ユリウス・カエサルⅤ ―ガリア属州総督就任からルビコン川を渡るまで―

ローマ帝国の礎を築いた男 ユリウス・カエサル

前執政官(プロコンスル)となったカエサルは、ガリア属州総督として、北イタリアと出発することが決まった。
この機会を徹底的に利用しようとするカエサルは、ガリア人とゲルマン人の問題に、積極的に介入する。

そしてそれは、全ガリアで行われる戦争の幕開けでもあった。

カエサル、属州ガリアの総督に就任する

ガリア赴任への準備

一度でもイタリア本国の国境を越えてしまうと、あとは軍を解散し、属州総督をやめなければ、再び本国へ足を踏み入れることは国法違反となる。
だが、赴任中に首都ローマの政局が変わってしまうと、属州総督のまま失脚してしまう恐れがある。

そこでカエサルは、ある人物にローマを監視するための役目を任せた。
その人物とは、2番目の妻ポンペイアに横恋慕した、クラウディウス・プルクルスである。
彼は平民に養子となり、護民官に当選した。
このクラウディウス(平民に養子になってからはクロディウス)に、カエサルは元老院派たちをひきつけさせた。

ローマ国内の足場を固めたあとは、いよいよガリア出発の準備だ。
カエサルは幕僚の任命権を得ていたが、彼が唯一ガリア遠征に連れて行くことを希望したのが、軍務経験豊富な同世代の『悪友』ラビエヌスである。
ガリア戦争中、カエサルがガリアの地を離れるときは、全軍の指揮権を預けるほど、全幅の信頼をおける人物だった。

アルプスを越えてガリア戦争へ

とりいそぎの準備を終えると、カエサルはラビエヌス以下数騎を従え、任地へと急いだ。
事態は急を要していたからである。

ここから先、カエサルが行ったガリア戦争についての子細は、別の機会に書こうと考えている。
ここでは、カエサルが「何を目的として」ガリア戦争を行ったのかを見ていこう。

軍事的な実績づくり

カエサルは、いぜんとしてポンペイウスに軍事的実績で差をつけられていた。
ガリアを平定し、ローマの覇権地域を広げることで、『偉大なる』ポンペイウスを追い越し、ローマNo.1を目指したのである。

もちろん軍事的な実績づくりは、カエサルの野望を達成するのに使うためでもあった。

クリエンテス(保護者)の確保

ローマの覇権を確立させた地域は、征服した将軍の保護下に入り、将軍のクリエンテスとなる。
クリエンテスたちは以後、彼らを守ってもらう代わりに、将軍に対して兵や資金を提供するため、彼らの協力が将軍の力となるのである。

ポンペイウスはこの時、

  • 地中海の海賊一掃
  • スペイン反乱制圧
  • 小アジアやオリエントの征服
  • エジプトの後継者問題解決

などにより、地中海をぐるりと囲む地域のほぼすべてにおいて、クリエンテス関係を結んでいたことになる。

カエサルはこれをガリアに求めたのだ。

カエサル直属の軍育成

カエサルは、通常ならローマでの軍編成を待って、任地の属州へと向かうところ、軍編成を待たずに「自費で」なおかつ「赴任先の属州で」編成をすませている。

また、カエサルが赴任先へ向かうときに従えたものたちは、ラビエヌス以外は親戚の子であったり、愛人の子であったりと、カエサルに縁深い若者たちだった。
彼らは軍事キャリアを積ませるために、親からカエサルに預けられた者たちだったのである。

カエサルは、この軍と若者たちを「教育」し、育て上げていく。
こうして彼に付き従う者たちが、彼の今後を支える基盤となっていくのであった。

ローマ北方の防衛ライン確保

本来ならガリア人は農耕定住型の民族である。
しかし彼らはしばしばアルプスを越えてローマへと侵入してくることがあった。
なぜか。

それはガリアのさらに東方にあるゲルマンにすむ人々(ゲルマン人)が、ガリア人の地に侵入し、それによって住む場所を奪われたガリア人の難民たちがローマへと流れてくるのだ。

ガリア人対策とは、実のところゲルマン人対策なのである。
ではゲルマン人たちからガリアの地を守るのに、最も適している防衛ラインはどこか。
それはゲルマンとガリアを隔てている大河、ライン川だ。

カエサルはこのライン川をローマ北方の防衛ラインとするため、ガリア戦争中にしばしばゲルマン人とも戦ったのである。

ガリア戦争の戦略

では、カエサルはガリア戦争をどのように進めたのか。

ガリアは1人の王が治める、まとまった国ではない。
大小合わせると100以上の部族からなる、ゆるい連合体だった。

ガリアを征服するためには、結局のところこの部族たちを、オセロをひっくり返すように一つ一つ服従させるしかない。
また、敵地で戦う以上、食料確保が難しくなることは覚悟しなければならない。

そこでカエサルは、基本戦略を次のように決めた。

  • ローマの近場から戦略拠点を落とし、その拠点を食料供給地として、次の戦略拠点を落とす
  • 各部族が共闘するスキを与えないよう、なるべく早い軍事行動を起こす
  • 恭順する部族にたいしては、人質を取る代わりに、ローマ軍が責任を持って守る
  • ガリア人を悩ませるゲルマン人を、ライン川以東に追い返し、必要とあらばライン川を越えて攻め込む

この中でも特に食料の確保について、カエサルは徹底して気を使った。
またカエサルは、ガリアを攻めるにあたり、頭の中に正確な地図を描けていたと思われる。

理由は次の2つ。

  • カエサルは幼少期、ガリア人に教育を受けていた
  • アルプスを越えてガリア人たちと交流を持つ商人たちから、ガリアの情報を得ていた

実際カエサルは神速ともいえる速さでガリアを攻略していくし、進路にも迷いがない。
なおかつ部隊を分けて部下を別地方へと派遣するときも、正確な支持を出していたフシが見受けられる。
カエサルは、こうしてガリア戦争を進めていった。

しかしカエサルには、属州総督としての顔もある。
彼は戦争のできないシーズンである冬に入ると、冬営中の全軍をラビエヌスに任せ、自身は北イタリアに戻り政務をするのだった。
また、留守中のローマに対し、政治的な睨みをきかせておく必要があった。

ガリア戦争中の政争

カエサルの属州赴任1年目は、執政官2人がカエサル派であったことや、護民官に当選していたクロディウスの活躍により、ローマではさしたる問題も起きなかった。
しかし2年目になると雲行きが怪しくなる。

それはクロディウスの暴走と、前年にローマから遠ざけられていた元老院派のキケロや小カトーが、ローマに帰還したからだった。
クロディウスの評判がローマで急落したことに伴い、元老院派が勢いを盛り返す。
執政官の一人も元老院派が当選し、さらにその下の法務官は8人のうち6人までが元老院派でしめられた。

また、元老院は三頭の一角であるポンペイウスにも近づいたのである。

危機感を募らせたカエサルは、三頭体制を強化すべく、手を打つことにした。

ルッカ会談

ガリア戦争2年目を終えた年、カエサルはポンペイウス、クラッススを、アルノ川北にある町ルッカに集まるよう要請した。
もちろん三頭政治の継続の確認と、今後ローマをどうするかを話しあうためだ。

彼らはこの会談で次のことを決めたようである。

  • 翌年の執政官をポンペイウス、クラッススが務める(そのための票はカエサルの軍隊を一時的に解体してローマへと送る)
  • 執政官の任期を終えたあと、ポンペイウスはスペイン、クラッススはシリアの属州赴任となり、さらに10個軍団の編成権を認める
  • カエサルの属州総督任期を5年延長し、10個軍団の編成権を認める

言うなれば、三頭政治の延長とさらなる強化である。
また、彼らがそれぞれ軍事力を持つことによる軍事同盟の色合いを強めたものとなった。

だが、おそらくルッカ会談を主導したであるカエサルの狙いはもう一つあった。
それは

ローマの防衛線を確立する

ということである。
スペイン、ということは必然的にスペインと、ジブラルタル海峡を挟む北アフリカの防衛ラインをポンペイウス率いる10軍団で抑える。
一方、東方オリエントと、隣国パルティアからの防衛を、クラッススの10個軍団で担当する。
カエサルは引き続き、北方の防衛ライン担当。

この考えは、後にローマが帝政へと移行しても引き継がれていく事になる。

第一次三頭政治の崩壊

ルッカで行われた三頭の会談が実行されたことで、ローマの政情はしばらく三頭の思惑通りに進めることができた。
また、ローマの政局が三頭側に安定したことで、カエサルのガリア制覇も順調に進む。

しかし三頭体制を揺るがす事件が起こる。
一つは、ポンペイウスの元に嫁いでいた、カエサルの娘ユリアの死である。
ポンペイウスとはかなり年の離れた夫婦だったが、仲睦まじい間柄だった。
ユリアの死により、ポンペイウスとカエサルとの同盟関係にスキができたのだ。

そしてもう一つはクラッススのパルティア遠征失敗と、その結果クラッススが死んだこと。
パルティアの巧みな戦術に翻弄され、クラッススは敵にまさる戦力で攻めながら、敗北してしまったのである。
この遠征で、カエサルの元から援軍に駆けつけた、クラッススの長男も死んでいる。

こうして三頭の一角が崩れた。
クラッススの死をきっかけに、元老院派はポンペイウスに接近。
さらにカエサルがローマを牽制するために使っていた、クロディウスが殺されるという事件まで発生した。

この状況の中ガリアでは、一人の若者を中心として、反ローマに決起しつつあった。
その若者の名はウェルキンゲトリクス。
ガリア南部の部族、アルウェルニの族長である。

ガリア総決起

ウェルキンゲトリクスは、反対したものの耳を削ぎ落とし、火あぶりにするという、苛烈な方法でガリアをまとめ上げると、カエサルの補給線を断つ焦土作戦で迎え撃った。

しかしビトゥリゲス族の族長に頼み込まれ、アウァリクムを焦土作戦の対象から外してしまう。
カエサルは見逃さす攻略すると、住人40,000人をほぼ全て殺すという、果断な対処を行った。

次にカエサルは、ウェルキンゲトリクスの本拠地である、アルウェルニ族のゲルゴウィアを攻める。
しかしウェルキンゲトリクスの敢闘にあい、撤退を余儀なくされてしまう。
この一戦で勢いづいたガリア中部の部族は、ほぼすべて反ローマへと決起した。
ここに来てカエサルは、一つひとつ裏返してきたオセロのコマを、ウェルキンゲトリクスによって一気にひっくり返された思いだったろう。

アレシアの戦い

ルテティア族攻略を任せていた(そして完璧に遂行してきた)ラビエヌス軍と合流すると、カエサルはアルウェルニ族の本拠地を迂回して、東南へと進路をとった。
ウェルキンゲトリクスは、これを好機と見て決戦を挑むも敗北し、逆にアレシアに軍を引き上げる。
カエサルは逆に、アレシアを包囲した。

ウェルキンゲトリクスもカエサルも、この地を決戦の地に選んだようである。
ウェルキンゲトリクスは各部族に、アレシアの地に集結し、外からカエサルを攻撃するように指示。
逆にカエサルもこの動きを察知し、内の包囲網と軍を取り囲む防衛策を用意し、ドーナツ型の砦を築いた。

1ヶ月近く続いた包囲で両軍の食料がなくなってきたころ、ガリアの援軍が到着、アレシアの決戦が始まる。
この時、カエサルの兵力は10個軍団にゲルマン人騎兵をあわせた60,000弱。
一方ガリア側はウェルキンゲトリクス率いるアレシアに80,000、外からの援軍260,000弱で、合わせると30万を超える大兵力。

激闘は3日続き、ガリア側最後の総攻撃で崩れそうになったローマ軍だが、各兵の敢闘とカエサルの巧みな指揮により、ガリア軍は総崩れとなった。
外部軍は撤退し、ウェルキンゲトリクスはカエサルに降伏。
みずからカエサルのもとに進んで囚われの身となったのである。

カエサルの軍門に降るウェルキンゲトリクス
カエサルの軍門に降るウェルキンゲトリクス
リオネル・ロワイヤル [Public domain]

こうしてアレシアの決戦とガリア戦争は幕をとじた。

カエサル、ルビコン川を渡る

ここで今一度、カエサルの目的をおさらいしよう。

カエサルは、元老院主導体制の共和政ローマが、もはや限界に来ていると考えていた。
そこでカエサルは、統治能力をもった一人が、的確に指示を出してローマを治めるという、新体制の樹立を目指したのである。

ただし、カエサルはあくまで現体制の法のもとで、ローマの新体制を構築することにこだわった。
それゆえカエサルはガリア戦争の終結とともに、ローマでの執政官再選をねらう。

だがローマは、独裁や王政を極端に嫌ってきた。
その急先鋒が元老院派であり、彼らはポエニ戦役で完璧に機能した、共和政のシステムこそが最高の政体だと、信じて疑わなかったのだ。
ゆえにカエサルの目指す新体制は、彼らにとって国家ローマの死を意味していると言っても過言ではなかったのである。

元老院派は様々な手段を講じて、カエサルの執政官当選を妨害する。
反対にカエサルも、ローマの外にいながら、部下を使って自分自身の失脚を阻止していた。

しかしポンペイウスの懐柔にも成功した元老院派は、ついに伝家の宝刀抜いたのだ。
すなわちカエサルに対する『元老院最終勧告』だった。

元老院最終勧告

カエサルに発令された『元老院最終勧告』では、カエサルに次の事を要求した。

  • ガリア属州総督カエサルは、元老院の帰国命令に従うこと
  • 自身の軍団は解散し、後任の属州総督と交代すること
  • カエサルは、自分自身で執政官立候補の届け出を行うこと

これに従わなければ、カエサルを国家の敵とみなし、控訴権も認めない死刑が待っていた。
しかしこの要求も、カエサルの身の破滅を意味している。
なぜなら、カエサルが軍を解散し、イタリアに一歩でも足を踏み入れようものなら、元老院派の議員たちはガリア戦争で違法行為を持ち出し、告発することは目に見えていたからである。

ラビリウスの弾劾やカティリーナの陰謀で、元老院の越権行為だとして疑問をぶつけてきた『元老院最終勧告』に、今度はカエサル自身が立ち向かうことになったのだ。

「賽は投げられた!」

元老院決議に従っての、政界からの永久追放、もしくは謀殺による死か。
軍団を率いてルビコン川を渡るという、国法を犯した上でのローマ人同士の戦いか。

カエサルは悩んだ。
もちろん元老院最終勧告に従う気など、さらさらなかった。
だが、親と子、兄弟で争うローマ人同士の抗争に、幼い記憶がよみがえる。
しかし、カエサルには一刻の猶予もなかった。

紀元前49年1月12日、カエサルはルビコン川を前にして言った。

ここを越えれば人間世界の悲惨。
越えなければ、わが破滅。
進もう、神々の待つところへ、我々を侮辱した敵の待つところへ。
賽は投げられた!

ついにカエサルは、武器によって国家大改造を決断したのであった。

ちなみに長年付き添ってきたラビエヌスは、たった一人でカエサルのもとを離れ、ポンペイウスのところに向かった。
それは、彼が平民の出であり、ポンペイウスに世話になったクリエンテスだったからである。

カエサルの友であり、生涯の敵となるラビエヌスについては、
ティトゥス・ラビエヌス ―盟友カエサルの元を去り、一人でルビコン川を渡った不器用な武将―に詳しく書いているので、興味のある方はご一読いただくといいだろう。

カエサルの盟友 ティトゥス・ラビエヌス ティトゥス・ラビエヌス ―盟友カエサルの元を去り、一人でルビコン川を渡った不器用な武将―

また、カエサルの渡ったルビコン川がどんな川だったのかは、
川幅わずか1m?あのカエサルが渡ることを躊躇したルビコン川とは に詳しく書いている。

「賽は投げられた」で有名なルビコン川とは 川幅わずか1m?あのカエサルが渡ることを躊躇したルビコン川とは

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