古代ローマの服装 ―普段着と儀礼用、履物や下着、男性や女性の違いについて―

身分や役割を表した古代ローマの服装

古代ローマの服装といえば、ローマ時代の彫刻や絵画、はたまたポンペイなどの壁画に描かれた人物で、あなたは目にしたことがあるだろう。最近では大人気漫画『テルマエ・ロマエ』や『プリニウス』などでも古代ローマ時代の服装を目にすることができる。

しかしこれらは人物が着ている姿を描写しているものであり、実際の構造や素材などが説明されているわけではない。そこでこの記事では古代ローマの服装について、次の内容を書いていく。

  • 古代ローマの服装に影響を与えた、ローマ時代以前の服装
  • 古代ローマの服装の種類や男女間の衣服の違い
  • 服装以外のファッションと下着

あなたがこの記事を読み終える頃には、古代ローマ人のコスプレができるようになる!……かもしれない。

古代ローマ以前の服装

古代ローマ時代の服装を見る前に、まずは古代ローマ以前に着られていた服装を見ることにする。なぜなら古代ローマの服は、周辺の国から影響を受けて発展したからだ。

その中でも古代ローマの服装にもっとも大きな影響を与えたのが古代ギリシアとエトルリアである。まずはこの2つの地域の服装について確認してみよう。

古代ギリシア

古代ギリシアの服は、基本的に大きな布1枚を体に巻くスタイル。この巻きつけ型衣服のことをドレーパリーと呼ぶ。巻きつけ型衣服でおしゃれに見せるポイントが布の作る襞(ひだ)、つまり「ドレープ」だからだ。ドレーパリーを現代の衣服でイメージするなら、インドのサリーを思い浮かべるといいだろう。

サリーを着る女性
サリーを着る女性
Sreekumar K. S., CC BY 2.0  

古代ギリシアでは、男女ともに衣服の形にそれほど違いがなかったらしい。それでは古代ギリシア人はどんな服を着ていたのだろうか。

ペプロス(ドーリア式キトン)

ペプロスを着る女性の彫像(柱)
ペプロスを着る女性の彫像
© Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons

古代ギリシアで古くからある形式の女性衣服がペプロスだ。素材は羊毛(ウール)。垂直機と呼ばれる機織りを使い、妻や娘、女奴隷が2人組で織っていた。家内で機織りをしている光景は、古代でよく見られる。

時代は違うものの、マンガ乙嫁語りに描かれる機織りの描写は非常にわかりやすいので、ご一読をオススメする。

話を戻そう。ペプロスの着用方法は次の通り。

  1. 飾り縁のある長方形の長辺を2つに折る
  2. できた筒状の布に体を通す(体に巻く)。このとき折りと逆サイドは開けたままにしておく
  3. 筒状布の上部を折り曲げ、両肩2箇所をフィビュール(古代の安全ピン)で止める。帯を数カ所で締める
ペプロスの着方のイラスト
ペプロスの着方
世界服飾史のすべてが分かる本  を参考に作成)
フィビュール
ヘレニズム期のフィビュール
大英博物館, Public domain

着用自体は簡単だが、上部布の折り曲げる位置や、帯締めの際に布を余らせて垂らすのかストンと落とすのかなど、意外とバリエーションは豊富なのである。

ペプロスの呼び方

ちなみにギリシアで「キトン」が服の総称を指す言葉になると、ペプロスは「ドーリア式キトン」と呼ばれるようになる。

キトン(イオニア式キトン)

ギリシアの航海技術が向上するにつれ、各ポリスも他の国々との交流が盛んになっていく。当然貿易も行われ、国が豊かになった。その中で、前6世紀ごろになると新しい衣服の形が登場する。それがキトンである。ドーリア式キトンと呼ばれたペプロスと区別するため、新しい形式のキトンはイオニア式キトンと呼ばれた。

ペプロスが羊毛だったのに対し、キトンはより薄手になる植物性の麻(リネン)、あるいは絹織物の布も使われた。

材料のほか、肩から腕にかけてにもキトンの特徴がある。ペプロスは両肩一箇所をフィビュールで留めていたのに対し、キトンはピンを用いず複数箇所を閉じあわせた。そのため独特の襞が並んだのだ。

イオニア式キトンの着方のイラスト
腰などを帯で絞る前のイオニア式キトン
世界服飾史のすべてが分かる本  を参考に作成)

ペプロスと同じく一枚の布を二つ折りにしたものの他に、T字に裁断した布をつなぎ合わせることもあったようだ。

また古代ギリシアでは、重ね着の風習はないものの、キトンの上にペプロスを羽織ることもあった。このように着こなすことで、肩口から覗く独特のドレープを美しく際立たせることができたのである。

なお、ペプロスとキトンについて、下記のサイトが非常にイメージしやすいのでご参考いただくといいだろう。

ヒマティオン

ヒマティオンのイラスト
ヒマティオンを直接肌に掛ける男性
Nordisk familjebok, Public domain

ヒマティオンとは、キトンやペプロスの上から羽織る大型の外套のこと。短辺2m × 長辺3~5mにもなる長方形の布を巻き付けたり、悪天候や喪に服しているときは頭からかぶって使用した。素材は羊毛や麻など。

男性に限ったことだが、貧しい自由民はヒマティオンを直接肌の上に着用することもあった。また清貧の証としてヒマティオンだけを着用する哲学者もいた。

クラミュス

クラミュスを着る男性
クラミュス
Created by Tara Maginnis, “The Costumer’s Manifesto”, reproducing plate by Karl Kohler, “Kostumewerk”,
Public domain

ヒマティオンと同じような素材の外套だが、クラミュスはより小型の布を使う。長方形のサイズで短辺1m × 長辺2m。

クラミュスもヒマティオンと同じく直接肌の上から着用したり、キトンの上に重ねて着た。基本は赤や赤茶など暗色に染め上げてある。長方形の両端には白地のバンドが織り込まれている。

エクソミス

エクソミスの彫像
エクソミス
バチカン美術館, Public domain

エクソミスもヒマティオンと同じような素材の長方形型織物。ペプロスのように肩口をフィビュールで留めるが、ペプロスのように両肩ではなく左肩一箇所で留めていた。こうすると右肩が露出するため、

肩をあらわす=エクソミス(exomis)

と呼ばれた。

古代ギリシアの男性はエクソミスを着用していたが、キトンが導入されてからキトンも着用されるようになる。ちなみに男性は女性よりもキトンの丈が短い。ただし儀礼のときは丈の長いキトンも着ていたようである。

その他古代ギリシアの服装

古代ギリシアでは上記のほか、次のような服装もあった。

ペタソス・・・つばの広いフェルト製の帽子
アポディスム・・・女性の胸の下をしばって乳房を垂れないようにする下着
ゾーナ・・・下腹に巻く補正下着のようなもの
アナマスカリステル(マストデトン)・・・少女用の下着。胸から腰にかけて巻く

エトルリア

古代ローマの服装に大きな影響を与えたもう一つの地域がエトルリアだ。ローマより北方に住んでいた彼らの文化が、小アジアから移り住んだ人々の持ち込んだものなのか、イタリア半島にもともと住んでいた人たちが交易によって影響を受けたものなのかはっきりしていない。しかしローマがエトルリアの文化を取り込んだことは確実だ。

エトルリアの服装は、墳墓(お墓)に描かれた壁画として残っている。そこには次のような服があった。

  • 肩がけのショール上衣服=懸衣(テベンナ)。色彩豊かで、形も豊富。トガの原型という説あり
  • 東方系のチュニック(トゥニカ、後にローマ人が普段着として愛用)風衣服。テベンナをその上からかけている壁画もある

テベンナの形は様々で、スタンダードな長方形から半円、弓形まで様々だった。またチュニック風の衣服は、男性と女性の違いがあり、男性は丈の短いもの、女性はくるぶしまである長い丈のものを着ていたようである。

古代ローマの服装

古代ギリシアやエトルリアの服装を踏まえた上で、古代ローマの服装を見ていこう。古代ギリシアでは所有財産の多寡により服装の素材が違ったとは言え、形や男女でそれほど差があるわけではなかった。

しかし古代ローマは階級社会である。彼らが着るものにも階級の差をつけるのは、至極普通のことだった。そして古ローマのなかで最もよく身分を表していた服装が、フォーマルウェアの「トガ」だった。

トガ

トガを纏うティベリウスの彫像
トガを纏うティベリウス
ルーヴル美術館, Public domain

トガとは、古代ギリシアのヒマティオンのように、一枚の布を体に巻き付けて着用する衣服である。まずはトガがどのように着用され、どのような変遷をたどったのかの歴史を見ていこう。

トガの歴史

共和政初期

共和政初期のころ、つまり国家ローマが始まって間もない時代は男女や大人こども関係なく着用していたようだ。布のサイズも小さく、八角形を半分にした形やその他数種類の形があった。

共和政末期~帝政初期

時代が進むにつれ次第にトガが大型化していくと、男性用のフォーマルウェアへと役割も変化していく。そして共和政末期から帝政初期のころ、ローマ時代を通じて生地の大きさが最大になった。なんと大きさが短辺で2~3m、長辺では4~5mもあったという。

また形も次のようなものがあった。

  • 横長の半円
  • 台形だが斜め線がカーブしている
  • 楕円形

など。

このように大きなトガは、奴隷などに手伝ってもらわないと着ることができなかった。

帝政後期

ところがトガはやがて着用の煩雑さも手伝って、短辺側が25cm程度まで狭くなる。そして体に巻き付ける衣服なので、名前も文字通り「ロールム」へと改名された。

トガの種類

次はトガの種類を見ていこう。先ほども記載したように、トガによって身分や役割をあらわすことがあった。ではどのようなトガがあったのだろうか。

官職や身分をあらわすトガ

トガ・プラエテクスタ(toga praetexta)

素材そのままの色(晒し色)や、暗色に赤紫の縁取りがついたトガ。執政官などの官職に就任したものに着用された。

トガ・トラベア(toga trabea)

紫一色、あるいは紫と緋色の模様がついたトガ。祭司、占い官、騎士身分のフォーマルウェアとして着用された。

トガ・ピクタ(toga picta)

赤紫の地に金糸の刺繍が布の端に沿ってされていたり、絵模様が描かれた上に刺繍が施される豪華絢爛なトガ。名誉ある凱旋将軍の衣装として着用されたが、やがて皇帝用の公服として使用された。

トガ・カンディタ(toga candida)

漂白された羊毛で織られた真っ白なトガ。官職の立候補時に、候補者が着用した。

一般的なフォーマル服としてのトガ

トガ・プーラ(toga pura)

羊毛の自然色のみで、全く装飾のないトガ。ローマ市民の一般的フォーマルウェア。白ければ白いほどよいとされた。

トガ・プルラ(toga pulla)

喪服に用いられた、黒や灰色のトガ。

「娼婦の」トガ

この他に、娼婦が着たトガもある。彼女たちはローマ女性が羽織るストラを着ることが許されなかったので、娼婦専用の服装としてトガ、『トガ・ムリエブリス(toga muliebris)』を着用したのだ。もちろん客がひと目で分かるというメリットもあった。

トガのサイズと着用方法(ティベリウス帝のトガ)

ところでトガはどのような手順で着ていたのだろうか。ここではティベリウス帝が着用したとされる最も布が大きな時代のトガ(以後「ティベリウス・トガ」と呼ぶことにする)を基に、サイズと手順を見てみよう。

まず、ティベリウス・トガの場合、上部は台形、下部は2つの角が丸くなっている変則八角形の布を用いる。布を広げたときは、縦、横ともに5mほどの巨大な布だ。

ちなみに上の台形を『シヌス』、下の部分を『トガ』と呼ぶ。

トガを広げた状態の図
トガを広げた状態(西洋服飾史 図説編  を参考)

この布を以下の手順で着用する。

布をA’とB’のラインで2つに折る。

トガを二つ折りにした状態の図
トガを二つ折りにした状態(西洋服飾史 図説編  を参考)

A’を両足の間に垂らし。左肩に掛ける。

トガの着用その2
トガの着用その1(西洋服飾史 図説編  を参考)

シヌスはK-J線に沿って襞(ひだ)を作りながら、左肩にまとめる。トガはY点を方と結ぶ線に沿って襞を作る。約半分は肩に乗せ、残り半分を左手首あたりにたたむ。

トガの着用その3
トガの着用その2(西洋服飾史 図説編  を参考)

右側に大量に余っている布を一度体に巻き付け、右脇から胸を横切って左肩に掛ける。シヌスのH-Gラインに襞を作りながら、左肩に乗せる。

トガの着用その4
トガの着用その3(西洋服飾史 図説編  を参考)

トガのXが手首に来るようにして肩との間に襞を作る。最後にウンボー(胸の前に垂れる襞)を作って着用完了!

トガの着用その5
トガの着用その4(西洋服飾史 図説編  を参考)

ここまで図と文章で説明したが、正直わかりにくいと思われた方もいるだろう。そこでトガを実際に着用している動画を参考までに載せておく。数人がかりでもトガに挑戦したいあなたは、この動画で着用方法を確認してほしい。

トガなどの衣服の染色

トガ・ピクタやその他の衣服に使用された赤紫のラインは、地中海に生息する数種類の巻き貝の分泌液で染め上げた。ただし巻き貝1匹から取れる染料はたかがしれている。つまり染色するには大量の貝が必要だったのだ。

この貝から採れる染料は「テュロスの紫」と呼ばれ、高級染料として名高かった。テュロスとは東地中海沿岸のフェニキア都市である。ここが産地として有名だったのである。

饗宴用礼服「シュンテシス」

古代ローマ人にとって饗宴とは単なる飲み食いする宴ではなく、政治や商談の重要な話し合いに使われた公式の場だった。この晩餐で着たのが、饗宴用のトガ『シュンテシス』である。

シュンテシスは、トゥニカ(古代ローマの普段着やアンダーウェアに相当)の上から羽織るが、下部のみにまとう小型のものだった。おそらくトガほどの衣服は食事に邪魔だったのと、汚れ対策の側面もあったと思われる。

トゥニカ

トゥニカとは、古代ローマ人が着ていた丈の長いシャツのこと。麻や木綿、絹など素材は様々。トガのアンダーウェアとして着ていたが、家の中など、いわゆるプライベートシーンでの普段着もトゥニカを着用した。

トゥニカの形と大きさ

トゥニカは、半分折りや二枚重ねの長方形の布の両側と上部を縫い合わせ、腕と頭の出口のみ開口がある。

トゥニカの製作方法

トゥニカの作り方がはっきりしなかったため、服飾学校に通っていた方に話を聞いたところ、長辺を二つ折りにして両側を縫い、頭の部分を切ることはしなかったのではないか、とのこと。

なぜなら、布を切ってしまえば切断部分がほつれてくるので、纏(まつ)る(ほつれないように端を補強する)必要があるが、その纏り方がおそらく面倒かつどうしても切った部分が弱くなってしまう。

古代ではおそらく布は貴重品だったので、わざわざ痛めるような作り方をして再利用できなくしないはず。だから、2つの布を縫い合わせて開口部を作る方法をとったのではないか。そうすれば、糸をほどくだけで布自体は再利用可能だからとの話だった。

ちなみに真四角の筒状のほかに、T字型のものも表れるようになる。

またトゥニカの大きさは、男女によって若干差があった。

  • 男性用:膝丈程度の長さ
  • 女性用:くるぶしまで届く長い丈

身分をあらわすトゥニカ

帝政期になると、トゥニカはインナーとアウターの2枚を重ねて着るようになる。そして市庁舎などで執務を行う人々にその習慣が定着すると、アウターとして着るトゥニカにも身分や階級を表す装飾が施された。

トガの下にトゥニカを着る男性(クラヴィ)
トガの下にトゥニカを着る男性(赤いラインがクラヴィ)
Dennishidalgo, CC BY-SA 3.0  

この装飾はクラヴィ(clavi)と呼ばれる縦ラインで、トゥニカの左右両側と前後に施された。クラヴィが示す階級は次の通り。

  • 騎士階級:緋紫のクラヴィ
  • 元老院階級:色は同じだが、騎士階級よりもクラヴィが幅広

上記のほかに、トゥニカ・パルマタ(tunica palmata)がある。これは赤紫地(トガの項目で説明した、いわゆるテュロスの紫)に金色の刺繍がついたもの。この豪華なトゥニカは凱旋将軍や後の皇帝の衣装として着用された。

外套

西暦2世紀を過ぎる頃になると、トガは次第に着られなくなった。代わりにトゥニカの上から外套を羽織るようになる。この外套には次のようなものがあった。

ラケルナ(lacerna)

半円形、または角に丸みを帯びた長方形の布。ギリシアのクラミュスが原型で、貴族が用いた。

パリウム

ギリシアのヒマティオンやエトルリア起源の外套。簡単に着脱できることから人気があった。様々な色で染色されており、素材も羊毛、亜麻、上流階級であれば絹地に金の糸で刺繍されているものもあった。

パエヌラ

厚地の布でできた、円形の貫頭衣形式の外套。貫頭衣とは上からすっぽりとかぶるタイプの衣服で、トゥニカも貫頭衣の一種。フード付きのものもある。このタイプの外套はローマ時代以降も使用されていたようで、中世初期の聖者像にみることができる。

パルダメントゥム

紫に染められた長方形の厚手の布。右肩で留める形式のマントで、位の高い軍人が使用した。

ザクム

正方形で小型の布製マント。パルダメントゥムが上級将校用なのに対し、ザクムは一般兵士が使用する。

ストラとパルラ

ストラトパルラ
ストラとパルラを羽織るリウィア像
Zaqarbal, Public domain

ストラとパルラは古代ローマで女性が着用していた衣服である。

共和政初期には女性もトガを着ていたことは、トガの項目ですでに述べた。ところが紀元前4世紀~3世紀ごろにヘレニズム文化が取り入れられると、貴族女性はトゥニカとともにギリシアのキトンをアンダーウェアとして着るようになった。このキトンをローマではストラ(stola)と呼んだ。ストラは様々な色に染め上げられていたようだ。

さらにローマ女性は、このストラの上にヒマティオンに似たショール型の布を巻いた。この布をパルラ(palla)と呼ぶ。パルラの素材はギリシアと同じく様々で、羊毛から麻、絹などで作られている。パルラも様々な色で染められた。

パルラは初期の頃留め金で留めるスタイルだったが、2世紀ごろになると頭からかぶる姿も見られるようになった。

ダルマティカとコロビウム

3世紀ごろになると、トゥニカやストラ、パルラなどのアンダーウェアは廃れ、ゆったりとした形へと変化する。それがダルマティカとコロピウムだ。

ダルマティカ(dalmatica)はT字の服で、ゆったりとした袖がつく。名の由来はアドリア海の東、現在のクロアチアに当たる地方ダルマティアの民族衣装から。この衣装が次第にローマ帝国に広まっていった。

なお、ダルマティカよりも袖が短い、あるいは袖のないものをコロビウム(colobium)と呼び、こちらもダルマティカとともに着用されるようになった。

ブラカエ

ブラカエ(braccae)とはガリアやゲルマニアにもともと住んでいた人たちが履いていた、羊毛素材のズボンのこと。

ローマ人はブラカエのことを『蛮族の衣装』と呼び蔑んでいた。しかし、ズボンにもメリットはある。トゥニカよりも動きやすいのだ。特に乗馬でその効力を発揮した。

3世紀に入るとゲルマニアからローマ帝国領内への侵入が頻繁に起こり、加えて歩兵から騎兵へと軍の重心が移動する。それに従い、ブラカエも始めはローマ軍兵士の服に採用された。そしてローマ領内に普及していく。

ただしローマ人はこの衣装を受け入れたわけではなく、テオドシウス帝はブラカエの着用を禁じる法令を出したりもしている。

古代ローマの履物

次に古代ローマ人の履いていたものを見ていこう。ここでは簡単に紹介するに留めるが、次のようなものを履いていた。

ソレア(solea)

ソレアの写真
ソレア
Frank C. Müller, Baden-Baden, CC BY-SA 3.0  

ソレアとはサンダルのこと。古代ローマのドムスでは、革底かコルク底のサンダルを履くことが礼儀とされていた。いわば屋内用の履物である。訪問先でもサンダルが必要なため、わざわざ自分用のサンダルを持っていって履いていた。

ちなみに古代ローマの人々は、食事中にサンダルを履かなかったようだ。食事の席につくや奴隷がサンダルを脱がせ、彼(彼女)が食べ終わるまで、履物を持ったまま待機していた。

カルバティナ(carbatina)

カルバティナ
カルバティナ
Bullenwächter, CC BY-SA 3.0  

古代ローマの一般的な靴。おもに庶民用の靴で、牛革などの素材で作られていた。

カルケウス(calceus)

カルケウス・パトリキウス
カルケウス・パトリキウス
Álvaro Pérez Vilariño, CC BY-SA 2.0  

こちらも古代ローマの一般的な靴。足を包むブーツ状になっていて、紐で留める。ほとんど現代のブーツと形は変わらない。主に上流階級の人々が、トガとともに外で履いていた。

ちなみに上流階級でも特に元老院議員階級の人々は、『カルケウス・パトリキウス(calceus patricius、元老院議員用のカルケウス)』を履く。これは通常のカルケウスより上部まで足をくるむ形になっていた。

カリガ

カリガ
カリガ
Wikipediaより

古代ローマの軍用シューズ。靴底に鋲が打ってあり、滑りにくくかつ耐久性を上げている。ただし、時代が進むとともにカリガは使用されなくなり、やがて軍用のカルケウスに取って代わられた。

ローマ人の靴下

ちなみに通常古代ローマ人は靴の中に靴下を履く習慣がなく、裸足のままで靴を着用したようだ。ただし兵士たちは寒い地方に暮らす人々は、防寒用として羊毛の靴下を履いていたようである。

古代ローマの女性用頭飾と髪型

帝政期になると、古代ローマの女性(もちろん上流階級のマトローネ(ご婦人)たち)の髪型は非常に凝ったものになっていく。それはトラヤヌス帝時代に頂点を迎えた。

髪型

巻毛はもちろん、彼女たちの髪のボリュームは、次第に上へと伸びていく。一節によるとそれほど高くなかったローマ女性たちが、自分の身長を「盛る」ために髪の毛を高く形作ったらしい。例えば次のような物があった

  1. 髪の毛が顔の上で「壁」を作っている髪型
  2. 編み込んだ髪をぐるぐる巻いて、先端のとがった「塔」を頭上に乗せている髪型

現代の私達から見れば奇妙な形に思えるかもしれないが、当時はこのような形が最先端だったのだろう。皇室の女性からおしゃれはリードされていたようだ。

ちなみに髪の毛が足りない女性たちのために、かつらも充実していた。特に人気だったのは、「キプロス・カール」と呼ばれるかつら。針金の枠に取り付けた巻毛の集合体のようなもので、さきほどの(1)が再現できた人気商品だったのだ。

手入れ

古代ローマの女性たちは、練り油や水油で髪の手入れをしていたようである。現代ならトリートメントだろうか。また彼女たちは北方女性のブロンドヘアーに憧れがあったため、黄色、あるいは黄金色に着色、脱色をしていた。

頭飾

彼女たちは頭を飾るために、次のようなものを使用した。

  • リボン
  • 花輪
  • 金属の細環
  • 黄金の飾り網
  • 真珠や宝石

古代ローマの下着

最後に古代ローマで使われていた下着を紹介しよう。

ストローピウム

ストローピウムとスブリガークルムの様子を描いたモザイク
ストローピウムとスブリガークルム
modification by AlMare of photograph taken by Disdero, CC BY-SA 2.5  

ストローピウムとは古代ローマのブラジャーのこと。とはいえこの頃は単に両胸を隠す1枚の帯状のものだった。

スブリガークルム

いわゆる股間を隠すための下着。パンツのこと。

古代ローマの股間隠しは、越中ふんどしとほぼ同じらしい。スペイン語のサイトだが、スブリガークルムの形状や着用方法がわかりやすく掲載されているので、ご覧いただくといいだろう。

またハドリアヌスの長城付近にあったイギリスのヴィンドランダ要塞跡からは、ビキニタイプの女性用下着も見つかっている。

ビキニ型のスブリガークルム
ビキニ型のスブリガークルム
Neddyseagoon, CC BY-SA 3.0  

どう見ても紐パンにしか見えないし、おそらく現代の代物として紹介されても違和感がない。古代ローマは下着でも進んでいたのだ。

今回のまとめ

それでは古代ローマの服装について、おさらいしよう。

  • 古代ローマの服装はギリシアとエトルリアに大きな影響を受けた
  • 古代ローマの男性はフォーマルウェアのトガ、カジュアル&アンダーウェアのトゥニカを着用していた
  • 古代ローマの女性は最初期こそトガを着用していたものの、その後はギリシアの影響をうけてトゥニカやストラを着用し、その上にパルラを羽織った
  • 古代ローマでは、サンダルは室内用として使用され、外出するときは外出用の様々な靴をはいていた。また、寒冷地や兵士を除き、靴は素足で履くのが普通だった
  • 古代ローマのマトローネは、様々な髪型をしていた。またかつらや装飾品で頭を飾っていた
  • 古代ローマにはブラジャーやパンツの原型があった
  • やがて帝政後期に入ると、トガやトゥニカに変わり、ロールムやダルマティカに取って代わられた

古代ローマの衣服や靴などには、現代に通じるデザインのものも数多くある。また1,000年の歴史のなかで流行り廃りがあったのも事実だ。

もしこの記事を読んで、

この時代のローマ人をコスプレで再現したい

と思うような人が一人でも現れてくれたら、望外の喜びである。

本記事の参考図書

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