ポンペイ―ヴェスヴィオ火山の噴火で火砕流と灰に埋まった古代ローマのタイムカプセル都市―

火山灰に埋もれたタイムカプセル都市ポンペイ

ポンペイ。
古代ローマのことを知らない人でも、この都市の名を一度は耳にしたことがあるだろう。

ポンペイは紀元後の79年、ヴェスヴィオ火山の噴火によって、一夜のうちに壊滅しその後火砕流と火山灰の堆積によって、古代の姿をそのまま残して埋もれてしまった街だ。
特に噴火が起こったポンペイ最後の日は、よくTV番組の特集や映画にもなっている。

では火山に埋もれる前のポンペイがどのような街だったか、あなたは知っているだろうか。

そこでこの記事では

  • ポンペイの位置
  • ポンペイの歴史
  • ポンペイの食生活
  • ポンペイに暮らしている人たちの職業
  • ポンペイの娯楽について
  • ポンペイの宗教
  • ポンペイの性について

を書いてみたいと思う。
古代ローマのイタリア一地方都市、ポンペイの姿をご堪能あれ。

ポンペイは首都ローマの南、ナポリ付近にある一地方都市だった

ポンペイ周辺地図ポンペイ周辺地図 | ポンペイ・奇跡の街

ポンペイはナポリ湾一帯、ヴェスヴィオ火山の南東にある街だった。

現在は火山の地殻変動で地形が変化し、かなり内陸に位置するようになったが、古代ローマ時代は海に近く、外港がある港湾都市だったらしい。
その港からは海外との貿易が盛んに行われた。

また、ポンペイの周りには、次のような都市があった。

  1. ネアポリス(現在のナポリ)
  2. クマイ
  3. ミセヌム
  4. ヘルクラネウム
  5. オプロンティス
  6. ポスコレアーレ
  7. スタビアエ

ネアポリス、クマイ、ミセヌムはヴェスヴィオ山から海を挟んで東にあり、ポンペイを含めたヘラクレネウム以降4都市はポンペイの麓、あるいは南側に位置している。

この位置関係がヴェスヴィオ山噴火後の運命を分けた。

ポンペイの歴史

ポンペイの歴史を簡単に振り返ると、次のようになる。

~前6世紀 ポンペイにオスク人(南イタリアのカンパニア州にいた先住民族)が住み始める
前6世紀~前524年 ギリシア人入植
前524年~前474年 エトルリア人が占拠
前474年~前424年 ギリシア人再入植
前424年~前290年? サムニウム人が占拠
前290年?~前90年 ローマと同盟
前90年~前89年 同盟市戦争でローマに反乱
前89年~ スッラの攻撃により街は降伏。以後ローマの支配下に組み込まれる

海上貿易の重要な拠点として目をつけたギリシャ人がまず入植し、その後入れ替わりで街の支配民族が変わっていくため、ポンペイの街はその時代の民族に建てられた建築物が混在している。

例えばギリシャ時代のアポロ神殿、サムニウム時代のパレストラ(体育場)など。

実は89年のローマ降伏以降もポンペイにはローマ風の建物があまり建てられなかった。
ローマ建築が多くなるのは、紀元後62年の地震以降、ポンペイの復興事業による。

しかしそのローマ化も、79年のヴェスヴィオ山噴火までわずか17年しか持たなかった。

ファストフード店まであった!?ポンペイの食事事情

ポンペイにあった食べ物

ポンペイでは当時、次のようなものが食べられていた。

パン

ポンペイには大きなパン工場があり、おそらく毎朝ここでパンを焼いていたと思われる。
パンは円形で8等分に切り分けられ、食べやすいようになっていた。

野菜

ポンペイの菜園では玉ねぎや香草が栽培されていた。
これらの野菜も食材として使われていたことだろう。
この他にも、オート麦、大麦、それにひよこ豆や果物、木の実などが食べられていたことが、古代ローマ人の排泄物を分析することで明らかになっている。

輸入食材

エジプトからはレンズ豆、アラビア半島からはナツメヤシが輸入されるなど、この時代のローマ各地から様々な食材が仕入れられた。

調味料

古代ローマにはガルムと呼ばれたローマの万能調味料があった。
海に近いポンペイでは、ガルムを製造していたようだ。

万能調味料ガルム

ガルムは現代のベトナムにあるニョクマムのように、魚を海水で発酵させたものと考えられている。
ちなみにガルムはとても臭うらしく、皇帝ネロの家庭教師であり政治のブレーンでもあった哲学者セネカが

「ひどい悪臭がする」

といって嫌っていたというエピソードもあるほど臭かったらしい。

また、ガルムには魚の種類によって品質がきまる。
マグロやサバ、ウツボを原料にしたガルムは高級調味料として裕福な人に食され、イワシを原料としたガルムは庶民用の調味料として使われていた。

ヴェスヴィオ山の斜面に広大なぶどう園があったので、ポンペイはワインの産地としても有名だったらしい。
またワインを美味しくする蜜も生産されていた。
これらは食卓で出されるほか、居酒屋でも飲まれていた。

ポンペイ近郊の町、ヘルクラネウムの食事事情

ヴェスヴィオ山の西の麓にあるヘルクラネウムでは、鶏や羊、魚をはじめ、イチジク、ハーブの一種フェンネル(ウイキョウ)、オリーブ、ウニ、タコなどの軟体動物が食べられていた。

地理的にも近いので、ポンペイの人々もおそらく同じような食事をしていたと推測できるだろう。

古代ローマのファストフード店、テルモポリウム

ポンペイではテルモポリウムと呼ばれる飲食店が街の各地区ごとにあり、近所の人がすばやくランチをすませることができる、いわゆるファストフードのような軽食を提供していた。

テルモポリウムには石のカウンターがあり、そこで来店した客は出された食事を受け取っていた。

テルモポリウムの店員は、古代でもスマイルを0アスで提供していたに違いない。

女豪商登場!ポンペイで働く人達

古代ローマも帝政期にはいると、人々はパンとサーカスに溺れて働かなくなった、と考える人もいるかもしれない。

しかし提供される「パン」は、生命維持のための最低限の保障であり、サーカスとて毎日行われるわけではい。
現代の福祉(パン)とサッカーや野球観戦(サーカス)のようなものと考えるのがいいかと思う。

ではポンペイの人々はどのような職業についていたのだろうか。

農業・牧畜業

ポンペイはヴェスヴィオ山の麓に広大なぶどう園やオリーブ園が広がっていたので、その農園を経営する人や、そこで働く人がいた。
また玉ねぎや香草、ワインの味をととのえる蜜も生産されていた。

さらに豚や羊などの家畜を放牧する牧畜業も盛んに行われていた。

工業

小麦を挽く臼

小麦を挽く臼

羊を牧畜していたので、羊毛を扱う毛織物産業も盛んだった。
羊毛を紡ぐ紡織工や色を加える染色工、さらに毛の密度を高める縮絨工がある。

また、小麦からパンを生産するパン工場やガルム工場、ぶどうからワインを生産するワイン工場、オリーブから油を作る工場もあり、そこで働く職人がいた。

職人

アンフォラ

アンフォラ

ポンペイには様々な職人がいた。

瓦職人、アンフォラと呼ばれる壺を作る職人。
また、冶金が発達していたので、医療用器具を作る職人や宝石細工職人、建築や測量道具を作る職人や家具職人もいたという。

特に宝石細工職人は、どんな難しい注文にも応えられる技術があったというから、とても高い技術水準だったのだろう。

商人

ポンペイの商人も実に様々だ。

古物商や小売商、靴屋、織物商、陶器商にラバを売る商人、果ては奴隷を売る行商人もいた。
また居酒屋や軽食を出す飲食店もあった。

両替商

ポンペイにも今の銀行に近い業務をする両替商が存在した。
商売の資金を客に貸し、金額に応じた手数料を利息として受け取ったとされている。

ユグンドゥス
ポンペイの両替商で有名なのは、ユグンドゥスという人物だ。
ユグンドゥスの家からは150枚の書字版がみつかっており、書字版の中身は領収書だった。
この領収書によると、ユグンドゥスの取引額は342~38,079セステルティウス、平均すると8,502セステルティウスだったことがわかっている。
1アスがだいたい現代日本での100円程度で単純計算すると、1セステルティウス=4アスなので、ユグンドゥスの平均取引額はだいたい34,000アス、つまり340万円相当の取引だったのだ。

両替屋は洋の東西を問わず儲かる職業なのだろう。

その他の職業

上記以外にも、医者、教師、絵かき、楽器弾きなど、今で言うサービス業の人たちがいた。

女豪商エウマキア

ポンペイでは、女性も商売に関わっている。
その中でも最大級の豪商はエウマキアだろう。

エウマキアの一族はぶどう園とレンガ工場を持っていた。
さらにエウマキアは牧場主の男性と結婚したので、相当な資産があったと思われる。

その証拠に、ポンペイには『エウマキアの建物』と呼ばれる60m×40mの巨大な建物がある。
この建物は現代でいうアウトレットモールのような商売に適した建物で、エウマキアが建てさせたものだ。

『エウマキアの建物』には、エウマキアをモデルにした立像『エウマキアの像』が存在する。
当時市政にも影響を与えたほどの権勢と富豪ぶりが、この建物からもわかるだろう。

まるで現代のボクシング!ポンペイの剣闘試合

剣闘士宿舎

剣闘士宿舎

古代ローマといえば剣闘士を連想するほど有名な剣闘試合。

ポンペイにも剣闘試合を行うための円形闘技場があり、約20,000人が収容できた。
ポンペイの総人口が10,000人程度だったといわれているので、街の規模にしては大きすぎる闘技場だろう。
もっともポンペイにある円形闘技場は、ポンペイだけでなく、その周辺都市から観戦に足を運ぶ人もいた。

またポンペイには剣闘士の営舎があり、剣闘士たちはこの建物で寝食をしたり訓練に励んでいたという。

ポンペイの興行王、ニギディウス

剣闘士の試合は現代のボクシングと同じく、マッチメイクを行ってから開催される。
その対戦を組み、主催するのが興行師だ。

当然試合のセッティングには多額の費用がかかるので、裕福な人物しか闘技の鉱業権をもつ興行師になることはできない。
興行師のなかでも、ポンペイで特に有名だったのが、興行王と呼ばれたニギディウスである

剣闘士の試合は、たいてい街の記念行事や式典に合わせて催される。
また、1日だけではなく、数日に渡って試合が開催された。

ニギディウスはポンペイの闘技興行で1回の興行で行う試合数の最多記録を持っていた。
その回数は5日間で30組、4日間で40組もの試合をこなしたという。

剣闘試合から発展した、隣町ヌケリアとの乱闘事件

紀元後59年、皇帝ネロの治世中、ポンペイで剣闘試合を発端とした隣町ヌケリアとの乱闘事件が起こった。

最初はヤジの掛け合いだったが、小石を投げ合う小競り合いになり、しまいには剣を取り合う暴動にまで発展してしまう。
これはまるで現代のサッカーに起こるフーリガン同士のケンカと同じではないか、と疑いたくなる。

結局ポンペイ側が優勢に終わったこの暴動の結果、今後10年間は剣闘試合の興行を禁じられたとのこと。

古代でも現代でも、人間の行動はあまり変わらないらしい。

やっぱり風呂好き!ポンペイの公衆浴場(テルマエ)と娯楽

ポンペイの公衆浴場

フォルム浴場のサウナ室

フォルム浴場のサウナ室

漫画テルマエ・ロマエで一躍有名になったローマ人のお風呂好き。
ポンペイの人もご多分にもれず、お風呂が大好きだったようだ。

その証拠に、街には

  • フォルム浴場
  • スタビア浴場
  • 中央浴場

の3つの公衆浴場があり、特に中央浴場は紀元後79年の噴火時にも完成していないほど大きなものだった。

ポンペイのお風呂は男湯、女湯で分けられている他、サービスの時間や風呂の順番を知らせる日時計も備えられていた。
また、海水風呂と呼ばれる潮水を温めたお風呂もあったという。

この他、ローマ人のお風呂に対する情熱を知りたければ、お風呂にかける情熱はお湯より熱い!古代ローマ人が愛したテルマエを語ろうが参考になるだろう。

ローマ人が愛したお風呂 テルマエ お風呂にかける情熱はお湯より熱い!古代ローマ人が愛したテルマエを語ろう

その他の娯楽

ポンペイには剣闘試合やお風呂以外にも市民が楽しむ娯楽があった。

娯楽その1:スポーツ

ポンペイの人々は、パレストラと呼ばれる運動場で当時のスポーツを楽しんだ。
彼らが汗を流したスポーツは、次の通り。

  • 円盤投げ
  • 重量挙げ
  • レスリング
  • 跳躍(走り幅跳び?)
  • 鎧を着て走る(??)

この他、パレストラの中央部にはプールが掘られており、水泳も楽しんだ。
そしてスポーツで汗を流すと、やっぱりひとっ風呂浴びにいくのである。

娯楽その2:賭博

居酒屋などではサイコロを使った遊びがあったらしいが詳細は不明だ。
大抵は賭けごとなので、酒の力をかりたいざこざが耐えなかったらしい。

また鶏同士を戦わせて勝敗を賭けるゲームをしていたことが、絵画に描かれている。

娯楽その3:演劇

ポンペイの街には約5000人が収容できる半円形の大劇場があり、人々はそこで演劇を楽しんだ。
ローマ時代の演劇は今と違い、幕を下ろすと開演、幕を上げると終演となる。
おそらく幕は演劇中にうしろの景色を見せなくするための道具で、演劇に集中するという意味だったと思われる。

演劇のお題は様々だが、庶民に人気があったのは喜劇だったらしい。
現代のテレビでもお笑い芸人が画面を賑わせているので、当時も笑いは必要だったのだろう。

娯楽その4:音楽会

少しお高く止まったブルジョアの人々のためには、音楽堂(オデオン)で音楽会が催された。
そのほか詩の朗読会や講演会が行われている。

音楽堂は大劇場と違い、音を反響させるための屋根が必要なので、必然的に建築に制約がかかってしまう。
それゆえ、音楽堂は大劇場より小さく、1300人程度の収容規模だった。

外国の神殿もある、ポンペイの宗教

古代ローマは多神教なので、他の宗教を否定することはない。
ポンペイの街にもその影響は繁栄されている。

ポンペイにある神殿

ギリシア神

アポロ神殿 太陽と音楽の神アポロンが祀られている
ゼウス・メイリキオス神殿 ギリシアの主神ゼウスと商売の神メイリキオスが祀られている

ローマ神

ユピテル神殿 ローマ三神である、ユピテル、ユノー、ミネルバが祀られている
ウェヌス神殿 『ポンペイの女神』であり、町の公式な神として祀られている。農業の女神
フォルトゥナ神殿 運命の女神フォルトゥナが祀られている
ラレス神殿 家の守護神、四つ辻や国家の守護神として祀られている

皇帝神殿

ウェスパシアヌス神殿 フラウィウス朝創始者ウェスパシアヌス帝が祀られている

その他の神殿

イシス神殿 エジプトの神であり、海の守護神としてイシスが祀られている

神棚、ララリウム

ポンペイの人々は、各家にララリウムと呼ばれる神棚があった。
日本で言う仏壇と神棚をあわせた感じだろうか。

もともとは家の守護神ラレスや先祖の霊を祀っていたが、神棚に様々な神のブロンズ像を置き、それに向かって祈りを捧げていたという。
やはり古代人でも、いや神が身近な古代だからこそ、ご加護やご利益がほしいのだろう。

ポンペイの秘教ディオニュソス教と秘儀荘

ポンペイには秘儀荘(ヴィラ・ディ・ミステーリ)と呼ばれる建物がある。
ここでは当時隠れ宗教であるディオニュソス教の入信儀式が行われていた

壁一面が真っ赤な配色はポンペイ・レッドと呼ばれており、ディオニュソスとその母セレメが描かれている。
さらにこの秘教への入信式だろうと思われる絵も描かれていて、確かに神秘的(怪しげ)な雰囲気を醸し出している。

ディオニュソス教でどのような教えがあり、何が行われていたのか不明だが、このような秘密や隠し事はいつの時代も人を魅了するものなのかもしれない。

ポンペイの性事情

古代ローマ、特に帝政期のイメージでは、人々は性の快楽に溺れ、自堕落な生活を送っているイメージがないだろうか。
実際はそんなことはなかった。

しかしポンペイでは比較的性に対しておおらかだったらしい証拠が、町の絵画に残されている。

性にまつわる絵画

戦神マルスと愛の女神ウェヌスの情事

戦神マルスと愛の神ウェヌスの情事

戦神マルスと愛の神ウェヌスの情事 | ポンペイ・奇跡の街

戦神マルスと愛の神ウェヌスの絵画。
全裸での行為ではなく、服を着たまま行為を始めるあたり、上品とも言えなくはない。

私が印象的なのは、行為を受けているウェヌスの表情。
どこか厭世的な、仕方がないな、この人、とでも言いたそうななんとも言えない表情をしている。

プリアポス神の巨根

プリアポスの巨根

プリアポスの巨根 | ポンペイ・奇跡の街

生殖と豊穣の神プリアポスが自分の巨大な『一物』の重さを図っている絵画。
玄関先にこの絵が描かれていたというから驚きだ。

どうやら魔除けの意味があり、見る人の気持ちをほぐし悩みを消してしまう期待したらしい。
たしかにこの絵を見ると、少し笑ってしまいそうだ。

下女と主人の情事

下女と主人の情事

下女と主人の情事 | ポンペイ・奇跡の街

下女が家の主人と行為に及んでいる絵。
台所脇に描かれている。
どうやらこの家の主人が若い下女に『初夜権』(処女を貰う権利)を行使しているらしい。
合意の上のことか、この女性がいやいや行為に及んだのかどうかは、この絵からはよくわからない。

ポンペイの性産業

ポンペイには確かめられているだけでも、『春を売る』場所は数十箇所あった。

娼婦の部屋:9部屋

売春館:19件

売春が営まれていた住居、居酒屋:35件

ポンペイの石畳に男根が彫られた跡がみつかっているが、これは売春宿への道案内だったらしい。

また、店先の壁画では、実際のサービスをあらわす絵が描かれていた。

ポンペイの売春サービス画

娼館に残っていた壁画 | Wikipedia

言葉が通じなくても、どのようなことをするのかひと目で分かるようにとの配慮だという。
文字が読めず、教養の低い客のためのみならず、国際化の進むローマでは、外国客を取り入れるための工夫をしていたと私は推測している。

石畳の男根や売春宿のサービス画はこちらのページに乗っているので、興味ある方はどうぞ。

売春サービスの価格

ポンペイの売春価格は最低2アスからサービスを受けられた。
ポンペイの家計簿からわかる、古代ローマ時代の貨幣価値でポンペイの物価を掲載しているが、1ホールのパンが2アスなので、破格といってもいいほど安い。

この値段で生活することができるのかと疑いたくなるが、おそらく彼女たちもしたたかに生きていたのだろう。
入り口は破格の値段でも、チップとして追加料金をもらっていたのかもしれない。

性の落書き

また、ポンペイでは性に関しての生々しい落書きがいろいろと残っている。

まずはこちら。

来た、やった、帰った

古代ポンペイの日常生活 | 本村 凌二

これはカエサルの名言「来た、見た、勝った」をもじった男性客の落書きだが、ここまで洒落がきいていると教養を感じないだろうか。

ほかにも男性が女性に奉仕を受けている落書きもある。

「ルファよ、君は吸えば吸うほど上手になるね。」
「乙女エリゲ。お口が嫌じゃなければ、手で邪魔しないで」

古代ポンペイの日常生活 | 本村 凌二

また、男性が女性に対して奉仕している落書きもあるが、ここから先は具体的で生々しい描写も多いので、もっと知りたい方はこちらの本をご覧いただくのがいいだろう。

ヴェスヴィオ火山の噴火前に起こったポンペイの大地震

ヴェスヴィオ山の噴火前に一度、ポンペイを大地震が襲った。
紀元後62年2月5日のことである。

漫画プリニウス でも描写されていたが、この地震でポンペイに甚大な被害が出たらしい。
地震の大きさを物語る証拠として、ユピテル神殿の倒壊を描いたレリーフが残されている。

ユピテル神殿倒壊のレリーフ

ユピテル神殿倒壊のレリーフ | ポンペイ・奇跡の街

また、地震の影響で羊が600頭死んだと記録されているが、死因は今ひとつわかっていない。

ポンペイは復興にむけて町の再建を目指したが、17年後に悲劇が訪れた。

ポンペイ最後の日

紀元後79年8月24日(10月という説あり)昼ごろ、突如ヴェスヴィオ山が爆発した。
噴煙は空に舞い上がり、陽の光を覆い尽くす勢いだった。

艦隊司令官でもあり、博物誌を記した学者でもある大プリニウスの甥、小プリニウスは、ヴェスヴィオ山の噴火の様子を次のように記している。

まるで松の木が巨大な幹を上に向かって伸ばし、小枝を空に広げたような形の雲でした。
たぶん蒸気によって吹き上げられた噴煙がしだいに自らの重みによって横に広がり、そのような形になったのでしょう。

小プリニウスの手紙より | ポンペイ・奇跡の街

この地点である程度の人は、ポンペイからローマや近郊の町へ脱出を試みている。
ただし、なんらかの事情で約2,000人がポンペイに取り残された。

次第に煙は横へと広がっていき、高温のガスと灰、岩石などが山の斜面を滑るように下ってきた。
いわゆる火砕流の発生である。

ポンペイが火砕流に襲われたのは、噴火発生から約12時間後のこと。
時速100kmの速さで駆け下りる火砕流から、人々は逃れることができなかった。

口に手を当てて毒ガスや高温の蒸気を吸わずに耐える人。
子供を抱き寄せ、最後まで守ろうとする母親。
繋がれたまま逃げることができず、もがき苦しむ犬。
愛する剣闘士の胸で眠ろうと、剣闘士の営舎に行った貴婦人。

大プリニウスも艦隊を率いてポンペイの救出に向かうが、結局彼も命を落とすことになる。
命を落とした人々を残し、ポンペイの上に火山灰が降り積もり、地上から姿を消したのである。

命を落とした当時の姿は、石膏像として見ることができる。

ポンペイの石膏像

ポンペイの石膏像

階段脇で倒れたり、苦しんでいることが生々しく再現されているので、思わず目をそむけたくなるが、火砕流でどのようになるかがとても良くわかると思う。

ポンペイを舞台にした作品

映画

ポンペイ2014

エドワード・ブルワー=リットンの小説『ポンペイ最後の日』をモチーフに制作された映画。

前半は主人公である剣闘士の戦いと恋の物語、後半がポンペイ滅亡の日を中心に展開されている。
ポンペイ最後の日の映画化は幾度となくされているが、最近の映像なので、剣闘や噴火のシーンにCGがふんだんに使われているので、迫力は満点だ。

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アルバトロス (映像)

もしあなたがアマゾンのプライム会員なら無料で視聴できるので、この機会に観てはいかがだろうか。

Amazon Prime Videoで観る

コミック

プリニウス

ローマ軍の司令官であり、博物学者でもあったプリニウスをモチーフとしたコミック。
彼の著書である『博物誌』の内容を絡めながら、プリニウスの人生と当時のローマを背景に展開する物語は、本格的にローマを知りたい人は必見の価値あり。
この記事でネタバレしているが、物語のラストはポンペイとヴェスヴィオ火山の噴火になるだろう。

今回のまとめ

ポンペイについてもう一度おさらいしておこう。

  • ポンペイはナポリの近く、ヴェスヴィオ山の南東に位置している
  • ポンペイにはローマ各地の様々な食材があり、軽食を出すファストフード店もあった
  • ポンペイにはパン工場やガルム工場、ワイン工房や毛織物工場などがあり、さまざまな職業の人が働いていた
  • ポンペイの人は剣闘試合のほか、劇場や音楽、運動やお風呂、賭け事などで娯楽を楽しんだ
  • ポンペイの人はギリシアやローマの神をはじめ、外国の宗教や密教など、様々な神を信仰していた
  • ポンペイの人は性に対して比較的おおらかで、激安の売春婦も存在した

ポンペイは当時のローマ人の息吹が生で感じられる第一級の資料だろう。
当時の人にとっては不幸な災害ではあったが、時を封じ込めたおかげで、現代にローマ時代を蘇らせることができたのだ。
わたしは非常に幸福なことだと、心から思う。

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