古代では、奴隷はどこにでもいる一般的な存在だった。
人ではあるが人ではない存在。
古代ローマも例外ではなく、戦争で捕らえられたり貧困によって奴隷となるものがいた。
そのローマで、過酷な環境に耐えかねた奴隷たちの起こした反乱が3つある。
その最後にして最大の反乱が第三次奴隷戦争であり、この反乱を先導した奴隷が剣闘士スパルタクスである。
ではスパルタクスとはどのような人物だったのだろうか。
また、スパルタクスの乱と言われるようになる第三次奴隷戦争は、どのような経緯をたどったのだろうか。
序章:Who is スパルタクス?
スパルタクスの出自は、実のところよくわかっていない。
だが、トラキア地方の出身であることは確かなようである。
さてスパルタクスが剣闘士になる前の前歴だが、資料によると、次の3つの説がある。
- トラキアの遊牧民説
- ローマ軍の敵として戦い、捕虜になった説
- トラキア人傭兵としてローマ軍に加わったが捕虜となり、脱走して盗賊、さらに剣闘士に身を落とした説
さらにトラキア遊牧民説では、どの族だったかで4つほど候補があるが、どれも決め手にかける。
ただし、この後のスパルタクスの行動をみると、彼が軍の関係者で、なおかつ士官級の経験を持っていたのではないかと考えている。
そうでないと、戦の経験が少ない奴隷たちをまとめ上げ、ローマ軍を打ち破るなど不可能ではないだろうか。
ギリシャ人に似た風貌を持っていたといわれるスパルタクス。
彼は剣闘士養成所を経営していたレントゥルス・パティアトゥルスに買い取られ、イタリア南部の都市カプアに連れてこられた。
なお、スパルタクスがカプアに来た時期は不明である。
剣闘士がどのような職業で、どういった事をするかは剣闘士― 民衆を熱狂させた古代ローマ帝国のグラディエーターたち―をご覧いただきたい。
戦争捕虜や奴隷商人から買われた剣闘士の身分は、ほとんど奴隷である。
ゆえに養成所にいる剣闘士たちの環境も満足の行くものではない。
それにしてもカプアの剣闘士養成所の環境は最悪だった。
養成所には、ガリア人、トラキア人などがいたという。
レントゥルスは経費削減のために、彼らをまとめて一つの部屋に押し込めていたのだ。
プライベートスペースはもちろん、寝食ができる空間を確保するのも難しかっただろう。
しかしレントゥルスはお金をケチったがために、彼らの共謀を許し、脱走を図る余地をあたえてしまった。
そして共謀者の中にスパルタクスがいた。
第一章:スパルタクス、カプアの剣闘士訓練所を脱走しヴェスヴィオ山に立てこもる
剣闘士200人による脱走計画
スパルタクスたち剣闘士は、動物以下の扱いを受ける剣闘士養成所のやり方に不満を抱いた。
そしてガリア闘士、トラキア闘士ら200人によって脱走を計画する。
しかしこの計画は、実行前にばれてしまった。
そこでスパルタクスたちは台所を襲撃して武器になりそうな刃物、包丁や焼きぐしを奪うと脱走を強行した。
200人の中で脱走に成功したものはおよそ70人ほどだったという。
剣闘士用武具の入手
脱走したスパルタクスたちに、さらに幸運が舞い込む。
それは剣闘士用の武具を運ぶ馬車が、彼らの目の前を通りかかったのだ。
実は養成所の剣闘士たちは、反乱防止のため、鉄製の鋭利な刃物は持たせてもらえず、もっぱら木製の剣で訓練をする。
それゆえ、台所の刃物程度では身を護ることすらおぼつかなかったに違いない。
彼らはこれ幸いと馬車を襲い、武装化に成功した。
また、このとき以下の3人をリーダーにすることも決めた。
- トラキア人のスパルタクス
- ガリア人のクリコス
- ギリシャ人のオエノマウス
そしてカプアを抜け出すと、拠点となるヴェスヴィオ山を目指した。
カプア守備兵200人を撃退、ヴェスヴィオ山占拠
剣闘士、養成所を脱走しカプアから逃走する
この報を受けた人々はどのような反応だったのだろう。
現代なら、
極悪犯が刑務所から脱走し、○○市から逃走中
といった感じではないだろうか。
それはともかく、カプアではさっそく守備隊200人を派遣して、剣闘士たちの反乱を鎮めようとした。
しかし、武装化した剣闘士は予想以上に強く、カプアの守備兵は撃退されてしまう。
これにより、奴隷反乱軍はローマ兵の武具を手に入れることができた。
スパルタクスは剣闘士用の鎧を脱いでローマ兵の武具を身につけると、喜びを爆発させた。
スパルタクスにとって剣闘士の武具を脱ぐことは、奴隷から自由の身に解放された大きな出来事だったのである。
奴隷反乱軍、法務官グラベルの軍3,000人を撃破
カプアの守備兵を破ったスパルタクスたちは、ヴェスヴィオ山を占拠する。
さらに周辺の町を襲うと、奴隷たちを解放して味方に引き入れていった。
これに対して早期解決をめざすローマは、カプアの守備兵が壊滅したとの報を受け、法務官クラウディウス・グラベルが率いる3,000の兵を派遣した。
グラベルは立てこもるスパルタクスたちをむやみに攻撃せず、山頂へと至る一本道を封鎖し、奴隷反乱軍の食料が尽きる待つ作戦に出る。
しかしスパルタクスたちは、おとなしく食料が尽きるのを待ってはいなかった。
彼らは崖に茂る野生のぶどうのツルを編んで縄梯子を作ると、夜陰にまぎれてローマ軍の野営地を急襲、グラベル軍3,000を撃破することに成功したのである。
多くの兵士を打ち取ることに成功した奴隷反乱軍は、兵の武具を奪い、ついにローマ正規軍の陣容を整えるまでになった。
この時点でスパルタクスたち反乱軍は10,000を超える勢力へと成長していた。
第ニ章:スパルタクス、ローマ軍を次々と破る
ローマ、反乱軍鎮圧に3個軍団15,000を派遣
法務官グラベルの軍、壊滅す
この報を受けたローマ首脳陣は、相当あせったに違いない。
何しろただの脱走奴隷を掃討するだけという認識は崩れ、今や奴隷反乱軍が10,000人を超えている。
グラベルの軍は、ローマ軍とはいえ正規軍ではなく急いで集められた民兵だった。
しかしこの大規模な反乱に対処するためには、軍団経験のあるプロの軍事集団が不可欠だ。
かくして反乱軍鎮圧のために、ローマ正規軍が出動するという異例の事態となる。
法務官ウァリニウス、および法務官コッシウスを指揮官とする3個軍団15,000が派遣されることになった。
スパルタクス、ウァリニウス・コッシウス両軍を撃破
ウァリニウスは副官フリウスに3,000の兵を与え、先発隊としてスパルタクス率いる反乱軍の元へと急がせた。
しかしスパルタクスはネアポリス近郊でフリウス軍を撃破する(1)。
さらにコッシウス率いるローマ軍もサルヌス川付近で敗れ、さらにスパルタクスに野営地を奇襲され軍は壊滅、コッシウスは敗死した(2)。
別働隊を率いていたウァリニウスは、コッシウスのいる野営地へと急いだがすでに遅く、逆に反乱軍に撃退される始末だった。
この結果、奴隷反乱軍は軍備を増強することに成功し、さらにローマ軍と戦うことに対して自信を深めることになった。
しかしこの一連の戦い以降、史書には3人のリーダーのうちの一人、オエノマウスが出てこなくなる。
おそらく戦死したと推測されるが、正確にはわかっていない。
ウァリニウス、ウァレリウスに援軍を求める
スパルタクスの軍勢は、イタリア南部のカンパニア地方を制圧し、今や20,000人にもなる大集団を形成する。
さらに首都ローマのあるラティウム地方に迫っていた。
自身が招いた結果とはいえ、事態を重く見たウァリニウスは、法務官ウァレリウスに援軍を要請した。
いよいよ危機感を募らせるローマは、要請を受けたウァレリウスに増援軍を与え、反乱軍討伐を命じる。
これにより、ローマ軍も体勢が整い、ウァリニウス、ウァレリウス両軍でスパルタクスを包囲することに成功した。
おそらくこの段階で、奴隷反乱軍には次の2つの意見が対立していたのだろう。
- ローマに進撃して首都を叩く
- 反乱軍の軍備を充実させて体勢を整える
前者の代表がクリコスであり、後者はスパルタクスの意見だった。
ローマ軍を次々と撃破したことで、彼らの中に
ローマ、恐れるに足らず
という慢心が生まれても不思議ではない。
しかし慎重なスパルタクスは、ローマ進撃を主張するクリコスたちを必死で説得した。
体勢を整えたローマ軍に対して、勝ち続けるのは容易でないと。
現に今、彼らに包囲されているではないか。
スパルタクスは意見を一つにまとめると、夜陰に紛れてラティウム地方からの撤退を開始する(4)。
スパルタクス、ルカニアに南下し、軍を二手に分けて冬営する
ウァリニウス、ウァレリウス両軍の追撃をなんとか振り切ったスパルタクスは、一路カンパニアの険しい山道を南へ進む。
途中、グラベルの残余舞台を破り、ルカニア地方へと入った(5)。
ここでスパルタクスたちは軍を二手に分ける。
スパルタクスはイオニア海へと下り、メタポントゥムを占拠。
一方クリコス率いる反乱軍はレギウムに通じる街道を南に下り、コセンティアを占拠。
さらに両軍は西と東から進軍してトゥリを占拠する。
年も暮れようとしていた時期でもあり、彼らはトゥリで冬営に入り、武具などの装備強化と軍事訓練によってローマ軍との戦闘に備えた。
反乱軍はすでに、70,000人に達しようとしていた。
奴隷軍はいかにして装備を強化したのだろうか。
一説には、この時期地中海を席巻していた海賊が一役買ったのではないかと言われている。
海賊たちは船や町を襲うだけでなく、非合法的な商取引を仲介していたようだ。
反乱軍は、当然正規のルートで武器などの物資を調達することはできない。
そこで海賊にお金を払うことで、武器や食料などの物資を調達していたのではないか。
実際反乱軍には大土地所有者(当時の富裕層)からの略奪により、使用できるお金はあったのだ。
そのお金を武具に変え、準備を整えたのだろう。
また海賊たちは、地中海の国々を船で行き来できるので、国際情勢にも明るかった。
彼らの情報は、スパルタクスら反乱軍の上層部に、今後の方針を決める手助けをしたと思われる。
第三章:スパルタクス、故郷を目指して北上する
反乱軍、二手に軍を分ける
冬営に入った時点で、反乱軍には大きく2つの意見があった。
- ローマに進撃して現体制を打倒し、奴隷たちの待遇を改善する
- 奴隷たちそれぞれの故郷に帰るため、アルプスを超えてイタリア本国から脱出する
1は究極の目的であるが、実現性は低く、ローマを打倒した後の政治プランが彼らにはなかった。
そこで彼らはイタリア本国の奴隷として暮らすのではなく、それぞれの故郷に帰る、もしくは本国から逃れるために2を選択することにした。
翌前72年春になると、スパルタクスたち反乱軍は冬営をとき、アドリア海側から北上を開始する。
ここで反乱軍は2手に分かれた。
- スパルタクスは4万(うち3万が戦力)を率いて内陸部から北上
- クリコスは3万(うち1万が戦力)を率いて海岸沿いから北上
北上する彼らを討伐すべく、ローマからは執政官2人による4個軍団が結成され、反乱軍に迫っていたのである。
反乱軍、初めての大敗北
スパルタクスとクリコスが、なぜ軍を分けて北上したのかを知る資料は存在しない。
彼らが不仲だったとも、戦略上の理由だったとも言われているが、この作戦は完全に失敗だった。
クリコス率いる反乱軍は、派遣された執政官の1人ルキウス・ゲルリウスの軍と、ガルガヌス山付近で対峙した。
結果、クリコス軍3万は大敗北を喫し、反乱軍の2/3が殺され、クリコス自身も戦死する(1)。
奴隷反乱軍は、蜂起してから初めての大敗を経験することとなった。
スパルタクス、両執政官を撃破
一方スパルタクス率いる反乱軍には、もうひとりの執政官グエナウス・レントゥルスが北上を阻むように陣取り、行く道を塞ぐ形で対峙する。
戦闘の結果はスパルタクス軍の勝利。
さらにスパルタクスを追ってきたゲルリウス軍も撃破し、両執政官軍を倒すこととなった。
おそらくスパルタクスはこのとき、クリコスの死を知ったのだろう。
しかしスパルタクスと反乱軍は、止まることなく北上を続けた。
スパルタクス、ムティナでローマ軍を撃破
スパルタクスの目指す町は、当時ガリア・キサルピナと呼ばれていた北イタリアにある属州の都市ムティナ。
そこでは属州総督のロンギヌスと、さらにローマから派遣されたマンリウスが合流し、スパルタクスを待ち構えていた。
しかしスパルタクスは、ロンギヌス・マンリウス連合軍も破ってしまう。
ついにスパルタクスと反乱軍の前から、ローマ軍の姿は消えたのである。
スパルタクス、アルプス超えを断念
ようやくたどり着いた、アルプスの麓。
この先はアルプスを越えて、それぞれの故郷に帰ればいいはずだった。
しかし、スパルタクスと反乱軍は、一部を除きついにアルプスを越えることはなかった。
その理由は3つ考えられる。
- 奴隷反乱軍が当初よりも大所帯になり、加えて女性の奴隷が増えたことで行軍が遅れたこと
- さらにポー川のはん濫で足止めをされたこと
- 上記2つの理由から、アルプスの麓にたどりついた時期が冬間近で、大所帯でのアルプス超えが厳しいこと
さらにイタリア北部での食料確保が南部よりも難しく、十分な補給ができなかったこともあるだろう。
スパルタクスは、この大所帯の奴隷集団を北イタリアで養うのは不可能と考え、再び南下して脱出の道を探す事になった。
このときスパルタクスにはある目論見があったのである。
それは、トゥーリで武器を調達した海賊たちと、もう一度取引をすることだった。
第四章:スパルタクス、再び南へ。クラッススの登場
一方スパルタクスは海賊に裏切られ、シキリアへの渡航を断念する。
スパルタクス、南下を開始し、海賊と再び接触する
スパルタクスは北上したルートであるアドリア海沿いを、そのまま南下した。
この南下の途中、どこかで海賊たちと接触したはずだ。
スパルタクスはキリキアの海賊との取引で、南イタリアからシチリア島への渡航を頼んだ。
理由は2つ。
- シチリア島の方が食料が豊富で調達しやすいこと
- シチリア島では過去2回奴隷の反乱が起こっているので、奴隷の蜂起をうながしてさらに反乱勢力を大きくできる可能性があること
スパルタクスはこのとき、海賊たちに莫大な贈り物をしただろう。
奴隷集団は彼らを信じ、南イタリアへと向かった。
クラッスス、法務官に当選し、軍団編成を自費で賄う
明けて前71年、ローマではクラッススが法務官に当選した。
これにはローマとクラッススの思惑が一致したと考えられる。
- ローマとしては、軍隊を編成する費用が乏しいため、クラッススにお金を出してもらいたい
- クラッススは軍功を上げ、政界での影響力を高めたい
ローマの思惑通り、クラッススは6個軍団30,000を自費で賄った。
さらにゲルリウス、レントゥルス両前執政官の残存部隊をあわせた4~5万の軍が、スパルタクス討伐のために編成されたのである。
またローマはスペインに派遣したポンペイウスとミトリダテス戦争を戦うルクルスにも、イタリアへの帰還命令を出した。
いよいよローマは反乱軍鎮圧に向けて本腰をいれたのだ。
スパルタクス、クラッススとの緒戦に勝利し、レギウムを目指す
クラッススは、まず配下のムンミウスに2個軍団(10,000人)を与え、スパルタクスの後を追わせた。
このとき、クラッススはムンミウスに対して
決して交戦しないように
と厳命したという。
しかしムンミウスはこれを守れず、アウフィダス河畔でスパルタクスと戦い、敗れてしまった。
これに対してクラッススは、命に背いたムンミウスの軍に10分の1刑を適用し、軍規を引き締めた。
古代ローマ軍内での刑罰の一つ。
刑罰対象の集団に対して10人ずつに分け、その中から無作為に一人を選ぶと、他の9人が棍棒や石で撲殺する。
また、撲殺を逃れた9人に対して食料配給を小麦から大麦に変えられた。
大麦とは奴隷の食事だったので、兵はプライドを大いに傷つけられたという。
一方勝利したスパルタクスと反乱軍は、南イタリアのトゥーリに入り、さらに目的地であるレギウムに到着した。
彼らの眼の前には、奴隷から解放された自由な生活が待っているはずだった。
クラッスス、反乱軍を封鎖。スパルタクス、シキリア渡航を断念
しかしスパルタクスと奴隷集団の前に、待てど暮らせど一向に海賊たちは姿を見せない。
実は海賊たちには、すでにローマが手を回して奴隷反乱軍に協力しないよう、裏で取引していたのだ。
この取引にもクラッススの資産が使われたのではないだろうか。
スパルタクスが海賊をレギウムで待つ間、クラッススは海から海への55kmに及ぶ長大な封鎖壁を完成させる。
深さ、幅さともに4.5mもある堀と、掘り返した土を基礎にした胸壁でできた封鎖癖により、スパルタクスは補給路を立たれてしまう。
このとき奴隷反乱軍の総数は18万。
レギウムではこの人数を養うための食料を賄うことは不可能だった。
最終章:スパルタクス、ローマ軍と最後の決戦へ
スパルタクス、クラッススの包囲網を突破
スパルタクスはシチリア島への渡航を諦め、クラッススの封鎖壁を突破を試みた。
しかし12,000の犠牲者をだしてもなお、突破口は開けない。
だがこのままでは、奴隷集団全員が飢えで死んでしまう。
なんとか封鎖壁を突破したいスパルタクスは、作戦を練った。
そして冬のある雪の降る風の強い晩に、密かに城壁に迫り、木材と樹木の枝で堀を埋めて封鎖癖を攻撃、約3分の1の軍勢を突破させることに成功したのである。
ポンペイウス、スパルタクス討伐に向かう
クラッススとしては、自分でスパルタクスを討ち、軍功を上げたかったはずだ。
しかし背に腹は変えられず、ローマにスパルタクスが迫る危険もあったので、元老院にすぐさま包囲網突破を報告する。
そのころ、スペインの反乱を鎮圧したポンペイウスが、ローマに帰還していた。
ローマは直ちにポンペイウスをスパルタクス討伐に派遣する。
そのころブルンディシウムにはルクルスの軍が上陸していた。
ローマが帰還命令を出したルクルスは、ポントスで第三次でミトリダテス戦争を戦っていたルキウス・リキニウス・ルクッルスである。
しかし、彼はまだ戦争終結には至っておらず、このときブルンディシウムに到着したのは、弟のマケドニア属州総督、マルクス・テレンティウス・ウァッロ・ルクルスだったようだ。
反乱軍指揮官、カンニクスとカストゥスの敗戦
クラッススの包囲網をなんとか突破したスパルタクスは、クラッススの軍から逃れるため、ティレニア海沿いに北上を続けた。
だが、冬の行軍や乏しい食料のため、次第に反乱軍の士気が下がり、脱落するものも増えていく。
この脱落者のなかに、カンニクスとかストゥスを指揮官とする軍があった。
彼らはルカニア湖のほとりで勝手に休息をとっていたという。
しかし、これを好機とと見たクラッススは、カンニクスとかストゥスの軍に追いつくとこれを攻撃、彼らを壊滅させる。
スパルタクスは応援に駆けつけたがすでに遅く、すでに19,000の兵力うちの2/3が討ち取られ、両指揮官も戦死したあとだった(1)。
スパルタクスは敗残兵と合流すると、さらに北を目指す。
しかし北からは反乱軍を討伐すべく、ポンペイウスの軍が迫っていた。
スパルタクス、決戦を決意し、クラッススと対決する
北からはポンペイウス軍。
東からはブリンディシウムに上陸したルクルス軍。
そして南からクラッスス率いる6個軍団。
ここに至ってスパルタクスは四面楚歌となった。
さらに過酷な状況と士気の低下で脱落が相次ぐなか、逃げ回るだけではこれ以上奴隷反乱軍を維持することはできない、という思いもあっただろう。
スパルタクスはクラッスス軍と戦うことを決意すると北上をやめ、シラルス川付近でクラッスス軍を迎え撃った(2)。
彼は決戦に際して
戦いに勝てば敵の立派な馬が手に入り、負ければ馬など必要ない
と言い放つと、自分の馬を剣で刺殺したというが、これはおそらく後世の逸話だと思われる。
なぜならスパルタクスのこの後の行動を見ても馬は必要だからだ。
彼は後方に陣取るクラッススを捉えると、味方の兵とともに突撃した。
途中小隊長2人を討ち、さらにクラッススを目指したが、腿を負傷して討ち取られた。
スパルタクスは兵士たちによってずたずたに切り刻まれ、誰のものかわからなくなったという。
スパルタクスが倒れると、反乱軍は壊滅、6,000人もの人がクラッススによって捕らえられた。
追章:奴隷反乱軍のその後と奴隷の待遇
壊滅した軍からかろうじて生き延びた5,000人の敗残兵たちも、南下してきたポンペイウスによって全員が捕らえられた。
そして彼らは全員虐殺されてしまう(3)。
また、クラッススに捕らえられた6,000人の捕虜は、十字架に磔にされて処刑され、アッピア街道沿いに並べられた。
こうして前73年から続いた、後にスパルタクスの乱と呼ばれることになる第三次奴隷戦争は集結したのである。
この反乱以降、奴隷たちの扱いは徐々に改善されていく。
ローマの人たちは奴隷に反乱を起こされることより、進んで仕事をしてくれる道を選ぶこととなた。
スパルタクスを描いた作品
スパルタクスを題材とした作品は、様々なメディアで制作されている。
その一部を紹介しよう。
映画
スパルタカス
『時計じかけのオレンジ』や『2001年宇宙の旅』で有名な、巨匠スタンリー・キューブリックが1960年に発表した映画作品。
作品終盤のアッピア街道沿いに並ぶ十字架の磔のシーンは、壮絶な情景として記憶に残るだろう。
テレビドラマ
スパルタカス
こちらは比較的新しい2010年に制作されたテレビドラマシリーズ。
主演のアンディ・ホイットフィールドが、第一シリーズを最後に降板、さらに死亡するというアクシデントがありながら、第三シリーズまで続いた。
視聴率は放映開始から、右肩上がりで伸びていったらしい。
小説
剣闘士スパルタクス
西洋の歴史を題材とした小説を書く佐藤賢一氏の作品。
ローマを題材とした小説は、本作が二作目にあたる。
剣奴王ウォーズ 異次元騎士カズマ
こちらは現代の高校生が様々な時代にタイムスリップして活躍するというライトノベルのローマ編。
主人公は、クラッススやカエサルと知り合い、さらに剣闘士スパルタクスの手助けをして反乱に加わろうとするが……。
2巻で発売が止まっており、続編が書かれていないのが残念な作品となっているが、サラリと読めるので雰囲気を味わえる読み物としておすすめしたい。
ゲーム
Fate/Grand Order
Fate/Grand Order
Aniplex Inc.無料posted withアプリーチ
スマートフォン向けのロールプレイングゲーム。
このゲームでは登場人物のひとりとしてスパルタクスが描かれている。
今回のまとめ
スパルタクスと第三次奴隷戦争について、もう一度おさらいしよう。
- スパルタクスはトラキア地方の出身で軍隊経験者だった
- スパルタクスが入った剣闘士養成所は劣悪な環境で、剣闘士たちに不満があった
- 当時のローマは奴隷にとって環境があまりにも悪かった
- スパルタクスは奴隷の不満を利用して勢力を大きくし、軍を強くした
- 海賊との取引で情報を得ることができ、故郷に帰ることを選択した
- 地理的条件や海賊の約束反故により、イタリア本国が脱出ができずにスパルタクスと反乱軍は全滅した
- この戦争以降、ローマにおける奴隷の扱いが改善した
スパルタクスが起こした行動が成功したのは、偶然の幸運が重なっただけかもしれない。
しかし、その後は世界最強の軍に対しても、恐れることなく果敢に戦いを挑み続けた。
彼の死は決して無駄ではなく、その後のローマに大きな影響を与えることになった。