オクタウィアヌスⅢ ―第一次ローマ進軍からムティナの戦いまで―

オクタウィアヌス カエサルの遺志を継ぐ青年

カエサルの暗殺はオクタウィアヌスの人生を大きく変えた。
大伯父カエサルの遺言どおり、オクタウィアヌスはカエサルの名と彼の事業を受け継ぐ決意をする。

ローマに帰還したオクタウィアヌスは、現職の執政官であるカエサル派の頭目アントニウスを相手に政治キャンペーンを展開。
またカエサルの暗殺者たちに復讐する機会を虎視眈々と狙っていた。

一方のアントニウスは――。

アントニウス、属州総督の任地替えを目論む

執政官を経験すると、翌年には「執政官格(プロコンスル)」という立場で属州へと赴任することが通例となっていた。
カエサルは生前、執政官就任予定者と赴任先の属州を、何年か先まで計画ずみだったのだ。

カエサルのプランでは、アントニウスが執政官の任期を終えた地点でマケドニア属州の総督になることが決まっていた。
だがマケドニアではローマから遠く、アントニウスの不在中に彼の政治的立場が悪くなっても介入できない恐れがあった。

そこでアントニウスは、赴任予定のマケドニア軍を自分の指揮下に組み込んだまま、ガリア・キサルピナ(ルビコン川より北、アルプスより南の北イタリア)へ任地先を変更する法案を可決させたのである。

しかしガリア・キサルピナには、すでにデキムス・ブルトゥスが赴任している。
デキムスは、カエサルの腹心の一人だったが、マルクス・ブルトゥスやカッシウスたちとともにカエサルを暗殺した人物だ。
そのデキムス・ブルトゥスが、アントニウスの赴任先変更を受け入れるとは思えなかった。
ならどうするか。
その時は実力でデキムス・ブルトゥスをガリア・キサルピナから追い出せばいい。
マケドニアの軍はそのためにも必要だったのである。

またアントニウスはマルクス・ブルトゥスとカッシウスをイタリアから追い出すため、彼らに公職を用意。
はじめはシチリアとアシアへ「食料を調達する官職」を用意したが、取ってつけたような屈辱的な職に2人が納得できなかったために、クレタ島とキュレネ(エジプトの西隣)の属州総督へと格上した。

ブルトゥスとカッシウスはイタリアから旅立ったが、任地には赴かず、ブルトゥスはアテナイで勉学を、カッシウスは東方へと向かって消息がわからなくなった。

ブルトゥスとカッシウスをイタリアから追い出したことで、元老院の共和政派との結びつきを絶ち、ローマ不在でも政局がひっくり返ることを防止したアントニウスは、ガリア・キサルピナ奪取にむけて、いよいよ動き出す。
彼はマケドニア軍と合流するため、一路ブルンディシウムへと向かったのだった。

オクタウィアヌス、ローマに進軍しクーデターを図る

一方オクタウィアヌスはアントニウス不在の間に、カンパニア地方へと旅立った。
オクタウィアヌスの目的は、養父カエサルの元で働いていた古参兵たちを、自分の元に集め、「カエサル・オクタウィアヌス隊(私兵部隊)」を組織すること。

オクタウィアヌスは「カエサル」の名を受け継いだとはいえ、まだ20歳にも満たない「少年」である。
共和政ローマで自らに「ハク」をつけるには、やはり「名誉あるキャリア(クルスス・ホノルム)」の最上位にある法務官(プラエトル)や執政官(コンスル)を経験することが一番なのだ。

だが大伯父であり養父カエサルのように、正攻法でキャリアの道を歩んでいては、執政官を経験する頃には40歳を超えてしまうだろう。
その頃までアントニウスは待ってくれるだろうか?

オクタウィアヌスには、悠長にクルスス・ホノルムの階段をのぼる時間はなかった。
そこでオクタウィアヌスは、カエサルの残した兵たちの力を借りることにしたのである。

退役兵が住む入植地と、第七、第八軍団を訪ねたオクタウィアヌスは、2000セステルティウス(通常年収の倍)を即金で払うことを約束し、さらに事を成した暁には最低20000セステルティウスを払うことを約束した。

アントニウスが渋って400セステルティウスしか払わなかったブルンディシウムで、兵士らが暴動寸前だったことと対象的に、オクタウィアヌスのもとには即座に3000人以上もの兵士が集まった。

ここでオクタウィアヌスは賭けに出る。
この兵士たちとローマへ向かい、フォロ・ロマーノを不法占拠したのである。
目的は元老院たちの支持を集め、オクタウィアヌスに公職――それもインペラトル(軍指揮権)付きの高位政務官――を獲得することだ。

しかしオクタウィアヌスがアテにしていた元老院での彼の支持者たちは、ローマを留守にしているか、招集に応じなかった。
結局オクタウィアヌスは護民官一人を支持者として獲得するだけで、満足するしかなかった。

一方のアントニウスは、マケドニアから呼び寄せた軍を率いて、ローマへと進軍していた。
オクタウィアヌスが集めた兵士たちは、合法的な選出による執政官の軍であり、かつての戦友たちと戦うつもりはなく、多くのものが離脱してしまう。

ローマへの進軍が完全に裏目にでたオクタウィアヌスは、彼の友であるマエケナスの故郷アッレティウムへと退避することにした。
オクタウィアヌスは、賭けに負けてしまったのだ。

アントニウス、オクタウィアヌスを公敵にしそこなう

ローマを不法に占拠したオクタウィアヌスの行動は、完全に違法行為である。
アントニウスにオクタウィアヌスを追い落とす口実ができたのだ。

ローマへと軍を向けたアントニウスは、元老院を招集しオクタウィアヌスを公敵とみなす宣言をする予定でいた。
しかしアントニウスは、公敵宣言をしなかった。
正確に言うと、できなかったのだ。
イタリアの東海岸、アドリア海沿いに北に向かって進軍する軍団の一つ、マルス軍団がオクタウィアヌス側につくと表明したからである。

アントニウスは直ちにマルス軍団を説得しに、ローマ近郊の町アルバ・フーケンスに急行したが、入場を拒まれたばかりか、矢を射かけられて追い返されてしまう有様だった。

さらに追い打ちをかける知らせがアントニウスの耳に入る。
アントニウス軍の第4軍団が、オクタウィアヌスへ寝返ったのだ。
理由は2つ。

  • オクタウィアヌスがカエサルの名を継いでいること
  • アントニウスの報酬が低すぎ、オクタウィアヌが払った報奨金の気前が良かった噂が耳に入ったこと

この状況では、元老院を招集して意見を求めている余裕など到底なかった。
アントニウスはオクタウィアヌスの問題をひとまず棚上げし、当初の目的であるガリア・キサルピナへと向かったのだった。

キケロ、アントニウスを弾劾する

アントニウスが北へと去ったとはいえ、オクタウィアヌスの立場は危ないものだった。
なぜなら非合法で集めた私兵集団をもち、さらにローマでの不法占拠事件があったからである。
このまま違法行為を続けていれば、いずれ兵たちは自分の元から離れてしまうだろう。

この状況を一変させたのが、元老院長老格の大物政治家キケロだった。
キケロは、共和政の支持者であるマルクス・ブルトゥスやカッシウスをイタリアから追い出し、自分の野望のために執政官権限を利用して属州の配置換えを行い、さらに公職者であるデキムス・ブルトゥスを攻めるアントニウスが、反共和政となり、元老院に対抗すると見たのである。

カエサル暗殺からいままで様子を見ていたキケロだったが、元老院へと復帰しアントニウスを弾劾するために演説を開始した。
これが後に「フィリッピカ」と呼ばれる一連の演説となる。

さらにキケロは年明けの紀元前43年1月1日、オクタウィアヌスを法務官格(プロプラエトル)と元老院議員とする動議を提出し、採択された。
プロプラエトルは、法務官を経験したものが就くことができる公職である。
いわばオクタウィアヌスは、若さと前例がない意味でも特例で公職が与えられたのだ。
この処置により、オクタウィアヌスが集めた私兵は国家が正式に認めた正規兵となり、オクタウィアヌスが兵たちに約束した支給金も、国が支払う事となったのである。

しかし半引退生活を送っていたキケロが復帰し、アントニウスとオクタウィアヌスに行った一連の行動の理由は何だったのだろう。
オクタウィアヌスのキケロ持ち上げ作戦が、ここにきて効果を表したのだろうか。

キケロには、以下の狙いがあった。

  • オクタウィアヌスの抱える兵たちが、アントニウスに対抗する手段として有効であること
  • アントニウスとオクタウィアヌスを争わせることで、いずれにしても反共和政派の力を削ぐことができること
  • オクタウィアヌスのほうが、アントニウスよりも若く、与しやすいと考えたこと

キケロはカエサルの友人ではあったが、共和政の信奉者でもあった。
その彼が反共和政(というより反元老院)の態度を取りつつある(と思われる)アントニウスの対抗措置として、オクタウィアヌスを当てることは、何かと好都合だったのである。

ではオクタウィアヌスの方はどうだろう。

オクタウィアヌスはカエサルの名を継ぐときに、カエサルの暗殺者たちに復讐を果たすことを旗印として掲げている。
しかしアントニウスに対して軍を向けることは、その暗殺者を救うことになる――アントニウスが攻めている相手はカエサルの暗殺者の一人、デキムス・ブルトゥスである――のだ。

だがオクタウィアヌス側にもメリットはあった。

  • 私兵が合法的な軍隊として認められる
  • 喉から手がでるほど欲しかった、高位の政務官に相当する公職を得られる

オクタウィアヌスが掲げる旗印のもとに集まった兵たちは困惑するだろう。
しかし非正規軍としての立場よりは離脱者が少ないにちがいない。
またオクタウィアヌスには、別の狙いもあったのである。

オクタウィアヌス、両執政官とムティナへデキムス・ブルトゥス救援に行く

はれて正規軍となったオクタウィアヌスは2月、アントニウスに代わった新執政官ヒルティウスに合流した。
もうひとりの執政官であるパンサはローマに残り、4個軍団を編成する。

両執政官とオクタウィアヌスの目的は、アントニウスの包囲網を突破したが、食料の備蓄が尽きそうなデキムス・ブルトゥスを救援すること。

オクタウィアヌスは不機嫌だった。
ヒルティウスがオクタウィアヌスが持つ軍団を2つに分け、一方のマケドニア軍を自分が指揮すると主張し、そのとおりになったからである。
執政官は法務官よりも上位の政務官であり、軍の指揮権(インペラトール)も執政官がより上位にあったので、法務官格のオクタウィアヌスはそれに従わざるをえなかったのだ。
このことは、オクタウィアヌスに執政官となる重要性を認識させたに違いない。

また両執政官と元老院の一部が、アントニウスとの和解に向けて動いているとの情報もあった。
オクタウィアヌスとしては、アントニウスをここで叩いておきたかった。
だがアントニウスを完全に倒しては、カエサル派のちからが落ちてしまう。

共和政派は穏健、過激などの程度の差こそあれ、元老院にもまだまだ残っていたし、東ではブルトゥスやカッシウスが、それぞれ逃れた地で着々と力をつけてきている。

オクタウィアヌスの理想はアントニウスをある程度叩きつつ、自分の力を見せつけること。
またある程度の交渉材料を、オクタウィアヌスのもとに集めておくこと。
兵でもいいし、公職でもいい。

4月、ようやく招集した4個軍団を従えたパンサが、ムティナに到着した。
いよいよアントニウスとの戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

ムティナの戦い―アントニウスの敗走と両執政官の死―

そのころアントニウスは、デキムス・ブルトゥスを封じ込めるため、土塁を築いてムティナの町を包囲していた。
アントニウスはパンサ接近の知らせを受けると、両執政官軍合流の前にパンサを叩くつもりだった。
なぜならパンサの兵たちは招集されてまだまもなく、訓練もままならない新兵同然だったからだ。

ムティナの戦い
ムティナの戦い
アウグストゥス ローマ帝国の始まりより

しかし近くに陣を構えていたヒルティウスは、アントニウスの考えを見抜き、マルス軍とオクタウィアヌスの護衛兵の中から選んだ精鋭500を、夜陰にまぎれてパンサ軍に合流させたのである。

合流翌日、アントニウスはムティナ近くにあるガッロルム村の沼地に兵を潜ませ、騎兵部隊をオトリにパンサ軍を待ち伏せした。
パンサは補強した精鋭を先行させてアントニウス軍騎兵に攻撃したが、その時潜ませていたアントニウス軍本体がパンサ軍に襲いかかる。
パンサ軍はたまらず後方へと後退、この戦闘で負傷したパンサもボノニアに運ばれる始末だった。

しかしアントニウス軍が勝利の余韻に浸っていたその日の夕方、オクタウィアヌスを陣営に残したヒルティウスは、二個軍団を率いてアントニウス軍を攻撃したのである。
アントニウス軍は、ヒルティウスの攻撃により潰走。
だがヒルティウスは完全な勝利を手にすることはできなかった。
理由は次の2点。

  • 日没が迫っていたこと
  • 周りが沼地のため、被害を大きくしたくないヒルティウスが沼地を避けながら進んだこと

おかげでアントニウス軍は壊滅をまぬがれ、アントニウス自身は命拾いをしたのだった。


4月21日、ヒルティウスはムティナで包囲を受けるデキムス・ブルトゥスを救援するために、背後から包囲網を突破し、ブルトゥス軍との合流を試みる。
これに対してアントニウスは、合流を阻止するためヒルティウスに軍を差し向けた。

ヒルティウスは激しい混戦の中で戦死。
だがこの戦いには参加したオクタウィアヌスの活躍もあり、アントニウス軍は惨敗し、包囲は解かれたのである。

またボノニアで手当をうけていたパンサも重い病気にかかり、オクタウィアヌスが見舞いに訪れた数日後に亡くなった。
この結果、ムティナの戦いに参加した両執政官が、偶然にも1度にいなくなるというハプニングに見舞われたのだ。
そして、この機会を見逃すオクタウィアヌスではなかった。

アントニウス、レピドゥスたちと合流し、デキムス・ブルトゥスを破る

両執政官の死によって、オクタウィアヌスは彼らが率いていた八個軍団を自分の支配下に置く。
そして元老院からデキムス・ブルトゥスに引き渡すよう要請されても、オクタウィアヌスは応じなかった。
オクタウィアヌスは元老院に対し、皮肉交じりに回答した。

結成されたこの軍団はユリウス・カエサルの暗殺者の指揮下で戦うことを拒むだろうから

一方アントニウスは、ムティナの戦いで惨敗したあと、残りの軍隊とともにアルプスを越えてガリア・コマタへと撤退した。
アントニウスの目的は、同じくカエサル派である属州総督たちと合流すること。
ガリア・コマタ(アルプスを超えた現フランスとベルギーを含む地域)からはプランクス、ガリア・ナルボネンシス(南フランス)とヒスパニア・キテリオル(スペイン北東部)からはレピドゥス、さらにヒスパニア・ウルテリオル(スペイン南西部)からはポッリオが、アントニウスの要請で軍団を率いて駆けつけていたのだ。

デキムス・ブルトゥスは軍を率いてアントニウスの後を追った。
だがオクタウィアヌスは、アントニウスの追跡を拒否し、さらにムティナで捕らえたアントニウスの将校を丁重に扱って解放している。

なぜオクタウィアヌスはアントニウスを追わなかったのか。
理由は3つ。

  1. もとからカエサルの暗殺者であるデキムス・ブルトゥスに協力する気はなかった
  2. といってアントニウスを完全に潰す気もなかった
  3. 手に入れた兵たちを、むやみに失いたくなかった

ここでアントニウスが倒れてしまえば、東方で勢いを増しつつある共和政派のブルトゥス、カッシウスに対抗する手段が減ってしまい、元老院内の共和政擁護派たちが喜ぶだけだ。

そして棚ぼたとはいえ手に入れた軍団を、法務官格を受け入れた時に持っていた計画である「別の狙い」に使う必要があったのである。

一方でアントニウスを追撃していたデキムス・ブルトゥスは、他の総督と無事合流を果たしたアントニウスに逆に追い詰められていた。
このままアントニウスと戦うには、相手の戦力があまりにも大きすぎる。
だが引き返すにも、元老院に従わなかったカエサルの名を継ぐ「少年」が不気味だった。

絶望的な状況で、兵たちの脱走が相次ぐデキムス・ブルトゥスは、マルクス・ブルトゥスがいる東方へと逃れるため、マケドニアに赴く決断を下す。
しかしその途中、ガリアの族長の罠にかかってデキムス・ブルトゥスは捕らえられ、アントニウスの命によって殺された。

カエサルを暗殺した裏切り者は、こうして血祭りにあげられることとなったのである。

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