コンモドゥス ―権力の魔性に翻弄され、趣味の世界へ逃避した若き剣闘士皇帝―

ライオンの毛皮をかぶったコンモドゥス

コンモドゥス。
カリグラやネロと並び、ローマ皇帝の中でも暴君としての評判を、あなたも聞いたことがあるのではないだろうか。
映画グラディエイター でも無能な君主として描かれ、主人公の敵役として登場、対決するシーンは有名だ。

事実、コンモドゥスは剣闘士として競技会に出場した唯一の皇帝である。
ときに抵抗のできない人間を、手に持った棍棒で殴り殺したこともあった。

最後の五賢帝、マルクス・アウレリウス・アントニヌス最大の汚点ともいわれる後継者コンモドゥス。
彼は皇帝になった当初から、終始奇行の目立った狂人だったのだろうか。

あまり語られることのない部分も含め、今回はコンモドゥスの人物に迫ってみたい。

マルクス・アウレリウス帝、実子コンモドゥスに皇位を継承する

身体の弱かった幼少時代

皇帝マルクス・アウレリウスには、皇后ファウスティナとの間に、実に14人もの子供がいた。
しかしこの時代の乳幼児死亡率は高く、成人まで生き残ったのはわずか6人であり、この中で男子はコンモドゥスただ一人だった。

そのコンモドゥスでさえ身体が弱かったらしく、同じく健康的とは言えない双子の兄は早逝してしまった。

マルクス・アウレリウス帝は、幼いコンモドゥスがなんとか成長できるよう、彼の主治医であり、当代最高の医者として名高いガレノスに我が子を診てもらったという。

そのかいあってかコンモドゥスは幼少期を無事に育つことができた。
しかし、皮肉にも彼はのちに、もっぱら身体を鍛えることに興味を持つようになってしまうのだが。

マルクス・アウレリウス、我が子に帝王教育を施す

マルクス・アウレリウスはかなり早い段階でコンモドゥスを後継者として指名している。
なぜなら、コンモドゥスがわずか5歳のときに、自身の副帝に任命しているからだ。

これはわが子可愛さというより、自分にもしものことがあったときに後継者不在の混乱を避けるためと考えられる。

また、コンモドゥスを真の後継者とすべく、彼に為政者としての教育を、父マルクス・アウレリウス自ら手がけたのである。

コンモドゥス、父に従い戦争に参加する

コンモドゥスが11歳になると、父マルクス・アウレリウス帝と共に属州パンノニア(リンク)へとおもむき、戦争へ参加する。
マルクス・アウレリウス治世の後半は、異民族の攻勢が強くなり、しばしば国境を脅かされていた。

コンモドゥスはこの戦いでどのような活躍をしたのかはわからない。
年齢的にも最前線で敵と切り合うような真似はできなかっただろう。
ただし、戦争中に落ちた沼から父マルクス・アウレリウスを救ってあげるという微笑ましいエピソードは残っているようだ。

コンモドゥス、正式な帝位継承権を得る

176年、前年に成人の儀を済ませていたコンモドゥスに、マルクス・アウレリウスから『インペラトール』が与えられる。
これはローマ全軍の指揮権であり、ローマ皇帝の権利の一つであった。

さらにローマ皇帝の称号の一つ『アウグストゥス(尊厳者)』も与えられたことにより、マルクス・アウレリウスがコンモドゥスを正式な後継者として国内外に示したことになった。
また、護民官職権も彼に与えている。

そして翌年177年、父のゴリ押しにより、コンモドゥスはわずか15歳で執政官に就任した
これはローマ史上最年少だった。

正式な帝位継承者として、コンモドゥスはふたたび父とともに、帝国の防衛ラインへと赴くことになる。
しかし父マルクス・アウレリウスは、戦場で病に倒れてしまった。

父はコンモドゥスを溺愛していた?

早すぎる執政官就任や、一連の帝位継承儀礼を、マルクス・アウレリウスのわが子可愛さによる溺愛の結果とみる人もいる。
しかし私はそうは思わない。

おそらくマルクス・アウレリウスは焦っていたのではないだろうか。
自分の体調が芳しくないことは、彼の中に以前から懸念として残っていた。

事実、帝位継承を促す前年の175年、皇帝が体調不良で死んだとの報告を受けたシリア総督カッシウスが、皇帝になることを宣言し、簒奪の未遂を行っている(彼はその後、部下に暗殺された)。

後継者争いは、帝国の内乱に発展するおそれがあるのだ。
それをなんとしてでも避ける措置であり、『皇帝の子供』としての大義名分が通るコンモドゥスに帝位を授けるのは、ごく自然な成り行きだったと私は考えている。

コンモドゥス、皇帝になる

マルコマンニ戦争終結へ

180年、マルクス・アウレリウス帝が闘病の末、亡くなった。
後を継いだコンモドゥスは、マルコマンニ戦争を早期終結する決断を下す。

マルコマンニ戦争
162年、ローマ北方のゲルマン民族が、ドナウ川を渡ってローマ領内に侵入したことから始まる国境での攻防。
主要勢力はマルコマンニ族だが、さまざまなゲルマン民族を相手にローマの敵対勢力として戦うことになった。

戦争の決着を急ぐ理由は2つあった。

  • マルクス・アウレリウス治世後半から続く戦争と、ローマで流行った伝染病で、国家財政の負担が大きくなった
  • 前年度、ゲルマン人に対して決定的な勝利を収めたため、講和に有利な条件を出せる準備が整っていた

コンモドゥスの暗愚を強調するためによく言われる、

蛮族に贈り物をして、さっさと国境から撤収した

というのは真実を反映していない。

コンモドゥスは半年以上かけ、ローマに有利な条件を飲ませて蛮族と講和している
また、頑強に抵抗する部族とは徹底的に戦い、ローマ領内から追い出した上で戦線を引き上げているのだ。

事実この講和のあと(この地方に配置する軍団兵を増強したとはいえ)、和平が数十年保っていることを踏まえると、成功を収めていると考えてもいいだろう。

コンモドゥス、ローマに帰還する

ドナウ戦線で蛮族との争いをおさめると、コンモドゥスはローマに帰還した。
そして凱旋式を上げた後、ローマでの政治を開始する。

彼の治世開始当初は、次の4人の補佐を受けて順調にスタートした。

  • クラウディス・ポンペイウス(長姉の夫)
  • ガイウス・ブルトゥス・プラセネエス(妻の父)
  • 首都長官アウフィディウス・ウィクトリヌス
  • 近衛隊長セクストゥス・ペレンニス

ただし、近衛隊長のセクストゥス・ペレンニスには、同時に悪い遊びも教わったらしい。
なにも知らなかった無垢の少年にたいして、大人の誘惑を教えるおじさん、といったところだろうか。

しかし彼はまだ、この頃まではとくに道を踏み外すような行いはしていない。
状況が一変するのは、姉ルキッラがコンモドゥスの暗殺を企ててからであった。

コンモドゥス、姉に命を狙われる

プライドの高い長姉ルキッラ

コンモドゥスには4人の女兄弟がいた。
その中でも最年長の姉ルキッラは、死別した前の夫がマルクス・アウレリウス帝の共同統治者ルキウス・ウェルスであり、自身もアウグスタの称号を贈られているなど、ある意味特別な存在だった。

アウグスタ
ローマの皇帝一門に送られる女性の尊称。

ルッキラはプライドが高い女性だった。
自分が高貴な生まれである、ということを自覚し、また誇りにも思っていたのだろう。
コモドゥスが自分を特別扱いするのも当然だと考えていたようである。

ある劇場での出来事

この兄弟に、ちょっとした事件が起こる。
コンモドゥスが劇場を訪れるとき、姉のルキッラも呼ばれていた。
そこで皇帝の隣に彼女の席が用意されていたのだが、皇帝と共にいた貴族たちがコモドゥスの妻、つまり后妃に席を譲るよう促した。

后妃が皇帝の隣に座ること自体は自然なことである。
しかしプライドの高いルキッラは、自分がないがしろにされたと思いこんでしまった。

コンモドゥス暗殺計画

ルキッラは、先の事件でプライドを傷つけられた。
だけならまだしも、彼女はこれを

自分が今の立場から追い落とされる前触れ

と考え、なんとコンモドゥスを暗殺し、今の夫であるクラウディウス・ポンペイウスを擁立しようと計画したのだ。
あまりにも短絡的な考えに、ポンペイウスはたしなめたようだが、夫の言うことをルッキラは聞かなかった。

別の日にコンモドゥスが劇場を訪れた際、かねてから計画していた暗殺計画を実行する。
いとこ2人(彼女の愛人!)になんとコンモドゥスを襲わせたのである。

しかし、暗殺者が自分のことを正当化するため、

元老院の名により

と叫んで飛びかかったため、あっさりと皇帝お付きの護衛兵に叩き伏せられてしまった。

暗殺未遂の結果

実行犯2名は、ただちに処刑された。
しかし計画を立てた姉のルキッラは、処刑は免れカプリ島へと流罪になった。
また、彼女の夫であるポンペイウスは、暗殺計画に加担していないことで許されたが、政界からの引退を余儀なくされてしまう。

しかしこの事件により無関係の貴族や将軍など、コンモドゥスの周囲にいる多くの人間が処刑された。
コンモドゥスはこのときから、周りにいる人間が信じられない、いわゆる人間不信に陥ることになった。

コンモドゥス、暴君と化す

クレアンデル、皇帝の威光をバックに私腹を肥やす

暗殺未遂事件のあと、コンモドゥスは周りの人間が信じられなくなっていた。
しかし彼が子供の頃から世話をしてくれていた解放奴隷のクレアンデルにだけは唯一気を許していたらしい。

クレアンデルはこれを徹底的に利用する。
まずは侍従長だったサオテルスが暗殺されると、その後釜に座った。
さらに属州ブリタンニアの騒動を利用して、近衛隊長のペレンニスの追い落としを画策する。
この結果、ペレンニス親子は処刑された。
その上後任の近衛隊長も失脚させると、ついに自らがその職についてしまった。

また皇帝への口利きとして、出世をねらう者たちにたいして公職を餌にワイロを要求し、莫大な財産を手に入れた。

こうしたクレアンデルの権力私欲化は、190年のローマで起きた暴動によって幕を閉じる。
この年、穀物機器により食料配給の滞ったローマで、民衆が暴動を起こした。
当時穀物長官だったパビリウス・ディオニュシウスが、自らの責任逃れのために、クレアンデルに責任を押し付けたのだ。

クレアンデルは、近衛兵たちを使って暴徒と化したローマ市民を弾圧。
一方でコンモドゥスに助けを求めるため、彼の元へと逃げ込んだ。
しかしコンモドゥスは暴動を治めるために、クレアンデルを槍で串刺しにしたという。

こうして長年に渡ったクレアンデルの専横は幕を閉じた。
しかし、コンモドゥス治世における政治腐敗は、もはや後戻りができないところまで進んでいた。

現実逃避と現人神への変身

クレアンデル処刑に伴い、コンモドゥスは穀物長官パビリウス・ディオニュシウスを連座して処刑した。
その処刑を皮切りに、帝国の要人たちを次々と処刑しつくしたのである。

また、宮殿にいた者たちもほとんど追い出してしまい、コンモドゥスは趣味である剣術の鍛錬や娯楽に没頭するようになる。
もはや彼の周りには、政治的な助言や忠告する人間がいなかった。
コンモドゥスはこの時点で、政治を投げ出したのである。

また、彼は自分の名前を次のように改名した。

ルキウス・アエリウス・アウレリウス・コンモドゥス・アウグストゥス・ヘラクレス・ロムルス・エクスペラトリス・アマゾニウス・インウィクトクス・フェリクス・ピウス

寿限無か!と突っ込みたくなるぐらい長い名前である。

どうも名前の中にヘラクレスと入れていることから、自らを神の化身だと宣言したらしい。

ライオンの毛皮をかぶったコンモドゥス

その名の通り、かれはヘラクレスように、ライオンの頭部から作られたフードを被り、手には棍棒に見立てたメイスを持ち、狼の毛皮を纏うようになった。

そしてコンモドゥスは自らの力を証明すべく、ローマ皇帝初の剣闘士となり、闘技場へ姿を現すのである。

剣闘士皇帝の誕生

古代ローマでは、剣闘士は卑しい身分として人々に認識されていた。
ましてや皇帝が剣闘士として競技に出場するなどあり得なかったのだ。
剣闘士についての詳しい内容は、剣闘士―パンとサーカスで有名な、民衆を熱狂させた古代ローマ帝国のグラディエーターたち―を参照いただくといいだろう。

パンとサーカスで有名な古代ローマの剣闘士 剣闘士―パンとサーカスで有名な、民衆を熱狂させた古代ローマ帝国のグラディエーターたち―

しかしコンモドゥスは自らの力を見せつけるために戦った。
もっぱら野獣を弓で射殺したり、投げ槍で貫いていたという。

また、あるときは余興と称して、脚を切り落とした人を闘技場に集めさせた。
その人たちの脚の先に、蛇のしっぽの衣装をつけさせる。
そしてヘラクレスの怪物退治として、怪物に見立てた彼らを一人ずつ殴り殺すという、現代ならありえない虐殺をやってのけたのである。

身体を鍛えるという自分の趣味を、ローマ市民に見せつけて、自己顕示欲を満足させたかったとしか思えない行動だろう。

しかし、政治を顧みず、趣味に興じる皇帝にも、ついに最後の時が訪れようとしていた。

コンモドゥスの最期

コンモドゥスの人間不信は極限まで達していた。
近衛隊長をはじめ、元老院議員のほとんどを処刑するというリストを作っていたらしい。

しかし、コンモドゥスが寝ているすきに、彼の妾であったマルキアという女性が、たまたま処刑リストを見てしまう。
彼女はそのリストの中に、自分の名前も確認したのだ。
あわてた彼女は、リストに記載された人たちを集め、皇帝暗殺の計画を立てた。

だがコンモドゥスは剣闘士として獣を退治できるほど武芸を磨いていたので、近衛兵といえど簡単に殺すことはできない。
そこでマルキアは、コンモドゥスが入浴後にワインを飲む習慣を利用し、彼を毒殺する計画を立てた。

いつものように入浴を済ませた後、コンモドゥスはマルキアが用意した毒入りのワインを飲み干した。
しかし彼は姉による事件以降、暗殺には神経質になっていたため、このときも毒に気づいてワインを吐き出してしまった。

慌てたマルキアたちは、控えていた護衛の剣闘士ナルキッソスに、皇帝の首を締めさせる。
通常なら払いのけることも可能だったコンモドゥスは、体に残っていた毒のために自由が効かず、剣闘士によって殺された。

享年31歳。

無差別な粛清の対象となった元老院は、引導を渡したコンモドゥスに対して『ダムナティオ・メモリアエ』を適用し、皇帝を歴史上から抹殺する事を決意したという。

ダムナティオ・メモリアエ
「記憶の破壊」や「名声の破壊」とも訳される、記録からの抹殺をする刑罰。
公文書や史書から名前を削除されるのはもちろん、銅像や彫像も破壊され、一緒に彫られたものは、刑罰を受けたものだけ削り取られた。
古代ローマでは最大の刑罰とされた。

コンモドゥスを描いた作品

キャラクターの性質上、悪役として描かれることが多いコンモドゥス。
彼を題材とする作品の一部を紹介しよう。

映画

グラディエイター

主人公の敵役として登場する、有名な作品。
特に剣闘試合のシーンは圧巻だ。

この作品のコンモドゥスは、史実とは異なる箇所も多いので、探してみるのも楽しいだろう。

漫画

ヴィルトゥス

原作は義凡、作画は信濃川日出雄の青年漫画。
傍若無人の暴君として巻頭から登場する。

コンモドゥスの愛妾マルキアによって、日本から主人公が召還されるという、タイムスリップもの。
さて、その主人公がコンモドゥスを倒すかどうかは、作品の結論に委ねるとしよう。

ゲーム

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『モンスト』の愛称でお馴染みの、ガンホーによるスマートフォン向けゲーム。
この中のイベントで、敵ボスとして登場したようだ。

今回のまとめ

コンモドゥスについて、もう一度おさらいしよう。

  • コンモドゥスは、幼少期から父マルクス・アウレリウス帝に帝王教育を施された
  • 18歳で皇帝になり、父の代から続いていたマルコマンニ戦争をコンモドゥスが終結させた
  • 姉ルッキラに殺されかけ、コンモドゥスは次第に政治から遠ざかるようになった
  • コンモドゥスの側近が権力を私物化することで、政治が乱れていった
  • さらにコンモドゥスは人を遠ざけて、趣味三昧の毎日を送り、剣闘士として闘技場に出場した
  • 周囲の人間を次々と処刑したため、コンモドゥスは恐れられ、処刑リストを見た愛妾に暗殺された

皇帝という権力の魔力は、ときに人を狂わせるもの。
強靭な精神力で自らを律することができるものだけが、その権力を操ることができる。

18歳の若者に課された指名は、おそらく彼の精神を蝕み、やがて悲鳴をあげたのだろう。
それは死を迎えるまで、休まることがなかったに違いない。

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