昨今の古コインブームで度々メディアにも掲載される、古代ローマの貨幣。
塩野七生氏が描いた著書、ローマ人の物語の文庫版 の表紙にも、古代ローマのコインをモチーフにデザインされていた。
また古代の硬貨を紹介するアンティークコインマニアックス にも、さまざまな古代ローマの貨幣が紹介されている。
では古代ローマの貨幣について、あなたはどのようなことをご存知だろうか。
古代ローマ貨幣の図柄が、初代皇帝アウグストゥスの在位中だけで550種類も存在したこと。
また、ローマ帝国に流通する貨幣のデザインが、たった3人で決められていたこと、などなど。
そこで今回は、
- 貨幣の種類
- 当時の貨幣価値
- ローマ貨幣の造幣制度
- ローマ貨幣の図柄
上記4項目について書こうと思う。
古代ローマの貨幣について、少しでも興味を持っていただければ嬉しい。
古代ローマの貨幣単位
ローマ帝国初期の貨幣には、次のような種類があった。
- アウレウス(金貨)
- デナリウス(銀貨)
- セステルティウス(青銅貨)
- デュポンディウス(青銅貨)
- アス(銅貨)
上記貨幣の相対価値は、このようになる。
1アウレウス = 25デナリウス = 100セステルティウス = 200デュポンディウス = 400アス
他にも
- クィナリウス・アウレウス(アウレウス金貨の1/2)
- クィナリウス(デナリウス銀貨の1/2)
- セミス(アス銅貨の1/2)
- クォドランス(アス銅貨の1/4)
などの貨幣があるが、よく出てくるのは先の5つの貨幣だ。
実はローマ帝国では金貨と銀貨しか納税を認めていなかった。
国家ローマとして運用する国家予算が莫大なため、少額貨幣では使い勝手が悪かったのである。
しかし庶民の日常生活で使われるのは、圧倒的にアス銅貨が多かった。
それを示しているのが、ポンペイ遺跡で見つかった『家計簿』だ。
ポンペイの家計簿からわかる、古代ローマ時代の貨幣価値
ポンペイはイタリア半島の中部に位置した都市で、紀元後79年にヴェスヴィオ火山の噴火で溶岩の下に埋もれた街として有名だ。
紀元後79年は帝政初期。
ローマが比較的安定した時期だったし、ポンペイもまた平和を謳歌していたイタリア諸都市の一つだったと思われる。
そのポンペイで見つかった家計簿には、9日間の出費が記録されている。
家族構成は、3人プラス奴隷1人。
以下、家計簿の記録すべてを記載してみる。
1日目
チーズ | 1アス |
---|---|
パン | 8アス |
油 | 3アス |
ワイン | 3アス |
合計 | 15アス |
2日目
パン | 8アス |
---|---|
油 | 5アス |
玉ねぎ | 5アス |
粥椀 | 1アス |
奴隷用のパン | 2アス |
ワイン | 2アス |
合計 | 23アス |
3日目
パン | 8アス |
---|---|
奴隷用のパン | 4アス |
セモリナ小麦 | 3アス |
合計 | 15アス |
4日目
調教師用のワイン | 16アス |
---|---|
パン | 8アス |
ワイン | 2アス |
チーズ | 2アス |
合計 | 28アス |
5日目
フクセレス(?) | 16アス |
---|---|
パン | 2アス |
フェミニヌム(?) | 8アス |
スベルト小麦 | 16アス |
ブベッラ | 1アス |
ナツメヤシの実 | 1アス |
香 | 1アス |
チーズ | 1アス |
腸詰め | 1アス |
柔らかいチーズ | 4アス |
油 | 7アス |
合計 | 59アス |
6日目
山のセルワト(?) | 17アス |
---|---|
油 | 25アス |
パン | 4アス |
チーズ | 4アス |
ポロ葱 | 1アス |
皿 | 1アス |
手桶 | 9アス |
ランプ | 1アス |
合計 | 62アス |
7日目
パン | 2アス |
---|---|
奴隷用のパン | 2アス |
合計 | 4アス |
8日目
奴隷用のパン | 2アス |
---|---|
大型パン | 2アス |
ポロ葱 | 1アス |
合計 | 5アス |
9日目
パン | 2アス |
---|---|
大型パン | 2アス |
油 | 5アス |
セモリナ小麦 | 3アス |
調教師用の小魚 | 2アス |
合計 | 14アス |
家計簿に書かれた出費の単位はすべてアス銅貨。
このことから日常生活で使われていた貨幣は、おそらくアスを中心としたものだったに違いない。
さらに参考として、他の物価も記載してみる。
食料品
小麦1モディウス | 12アス |
---|---|
パン小麦1モディウス | 30アス |
ルピナス(ハウチワ豆)1モディウス | 3アス |
油1リブラ | 4アス |
普通のワイン1升 | 1アス |
ファレルノ産ワイン1升 | 4アス |
※ 1モディウス = 6,503g、1リブラ = 328g
食器
粥椀 | 1アス |
---|---|
皿 | 1アス |
コップ(小) | 2アス |
ランプ | 1アス |
銀の漉し器 | 90デナリウス |
衣服
チュニカ | 15セステルティウス |
---|---|
チュニカの洗濯 | 1デナリウス |
動物
ラバ(雄) | 520セステルティウス |
---|
奴隷
2人 | 5,048セステルティウス |
---|
- 1デナリウス = 4セステルティウス
- 1セステルティウス = 4アス
- 1デナリウス = 16アス
なんとなく当時の物価がおわかりになるだろうか。
ちなみにこの頃のローマ兵の給料は、年収900セステルティウス(3600アス)。
さらに総合レジャー施設プラス公衆浴場であるテルマエの入場料は、なんと1/4アス!
テルマエの入場料がいかに安かったかがわかるだろう。
古代ローマの公衆浴場については、お風呂にかける情熱はお湯より熱い!古代ローマ人が愛したテルマエを語ろうにまとめているので、興味があれば覗いていただけると嬉しい。
また、奴隷の買い方なども書いている古代ローマの奴隷 ―高度な専門知識を持つものも存在した、社会の基盤を支える労働力―もご覧いただけると嬉しい。
古代ローマの貨幣は3人で造られていた!?
古代ローマでは、どのように貨幣が造られていたのだろうか。
古代ローマには、造幣に関わる役職として造幣三人委員会があった。
三人委員会といってももちろん3人で実際に貨幣を作っているわけではない。
造幣三人委員会の役割は、主に図柄の考案、決定だったと思われる。
その証拠に三人委員会は古代ローマの公職の中でも下位に位置し、政治キャリアスタート組が主に就く役職だった。
任期は一年。
この役職を利用し、自分にまつわる図柄を貨幣に採用して、自己宣伝するものもいた。
名門の貴族出身であれば、自分の祖先の偉業をたたえたり、祖先の神をモチーフとする。
しかし名門でもない家の出身だった場合は、なんと自分の名前に関連する図柄を貨幣に採用したりした。
たとえばL・アクィリウス・フロルスという人物が三人委員会に就任していたときは、『フロルス』が花を表しているので花の図柄を採用している。
その他にも
- 月
- 星(三連星)
- 戦車を引いた鹿
など、造幣三人委員会に就いたメンバーの名前でもじった図柄は様々なものがあった。
初代皇帝アウグストゥスの在位期間だけで貨幣の図柄が550種類も存在した
貨幣に描かれている図柄は、どれほどの種類があるのだろうか。
初代皇帝アウグストゥスの治世は40年ほどだが、彼の在位期間だけで550種類もの貨幣が存在した。
平均して1ヶ月に1回以上変更しないと、こんなに種類を作り出すことはできない。
もちろん実際は定期的な変更を1箇所で行っているわけではないので、1ヶ月ごとに図柄の違う貨幣を庶民が拝めたわけではないだろう。
それにしてもこんなに貨幣に刻まれる図柄の種類が多いのはなぜか。
理由は2つ考えられる。
- 造幣三人委員会の任期が1年ごとなので、担当が変わるたびに自己アピールのため図柄を変更した
- 造幣は1箇所で行われたわけではなく、ローカル貨幣の造幣も行われていた
理由その1:造幣三人委員会の任期が1年ごとなので、担当が変わるたびに自己アピールのため図柄を変更した
先にも述べたとおり、造幣三人委員会の職についたものは、アウグストゥス帝の治世までは頻繁に自分の名前を売る図柄を採用していた。
もちろんアウグストゥスの偉業を称えるためのコインも造られたり、重大な出来事があった時の記念コインもあっただろう。
それらを合わせると非常に多くの図柄が現れることになる。
理由その2:造幣は1箇所で行われたわけではなく、ローカル貨幣の造幣も行われていた
実は造幣は帝都のみで造られていたわけではなく、各都市ごとに任されているものもあった。
とはいえ勝手に貨幣を作るとスーパーインフレが発生してしまうので、造幣枚数については中央から指示があったのではないかと考えられる。
しかし、図柄まではコントロールしていないので、都市ごとの造幣担当役員が採用したものが図柄として刻印されることになる。
基本路線は皇帝の肖像を踏襲しつつ、裏面でその都市の伝承などから考えられる図柄が採用されていた。
今回のまとめ
古代ローマの貨幣について、もう一度おさらいしておこう。
- アウレウス金貨・デナリウス銀貨・セステルティウス青銅貨・デゥポンディウス青銅貨・アス銅貨などがある
- 税金は金貨、銀貨でしか払えなかった
- ポンペイで見つかった家計簿から、庶民の生活はもっぱらアス銅貨が使われたことがわかる
- 造幣を任されていたのは、造幣三人委員会と呼ばれる公職だった
- 帝政初期までは図柄のバリエーションが豊富だった
帝政も五賢帝の時代がすぎると、軍事費の増大と銀の枯渇によって次第に経済が不安定になり、インフレに陥っていく。
ディオクレティアヌスやコンスタンティヌス一世によって貨幣の改革が行われたが、西ローマ帝国の経済的な困窮が大きくなり、やがて滅亡へと進むことになった。
はじめまして。いつも楽しく拝見しております。古代ローマコインに関する記事を拝見し、とても分かりやすくまとめられており、当ブログとしても見習うべき点が多くあると感じました。当時の物価をみれば、貨幣価値を感覚的に知ることができ、大変参考になります。つきましては、こちらの記事を当ブログで引用してご紹介させていただきたく思いますが、いかがでしょうか?
ご検討いただけますと幸いです。
素晴らしい記事をありがとうございます。今後も古代ローマに関する記事を楽しみにしております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
コメントいただき、ありがとうございました!
わかりやすくまとめているとお褒めいただき、大変誇らしく思うと同時に、とても恥ずかしく感じております。
さて、当ブログの記事ですが、ご引用いただいても問題ございません!
引用の際は念のために、
・どの記事のどの部分の引用か
がわかるよう、記事へのリンクと引用の設定をしていただけますと幸いです。
私のブログもフジタク様(とお呼びすればよろしいでしょうか?)のブロクのように、記事を積み重ねて成長していけるよう、精進いたします。
それでは今後ともよろしくお願いします!