あなたはコロッセオ以外にも剣闘士たちの試合、いわゆる『見世物』を開催する円形闘技場(アンフィテアトルム)がローマ帝国各地にあったことをご存知だろうか。
ある研究者によれば、帝国全土に建設された円形闘技場の数は、少なく見積もっても270を超えていたという。
それだけ剣闘士たちの試合は魅力的で、またローマ人の生活に必要とされていたのだろう。
なお、剣闘士がどういった人たちで、どのような試合をするかは剣闘士― 民衆を熱狂させた古代ローマ帝国のグラディエーターたち―を見てもらいたい。
ではこの円形闘技場、いったいなぜこんなに多くの場所で建てられたのだろうか。
また帝国各地の闘技場には、どのような特徴があったのだろうか。
この記事では、次のことを書いていく。
- 円形闘技場のタイプについて
- 各地にある円形闘技場の特徴
- 現在でも見に行くことができる円形闘技場一覧
ローマ人がこよなく愛し、また剣闘士たちの血と汗をたっぷりと吸い込んだであろう円形闘技場について、新しい発見があれば嬉しいかぎりだ。
円形闘技場には、おもに3つの形があった
円形闘技場といえば、ローマにあるコロッセオのイメージが非常に強いと思う。
だが、実際は次の3種類の形が存在することをご存知だろうか。
- 専用型
- 混成型
- 兼用型
ここでは、3つの形について見ていこう。
専用型
剣闘士競技会(闘技会)のためだけに作られた、楕円形の専用闘技場。
コロッセオに代表される、よく見るあの形だ。
現代に例えるなら、サッカー専用スタジアムといったところだろうか。
ローマ帝国に建てられた闘技場で、一番多く見ることができる形が、この専用型になる。
混成型
楕円形の専用型と、ローマ劇場と呼ばれる半円形の劇場、2つの機能をあわせ持つ闘技場が、この混成型だ。
混成と呼ばれるだけあり、この闘技場(兼劇場)では、見世物としての剣闘士競技会と、演劇の上演両方で使用された。
専用の劇場と違い、舞台の前にある合唱隊の席や貴賓席と観客席の間には、剣闘士や野獣から観客を守る柵壁(ポディウム)が設けられているところ。
混成型はガリア地方(現フランス)の、特に北西部に集中して作られている。
どうやら地元ケルト民のドルイド信仰と関わりがあったらしい。
兼用型
兼用型は、正確に言えば円形闘技場ではない。
なぜなら元からあった半円形の劇場を再利用して、闘技場として使用したからだ。
理由は至極単純で、コストダウンを目的としている。
やはり円形闘技場を一から作るのには、莫大な費用が必要だったようだ。
ローマ帝国各地の円形闘技場
円形闘技場は、帝国各地にどのような形で広がっていったのだろうか。
※各地の総数はあくまで存在が確認されている数。
ローマ以外のイタリアの円形闘技場
総数:99
特長:
共和政期の円形闘技場
実は首都ローマよりも古くに建設された闘技場がイタリアには存在する。
剣闘士の記事(リンク)にも書いたとおり、もともと剣闘士の発祥が南部イタリアのカンパニア地方やエトルリアのものだ。
共和政期の円形闘技場は15ほど知られているが、そのほとんどがエトルリアとカンパニアにあった。
帝政期の円形闘技場
帝政期に入ると、イタリアの各都市で円形闘技場の建設ラッシュがはじまる。
おそらく長らく続いた内乱が終わり、娯楽に飢えていた市民たちの要望に応えてのことだろう。
現存する中でも1世紀に建てられたものが多い。
2世紀には徐々に建設される数が減るが、ある程度円形闘技場の数が整ったので、新しく建てる必要がなくなったのではないかと推測できる。
ただし、建築例がないわけではなかった。
しかし3世紀になると一気に新設の闘技場は減る。
この時代になると、イタリア本国の剣闘士への熱が冷めだしたのか、3世紀の危機と呼ばれた時代の混乱で余裕がなくなってしまったのだろう。
また、新しく建てるための費用が捻出できないなど、経済的な負担が理由も大きかったに違いない。
アシシウム(ウンブリア地方)
アウグストゥス帝時代に建設された円形闘技場。
ある人の遺言でレンガ造りの装備が施された。
プラエネステ(現パレストリーナ)
クラウディウス帝時代に建設された円形闘技場。
解放奴隷の出身者が出資した。
プラケンティア(現ピアツェンツァ)
城壁の外にあった、1世紀後半当時最大級の円形闘技場。
ネロ帝死後の内乱期に焼け落ちてしまった。
ヴェローナ
1世紀半ばに建てられた円形闘技場。
現存する中でも保存状態はピカイチ。
プテオリ(現ポッツォーリ)
フラウィウス朝時代に建設。
カプアと同じく、地下施設を備えた円形闘技場で、保存状態も良好。
その他、1世紀に建てられた円形闘技場があった都市
- クレモナ
- ボノニア
- カシヌム
など
2世紀に建てられた円形闘技場があった都市
- ミラノ
- フィレンツェ
など
3世紀に建てられた円形闘技場があった都市
- アクイレイア
など
イベリア半島の円形闘技場
総数:22
特長:
イベリア半島における円形闘技場の歴史は古い。
それはこの地がローマに組み込まれる時期がシチリア島やサルディーニャ島、コルシカ島についで早かったことが理由だろう。
今日確認できる総数22のうち、共和政時代はその半分の11が建てられていたようだ。
イタリカ(現セビリア近郊)
ハドリアヌスの故郷。
イベリア半島最大規模の34,000人が収容できた円形闘技場があった。
タラッコ(現タラゴーナ)
属州都として人口が多く、海岸沿いに円形闘技場があった。
その他
など
ガリアの円形闘技場
総数:72
特長:
ガリアでは、南部の属州ナルボネンシスと北西部の属州ルグドネンシスで円形闘技場の特色が違う。
南部ナルボネンシスは古くからローマの支配下に入っていたので、ローマ文化が根づいていた。
その証拠に、ほとんどの円形闘技場が専用型として作られている。
一方ローマ化が比較的新しいルグドネンシスでは、劇場と闘技場を兼ねた混成型が建設された。
これには大きく2つの要因がある。
- 人口が少ないため、兼用しても需要を満たすことができたこと
- ケルト民の土着宗教であるドルイド教の影響で、宗教的な意味合いも含んだこと
このため、属州ルグドネンシスでは30あるうちの21が混成型だった。
北方辺境地域の円形闘技場
総数:28
特長:
北方の辺境地域とは、現在のドイツ、オーストリア、東欧諸国を指す。
国境付近の町は、主に軍事基地から発展したところが多い。
それゆえ、
- 軍事施設の一つとして円形闘技場が建てられる
- 基地が町として発展したため、市民用の円形闘技場が建てられる
という順番で闘技場ができた。
平和な時代にも最前線の兵士達に剣闘試合を見せることで、戦うためのモチベーションを保たせていたのである。
アドリア海沿岸地域
- イアデル
- アエクウム
- サロナエ
- エピダウルム
- ポーラ
※これらの地域は都市の成立が古く、例外的に市民の娯楽施設として最初から円形闘技場が建てられた。
国境(リメス)付近の地域
カルヌントゥム
1世紀半ばには、木造の円形闘技場が建てられる。
124年にハドリアヌスがこの地を訪れたとき、石造の円形闘技場が建てられた。
アクウィンクム
ティベリウス帝時代に木造の円形闘技場が建てられる。
トラヤヌス帝時代に市民用の闘技場が建てられ、アントニウス・ピウス帝のときに石造りの闘技場へと改修された。
ブリタンニアの円形闘技場
総数:19
特長:
北方の辺境地と同じく、帝国の最前線だったブリタンニア地方では、軍事基地からの発展型都市が多い。
そのため、ケルト人が住む地方にもかかわらず、ガリアのような混成型ではなく、専用型の円形闘技場が建てられた。
ただし、一部の都市には混成型が作られた。
北アフリカの円形闘技場
総数:36
特長:
北アフリカに建てられた円形闘技場は専用型で、旧カルタゴ領だった現在のチュニジアに集中している。
地域柄か、野獣狩りが盛んに行われていたらしい。
カルタゴやティスドルスの闘技場は、帝国でも最大規模を誇っていた。
帝国東方の円形闘技場
総数:2(※専用型が新しく建てられた数)
特長:
オリエント圏の東方諸都市全てで剣闘士競技が親しまれたわけではなかったが、少なくともギリシヤ語圏の都市では剣闘士競技が行われていた。
ギリシアの文化圏だった都市には、劇場がもともとあったため、それを闘技場として転用する兼用型が多い。
そのため新たに円形闘技場が建てられた数は極端に少なかった。
兼用型
- エフェソス
- アンキュラ
- アンティオキア
- セルディカ
- ニコポリス
- テッサロニケ
- マグネシア
- イリオン
- ゴルチュン
- サガラッソス
- トミス
- ミレトゥス
- アテネ
- アフロディシアス
- アッソス
- ヒエラポリス
など
専用型
- ニュサ
- ラオディケイア
ローマ帝国の中で、剣闘士競技が行われなかった地域がある。
地中海に浮かぶ島、ロードス島だ。
ローマ市民が少なかったことに加え、ローマ文化に抵抗していたために、剣闘士競技も頑なに拒否していたのだろう。
今すぐ見に行ける!現存する円形闘技場
今でもヨーロッパやアフリカ各地に残る円形闘技場。
今すぐにでも見に行くことができる円形闘技場を紹介しよう。
なお、独断と偏見で評価させていただいたので、よかったら参考にしていただきたい。
イタリア
ローマ(コロッセオ)
![コロッセオ](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_colosseo.jpg)
首都ローマに建てられた、帝国最大の円形闘技場。
フラウィウス朝の皇帝が建てたことから、当時はフラウィウス円形闘技場と呼ばれていたが、ネロの巨大な像『コロッスス』が近くにあることから、『コロッセオ』と呼ばれだしたとか(諸説あり)。
ヴェローナ
![ヴェローナの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_verona.jpg)
北イタリアの都市、ヴェローナにある円形闘技場。
1世紀前半に建設。
ほぼ完全な形を留めているので、あなたが当時の姿を確認したいなら、必見の闘技場。
オペラやコンサートなど、現在でもイベントに使われている。
ポッツォーリ
ナポリ近郊にある、ポッツォーリの円形闘技場。
コロッセオと同時期のフラウィウス朝時代に建設。
保存状態もよく、エレベーターが設置されていたと思われる跡も見られる。
ポンペイ
![イタリア・ポンペイの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_ponpeii.jpg)
火山灰に埋もれたポンペイの円形闘技場。
現存する闘技場では最古のもの。
なおポンペイについては、ポンペイ―ヴェスヴィオ火山の火砕流と灰に埋まったタイムカプセル都市―もご参照いただけると嬉しい。
カプア
![イタリア・カプアの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_capua.jpg)
ナポリの北にあるカプアの円形闘技場。
コロッセオに次ぐ帝国最大規模を誇る。
カプアの剣闘士競技の歴史は古く、初めての闘技場は前2世紀にまで遡れるが、現存するものはハドリアヌスによって改修、増築されたもの。
ルチェーラ
![イタリア・ルチェーラの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_lucera.jpg)
イタリア南部の都市ルチェーラにある円形闘技場。
建設時期は古く、初代皇帝アウクストゥスの時代に建てられた。
闘技場としての形がしっかり残っている。
レッチェ
イタリア最南端、かかとにある都市レッチェの円形闘技場。
25,000人が収容できたと推測される。
現在は半分が埋もれたままになっている。
カッシーノ
ローマとナポリの間にあるカッシーノの円形闘技場。
ある程度の形を留めている。
ストリ
ローマ北にある、ストリの円形闘技場。
建設時期は古く、前1世紀中頃に建てられた。
現在は町のはずれにひっそりと佇んでいる。
パドヴァ
北イタリア、パドヴァの円形闘技場。
公園の一部になっている。
ルッカ
![イタリア・ルッカの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_lucca.jpg)
北イタリアにあるルッカの円形闘技場。
現在は円形闘技場の跡地を利用した広場(アンフィテアトロ広場)になっている。
広場の入り口に、闘技場の名残があり、当時の落書きも残っている。
シラクーザ
![シチリア島・シラクーザの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_syrakus.jpg)
シチリア島の街、シラクーザにある円形闘技場。
1世紀初頭に建設。
フランス
アルル
![フランス・アルルの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_aruru.jpg)
フランス南部にあるアルルの円形闘技場。
闘技場の中でも最高の保存状態であり、しばしばイベントにも使用されている。
ニーム
![フランス・ニームの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_nimes.jpg)
フランス南部の町、ニームの円形闘技場。
アルルにある闘技場と同じく、最高の保存状態として現存する。
ここでもしばしばイベントが行われている。
サント
![フランス・サントの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_santo.jpg)
フランス西部の町、サントにある円形闘技場。
アレーナ(中央の砂場)と観客席の一部が当時の面影を残している。
パリ
![フランス・パリの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_pari.jpg)
フランスの首都パリにある円形闘技場。
珍しい混成型の円形闘技場だが、現在はアレーナと観客席のみ残っている。
スペイン
タラゴナ
![スペイン・タラゴーナの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_taragona.jpg)
南スペインのタラゴナにある円形闘技場。
1世紀後半から2世紀初めに建設。
収容規模は14,000人。
海岸沿いに建てられているため、闘技場からみる海の景色がきれいなスポット。
メリダ
![スペイン・メリダの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_merida.jpg)
古代ローマ時代は、アメリダ・アウグスタの名で呼ばれていた町の円形闘技場。
建設時期は古く、前8年に建てられた。
14,000人の収容規模だった。
イタリカ(セビリア近郊)
![スペイン・イタリカの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_itarica.jpg)
セビリアの北9kmに位置する、古代ローマ時代の町イタリカの円形闘技場。
五賢帝の一人、トラヤヌス、ハドリアヌスを輩出した町としても有名。
34,000人の収容人数だった。
ドイツ
トーリア
![ドイツ・トーリアの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_toria.jpg)
フランス国境沿いの町、トーリアにある円形闘技場。
中央部のアレーナと観客席がわずかに残るのみ。
イギリス
ロンドン
イギリスの首都ロンドンにある円形闘技場。
混成型だったようだが、現在はギルトホール・アートギャラリーという建物の中で、闘技場の入り口部分のみ遺構として残っている。
チェスター
![イギリス・チェスターの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_chester.jpg)
イギリスの町チェスターにある円形闘技場。
現在はアレーナと観客席を残すのみ。
クロアチア
プーラ
![クロアチア・プーラの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_pula.jpg)
クロアチアにある町、プーラの円形闘技場。
1世紀ごろ建設。
古代ローマ当時は23,000人規模の収容人数だったが、現在はコンサート会場用として5,000人規模に縮小された。
非常に保存状態が良い。
チュニジア
エル・ジェム
![チュニジア・エル・ジェムの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_elzem.jpg)
北アフリカ、チュニジアのマーティア県にある円形闘技場。
238年、総督ゴルディアヌス1世が建設。
ヴェローナに次ぐ大きさで、36,000人が収容できたという。
カルタゴ
![チュニジア・カルタゴの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_caltago.jpg)
同じくチュニジアのチュニス(ローマ時代のカルタゴ)にある円形闘技場。
1世紀~2世紀の初めに建設された。
現在ではわずかに遺構が残るのみだが、その大きさからエル・ジェムと同規模の収容人数だったと推測される。
ウティナ
![チュニジア・ウティナの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_uthina.jpg)
属州アフリカの主要都市だったウティナの円形闘技場。
現在はチュニスの南の郊外にある。
くり抜かれたアリーナ中央部から、地下の構造がはっきりわかる。
リビア
レプティス・マグナ
![リビア・レプティス・マグナの円形闘技場](https://anc-rome.info/wp-content/uploads/2019/01/0022_leptis_magna.jpg)
リビアのアル=フムス市にある円形闘技場。
マルクス・アウレリウス帝時代に建設。
レプティス・マグナは古代ローマ時代、アフリカ初の皇帝セプミティウス・セウェルスを輩出した町としても有名。
今回のまとめ
古代ローマの円形闘技場について、もう一度おさらいしよう。
- 円形闘技場には3種類の形態があった
- 首都ローマの円形闘技場はコロッセオができるまで小規模のものしかなかった
- イタリア本国はもちろん、イタリア以外の帝国各地でもたくさんの闘技場がつくられた
- 意外と多くの円形闘技場が現在でも残っている
古代ローマの娯楽として、人々が熱狂した剣闘士の試合。
これだけ多くの円形闘技場建設は、現代のサッカー競技場にも似た雰囲気を感じる。
剣闘士の頂上決戦となるローマ帝国カップなどは行われたのだろうか。
数多くあった円形闘技場は、そんな妄想を掻き立ててくれるようだ。