サイコロ ―古代ローマでも使われていた遊びの道具―

古代ローマで使われたサイコロについて

サイコロ。
いくつもの「数(や模様)」をランダムに出す、多面体の道具である。
「ダイス」という名前でお馴染みの方もいるだろう。

様々な遊びの道具として使用されるサイコロだが、文明の生まれるはるか昔から使われていたことを、あなたはご存知だろうか。
もちろん古代ローマでもサイコロは使用されていた。

そこで今回は、

  • サイコロがいつから、どんなものが使われていたのか
  • 古代ローマでのサイコロがどのように使用されていたのか
  • サイコロを使った古代ローマのゲーム

を紹介することにしよう。

サイコロの起源と歴史

サイコロは、いったいいつから使われていたのだろうか。

自然のものを利用したサイコロ

ランダムな結果を得ることのできる道具、という意味での「サイコロ」が使われたのは、文明の始まるはるか昔からだった。
そのころ使われていたサイコロは、すべて自然の中で得ることのできるものである。

具体的には、次のようなものだ。

  • 裏と表がすぐにわかる貝殻
  • 木の葉
  • ケモノの骨
  • 動物の歯
  • 木片や小石

これらは、オモテとウラという2つの結果を、ランダムに出す道具として使われた。
使用の目的は、占いだったという。

私が子どものころによくやった天気占いは、靴を飛ばして上を向くか下を向くかで、明日の天気がどうなるかを占ったが、考え方としては同じだろう。
ただし、単純に一つの道具を使って表裏の結果を得ていたのではなく、複数の「サイコロ」を使った結果で占っていたようだ。

動物の骨を利用したサイコロ「アストラガルス」

オモテとウラという2つの結果だけではなく、より多くの結果をランダムに出すことができる道具が現れた。
それが動物の骨、それも後ろ足のくるぶしの骨を利用した「アストラガルス」である。

動物の足のくるぶしの骨
動物の足のくるぶしの骨
Sipes23 [Public domain]

アストラガルスは、平面の雲形を垂直に高くしたような形なので、投げてみると4つの面のどれかが上になる。
同じ確率ではないとはいえ、4つの結果をランダムに得ることができるようになったのは、大きな進化と言えるだろう。

アストラガルスの歴史は古く、トルコのアンカラ考古学博物館で、紀元前7,000年ごろ(今から9,000年前)の住居跡から発見されたものが展示されている。

驚くべきことに、アストラガルスはその後も長く使用された。
例えばツタンカーメンの墓から発見されたセネト(コマを早くゴールさせる競争ゲームの一種)や20マス目の遊技盤といっしょに、象牙で作られたアストラガルスが発見されている。

まだ古代ギリシャや古代ローマでも、アストラガルスは使用されていた。

アストラガルス
古代ギリシア・ローマ時代のアストラガルス
さいころ より

大英博物館では、ギリシアや古代ローマ時代のアストラガルスが展示されいるが、アストラガルスの製作に使われている材料は様々だ。

  • オニックス
  • 山水晶
  • 青銅
  • メノウ
  • ガラス

ここまでくると自然のものではないが、アストラガルスがいかに長く利用され、多くの需要があったことがわかるだろう。

人の手で作られたサイコロ

表裏を使ってランダムな結果を得る「サイコロ」は、より狭い範囲での意味ではサイコロの前段階のもの、つまり「前サイコロ」と呼ばれる。

「前サイコロ」ではないサイコロとは、

  • 人の手で作られたもの
  • ランダムな結果が3つ以上得られる

という条件に当てはまるものだ。
では人の手で作られる、つまり人工的なサイコロは、いつからどのようなものが作られたのだろう。

三角錐のサイコロ

人工的なサイコロで最も古いものの一つが、紀元前2600年ごろのウル王墓から見つかった、三角錐(すべての面が三角形でできた立体)のサイコロである。
4面あるので、4つの結果をランダムに出すことができる。

三角錐のサイコロは、次の場所からも見つかっている。

  • カミト・エル・ロス遺跡(パレスティナ)
  • シャフリ・ソクタ遺跡(イラン中部)
  • インダス渓谷(インド・パキスタン)
三角錐と立方体のサイコロ
三角錐と立方体のサイコロ
さいころ より

また、三角錐の後継として、テトラポット型(4本足があり、平らな先端に数字の目がついている)がある。
これは紀元前6世紀ごろのもので、スーサで発見されている。

直方体のサイコロ

三角錐型の次に作られたのが、細長い直方体のサイコロだ。
直方体型のサイコロは、両端の小さい面以外の4面で、ランダムな結果を得られるようになっている。

もっとわかりやすく言えば、四角い形の鉛筆だと考えるといいだろう。
鉛筆を転がして、すごろくゲームをしたり、テストの答えを決めた方もいるはずだ(かくいう私もその一人)。

直方体のサイコロ
直方体のサイコロ
盤上遊戯の世界史 より

直方体のサイコロが最も多く見つかっているのは、

  • タキシラ
  • ラホール
  • モヘンジョ・ダロ
  • ハラッパー

など、現在のパキスタンにあたるインダス川流域の諸都市。
紀元前3,000年から紀元前2,000年にあたる、インダス文明の遺跡から多数出土している。

またインダス川流域以外にも、

  • スーサ(イラン)
  • アイカノウム遺跡(アフガニスタン)
  • パンドンケント遺跡(タジキスタン)
  • テーベ(エジプト)

からも見つかっている。

直方体型のサイコロの目は初期のころ、 図形や1から4以外の不規則な数字が刻まれていることも多かった。
だが時代を経るごとに、徐々に1から4の数字へと変化したようである。

立方体のサイコロ

直方体型のサイコロと同じ時期か少しあとに作られたのが、私達がよく目にする1~6の数字がふられた正六面体のサイコロ、すなわち立方体のサイコロである。

立方体型サイコロで最古のものは、紀元前3,000年~紀元前2,500年の間に見つかった北イラクのテべ・ガウラのものだ。
また、パキスタンのモヘンジョ・ダロやイランのスーサでも、紀元前2,000年の終わり頃のサイコロが見つかっている。

さらに紀元前1,000年代も中頃になると、

  • エジプト
  • ニシュ・イ・ヤン(イラン)
  • トロヤⅥ地(小アジア)
  • クレタ島
  • イタリア

で発見されている。

立方体のサイコロは、焼いた粘土製のものが多いが、スーサで見つかったものは、天然のアスファルトである瀝青(瀝青)で作られたものだ。
またサイコロの目は、現在のようにオモテとウラを足して7になるような作りではなかった。
だが、紀元前4世紀~紀元前3世紀ごろには、表裏を足して7になるサイコロが登場しているので、古代ローマ時代にはおそらく現在形のサイコロが使用されていただろう。

古代ローマでのサイコロの使用目的

古代ローマでは、ギリシヤで遊ばれていたサイコロ遊戯をそのまま受け継いだ。
ローマの北方にあるエトルリアでもサイコロが出土しているので、もともと古代ローマ人たちは、ギリシアのサイコロ遊びを「輸入」する以前から、サイコロを使うことを知っていたのだろう。

アストラガルスで遊ぶ古代ローマの少女
サイコロ(アストラガルス)を振る少女
さいころ より

古代ローマでは、4面のサイコロを「タリ」、6面のサイコロを「テセラエ」と呼び、使用していたという。
では古代ローマでサイコロは、どのように使用されていたのだろう。

競争(すごろく)ゲーム

ランダムな結果を生むサイコロは、ゴールを目指す卓上(盤上)の競争ゲームには、うってつけの道具だ。
もちろん古代ローマでも、競争ゲームの道具として使用されていた。

古代ローマでは、ナルド(後にアリアやタブラと呼ばれる)という現在のバックギャモンの原型ともいえる競争ゲームが広く遊ばれていた
ナルドについては、古代ローマのボードゲーム ―カエサルや皇帝も興じた遊び―で詳しく説明しているので、興味のある方はご覧いただくといいだろう。

英雄や皇帝も遊んだ古代ローマのボードゲーム 古代ローマのボードゲーム ―カエサルや皇帝も興じた遊び―

賭け事

古代ローマでは第二次ポエニ戦争(前218年~前201年)以降、サイコロを使った賭け事(賭博)も、頻繁に行われた。

古代ローマ庶民のサイコロ賭博の様子

例えば、紀元後79年にウェスウィオ山の噴火で埋もれてしまったポンペイには、サイコロ遊びに興じているフレスコ画が残っている。

賭け事をするポンペイの壁画
賭け事をするポンペイの壁画
ポンペイ・奇跡の街 より

この絵の場面は店の中らしく、一人は黄色いサイコロの壺を振っていて、近くに「やるぞ!」と書かれた文字がある。
もう一人の男の頭上には、「3でなくて2だ!」と記されている。

サイコロを振るツボ
サイコロを振る不正防止用のツボ
さいころ より

この絵の近くにも、同じ男たちの絵があり、最後に店の主人に「喧嘩をするなら出ていけ!」と言われるオチつきだ。

また大英博物館には、サイコロ賭博に負けて相手のスネにかじりつく少年の像が展示されている。

サイコロ賭博に負けてスネに噛み付く少年
サイコロ賭博に負けて相手のスネに噛み付く少年
さいころ より

いずれにしても古代ローマ(特に帝政期)では、サイコロ賭博に相当熱中していたようである。

皇帝たちのサイコロ賭博

これが皇帝ともなると、賭博の規模が違ってくる。

初代皇帝アウグストゥスは無類のギャンブル好きとして有名だ。
アウグストゥスは毎日貴族たちとサイコロ賭博をして、時には1日に2万セステルティウスもの大金を失ったという。
この頃の軍団兵1人の年収が900セステルティウスなので、2万セステルティウスがとてつもない大金だということがわかるだろう。

ちなみにアウグストゥスが遊んでいたサイコロ賭博は次の通り。

  • プレイヤー(複数人)が順にサイコロ(6面体)を振る
  • 6の目が出たプレイヤーは場に1デナリウス(4セステルティウス相当)積む
  • 1の目が出たプレイヤーは、場に積んである金を全部とる

また三代皇帝カリグラは、賭博に負けるとその補填のために、裕福な市民を任意に選んで理由もなく死刑にしてしまい、財産を没収したという逸話が残っている。
さらに5代皇帝ネロは、1回のサイコロ賭博に40万セステルティウスもの大金を賭けたという。

これらの逸話が嘘かホントかはともかく、古代ローマでは庶民から皇帝まで身分の隔てなく、サイコロゲームが流行っていたことは確かだろう。

なお、皇帝ネロについては、ネロ ―母に抗い続けた結果、暴君の代名詞となったローマ皇帝―でも紹介している。

母の呪いが解けなかった 古代ローマ皇帝ネロ ネロ ―母に抗い続けた結果、暴君の代名詞となったローマ皇帝―

占い

古代ローマでもサイコロを占いの道具として使用していた可能性がある。

例えば古代ローマの20面サイコロ、お値段180万円 で紹介されているローマ時代のガラスでできた正20面体のダイスには、数字ではなく記号が刻まれてる。
このサイコロはゲームや賭け事よりも、神事(占い用)として使用されている可能性もあるという。

参考 古代ローマの20面サイコロ、お値段180万円WIRED 参考 A ROMAN GLASS GAMING DIECHRISTIE'S
イエスの処刑にも使われたダイス

実はキリスト教の始祖、イエスはサイコロにも関係が深い。
イエスが十字架に磔(はりつけ)となったとき、ローマ兵はイエスの服を誰が手にするか決めるため、くじを引くかサイコロを振ったと新約聖書は伝えている。

今回のまとめ

古代ローマでも使われていたサイコロについて、もう一度おさらいしよう。

  • サイコロの起源は9,000年前、自然物を利用したものが使われた
  • やがて動物の後ろ足のくるぶしの骨をつかった「アストラガルス」で4つの結果を得られるようになった
  • 人工的なサイコロは紀元前3,000年以降、三角錐→直方体→立方体という順に作られていった
  • 古代ローマでは、ゲームや賭けにサイコロを利用していた

私たちにもなじみの深い遊び道具のサイコロ。
かの有名なカエサルですら、一大決心をするときに引き合いとして出すほど、古代ローマ人たちもサイコロを愛していたようである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA