ローマ帝国の異常な偉大さは何よりも3つのことにはっきり表れている:
ローマ古代誌 | ディオニュシオス
水道、舗装道路、排水溝の建設。
ハリカルナッソスのディオニュシオスは、著書『ローマ古代誌』の中でこのように書いている。
水道とは上水道のことであり、排水口とは下水道だ。
そして舗装道路とはもちろん、帝国のいたるところに張り巡らされたローマ街道のことを指している。
軍用の幹線道路すべてを合わせると全長80,000km以上、なんと地球2周分も敷設されたのだ。
整備された道路以外の街道をあわせると約400,000km、地球10周分にもなるという。
では『ローマ帝国の異常な偉大さ』と評された三大インフラ事業の一つ、ローマ街道とはどのようなものだったのだろうか。
この記事では、次の内容を書いている。
- ローマ街道の歴史
- ローマ街道の敷設方法
- ローマ街道の目印マイルストーン
- ローマ街道の休憩地、『駅』について
- ローマの郵便制度
- 主要ローマ街道一覧
ここでは軍用の幹線道路をローマ街道として扱うこととする。
執念ともいえる几帳面さで古代ローマ人が敷設したローマ街道の全貌を、ぜひご堪能いただきたい。
ローマ街道の全容をあらわしたイラスト
まずはこちらのイラストをご覧いただきたい。
この電車の路線図のようなイラスト、Sasha Trubetskoy氏によってローマ帝国の主要な幹線道路をデフォルメして描かれたものだ。
当時の道路が帝国全土に網目のように張り巡らされ、都市で接続している様子がカラフルなマップになっていて大変わかりやすい。
この幹線道路すべてを合わせると、全長約80,000kmにもなるという。
その全てに恒久的な使用を目的として、舗装を施しているのだから、「異常な偉大さ」と形容されるのも頷けるだろう。
幹線道路として舗装されたローマ街道はアッピア街道から始まった
ローマ街道は、アッピウス・クラウディウス・カエクスによりアッピア街道の敷設工事から始まった。
上記掲載のイラストでは、ローマ(Roma)を起点として下に伸び、ブルンディシウム(Brunidisium)まで伸びる赤色の街道がアッピア街道(Via Appia)である。
アッピア街道の敷設工事以前にももちろんローマに街道はあったが、軍用の舗装道路として整備された街道はアッピア街道が始めてである。
アッピア街道については、アッピア街道 ―ローマ街道の女王にして8万kmの始まりの道路―でも書いているので、ご参考いただきた。
以降、アウレリア、アエミリア、フラミニア、サラーリア、ティブルティーナなどの街道が敷設されていった。
なお、アッピア街道の敷設ほか、古代ローマ初の上水道建設にも携わり、『古代ローマインフラの父』と称されたアッピウスではあるが、人間的には非常にゴーイングマイウェイな人だった。
そんなアッピウスの強引伝説をアッピウス・クラウディウス・カエクス 強引伝説の宝庫!古代ローマ「インフラの父」についてでまとめているので、興味があればぜひご一読いただければ幸いだ。
ローマ街道の敷設方法
軍隊のスムーズな移動と恒久的な維持を目的としたローマ街道は、一体どのように作られたのだろうか。
平地に作る一般的な街道の敷設手順は次の通り。
- 幅4mほどの広さで、深さ1.5mから2mほど掘り下げる
- 最下層に大量の石や砂利、瓦礫を放り込む(B)
- その上の層で漆喰と石を混ぜ、ローマン・コンクリートで固める。下層はきめの粗い層(C)、上層はきめの細かい層(D)
- ローマン・コンクリートの中や上に多角形、または長方形のぶ厚い石材を敷き詰める(E)
掘り下げる深さは場所によって違うが、理想は固い岩盤に達するまで掘ることだった。
この作業はかなりの重労働で、ローマ軍や、奴隷が行っていた。
また、最上層の石は水平ではなく、中央が若干膨らんだなだらかな楕円形。
これは街道の側部に排水することを考えてデザインされている。
現在残っているローマ街道は、石の摩耗が激しくでこぼこになっているが、敷設当時は砂が入る隙間もないほどなめらかな路面だったらしい。
ちなみにVia Munitaのイラストの(F)が歩道部、(G)が車道と歩道を分ける縁石となる。
街道の敷設に使われたローマン・コンクリートについてはローマン・コンクリート ―二千年経っても崩れない古代ローマの建築技術―に詳しく書いているので、参考にしていただけるとありがたい。
地域によって敷設方法も変化する
上記は一般的な街道の場合だが、地形や地層、現地の調達資材によって街道の作り方は変化する。
丘陵地では、なるべくアップダウンの勾配が発生しないように、土を盛って通常の地面よりも5mも高い位置に作られた街道もある。
またイタリアの中央部を縦に走るアペニン山脈を貫くフラミニア街道では、なんと岩盤を貫くトンネルが掘られた。
掘削機械もない当時の建築事情からすれば、これは驚くほど高い土木技術ではないかと思う。
ローマ街道の目印、マイルストーン
ローマ街道には1ローママイル(約1.5km)ごとに距離を示すマイルストーンが建てられた。
このマイルストーンには、街道を建設した人物や修繕に協力した人物、また建てられた当時のニュースなどが刻印されている。
ローマ街道を利用する人々に、しばしば話題を提供していたことだろう。
ミリアリウム・アウレウム(黄金の里程票)
ところでこのマイルストーンに親分とも呼べるものが存在することをご存知だろうか。
実はローマの中心部、フォロ・ロマーノのサートルゥス神殿近くに、マイルストーンズ・オブ・マイルストーンともいえる、黄金のマイルストーン『ミリアリウム・アウレウム(黄金の里程票)』が建てられていた。
ここがすべてのローマ街道の始まり、という印である。
ミリアリウム・アウレウムは初代皇帝アウグストゥスが建てさせたもので、ここには帝国の全ての主要な都市とそこに至る距離が刻まれていた。
実用性はもちろんのこと、おそらくアウグストゥスはローマ市民に対して、自分たちの帝国が地中海沿岸をすべて支配したことをアピールするために作らせたのではないだろうか、と私は思う。
すべての道がローマに通ずるとともに、すべての道はローマから始まるのだ。
ローマ街道の使用はタダじゃない!?
このようにとても利便性の高い道を提供してくれるローマ帝国は、さぞかし羨ましいと思うだろうが、実はローマ街道の使用には通行料が必要だった。
はっきりした額はわかっていないが、それなりのお金は必要だったらしい。
通行料は各都市の門や橋の両端などで徴収される。
これは現代日本の高速道路のシステムとさほど変わらない。
しかし使いやすく、見通しが良いおかげで格段に盗賊に襲われにくい街道の使用は、旅人や行商人にとっては使用料を払ってもあまりあるメリットがあったと考えられる。
ローマ街道によって、ローマの流通は支えられていたことだろう。
ローマ街道には宿泊施設がある道の駅があった
ローマ街道には、休むための施設、いわゆる『宿駅』のようなものが3種類あった。
マンシオネス(公用の宿泊施設)
諸都市をつなぐローマ街道の途中には、『マンシオネス』と呼ばれる宿泊施設が存在していた。
この施設は25kmから30kmごとにあり、役人だけが使用できる施設で、使用のためにパスポートが必要だった。
彼らが宿泊できる完全な邸宅があったという。
タベルナーエ(私的な休憩所)
民間の旅行者は、タベルナーエと呼ばれる休憩所を利用した。
設立初期はユースホステル(共用宿泊所)のようなものだったが、ローマの発展に伴い、徐々にホテルのような宿泊施設へと変化した。
有名なタベルナーエでは、ワイン、チーズ、ハムの樽を保存する大きな貯蔵室があったという。
ムータチオーネス(車両と動物のメンテナンス施設)
ローマ街道の旅行者や行商人は、しばしば牛や馬などに車両を引かせて乗車し、都市間を移動した。
その輸送手段をメンテナンスするための施設がムータチオーネスである。
ムータチオーネスには車輪を修理、交換する車大工や荷車を修理する荷車大工、 エクアリイ・メディチと呼ばれる獣医がおり、車の所有者や運転手は有料で彼らのサービスを受けることができた。
ムータチオーネスも20~30kmごとに存在していた。
まさに現代のパーキングエリアというところだろう。
ローマ街道を利用した郵便制度
古代ローマにも、アウグストゥスが創設したクルスス・プブリクスという郵便制度があった。
この郵便制度は公用文書を届けるもので、特に急ぎの用でなければ車両で、特別郵便という特急の場合は馬のリレーで届けさせるものだった。
ちなみに馬のリレーでは最速1日に80kmも走破したと言われている。
民間の場合は奴隷にお金を払って利用することができたが、裕福な市民しか利用しなかったらしい。
また、郵便は盗賊にあう危険性もあったため、一般的ではなかった。
おそらく一般の市民が郵送したい場合は、身内や知り合いでたまたま旅行する人を見つけ、頼み事をしたというのが多かったのではなかろうか。
なおクルスス・プブリクスについては、古代ローマの駅伝、郵便制度 ―古代ローマ以前からアウグストゥスの創設まで―で詳細な内容を取り扱っている。
詳しく知りたい方は、参考にしていただくといいだろう。
主要なローマ街道
帝国中に網目のように張り巡らされたローマ街道。
ここでは主要な街道を掲載する。
ただし、わかりやすさを優先するため、ローマ街道の全容をあらわしたイラストで使用した地図に描かれた街道のみに絞った。
細かいものも含めると、ここに掲載する以外にもローマ街道は存在することを念頭においていただけるとありがたい。
イタリア
主要街道
- アッピア街道(Via Appia)
- エミリア街道(Via Aemilia)
- アウレリア街道(Via Aurelia)
- カッシア街道(Via Cassia)
- フラミニア街道(Via Flaminia)
- ラエティア街道(Via Raetia)
- サラリア街道(Via Salaria)
その他
- ポピーリア街道(Via Popilia)
- アドリアティカ街道(Via Adriatica)
- アエミリア街道(Via Aemilia)
- スキナリア街道(Via Sucinaria)
- ポスツミア街道(Via Postumia)
- クラウディア・アウグスタ街道(Via Claudia Augusta)
- ジュリア・アウグスタ街道(Via Julia Augusta)
- トライアーナ街道(Via Traiana)
シチリア島
- ヴァレーリア(Via Valeria)
サルディーニャ島
- サルダ(Via Sarda)
その他の地域
スぺンン / ポルトガル
- タラコネンシス街道(Via Tarraconensis)
- カエサラウグスターナ街道(Via Caesaraugustana)
- アウグスタ街道(Via Augusta)
- ルシタノルム街道(Via Lusitanorum)
- デラピダータ街道(Via Delapidata)
- バエティカ街道(Via Baetica)
- アストゥリア・ブルディガラム街道(Via Asturica Burdigalam)
イギリス
- ブリタンニカ街道(Via Britannica)
フランス
- アグリッパ街道1号(Via Agrippa Ⅰ)
- アグリッパ街道2号(Via Agrippa Ⅱ)
- アグリッパ街道3号(Via Agrippa Ⅲ)
- アクィタニア街道(Via Aquitania)
- ドミティア街道(Via Domitia)
- ガリカ街道(Via Gallica)
ドイツ / ベルギー / オランダ
- ゲルマニカ街道(Via Germanica)
オーストリア / セルビア / ブルガリア
- ミリターリス街道 (Via Militaris)
- ダヌビア街道(Via Danubia)
- カルパタ街道(Via Carpata)
- ドミティアナ街道(Via Domitiana)
アルバニア / マケドニア共和国 / ギリシャ
- グラエカ街道(Via Graeca)
- フラビア街道(Via lavia)
- エグナティア街道(Via Egnatia)
トルコ
- ヴァレリア街道(Via Valeria)
- アウグスタ・ノヴァ街道(Via Augusuta Nova)
- ガラティカ街道(Via Galatica)
- アシアナ街道(Via Asiana)
- アウレリア街道(Via Aurelia)
中東
- ティベリア街道(Via Tiberia)
- シリカ街道(Via Syrica)
- マリス街道(Via Maris)
- トライアーナ・ノヴァ街道(Via Traiana Nova)
アフリカ
- クラウディア街道(Via Claudia)
- ヌミダ街道(Via Numida)
- ハドリアーナ街道 (Via Hadriana)
今回のまとめ
ローマ街道について、もう一度おさらいしよう。
- ローマ街道はアッピウスの敷設したアッピア街道から始まった
- ローマ街道の敷設は地面を掘り起こし、石や砂利を敷き詰め、ローマン・コンクリートを流し込んで舗装用の石を並べた
- ローマ街道には起点からの目印となるマイルストーンがあった
- ローマ街道を使用するときはお金が必要だった
- ローマ街道沿いには、駅のような宿泊施設が3樹類あった
- ローマには官営の郵便制度があった
真っ直ぐに伸びる当時のローマ街道は、さぞかし壮観な眺めだったことだろう。
軍隊だけではなく、行商人や旅人も頻繁に往来することができた、まさにローマ帝国の血管だったのではないだろうか。