ケーナでの晩餐について―ローマの上流階級は本当に自堕落な食生活だったのか―

ローマ富裕層のステータス ケーナに招く晩餐会

古代ローマの食事といえば、あなたはどんな光景を思い浮かべるだろうか。

映画などでおなじみの、豪華な料理を取り囲んだローマ人が寝そべって食べる姿。
あるいは満腹になっては吐き出して、また豪華な料理にありつく姿。

このような晩餐が毎晩おこなわれる自堕落な生活を想像する人も少なくないはずだ。
(少なくとも私は上記内容を想像していた一人だ)

しかしすべてのローマ人たちが、このような食事をしていたのではない。
上記のような食事ができる人は、ローマ帝国全体の1割にも満たなかった。

また、ケーナと呼ばれる食事時に宴を催すことができたローマの富裕層には、晩餐会を開く理由があったのだ。

今回はローマ富裕層が開いた晩餐会の本当の姿を書いていこう。

※メインイメージ:User:Mattes [Public domain], ウィキメディア・コモンズより

1日の食事で最も多く食べる食事をケーナと呼ぶ

古代ローマの上流階級や富裕層たちは、ローマ市民をケーナに招いて晩餐を開いた。
ところでケーナとはいったいなんだろうか。

古代ローマ人は、1日の食事をだいたい朝、昼、夕の3回に分けて摂っていた。
その中でも一番しっかりと食べる食事をケーナと呼ぶ

ローマ初期の頃、ローマ人は1日の中でも昼間の食事をしっかりと食べていたので、昼食をケーナと呼んでいた。
しかし時代が進むと、ケーナは昼食から夕食へと移行していく。
どうも昼間は暑く、食欲がでなかったことが原因らしい。

ちなみにローマ人の夕食は、日没前の午後4時から5時ごろに始まる。
現代のように電気が発達していないので、暗くなる前に食事を済ませ、そのあとはすぐに眠っていたようだ。

富裕層がケーナに招く晩餐会の目的

ではローマの上流階級や富裕層は、なぜ市民をケーナに招いて晩餐を行ったのだろう。

彼らは、単に自分の暮らしを自慢するためや享楽のために、豪勢な食事を振る舞っていたのではない。
そこには次のような目的があった。

  • 政治的な影響力を大きくするために、選挙の投票権がある市民への人気取り
  • 商業上の取引関係をより強くするため

要するにこれは現代で言う接待と何ら変わりはない。
日本で例えるなら高級料亭に要人を誘い出して料理やお酒を振る舞うようなものだ。
だから、富裕層のケーナでの集まりは、ただの夕食会ではなく、サロン的な意味合いが強かった。

ケーナに呼ばれたい市民は公衆浴場をはしごした?

富裕層がケーナへと招く客は、しばしば公衆浴場(テルマエ)で声をかけることがあった。

多少生活にゆとりのある市民なら、午前中にすべての仕事を終え、午後からはシエスタと呼ばれる昼寝と公衆浴場へと通うことが多かった。
そのため、有力者とつながりを持ちたいものや、豪華な晩餐にありつきたいものは、公衆浴場を何軒もまわり、お声がかかるのを待ったものもいたという。

ちなみにローマの一大レジャー施設、公衆浴場については、お風呂にかける情熱はお湯より熱い!古代ローマ人が愛したテルマエを語ろうに詳しく書いているので、ご参考いただければと思う。

ローマ人が愛したお風呂 テルマエ お風呂にかける情熱はお湯より熱い!古代ローマ人が愛したテルマエを語ろう

ローマの富裕層がケーナに行う晩餐会の様子

では、ローマの富裕層たちが晩餐会をどのように行っていたのだろうか。

晩餐会が行われた部屋、トリクリニウム

晩餐会を行うことができるローマの富裕層は、ドムスという邸宅を構えている。
その邸宅の中にあるトリクリニウムという部屋で、晩餐会は行われた。

トリクリニウムとは、ギリシア語で『3台の臥台』という意味である。
その名の通り、馬蹄形(コの字を90度左に回転させた形)に3台の長いベッド(のようなもの)で、料理を置く円卓を取り囲んで食事をする。

また食事専用の臥台は、レクトゥス・トリクリナリスと呼ばれる。
レクトゥス・トリクリナリスの特長は次の通り。

  • 材質は木材・青銅・象牙・銀など
  • テーブルに向かって少し上向きの傾斜がついている
  • 上部にクッションやシーツなどを敷いて使う
  • 1台につき、だいたい3人が座る(寝る)

また、トリクリニウムは上記のように、通常9人ないしは10人程度の来客をもてなすものが一般的だが、その他に少人数用の小さなトリクリニウムを備えた邸宅もあった。
こちらは特別来賓用として、主にVIPをもてなすものだったようだ。

列席者の地位や重要度によって、座る場所が決まっていた

招かれた客は、誰もが適当な場所に座っていいわけではなく、列席者の地位や晩餐の目的にあわせた重要度で座る位置が決まっていた。
これは現代日本でもおなじみの「上座・下座」の概念と似ている。

トリクリニウムでの食事風景
Litchfield, Frederick, (1850-1930) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

列席者の最上位の客、いわゆる主賓は馬蹄型上辺にあたる臥台の一番左側に座る。
この位置は『執政官の座』と呼ばれた。日本でいうところの上座である。
以下、上辺の左から右、左辺の上から下、右辺の上から下、という順番になっていた。

ちなみに招いた邸宅の主人は左辺の上部で、主賓と会話できる位置をとることが多かった。

晩餐会の作法

前述したように、ローマ富裕層の晩餐会とは接待と同じなので、席次以外にも作法が存在した。
では、どんな作法があったのだろうか。

晩餐会の服装

晩餐会に呼ばれた客は、ローマの正装であるトガを着用した。

トガ

トガとは身長の3倍もある幅広の布で、チュニカ(短衣)の上から身体に巻き付けていく服装のこと。
色は一般的に白く、羊毛でできていた。

これは現代のスーツのようなものだ。
正式な会合にスウェットやGパンで出席しないのと同じこと。
出席者が何らかの理由でトガを着用できなかった場合は、招待主に借りることもできたらしい。

また、時代が進むとシュンテシスという下部だけに着用する略式トガで晩餐会に出席したようだ。
現代で言えば、ズボンだけ「らしい」格好をするようなものだろう。

マッパエ(ナプキン)の持参

出席者はマッパエという口拭き用のナプキンを持参し、招待主の邸宅入り口で、マッパエを預けることが礼儀とされていた。

マッパエは口拭き用のほか、余った料理を包んで持って帰るために使うことがある。
表向きは奴隷用として持って帰ることを口実にするが、じつは翌日に自分たちで食べるために包んだようだ。

晩餐会の食事作法

トリクリニウムでは、席次以外にも実際の食事での作法があった。

レクトゥス(臥台)での食事の仕方

  • 左脇を下にする
  • 左ひじで身体を支える
  • テーブルから料理を取るときは、右手で素手づかみ※

※ただし食事中は左手を使っても構わない

上記は料理のとり方である。

とはいえ、 ずっと左ひじで身体を支えつづけると無理があるし、左隣の人に話しかけたり、話を聞くときは右ひじをつかって左を向いただろう。

また、食事は基本手づかみだが、ナイフやスプーンを使って食べることもあった。
スプーンは以下のような種類があった。

トルッラ:玉杓子に似たスプーン

リグラ:子ども用のような小さなスプーン。主にスープ用として使用

コクレアレ:柄の先端がとがったスプーン。卵や貝の中身を取り出すのに使用

これ以外にも時々の料理に特化したスプーンがあったようだ。

晩餐会の話題

晩餐会では、政治的な話は禁物とされた。
しかしそれ以外の話にタブーはなかった。

また、招待主が小話をするときは、話の終わりには必ず笑わなければならないという暗黙の了解があった。
(もちろん面白い話題なら、という条件付きだが)

晩餐会のテーブルマナー

古代ローマにおけるテーブルマナーにも触れておこう。

ゲップ

まず、食事中のゲップはあり。
それどころか、ゲップは高貴で文明的とさえ思われていた。

また、ゲップをした人にゲップを返すと、食事の参加者に喜ばれたようだ。

放屁

食事中のおならも特に問題にならなかった。

おならをしてもいい法律!?

クラウディウス帝時代、皇帝のまえでおならを我慢したものがいた。
しかしあまりにも我慢しすぎたために、命を落としかけた。
そこで皇帝クラウディウスは、食事中に放屁を認めるという法律を作りかけたことがあったという。

放尿

さらに食事中にはおしっこをすることも許されていた。
といっても、トリクリニウムのそこかしこでするのではない。

催した参加者が指をぱちんと鳴らすと、音をだした主のところに奴隷が吹きガラスの尿瓶を持っていく。
その尿瓶めがけてトーガをたくし上げ、放尿してスッキリ、というわけだ。

食べかす

食事中に出る食べかすは、すべて床下に投げ捨てた。
メニューについては後ほど書くが、次のようなガラはすべて投げ捨てる対象だった。

  • 伊勢エビなどの甲殻類の殻
  • 貝殻
  • 豚や魚など動物の骨
  • 果物の種

など。

これら床下に落ちた(落とした)ものは、不吉なものとされ、拾って食べることはもちろん、部屋を掃いて掃除をすることさえ死霊の祟にあうと忌み嫌われていた。

そこで、床のモザイクには魚の骨や果物の種などを題材とした模様が描かれた。
これをアッタサロスという。
この模様を書くことで、死霊の魂を鎮めるとされていた。

晩餐会の進行とメニュー

晩餐会のメニューは、中華の満漢全席のように、すべての料理がテーブルに並べられたわけではない。
臥台の中央に据えられた円卓のテーブルでは、すべての料理を乗せるには、あまりにも小さすぎるだろう。

晩餐会では現代のコース料理のように、順番にメニューが運ばれて進行した。
ここでは晩餐会の進行のとともに、どのようなメニューがあったのかを見てみよう。

ステップ1
手を洗う
はじめに出席者は部屋にある手洗い鉢の水で手をあらう。
または臥台についたあと、奴隷に手を洗ってもらうこともあった。
ステップ2
神様に祈る
臥台でまずはじめに行うのは、神の像に祈ることだった。
神の像を部屋に置くことで、神とともに食事をすると考えられていた。

ローマでは、食事は昔から神聖なものと考えられていたのである。

ステップ3
食前酒
続いて食前に飲むお酒を、列席者全員で回し飲みする。
お酒はワインかハーブ入りワイン、もしくは蜂蜜の入ったワイン(蜂蜜酒)を飲んだ。
ステップ4
ゆで卵

食前酒を飲んだあと、最初に登場するのはゆで卵。
ゆで卵といっても、私達が想像するお湯でゆでるのではなく、囲炉裏の熱した灰の中で卵を温めて作る。

ゆで卵に使う代表的なものはニワトリの卵だが、その他にも次の卵を使った。

  • カモ
  • ガチョウ
  • クジャク

なかでもクジャクは特別な場合に使用したという。
このゆで卵にガルムという魚醤ソースをつけて食べた。

ゆで卵参考サイト

参考 食の歴史その48~古代ローマ庶民の接待ディナーWORLD CULTURAL HISTORY'S BLOG
ステップ5
前菜その1

卵に続いては前菜の一皿目。
前菜の一皿目に出てくる料理の代表的な例は次の通り。

  • タコやカキ、野菜のマリネ
  • 玉ねぎ
  • カリフラワー
  • きのこ
  • エスカルゴ
  • ウニ
  • アスパラガス

など。

パンについて
晩餐会で出てくる料理の傍らには、常にパンが置いてあったので、参加者は好きなときにパンを食べることもできた。
 
ステップ6
前菜その2

さらに前菜の二皿目。
前菜二皿目の代表的な料理の例は次の通り。

  • ヤマネ(山鼠)の蜂蜜焼き(ギリシア人の大好物とされた)
  • オリーブの実とザクロか、カニかエビかザリガニの胡椒付き肉団子

など。
胡椒はインドからの輸入品で高価だった。

 
ステップ7
メインディッシュその1

晩餐会のメインディッシュ1皿目は魚料理。
魚料理の代表的な料理の例は次の通り。

・ヒラメ
・ボラ
・チョウザメ
・タコ
・カキ

のシンプルで新鮮な料理。

 
ステップ8
メインディッシュその2

メインディッシュの2皿目は肉料理だ。
肉料理の代表的な料理の例は次の通り。

  • イノシシの丸焼き
  • 野豚料理(ソーセージや串焼き)
  • 子羊料理
  • 子ヤギ料理
  • ガチョウのフォアグラ
  • アヒル料理

など。
ちなみにローマでは、牛肉は一般的ではなかった。

 
ステップ9
食後の手洗い
素手でつかんでいたため、ソースなどで汚れた手を再び手洗い鉢で洗う。
 
ステップ10
デザート

再び席に戻って、最後のシメであるデザートを食べる。
デザートはたいていリンゴが出てきたが、それ以外には次のようなものがあった。

・ザクロ
・すもも
・ナツメヤシ
・小麦粉をミルクとオリーブオイルでこねて焼き、蜂蜜をかけたフォカッチャのようなお菓子

など。

以上で晩餐会のすべての工程は終了である。

しかし宴はこれだけでは終了しない。
晩餐会のあと別の部屋へ移動し、コミッサーティオと呼ばれる酒宴が開かれた。
こちらは2次会のようなものだ。

時には夜明けまで開かれたコミッサーティオ。
これについては、ローマ富裕層の酒宴、コミッサーティオ ―ケーナのあと、時には夜明けまで続く無礼講―をご参考いただきたい。

ローマ富裕層の酒宴 コミッサーティオ ローマ富裕層の酒宴、コミッサーティオ ―ケーナのあと、時には夜明けまで続く無礼講―

またケーナでの晩餐会で飲むワインについては、古代ローマのワイン―起源やたしなみ方、当時のブランドと現代に受け継がれたワイン造り―に詳しく書いているので、興味があればご一読いただくといいだろう。

古代ローマ人の一般酒 ワインについて 古代ローマのワイン―起源やたしなみ方、当時のブランドと現代に受け継がれたワイン造り―
満腹になったら吐いて食べるは本当?

ローマ人の享楽的な生活の象徴としてよく言われる、

「満腹になったら、吐いてまた食べる」

は、実際のところどうだったのだろう。

まず、ローマ人は前提として食べ物は粗末にしなかった。
もとが農耕民族ということも関係していたと思われる。

また、吐いて食べることが習慣となっていたかの証明も難しい。
ただし、晩餐会の途中に吐いた事例はあるらしい。

私の勝手な憶測では、吐いてまで食べるのは、招待主に対するお客の礼儀だったのではないだろうか。
すべて食べつくし、美味しかった、素晴らしかったと感想を述べる。

富裕層がケーナに行う晩餐会の目的でも述べたように、晩餐会は招待主、来賓双方ともに政治的、商売的な接待なのである。
時には無理をしてでも喜ばせる必要があったように、私には考えられるのだ。

料理人について

晩餐会に出す様々な料理をつくるコックたち。

接待主は、彼らをどのようにして確保したのだろう。

まず、かなり有力な接待主になると、優秀なお抱えの料理人を雇っていた。
しかし頻繁に晩餐を開かない場合やそこそこの有力者の場合は、フォルム(中央広場)で料理人のチームをレンタルすることができた。

このようにして、お客をもてなす準備をしていたのである。

ただし概してローマの邸宅は調理場が狭く、料理人にとっては非常に調理しにくい環境だった。
それは、有力者であればあるほど調理場をするのはもっぱら奴隷であり、彼らが利便性を求める必要がなかったからである。

この時代の料理人は、某TV番組だった鉄人たち以上に大変な苦労をしたことだろう。

晩餐会の手みやげ

晩餐会の作法でも書いたとおり、料理が残った場合は持参したマッパエ(ナプキン)で包み、手みやげとして家に持ってかえることができた。

そのほかにも晩餐会の途中や帰り際に行われるくじ引きで、招待主からアポフォレータという手みやげをもらうことがあった。

くじの景品は、次のような物が多かった。

  • 食べもの
  • 日用雑貨
  • 玩具

など。
ただし、そのくじは一筋縄ではない。

参加者が引くくじには謎めいた詩やジョークが書かれている。
その文章に対応した品物が、参加者に手渡される、というシステムなのだ。

この時代の詩人には、くじ引きに使う詩は貴重な収入源だったらしい。
1世紀後半に生きたマルティアリスは、景品に使うくじ引きに使えそうな短い詩集を何巻も発表したようである。
詩を考えることが苦手な招待主は、この詩集を買えばよかった。

今回のまとめ

ケーナでの晩餐について、もう一度おさらいしよう。

  • ケーナは一日の中で、最もしっかりと食べる食事のこと
  • ローマの富裕層がケーナに招待する晩餐会は、政治的、商売的な接待だった
  • 晩餐会はトリクリニウムと呼ばれる部屋で行われ、参加者は厳格に決められた臥台の席についた
  • 晩餐会には様々な作法があったが、現代では考えられないテーブルマナーも存在した
  • 晩餐会のメニューは基本コースメニューで、現代と同じような順序でメニューが出てきた

ローマの上流社会で出世や商売のために利用されていたケーナでの晩餐会。

様々な趣向を凝らすのも、目的のために必要だったからだ。

私などはこのような政治的思惑が働く豪華な食事より、家でカップラーメンをすするほうがよっぽどおいしいと思うタチだが、あなたはどうだろうか。

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