫婦喧嘩でネロが彼女の下腹部を蹴ったことが原因で、ポッパエアはその年に亡くなっている。
反抗その6:ブッルスとセネカの死
さらにネロは、母アグリッピナが用意した側近たちも処分した。
まずはブッルスが呼吸困難で死去。
歴史家タキトゥスによれば、
ネロの命令でブッルスの治療に当たった医師が劇薬をブッルスに投薬し、それが原因であった
らしい。
またセネカも横領を告発されたことをきっかけに政治から引退していたが、元老院議員のピソをネロの代わりに皇帝へ擁立する計画が発覚、ピソに連座して自死に追い込まれた。
これで母の影はネロの前からすべて姿を消したことになった。
ネロのあくなき承認欲求の追求
ネロの母アグリッピナは、おそらくなんでも自分の手柄にしたい病の患者だったと思う。
息子のやることなす事、すべて自分の口利きやお膳立てでうまく行っていると、ことあるごとに息子に吹聴したのではないだろうか。
そして最後にはこういうのだ。
誰のおかげで皇帝になれたのか
と。
ネロはこの母のせいで何もできない自分を責めた。
せめて皇帝となってからは、ローマ市民に自分がなにかしていると思われたい。
そう考えるようになったのではないだろうか。
認められたい、みんなによく思われたい。
それが彼の原動力となって、良くも悪くも皇帝としての行動に現れるのだ。
ローマ大火とネロの処理
64年、ローマ都心に近いチルコ・マッシモ周辺の商店から上がった火の手が、風に煽られて一気にローマ市全体を襲った。
ローマ大火である。

当時、ローマ付近の別荘で過ごしていたネロは、ローマにすぐさま舞い戻り、鎮火と被災者救助の陣頭指揮をとった。
さらに鎮火後、高密度で火災が起こりやすいローマを一新するよう、新しい建築には次のことを義務付けた。
- 道幅を広げること
- 建物の高さを制限すること
- 各家は固有の壁で囲むこと
- 共同住宅には中庭・消火用器具を設置すること
- 住居は一定の部分を耐火性のある石で造ること
また、ネロの私費で次のものが賄われた。
- 防火用の柱廊敷設
- 火災対応のための水道整備
ネロの対応は素晴らしく、今後のローマの都市計画は、彼が行った施策をもとに作られたという。
ローマ市民に期待した彼自身へのやむなき称賛。
これを原動力に行動したことが顕著に出た例ではないだろうか。
ローマ大火の犯人についてはいくつかの説がある。
当時のローマ市の醜悪な姿を見て嫌気がさし、ネロ自身が放火して一から作り変えようとした
被害のなかったユダヤ地区のユダヤ人が放火した
などだ。
しかしネロ放火説については、特定の区画を焼くことは不可能、皇帝の邸宅まで焼けていることから、いまいち信憑性が薄いだろう。
ではユダヤ教徒が犯人かというと、こちらも特にそれを裏付ける証拠がない。
ではなぜユダヤ教の一派であったキリスト教徒が犯人とされ処刑されたのだろうか。
当時のローマは他民族国家で、首都ローマにもたくさんの民族が入り乱れていた。
大規模な災害が起こると混乱が起こることから、治安回復のために犠牲者を必要としたのではないか。
また、なぜユダヤ人の中でも『キリスト教徒』だけかというと、ネロの妻ポッパエアがユダヤ教徒とつながっていたからだとも言われている。
いずれにせよ真相は闇の中だ。
芸術家への憧れと様々な大会への参加
承認欲求が違う形で現れたのが、ネロの芸術活動だろう。
現代でも自分の歌う姿や絵をSNSに投稿して、『いいね』をもらいたい人が大勢いるように、ネロもまたこの手のことにご執心だったと思う。
ただし彼は皇帝だったので、周りの気遣いがハンパない。
ギリシャのオリンピア競技に出場して、1800もの栄冠に輝いたらしいが、そのほぼすべてが出来レース。
一度など、戦車競技で戦車から落下しても優勝するという珍事まで発生する始末だった。
またネロは大劇場で、自分の創作した詩歌を好んで披露した。
しかしこのリサイタルは最悪だった。
観客を詰め込んだ後、入り口を封鎖して(おそらく)くそつまらない詩劇に観客を突き合わせたのだ。
現代で例えると、勘違いした売れないミュージシャンが武道館でライブをするが、観客を安い(あるいは騙して)席につかせた挙げ句、終わるまで入り口を警備員に見張らせて、入れ替え禁止にする感じだろうか。
あまりにも退屈すぎて、塀をよじ登って逃げる観客もいたという。
また、この劇につきあわされた将軍ウェスパシアヌスは、退屈のあまりネロの目の前で眠ってしまい、ネロに疎まれてしまったらしい。
後にフラウィウス朝を開いたウェスパシアヌスについては、上記のエピソード以外にも詳しく書いているので、ケチでブサイクでやる気なし!?おしっこ税で後世まで名を残した皇帝ウェスパシアヌスこちらをご参考いただければと思う。

とにかくネロは、誰かに認められることを純粋に望んでいたと思う。
いいねがほしいSNSの住人のように。
有能な武将コルブロへの処分
ネロの時代は軍の人材に恵まれた時代だった。
ネロの補佐役であるブッルスや後の皇帝となるウェスパシアヌス、シリア総督ムキアヌスなど。
しかしこの時代、当代一の武将といえばコルブロだろう。
コルブロはゲルマニアで司令官を経験したあと東方に派遣され、パルティアとの問題を見事に解決へ導いた武将だ。
彼はローマにあっても超有名人だったに違いない。
これがネロの癪に触ったらしい。
コルブロという人物自身には素行、その他全く問題がなかった。
にもかかわらず、皇帝に逆心を抱いたという疑いで、ネロは証拠不十分のままコルブロを自死に追い込んだ。
おそらくネロの中でコルブロはキラキラ系の最たる人物だったのではないだろうか。
自分よりSNSで輝いている人がいると、叩きたくなる衝動。
絶対権力を握っているネロにとって、存在そのものを消し去りたいという欲求は抑えることができなかったのだろう。
自分より市民から『いいね』をもらう人物は許せなかったのだ。
ネロの最期
コルブロなど有能な将軍を確たる証拠もないまま自殺に追い込んだことで軍の反感を買ってしまったネロは、ついに軍の反乱を引き起こしてしまう。
さらにネロは、元老院議員の命を自分の都合で次々と奪うことで元老院の反感を買い、『国家の敵』にされてしまった。
元老院は反乱を起こしたガルバを皇帝に擁立すると、ネロはローマ郊外へと逃亡。
しかし追手が迫っていることを察知して自ら剣を喉に突き刺し自殺する。
享年30歳。
彼が生前望んだように、死後もローマ市民からの人気は衰えず、ネロの墓には花や供物が耐えることはなかったという。
ネロの残した建造物
ドムス・アウレア

Howard Hudson [GFDL, CC-BY-SA-3.0 または CC BY 2.5], ウィキメディア・コモンズ経由で
ローマ大火後に都市計画の一環としてネロが構想、建築した皇帝用の巨大宮殿。
宮殿に付随して巨大な人工池も作られたが、後にウェスパシアヌスが跡地にコロッセオを建設した。
現在はトラヤヌス浴場の地下に一部が残るのみである。
ネロが出てくる作品
漫画
我が名はネロ(上・下) 安彦良和
ネロを暴君ではなく、悩める一人の人間として描いた作品。
もうひとりの主人公を剣闘士とし、さらに登場人物にキリスト教徒を出すことで、当時のキリスト教の状況を浮き彫りにするのを狙っていたと思う。
作者はこの作品の前に『イエス(全4巻)』を描いているので、その流れでこの作品を構想したのではないだろうか。
プリニウス ヤマザキマリ・とり・みき共著
『博物誌』を記した大プリニウスを描いた物語。
プリニウスが生きた同時代人として皇帝ネロも登場するが、この作品でも暴君というよりは一人の悩める青年皇帝として描かれている。
当時のローマの雰囲気を味わいたい人に、特におすすめしたい。
今回のまとめ
皇帝ネロについて、もう一度おさらいしよう。
- 4代皇帝クラウディウスと結婚した母アグリッピナによって、強引に皇帝に祭り上げられた
- アグリッピナの用意したものを排除することで、次第にアグリッピナと対立し、母を殺してしまった
- 人一倍他人からの人気を気にするため、芸術やオリンピや競技の参加で自分を披露しまくった
- ただし、ローマ大火後の陣頭指揮と復興政策は的確なものだった
- 自分の都合で元老院議員や有能な将軍を排除した結果、どちらからも反感を買い、最後は自殺に追い込まれた
おそらくネロは頭の良い人物だったのだろう。
ただし、公私ともに前に出ようとする母のために、自分自身を信じ切ることができなかった。
そして母を殺したために、彼女を永遠に乗り越えることができなくなってしまったのだ。
母の呪縛から解き放たれたなら、もしかしたら後世の評価はまた違ったものになったのかもしれない。