ハリカルナッソスのディオニュシオスが書いた『ローマ古代誌』の中には、ローマ人の異常な偉大さとして3つ挙げられている。
この中の一つが排水口の建設、つまり下水道工事だ。
上水道の工事、幹線道路の敷設とともに挙げられた下水道について、ローマ人はどのように取り組んだのだろうか。
今回は、
- 古代ローマ下水道の始まり
- ローマ最大の下水道、クロアカ・マクシマ
- 古代ローマの下水道管理
- 古代ローマの下水とトイレ
- 古代ローマ下水の実態
について書いていこうと思う。
古代ローマ下水道の始まり
ローマはもともと湿地帯で、7つの丘のふもとは人が住めなかったらしい。
しかし人口が増えると、丘の上だけでは手狭となり、湿地の排水工事に取り掛かった。
この下水道は、建国から数えて5代目の王の時代に作られたとされている。
彼はローマの北方にあるエトルリア出身の王だった。
この頃のエトルリアはローマよりも文明が進んでおり、特に土木技術は群を抜いていたという。
下水工事もエトルリアの技術を取り入れて建設したに違いない。
ローマ最大の下水道、クロアカ・マクシマ
湿地用の排水を集めてローマに流れるティベリス川に流し込むため、ローマの中心部に大きな溝を掘ってティベリス川と連結させた。
これがローマ最大の下水道、クロアカ・マクシマである。
クロアカ・マクシマの名前の由来
クロアカとは下水道の女神『クロアーキーナ』のことだ。
『マクシマ』は最大の、という意味。
それにしても、下水にまで神様がいるローマ神話は興味深い。
クロアカ・マクシマの変遷
当初はひと目に触れていた大きな溝。
それが、人口増加に伴い溝の上に建物が立ったりして徐々に蓋がされていく。
さらにローマに人が増えると、クロアカ・マクシマは石造りのアーチで覆われ、地下へと移動した。
そして紀元前33年、初代皇帝アウグストゥスの右腕であるアグリッパによって、大々的に調査、修理されるに至った。
ちなみにクロアカ・マクシマは現在のローマでも利用されている。
古代ローマの下水道管理
ローマの下水道は、
- 国の管理による公共の下水道
- 個人の管理に任された下水道
に分かれていた。
公共の下水道管理
共和政期の下水道管理についてはよくわかっていないが、帝政期には専用の役職名があった。
それがこちら。
ティベリス川の河岸および河床の管理長官
(クラトレス・リパルム・エト・アルウェイ・ティベリス)
下水の中からなにかを召喚できる呪文かと思われるほど長ったらしい名前。
下水道の管理は、この役職による元老院議員5名の担当だった。
個人管理の下水道管理
こちらは現代日本にもある住居前の側溝のようなもので、おそらく奴隷に掃除なりをさせていたのではないか。
また個人管理の下水道は、公共の下水道に接続されていないものも多く、国がたびたび接続を催促していたという。
古代ローマの下水とトイレ
古代ローマの公衆トイレには下水が流れている、いわゆる水洗トイレだった。
また公衆浴場の排水を利用して、トイレの汚水を流していた。
古代ローマのトイレ事情については古代ローマのトイレ事情 ―下水が通る公衆用便所と個人住居の排泄について―に書いているので、ご覧いただければ幸いだ。
古代ローマ下水の実態
古代ローマの町並みは上下水道完備のため清潔で快適だった
とよく耳にするが、実際はどうだったのだろうか。
帝国最盛期の首都ローマでは、ある研究者によると毎年100万m3もの糞尿やゴミ、生活排水がティベリス側に垂れ流されていた。
また、古代ローマでは食事にガルムとよばれる魚醤(生魚ベースのソース)を好んで使っていたため、魚に生息する寄生虫にローマ人がよく感染していたらしいのだ。
そのため、紀元2世紀ごろのティベリス川は汚染が激しく、当時の医師がティベリス川で獲れた魚介を食べないように警告していたという記録も残っている。
また、地方都市になると個人用の下水はローマ以上に公共の下水とつながっていなかったため、道路に汚水が流れることもしばしばあったらしい。
車道にある歩行者用の飛び石は、そのために設置されているといった説もあるぐらいだ。
流石に現代日本のような環境とはいかないようである。
今回のまとめ
古代ローマの下水道について、もう一度おさらいしよう。
- 古代ローマの下水は、もともと湿地帯の排水用だった
- クロアカ・マクシマというローマ最大の下水道がある
- 帝政期の首都ローマにある公共下水道は、『ティベリス川の河岸および河床の管理長官』という専門職によって管理されていた
- 人口が増えた首都ローマの川は汚染が激しかった
下水道については資料が少ないため、わからないことも多い。
しかし同時代の人にとっては、ある程度清潔な環境を維持するのに一役買っていたことだろう。