古代ローマの別荘(ウィッラ) ―最上の暮らしを求めて建てた、都市郊外の邸宅―

最上の暮らしを求めて建てた古代ローマの別荘(ウィッラ)

別荘、と聞くと、あなたはどんなものを思い浮かべるだろうか。リッチな人が休みを優雅に過ごすための、郊外に建てた大きな家、あたりではないかと思う。

ウィッラと呼ばれた古代ローマの別荘も同じく、都市にすむ大金持ちが都市近郊に所有する大きな邸宅だった。ただしウィッラは建物だけでなく、建物とともに管理する農場も含めての呼び名だったのである。

そのため、余暇を過ごすだけの場所だけではなく、管理する農場から収益を得るための、投資物件でもあったのだ。

もちろん一口にウィッラと言っても、時代や地域で様々な種類があった。そこでこの記事では、まず

  • どのようなウィッラがあったのか

を記述し、その上で

  • 農場兼用のウィッラの構成
  • どのような人がウィッラで働いていたのか
  • ウィッラを取りしきる差配人やその妻の仕事

を書いていく。

古代ローマのウィッラのことが、あなたの中で少しでも想像できるようになれば幸いだ。

ウィッラの種類

古代ローマの別荘であるウィッラは、大きく分けて次の2種類あった。

  1. 余暇を過ごすためのウィッラ
  2. 営利農場としてのウィッラ

余暇を過ごすためのウィッラ

別荘と聞いて現代の私たちが想像するのは、こちらのタイプだろう。余暇を過ごすためのウィッラは、農場がなく、もっぱら休暇専門としてつくられたものだ。

このタイプの別荘は、さらに2つにわけることができる。

ウィッラ・スプルバナ

都市郊外に建てた別荘。ローマ近郊のティヴォリにある、ハドリアヌスの別荘として名高いウィッラ・アドリアーナは、このタイプの典型的な建物ということができるだろう。

ウィッラ・マリティマ

海辺に建てられた別荘。東京に住む都会人が、鎌倉や湘南に別荘を構えるのを想像すると、わかりやすいのではないだろうか。

古代ローマの人々も同じく、風光明媚なネアポリス(現ナポリ)や温泉街バイアエ(現バイア)などに別荘を持っていた。

このタイプのウィッラとしては、ティベリウスが引きこもったカプリ島の別荘、ネロも使用していたバイアの超高級別荘などがある。

営利農場としてのウィッラ

もう一つが、収益を目的とした営利農場としてのウィッラである。このタイプは、農作物や畜産を領地内で行い、生産物を売って利益を得る投資物件だった。

普段都市に住む持ち主(オーナー)は、1年のうち何回かウィッラを訪れ、経営の様子を現地の責任者である差配人(オーナーの奴隷)から、経営状況の報告を受けていた。


これらの別荘を、都市に住む富裕層たちはいくつも所有していたのである。

紀元前1世紀ごろの政治家キケロは7つの別荘をもち、それぞれを渡り歩いていたと記録している。また時代は下るが、4世紀頃の詩人アウソニウスは、8軒もの家とウィッラを所有していたという。彼の所有するウィッラの面積は、なんとディズニーランド46個がすっぽりと入る大きさだったのである(アウソニウスは「小さい領地」と記しているが)。

ここからは余暇を過ごすためのウィッラの紹介を別の機会にゆずり、都市に住む裕福な人々が求めた投資対象としての農地つき物件、いわゆる営利農場としてのウィッラが、どのようなものだったのかを見ていこう。

ウィッラの構成例

前述したとおり、時代や地域、用途によって大小様々なウィッラが古代ローマには存在する。例えば、ポンペイ近郊に存在する営利農場としてのウィッラの一つは、比較的規模の小さいものだった。

その中でも、イラストや写真で、古代ローマを楽しく学べるおすすめの本で紹介したイラスト本古代ローマの別荘(ヴィラ) に掲載されている、属州ガリア南西部(現フランスのモンモーラン)にあったウィッラを、この記事では紹介しようと思う。

1世紀ごろに『農業論』を記した、古代ローマのコルメッラは、農地つき別荘(ウィッラ)を次の3つのエリアに分類した。

  • パルス・ウルバナ:オーナーである持ち主が居住するエリア
  • パルス・ルスティカ:農業を目的とした、農地や複合施設があるエリア
  • パルス・フルクトゥアリア:サイロ、納屋、貯蔵庫など、収穫物やその加工品を貯蔵するエリア

この3つのエリアに、どのような施設があったのだろうか。

持ち主の居住エリア(パルス・ウルバナ)

ウィッラの持ち主であるオーナーが住むエリアは、とにかく快適性が重視された。なぜならオーナーとその一家は、農場の経営状態を見に来るとともに、狭苦しい都市の喧騒を逃れ、快適に過ごす場所を求めていたからである。

とはいえパルス・ウルバナは、都市にある一軒家のドムスと基本的な構成は変わらない。大規模にしたドムスを想像すればいいだろう。なお、ドムスについてはドムス ―古代ローマの富裕層だけが住むことを許された一戸建て住宅―で紹介しているので、参考にしていただければ幸いだ。

パルス・ウルバナの構成例

パルス・ウルバナのイラスト
パルス・ウルバナ
古代ローマの別荘(ヴィラ) より
  1. 応接間
  2. アトリウム(の形式をとった応接間)
  3. 書斎
  4. 寝室
  5. 冬の食堂
  6. 中庭(庭園)
  7. 内中庭
  8. 室外の食堂
1. 応接間

ドムスでは玄関通路やアトリウムの役割を果たす、来客を初めに迎える場所。ただし、家事奴隷は客と顔を合わせなくてもよいように、応接間の脇にある通路を通った。

2. アトリウム(の形式をとった応接間)

ドムスでは玄関通路のすぐ奥に、天井が開放され水溜めのあるアトリウムという部屋がある。この部屋はアトリウムと同じく、雨水を流し込む水槽が設けられている。

3. 書斎

主人の執務室でもある書斎は、ドムスだとアトリウムを挟んで、玄関の対面に位置していたが、この屋敷では応接間のすぐとなりに配置されている。おそらくクリエンテス(庇護民)との対面をする必要が、それほど多くないためと思われる。

4. 寝室

たいていは簡素な作りの寝室だが、この邸宅ではモザイクで床を装飾して、豪華さを演出している。

5. 冬の食堂

冬に使用する食堂は南側を向いており、太陽の光が入るように工夫されていた。また、床を底上げした空間に、薪を燃やして温めた空気を送り込む床暖房が設けられていた。

もうお気づきだと思うが、中庭を挟んだ反対側に、北向きに作られた夏用の食堂もあった。季節によって食堂を選ぶとは、なんとも贅沢な作りである。

6. 中庭(庭園)

この建物には何箇所か庭が設置されているが、その中でもひときわ大きいのが、建物のほぼ中央に位置する中庭である。

中庭の回りは、「列柱廊(ポルティコ)」と呼ばれる柱を中庭側に配置した廊下でぐるりと取り囲んでいた。については、後ほど詳しく紹介することにしよう。

7. 内中庭

建物奥にある小さな中庭。両側に列柱廊がある。

8. 室外食堂

避暑用にブドウ棚を作り、日よけにしている。


このほか玄関を左に行くと、泉と彫像が飾られたもう一つの中庭「ニンファエウム」があり、さらにその奥には浴室も備え付けられていた。

農場用建物、施設(パルス・ルスティカ、パルス・フルクトゥアリア)

パルス・ウルバナから区切られた中庭の回りに、農業用の建物や施設(パルス・ルスティカ、パルス・フルクトゥアリア)が集まっていた。

パルス・ルスティカ、パルス・フルクトゥアリアの構成例

パルス・ルスティカのイラスト
パルス・ルスティカ、パルス・フルクトゥアリア
古代ローマの別荘(ヴィラ) より
  1. 差配人の家
  2. 脱穀場
  3. 穀物倉
  4. ワインしぼり室、ワイン貯蔵庫
  5. 農場用台所
  6. 粉挽き所、製パン所
  7. 鍛冶屋、焼き物師、機織り場、指物大工の仕事場
  8. ブタ小屋
  9. 奴隷たちの住まい
1. 差配人の家

差配人(農場の総監督である奴隷頭)とその妻の家は、外との唯一の出入り口である門の近くに建てられた。なぜなら、門を出入りする人間を監視し、盗んだものを町で売るようなことないよう、目を光らせていたからだ。

また、同じく盗まれないように、差配人の家にすぐ近くに、農場で使用する道具置き場もあった。

2. 脱穀場

動物たちに踏ませ固められた叩き土の上に、脱穀場があった。また近くに差しかけ屋根のある場所を確保し、にわか雨が降ったら濡らさないように、ひとまず屋根の下に避難した。

3. 穀物倉

貯蔵した穀物を乾燥させやすいよう、風通しの良い場所に建てられた。ただし古代ローマには殺菌剤がないため、しばしば穀物がカビ臭くなることもあったようだ。

4. ワインしぼり室、ワイン貯蔵庫

農園で収穫したブドウの汁を絞ってワインにするための施設。ワインしぼり室で絞ったブドウ汁は、いったん汁桶に貯められ、そこからパイプを使って前面にある壺の中に移される。

地中のほうが温度が低く、発酵させるのに都合がいいため、ワイン貯蔵用の壺が「くび」まで埋められていた。

5. 農場用の台所

農場で働く奴隷たちの食事を作る場所。

6. 粉挽き所、製パン所

ウィッラの住人や客が食べるパンを作る場所。農場用の台所に近い場所に作られている。

7. 鍛冶屋、焼き物師、機織り場、指物大工の仕事場

農場の仕事以外で働くの人々の仕事場。

8. 家畜小屋

馬やロバなどの農場で使役したり、ブタやヤギなど食料や乳を得るための家畜を養う場所。

9. 奴隷たちの住まい

奴隷たちは中庭の奥の部屋で暮らしていた。ただし、奴隷の中には自分が担当する仕事場(例えば、パン焼き番なら製パン所)で寝るものもいたという。

庭園

庭園のイラスト
ウィッラの庭園
古代ローマの別荘(ヴィラ) より

庭園は、都市に住む持ち主にとって癒やしの空間であり、自然が感じられるくつろぎの場所でもあった。

すでに書いたとおり、パルス・ウルバナにいくつもの庭園が配置されることもある。構成例として紹介しているモンモーランのウィッラも、パルス・ウルバナに3ヶ所設けられているほか、玄関前にも庭があり、そこには神へ祈りを捧げるための小さな神殿が建てられていた。

また庭園には様々な植物が植えられていた。芝生、針葉樹(スギ、カラマツ、トウヒ)、ライラックやモクセイ、さらに採取ようではなく、観賞用としてのオリーブの樹が植えられていたようである。

モンモーラン以外のウィッラの例では、庭園の通路の頭上に蔓棚を設け、日陰ができるように工夫されているものもあった。

ウィッラで働く人たち

営利農場としてのウィッラでは、営利(利益を生む)ことを目的にする以上、現地で働く人がいないと話にならない。では、ウィッラで働いていたのは、どのような人々だったのだろうか。

ウィッラで働く人は、たいていが奴隷だった。彼らはウィッラととともにある、備え付けの品物のような存在だったのである。当然ウィッラを売買するときは、彼らも査定の対象として価格に含まれていた。

ところで、ウィッラでは何人ぐらい働いていたのだろうか。もちろんウィッラの規模によってまちまちではあったが、小さいウィッラでは少数、大きいウィッラだと30~40人か、それ以上の人間が働いていたようである。また農業のタイプにより人数に差があった。

では具体的にどんな人がウィッラで働いており、何をしていたのか見てみよう。

差配人とその妻

差配人とは現地ウィッラの責任者であり、奴隷たちのトップに位置する最重要人物である。いうなれば、フランチャイズの店長のようなものだろう。

通常奴隷は妻を持つことを許されなかったが、差配人には妻が与えられた(ただし、彼が自由に選ぶのではなく、主人によって相手を決められることが多かった)。

差配人とその妻の具体的な仕事については、差配人(奴隷頭)の仕事で述べることにする。

農場で働く奴隷

農場で働く奴隷(農業奴隷)は、次のような農業に関するあらゆることをした。

  • 畑の耕作
  • 小麦などの穀物の栽培や収穫、脱穀
  • ブドウやオリーブなど利率の高い農産物の栽培、収穫、加工
  • ヒツジの毛の刈り込み
  • 干し草の刈り込み

その他冬の間には、畑に使用する杭を尖らせたり、さまざまな種類のカゴを作ったり、ミツバチの巣箱を工作したりといった雑用までこなさなければならなかった。

もちろん収穫期や繁忙期で手が足りないときは、外部の人間に手伝ってもらうこともある。いわゆる期間限定のパートや、派遣社員をイメージしてもらうといいだろう。手伝いに来た彼らには、穀物を倉に運び入れたり、下水の溝を掃除するといった、未熟でもできる仕事が割り振られた。

また、農業を手伝う女性は、ブタを森につれていきどんぐりを食べさせた。肥えさせる必要があるときは、豆や穀物も与えたりしたようだ。

パン焼き番、農場の女料理番

パン焼き番は、ウィッラに来た持ち主や訪問客、ウィッラに住む奴隷のためにパンを焼いた。パンに使う小麦の粉は、粉挽き臼を動物に挽かせてつくることもあった。

同様に農場の女料理番は、働く奴隷のために料理をつくった。ただし、持ち主の料理は、持ち主自ら連れてきた料理番がつくったようである。彼らの舌に合う料理となると、田舎で過ごす料理番では荷が重かったのかもしれない。

鍛冶屋、焼き物師、指物大工などの職人

奴隷以外でも、ウィッラにはお抱えの職人たちが働いていた。彼らは農業で使用する道具の修繕や製作のために雇われており、なにかしかの仕事が待っていた。

例えば鍛冶屋なら、道具の金属部分の修理や製作。焼き物師は、必要になる様々な容器を制作する。指物大工は二輪の荷車や小屋、門、雨戸などを作ったり修理して忙しかった。


この他にも、山の中ではヒツジ番がオオカミや盗賊にヒツジを盗まれないよう目を光らせたりと、様々な人々がウィッラで働いていたのである。

差配人(奴隷頭)の仕事

差配人の仕事とは、一言で言えばウィッラの持ち主に代わって農場を取り仕切り、収穫した農作物などで確実に利益を上げることである。そのため、差配人は相当優秀な人間でなければならなかったし、ウィッラの持ち主にとって優秀な差配人は何にもまさる財産だった。

奴隷たちへの指導・指図

差配人は、ウィッラの誰よりも農業について詳しかった。また自ら奴隷でありながら、ウィッラで働く奴隷たちをうまく動かす指導力も求められた。差配人の指図で働く奴隷たちを効率よく動かさないと、赤字になってしまうからである。

前述したように、ウィッラで働く奴隷は、ウィッラに1年中住み込んでいる。彼らの食事や衣料、また病気の世話などで一定の費用がかかるのだ。固定費という側面だけなら、現代のサラリーマンにも例えられるだろう。

帳簿つけ

差配人には、ウィッラの持ち主に経営状態を報告する義務がある。そのため、彼らは収支を記録するための帳簿をつけなければならなかった。当然読み書きはもちろんのこと、算術までできる教養も求められたのである。

もしウィッラの経営が芳しくなければ、持ち主は差配人に対し理由を聞いた。差配人は

  • 奴隷が病気になった
  • 天候が悪かった
  • オイルの値段が下がった

などと言って言い訳をしていたようである。

また、利口な差配人ともなると、持ち主よりも領地の経営について明るいため、もし持ち主が期待する利益以上の収益があったとしても、それを口にすることはなかった。ノルマさえ達成すれば、彼らもゆっくりすることができたので、わざわざ本当のことを言う必要はなかったのである。

奴隷たちの盗みの見張りや臨時労働者の手配

ウィッラで働く奴隷たちは、故郷も出自も様々だ。そんな奴隷たちが、素直で聞き分けがいいものだけとは限らない。そのため、差配人は奴隷の行動、特に勝手にものを盗むことがないか、常に目を光らせる必要があった。

前述したように、差配人の家はパルス・ルスティカ(農業用施設のある区画)の唯一の門の近くにあり、奴隷たちの出入りを常に監視していた。奴隷たちの誰よりも早く起き、誰よりも遅くに帰ってきて門の錠を締めるのも差配人なのである。

また貯蔵庫にある備蓄品や道具は、盗みを防ぐために常にチェックされた。例えば穀物の場合、規定の大きさの容器に入れて量をはかることを、定期的に行った。

さらに農繁期にもなると、仕事量が増えウィッラの奴隷たちだけでは手が足りないため、周辺から臨時で労働者を雇い手伝いをさせる。この時、労働者が真面目に働く人間かを確認する、面接官の役も果たさなければならなかった。盗みなどされたら、結局差配人が怒られるからである。

女奴隷のトップ、差配人の妻の仕事

差配人が農場の管理をする現地の支配人であれば、差配人の妻は現地の奴隷たちの衣食を管理する、家内のトップである。差配人の妻が倉庫の鍵をあずかっているため、彼女の許可なしでは食べ物はもちろん、着物や毛布まで手にすることはできない。

彼女はパン焼き番や料理番に指図をし、チーズの製造や食料の貯蔵、用意をさせる。冬に備えて果物を漬物にし、保存するのも差配人の妻の仕事だった。

さらに女奴隷の機織りにも目を光らせていた。彼女たちが糸を紡いだあと、その糸がわたした羊毛と同じ重さになっているか、天秤で確かめたのである。奴隷たちの衣服にも目を配り、古い衣服を裁断してツギハギの着物を作ったりもしたようだ。

今回のまとめ

それでは古代ローマのウィッラ(別荘)について、おさらいしよう。

  • 古代ローマの別荘(ウィッラ)には、大きく分けて2種類あった
  • 営利農場としてのウィッラには、持ち主の邸宅(パルス・ウルバナ)、農業用施設(パルス・ルスティカ)、貯蔵施設(パルス・フルクトゥアリア)の3つの区画があった
  • ウィッラで働く奴隷たちには、いろいろな仕事をする人がいた。また大きいウィッラには30~40人ほどが常時住み込みで働いていた。
  • ウィッラの農場責任者は差配人で、彼らは経営を任される現地の最重要人物だった

都市の喧騒を逃れ、人間らしさを取り戻すために建てられた、郊外の理想的住居である古代ローマの別荘(ウィッラ)。

しかしその「人間らしい生活」は、大きな資産をもつごく限られた人間にしか許されない空間であり、ウィッラで働く大半の奴隷には、そんなゆとりのある時間はなかったのである。

本記事の参考図書

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