古代ローマのボードゲーム ―カエサルや皇帝も興じた遊び―

英雄や皇帝も遊んだ古代ローマのボードゲーム

ボードゲームとは、机や床などの平らな場所で、専用の盤を使って行う遊びのこと。
つい十数年前までは一部の趣味として遊ばれてきたが、昨今では専用のカフェもできるほど人気があるので、ご存知の方も多いだろう。

実は古代ローマでもボードゲームが遊ばれていたのだ。
かの有名なカエサルの言葉、

賽は投げられた

も、サイコロ(賽)を使ったボードゲームがあったことを示唆していると言えるだろう。

それではこのボードゲーム、いつから、どのようなものがあり、古代ローマでどのように遊ばれていたのだろうか。
今回は古代ローマで遊ばれていたボードゲームについて、見ていこう。

ボードゲームの起源

古代ローマで遊ばれていたボードゲームを見る前に、まずはボードゲームがいつから遊ばれていたのかを見てみよう。

ボードゲームが生まれた年代と場所

ボードゲームの起源はとても古く、紀元前7,000年ごろの新石器時代に生まれたとされている。
場所は現在のシリアからヨルダン、イスラエルがある、東地中海沿岸のレバント地方だ。

レバント地方の遺跡の一つバイダ遺跡からは、細い線(溝)でつながった4つの孔(あな)が2列に並んだ粘土板が出土した。

バイダ遺跡から出土した遊技盤
バイダ遺跡から出土した遊技盤
盤上遊戯の世界史 より

また、死海の北東にあるアイン・ガザル遺跡からは、6つの孔が2列、等間隔に開けられている薄い粘土板が見つかっている。

初期のボードゲームの種類

見つかった粘土板を使ってどのように遊ばれていたのかは、今のところ推測の域をでないが、おそらく次の2つのうちのどちらかだと考えられている。

  • 孔を石などの駒が移動して争う競争ゲーム
  • 孔に小石や植物のたね、マメなどを埋めていくゲーム

孔を石などの駒が移動して争うゲーム

孔を駒が移動するゲームであったなら、

  • メソポタミアのウルで遊ばれていた「ウルのロイヤルゲーム」
  • エジプトで遊ばれていた「メヘン」や「セネト」

などの、サイコロを使った競争ゲームにつながっていくだろう。

ウルのロイヤルゲーム
ウルのロイヤルゲーム
撮影者:BabelStone
エジプトのメヘン
エジプトのメヘン
撮影者:rob koopman

なお、ウルのロイヤルゲームやセネトについては、この記事では取り扱わないので、こちらを参考にしていたければ幸いだ。

ウルのロイヤルゲームレプリカ?

実はウルのロイヤルゲームは、現代でもお目にかかることができる。
といっても本物ではなく、精巧に再現したレプリカ版だが、インテリアとしてあなたの部屋をウルの王朝期にいざなってくれるだろう。

参考 ウル王朝のゲームTriangle March 参考 セネトWikipedia

孔に小石や植物のたね、マメを埋めていくゲーム

いっぽう孔に何かを入れて埋めていくゲームは、農作業の種をまく行為をモデルにした、「マンカラ」と呼ばれる遊びが近いとされている。

マンカラ
マンカラ
撮影者:Cburnett
参考 マンカラWikipedia

見つかった孔のある粘土板の遊び方は、どちらかというと、今もアフリカや中近東、インドや東南アジアで広く遊ばれている「マンカラ」の方が、より可能性が高いようである。

ちなみにマンカラは現代でも遊べるようだ。

ボードゲームは初期の頃、ランダムな結果を生むことから、占いの道具としても使用されていたのではないかと言われている。
だが時代が下るにつれ、徐々に遊びの要素だけを取り出して、ルールも進化していったようだ。

こうしてメソポタミアやエジプトで進化したボードゲームは、地中海沿岸を支配したローマにも伝わっていくことになる。

古代ローマのボードゲームの種類

では古代ローマでは、どのようなボードゲームが遊ばれていたのだろう。
古代ローマで遊ばれてたボードゲームは、次の2つだ。

  1. 競争ゲーム(ナルド)
  2. 配列ゲーム

競争ゲーム(ナルド)

エフェソスで見つかった古代の遊技盤
エフェソスで見つかったナルドの遊技盤
盤上遊戯の世界史 より

ひとつはバックギャモンの原型と言われる競争ゲームのナルドである。
ナルドは、3列に並んだ12のマス目(合計36マス)を、対面した2人が持つ15個すべての駒が、最後のマスまで早く進んだほうが勝ち、というゲーム。
ただし移動のみのゲームとは違い、マス目にある駒の状況で、移動できなかったり、相手の駒をスタート地点に戻すことができるシステムだ。

この運と戦略の絶妙なバランスを備えたナルドは、古代ローマで多くの人を魅了した。
冒頭に登場したカエサルもナルドに興じた一人。
また第4代皇帝のクラウディウスも、旅の途中にゲームができるよう、馬車にナルドの遊技盤を取り付けたほどの熱心なファンだった。

なおナルドを愛したカエサルについては、ユリウス・カエサル ―ローマ帝国の礎を築いた男―に詳しく書いているので、興味があればご一読いただくといいだろう。

ローマ帝国の礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサル ―ローマ帝国の礎を築いた男―

ナルドの変遷 ―36マスから24マスへ―

古代ローマに伝わったナルドは、先ほどから説明しているとおり、3列×12マスの36マスだった。
だが帝国中で広く普及し長く遊ばれた結果、1列取り除かれて2列×12マスの24マスに変化していく。

理由は単純で、勝負の決着を早くつけるためだ。
兵舎や駐屯地に勤務する兵士の暇つぶしにも行われていたので、ある程度はやく決着がつくほうが重宝されたのだろう。
また、お金を賭けて行う場合、勝負の回転が早ければ早いほど、より多くの儲けを出す事もできるし、取り返せる機会も増える。

こうして3世紀後半ごろには、ナルドは24マスとなり、名称も「ナルド」から「アリア」あるいは「タブラ」と呼ばれるようになった。

東ローマ皇帝ゼノの途中図

ナルド(タブラ)が24マスになった証拠として有名なのは、東ローマ皇帝ゼノ(在位474~491)が遊んでいたと思われるゲームの途中の状況を表したものがある。

皇帝ゼノのタブラの途中版
皇帝ゼノがタブラに興じたときの途中の様子

この図が示す状況では、ゼノがどのような目を出しても勝つことができない、という曲面を描いている。
ナルド(タブラ)が24マスになったことを示すとともに、このゲームが非常に複雑な状況を創り出すものだったことがうかがえる。

24マス版ナルド(タブラ)の遊び方

では古代ローマの競争ゲーム、ナルド(タブラ)はどのような遊び方(ルール)だったのだろうか。

盤上遊戯の世界史 シルクロード 遊びの伝播 に、24マスになったあとのルールが掲載されているので、引用してみる。

  1. 2人で遊び、それぞれ異なった色の15個ずつの駒を持ち、3個のサイコロを用いる。
  2. サイコロの目の数で駒を動かすが、(イ)3つの駒を3つのサイコロの目によって動かすことができる。(ロ)2つのサイコロのうち一個はサイコロの目の数によって動かし、もう一つの駒は2個のサイコロの目の合計の数だけ動かすことができる。(ハ)一つの駒を3個のサイコロの目の合計の数だけ動かすことができる。
  3. 駒は反時計回りに進む(著者注:一方は下段左端が出発点で右へ進み、他方は上段の右端から左へ進むという意味か)。
  4. 自分の駒の総てが1列12マス目の半分に登場し終わるまで、次の列の半分に進むことはできない。
  5. 一つのマス目に自分の駒が複数個入っている時は、相手の駒が進んできても捕らえられない。
  6. 相手の駒が占拠している枡目(複数の駒が入っている場合か)には進むことができない。
  7. 一つのマス目に自分の駒が1個あり、そこへ相手の駒が進んでくると、自分の駒は「殺されて」出発点に戻らねばならない。
  8. 殺された自分の駒が盤に再登場するまで、味方の駒を動かすことはできない。

このルールのキモは、

  • 動かす駒に対して、3つのサイコロの目をどのように振り分けるか
  • いかに相手の駒の進路を妨害、あるいはスタート地点に戻すか

というところだろう。


古代ローマのバックギャモンであるナルドは、ローマ帝国が滅亡しても現代にまで生き残っていくのである。

配列ゲーム

古代ローマで遊ばれていたボードゲームのもうひとつは、さまざまな幾何学模様を利用した、配列ゲームである。

配列ゲームとは、縦や横、ナナメにいくつか連続してそろうよう、2人で交互に駒(や印)を配置するゲームだ。
簡単なものでは9マスで争う3目並べ(○×ゲーム)や、碁盤を利用した5目並べを想像してもらうと分かりやすいだろう。

配列ゲームの起源

配列ゲームは、古代エジプトで考案されたようだ。

紀元前1400年頃、古代エジプトで建てられたクルナ神殿の天井板に、幾何学模様の跡がある。
これは当時この神殿を建設していた石工たちが、仕事の合間におこなった遊び(暇つぶし?)のために彫ったものらしい(※異説あり)。

クルナ神殿の天井に描かれた図形
クルナ神殿の天井に描かれた図形
盤上遊戯の世界史 より

配列ゲームのルール

交点型配列ゲーム

このなかの(1)から(4)までは、線の交わった場所(交点)に、小石や貝殻、草の茎などの駒を、遊ぶ人(プレイヤー)が交互おいて、どちらかが直線状((2)は円周もあり?)に3つ連続で並べば勝ちだ。

ただし、ただの3目並べとは違い、駒はプレイヤー双方が3つしか持っていない。
互いに駒を置き終えると、(たいていこの段階で勝負はついていないので)今度は駒が1直線になるよう、隣の交点に駒を一つ移動させながら勝負を決めるのである。

多重正方形型配列ゲーム

また、3重の正方形が描かれた(5)だけは特殊で、駒は互いに9個ずつ持っている。
この駒を交点もしくは正方形の角に置き、3つの駒で直線をつくることを目指す。
こちらも駒を置き終わった段階では勝負がつかないことが多いので、(1)~(4)と同じように駒を1つずつ隣の交点(か正方形の角)に動かし、どちらかが3つ連続で並べば勝ちとなった。

配列ゲームの古代ローマへの伝播

配列ゲームはエジプトを通じて古代ローマへと伝わった。

「配列ゲームの起源」でもご覧いただいた交点型配列ゲーム((1)~(4))の図形は、フォロ・ロマーノの石の表面に掘られているものが確認できる。

フォロ・ロマーノの石に描かれた図形
フォロ・ロマーノの石に描かれた図形
盤上遊戯の世界史 より

また、多重正方形型配列ゲーム((5))については、チュニジアのローマ人住宅の床に、モザイクの遊技盤が描かれている。

チュニジアの配列ゲーム盤
チュニジアのローマ人の邸宅に作られたモザイクの遊技盤
盤上遊戯の世界史 より

当時のローマ人はこのモザイクの遊技盤を使って遊んでいたのだろう。


現在でもヨーロッパでは、上記の配列ゲームを「ナイン・メンズ・モリス」とよび、愛好されている。
配列ゲームも、古代ローマが滅んだあとに生き残り、後世にまで伝えられていくのである。

参考 ナイン・メンズ・モリスWikipedia

今回のまとめ

古代ローマのボードゲームについて、もう一度おさらいしておこう。

  • ボードゲームの起源は紀元前7,000年ごろ。いまから約9,000年前のシリア・パレスティナ地方で発明された
  • 古代ローマに伝わっているボードゲームは、大きく分けると2種類あった
  • 競争ゲーム(ナルド)は、古代ローマで12マス×3列から1列省かれて12×2列になった
  • 競争ゲームはのちにバックギャモン、配列ゲームはのちにナイン・メンズ・モリスとなった

ローマ帝国各地で遊ばれていたボードゲームは、ヨーロッパ中に広まり、また陸と海のシルクロードを旅して東方へも伝わっていくのだった。

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