古代だろうが現代だろうが人間だれもが大なり小なりしたくなる。
その時に必要なのがトイレだ。
普段なにげなく利用しているこのトイレ。
古代ローマではどのような形で利用されていたのか、あなたはご存知だろうか。
このような話題はおそらく教科書に記述されないだろう。
そこで今回は
- 古代ローマの公衆トイレ
- 古代ローマの住居用トイレ
について、記載することにしよう。
※メインイメージ写真について
AlMare [CC BY-SA 2.5 ], ウィキメディア・コモンズより
古代ローマの公衆トイレ
古代ローマには、都市に住む人々が共用で使用できるトイレ、いわゆる公衆トイレがあった。
紀元後4世紀、首都ローマに144ものトイレがあったという。
ではこの公衆トイレ、どのようなものだったのだろうか。
古代ローマの公衆トイレには個室がなかった
古代ローマの公衆トイレは、ベンチのような場所に穴があいており、利用者はそこに並んで用を足した。
仕切りがなく内側に向かいあって座るため、現代のように個室でゆっくり用を足すのではなく、利用者同士で会話をしていたらしい。
そのため、公衆トイレは社交場のような役割があったという。
便器の下に下水が流れる水洗式トイレだった
公衆トイレの便座の下には下水が流れていた。
そのため、用を足したあとは下水が汚物をながす、一種の水洗式トイレだったと考えられている。
古代ローマの公衆トイレは大便専用だった
古代ローマでは尿を利用して羊毛を洗っていたため、尿は利用可能な資源だった。
そのため、小便はし尿瓶として作られた土器の中や、使い古されたアンフォラ(陶器)の中に放尿していたらしい。
生活水準が低く、財産をあまり持たない貧民や都市マナーの悪い市民は、街角で立ちションをしていたことだろう。
以上の理由から、公衆トイレは大便をするために存在していたと考えたほうが自然だ。
もちろん大便のついでに小便までする利用者もいただろうが……。
公衆トイレにはお金を集める管理人がいた
古代ローマの公衆トイレは有料だった。
ただし、利用料金は少額だったらしい。
また、公衆トイレには料金徴収係である公衆トイレ管理人(コンドゥクトレス フォリカルム)が常駐していた。
ローマ市民の中には、利用額を惜しんで家まで我慢するものもいたことだろう。
ちなみに皇帝ウェスパシアヌスが財政の立て直しを図るためにおしっこ(尿)にまで税金をかけた話は有名だ。
ケチでブサイクでやる気なし!?おしっこ税で後世まで名を残した皇帝ウェスパシアヌスで詳しく書いているので、あなたに興味があるなら、ぜひご覧いただければと思う。
公衆トイレの設置場所は公衆浴場の内部や近くが多かった
古代ローマの公衆トイレは、公衆浴場(テルマエ)の近く、あるいは施設内部に多く設置されていた。
これは公衆浴場に上下水道が整備されている上、大量の排水をトイレの汚物用流水として利用できるためと考えられている。
公衆浴場は、トイレの設置からもわかるように、ローマ市民の憩いの場であった。
公衆浴場についてはお風呂にかける情熱はお湯より熱い!古代ローマ人が愛したテルマエを語ろうに詳しく書いているので参考にしていただければと思う。
トイレ、特に大便をしたあとはどのようにして『後処理』をしていたのだろうか。
従来はXylospongium(読み方不明)という棒状の先にスポンジをつけた器具で、おしりを拭くと言われてた。
また、公衆トイレの利用者は共用でXylospongiumを使い、次の利用者のために洗浄用の酢を混ぜた水の中に戻すとされていた。
しかしこれに異を唱える説もあり、スポンジをわざわざ棒につける意味があるのか?というものだ。
また、他人が拭いた道具で、自分のお尻を果たして吹く気になるだろうか。
実はローマ人は現代の携帯用ティッシュペーパーのように、各自おしりふき用の携帯スポンジを持っていて、それを公衆トイレで使ったと思われる。
ではXylospongiumは何をするものかというと、事前にする座面の清掃用だったのではないかと想像しているが、いかがだろう。
古代ローマの住居用トイレ
いくら古代ローマ人が社交好きであったとしても、トイレは個人住宅での使用が圧倒的に多かったのではないかと思う。
では、古代ローマの人は、家の中でどのように用を足していたのだろうか。
公有の下水につながっていない戸建てや高層アパート上層階の場合
公有の下水につながっていない邸宅(ドムス)や高層アパート(インスラ)の上階に住むひとは、次のように用を足していた。
携帯用のし便や屋内に設置してある使用済みのアンフォラ(壺)に尿を貯める。
上部に丸い穴の空いた木箱の上に座り、用を足す。
木箱は空洞になっており、内側に尿や大便を貯めるための壺を設置していた。
ドムスに住むことができるような富裕層は、尿や大便の処理を奴隷に任せ、
- 近くの川や下水溝に流す
- 邸宅内にある汚水槽に捨てる
といったことをさせていた。
また、インスラ上層階に住人に、しばしば窓から汚水を捨てたマナーの悪いものもいたようである。
汚水槽に溜まった人糞は、日本と同じく農作物の肥料として使用していた。
公有の下水につながっている戸建てや高層アパート下層階の場合
では下水に接続されている戸建てやアパートの場合はどうだったのだろうか。
公有の下水につながっているということは、
- より裕福な人の住宅である
- 都市部の住宅である
という特徴があった。
こちらは同じく携帯用のし便や屋内に設置してある使用済みのアンフォラ(壺)に尿を貯めていただろう。
ただし、大便と同じところで用を足している可能性もあった。
壁の一区画に大人一人分の身体を隠す場所があり、左右にある細い台座の上に穴の空いた木の板を置き、その上に座って用を足す。
左右の台座は階段状になっていて、下の段に足をおいて踏ん張れるようになっていた。
また床は壁に向かって下に傾斜しており、用を足したあとに壁の下に空いている穴に向かって、水を使って大便を流していた。
そのため、台所や浴室などの生活排水がよく出る場所の近くに設置されることが多かった。
トイレは2階にも設置されていたため、トイレ用の配管を上階から配置して、下水溝へとつなげる構造にもなっていた。
そのためトイレの配置は住居に対して上階下階ほぼ同じ位置にあることが多かったという。
古代ローマの住居には、台所の一角にトイレが配置されていることも多い。
生活排水が利用できるためや、炊事をする女性が簡単に用を足せるからという理由で主婦トイレとも呼ばれていた。
しかし、これは奴隷用のトイレとして見るほうが自然だろう。
理由は2つ。
- 戸建てに住む自由民の女性は裕福で、自分では炊事しない
- 台所にあるトイレは簡易的に作られていて、プライバシーが守られていない
以上の理由で奴隷のために作られたトイレということができるだろう。
今回のまとめ
古代ローマのトイレ事情について、もう一度おさらいしよう。
- 都市部の下水が流れている水洗式だった
- 公衆トイレは有料で、公衆トイレ管理人が常駐し、お金を徴収していた
- 公衆トイレは排水がよく出る公衆浴場の内部や近くに設置されていた
- 下水につながっていない家の住人は、携帯用の壺に尿や便を集めていた
- 下水につながっている家には人一人隠せる壁の窪みにトイレが設置されていた
水洗式や洋式トイレの原型など、現在のトイレの原型がすでに出来上がっていた古代ローマのトイレ事情。
公共のものは男女のトイレが別れていたのかどうかなど、まだまだ謎は残っているが、古代の人がどのように用を足していたのかを考えるのも一興だろう。