ルビコン川 ―わずか1mの川幅を渡ることをカエサルが躊躇した意味とは―

「賽は投げられた」で有名なルビコン川とは

あなたはルビコン川をご存知だろうか。
テレビの番組名にも使われたことがあるため、一度は耳にしたことがあるかもしれない。

実はこのルビコン川、全長わずか30km、川幅も1m程度から広いところで5mほどしかない川なのだ。
にもかかわらず、古代ローマの中でも五指に入るほど知名度が高い。

一体なぜこの小さな川が、誰もが耳にするほど有名なのだろうか。

古代ローマに出会って以来、25年以上も魅力にとりつかれた私が、

  • ルビコン川の規模
  • ルビコン川の位置
  • なぜルビコン川が有名なのか
  • 「ルビコン川を渡る」の意味

について簡単に説明するので、少しの間お付き合いいただければ嬉しい。

ルビコン川の全長と流域面積

前述したとおり、ルビコン川は知名度に似合わずとても小さい川だ。
(諸説ある中で、現在のルビコーネ川を古代のルビコン川と仮定すると)全長が30kmしかなく、流域面積は不明よくわかっていない。

この大きさは、古代ローマ帝国領内に存在したナイル川は言うに及ばず、帝国の防衛ラインであり国境であったライン川、ドナウ川よりもはるかに小さい。

しかしイタリアの一地方にある、この小さな川が有名なのには、理由があった。

ルビコン川の位置

ルビコン川はラヴェンナ(古代ローマ名:ラウェンナ)とリミニ(古代ローマ名:アリミヌム)の間、イタリア半島のほぼ付け根にある。

補足

現在のルビコーネ川は、イタリア独裁者のムッソリーニが勝手に定めたという説もあるが、私は真実に近いものとして採用したい。

この位置こそがルビコン川を有名にした要因の一つである。
なぜなら古代ローマの共和制末期、ルビコン川(とアルノ川)は、ローマ本国と属州を分かつ境界線であり、軍団を従えてルビコン川を越え、ローマ本国に侵入することは、国法に触れる大罪だったからだ。

共和制当時を生きていたローマ人にとっても、政治や軍事に関わる地位なら、ルビコン川の役割を知らない者はいなかっただろう。

属州とは

簡単に言うと植民地のようなもの。ローマ本国から派遣される属州総督が統治を担当した。詳しくは古代ローマの分割統治制度、属州とはで解説しているのでご覧いただくと参考になるだろう。

ルビコン川はカエサルによって歴史的な知名度まで手に入れた

さらにルビコン川の知名度を歴史的レベルまで高くしたのは、まちがいなくユリウス・カエサル(英名:ジュリアス・シーザー)である

ガリア(今のフランスとドイツの一部)やブリタニア(今のイギリス南部)を8年かけて平定したカエサルは、ローマ本国を目指す際、ルビコン川を前にして立ち止まった。

前述した通り、ルビコン川はローマ本国と属州を分かつ軍事境界線のため、本来なら軍を解散してローマを目指す必要があるのだが、このまま帰れない理由があったのだ。

彼はローマを抜本的に改革するプランがあり、ローマで断行する決意をかためていた。
しかし賛同者がほぼいないため、身一つで帰ろうものなら、政敵たちの罠にかかり確実に失脚するだろう。
かといって軍を引き連れローマ本国に入ろうものなら、国家反逆罪として断罪されることは目に見えている。

どちらを選んでも茨の道が待っている。
その決断を迫る象徴がルビコン川だったのだ。

「ルビコン川を渡る」の意味とは?

結局カエサルは改革を断行するという信念を曲げず、軍を従えたルビコン渡河を決断する。

この時にカエサルが付き従ってくれた将兵に言った言葉が、かの有名な

「賽は投げられた!」

である。
この言葉は国家反逆罪を侵してでも自分の信念を貫く決意の表れであり、もう後戻りはできないという意味でもあった。

また、

「ルビコン川を渡る」

の意味は、カエサルの行動から

後戻りのできない重大な決断をすることのたとえ

として使用される。

馬の脚ならひとまたぎの小川でも、カエサルには、生涯の中でも最も大きな一歩だったに違いない。

なお、カエサルのルビコン渡河については、ユリウス・カエサルⅤ ―ガリア属州総督就任からルビコン川を渡るまで―で詳しくまとめているので、興味のある方は読んでいただけると嬉しく思う。

ローマ帝国の礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサルⅤ ―ガリア属州総督就任からルビコン川を渡るまで―

また「賽は投げられた」以外に数々あるカエサルの名言については、カエサルの名言10 + 1選 ―言葉の意味や使われた前後関係、出典も紹介―に詳しく書いているので、興味のある方はご覧いただくといいだろう。

カエサルの名言10選 背景や出典も紹介 カエサルの名言10 + 1選 ―言葉の意味や使われた前後関係、出典も紹介―

ルビコン川への行き方

前述したように、古代ローマ時代のルビコン川が現在どの川なのか、はっきりしていないが、ムッソリーニが名付けたルビコーネ川であれば、下記の地図が参考になるだろう。

また、ルビコーネ川にかかる橋、ポンテロマーノのふもとにカエサルの像が立っているので、この像を見ながら歴史に思いを馳せるのも一興かと思う。

ルビコン川を渡る歴史的瞬間を映像作品で観るならドラマ「ROME」がオススメ!

国庫から金を持ち出すポンペイウス軍の映像

ユリウス・カエサルは一体どのようにルビコン川を渡ったのか、あなたは観たいと思ったことはないだろうか。そんな願望を叶えてくれる作品が古代ローマ時代を舞台にしたHBO&BBC共同製作の海外ドラマ「ROME」だ。

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今回のまとめ

ルビコン川について、もう一度おさらいしよう。

  • ルビコン川は全長30kmにも満たない小さな川
  • イタリア半島の付け根あたりにある
  • 古代ローマ共和国末期には、ローマ本国と属州を分ける境界線だった
  • 軍を解散せずルビコン川を渡るのは、国法に触れる
  • ルビコン川を有名にしたのはカエサル

古代ローマにとっては重要な存在だったルビコン川。

実はカエサルが決断する前に、もう一人ルビコン川を渡った人物がいる。
彼の名はラビエヌス。
カエサルの右腕とまで言われた彼は、カエサルの下を離れてなぜ一人でルビコン川を渡ったのだろうか。

あなたがその理由を知りたければ、ティトゥス・ラビエヌス ―盟友カエサルの元を去り、一人でルビコン川を渡った不器用な武将―をご覧いただくといいだろう。

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