ハリカルナッソスのディオニュシオスが『ローマ古代誌』の中で書いた、3つあるローマの『異常な偉大さ』。
その中にある古代ローマ三大インフラ事業の一つ、上水道の整備。
アッピウス・クラウディウス・カエクスによって始められた上水道の建設は、ローマの領土拡大に伴い帝国各地で行われた。
では古代ローマ人に飲水や浴場の水を運んできた上水道は、どのようにして作られ、管理されていたのだろうか。
この記事では、
- 上水道の構造
- 首都ローマの上水道事情
- 上水道の管理
- 現存する世界各地の水道橋
について書くので、ローマのインフラ事業がディオニュシオスの書いたとおり偉大だったかをご覧いただければ幸いだ。
古代ローマ水道の構造
古代ローマの水道は、供給元の水源から供給先の都市まで、次のような構造になっていた。
- 水源地の取水口
- 地下、あるいは地上の導水管(水の通り道)
- 峡谷などの低地を通すための水道橋
- 不純物を除去し、水質を保つための沈殿池
- 都市の各箇所へと分水する水道末端の分水施設(カステルム・アクアエ)
取水口
取水口については情報が少なく、どのような構造だったのかイマイチはっきりしたことがわかっていない。
だが2010年、ローマ北西約45kmの郊外でローマ水道の取水口が発見されたという記事があった。
この記事で、取水口は次のような構造だったそうだ。
全体が石でできており、石を組み合わせ水をろ過する仕組みもあった。取水口入り口では神殿や礼拝堂として使われていた部屋も見つかった。
ローマ水道の取水口を発見/伊首都45キロ郊外で調査団 | SHIKOKU NEWS
私はろ過装置のほかに、水量を調整する水門のような機能もあったのではないかと想像している。
導水管
水道の通り道である導水管は、水道橋を含む地上部のものと地下部のもので作りが異なる。
地下の導水管
底の平らなアーチ型のトンネル。
一定の間隔で点検のための立て坑に通じる蓋がついていた。
地上の導水管
初期の頃は切石だが、時が経つにつれ、表面をレンガで覆われたローマン・コンクリートが使用された。
また、厚い石の板で溝にカバーがされていた。
また、深い峡谷をまたぐときは、サイフォンの原理を利用して水を通した。
始点のタンクと終点のタンクをつなぐ管には、通常はんだ付けした鉛を使用している。
さらに珍しい導水管の材料として、陶磁器製や青銅製もあった。
水道橋
深い峡谷や水の流れをまたぐ場合はアーチ型の水道橋が設けられた。
水道橋の構造と作り方については、水道橋の作り方で解説しているので、ご覧いただきたい。
沈殿池
水道内の水質を保つため、不純物を除去するための浄化槽である沈殿池が、70mごとの間隔で設けられていた。
都市への分水施設、カステルム・アクアエ
運ばれてきた水を都市の様々な場所へと分ける施設が『カステルム・アクアエ』である。
カステルム・アクアエの中は通常3つの水槽に分かれている。
中央の水槽は公共の泉や庶民の水汲み場へとつながっており、左右の一方は公衆浴場、他方は私邸や工房などにつながっていた。
各水槽はそれぞれ連結しているが、渇水期には板などで遮断して左右の水槽を断水し、水汲み場や公共施設に優先的に水を供給できた。
古代ローマ水道の特徴
またローマ水道には次のような特徴があった。
導水管のほとんどが地下に作られた
あなたの中で古代ローマの水道といえば、長大な水道橋のイメージが強いのではないだろうか。
しかし水の通り道である導水管のほとんどは、地下を通るように作られた。
首都ローマへと引かれた水道を見てみると、いかに地上部分が少ないか、お分かりいただけると思う。
水道の名称 | 全長 | 水道橋部分の合計の長さ (地上の導水管含む) |
---|---|---|
クラウディア水道 | 67km | 約10km |
マルキア水道 | 92km | 約11km |
アッピア水道 | 6.5km | 約0.1km |
ではなぜ水道の大部分が地下に作られたのか。
これは2つの理由が考えられる。
理由1:水質が確保しやすいため
地下では地上と違い、水が外気に触れないため、大気中の汚染物で汚れることが少ない。
また、動物たちの糞尿や死骸による水の腐敗からも守ることができる。
ちなみに地上や水道橋の最上部を走る導水管には、水を雨水や汚れから防ぐために石の板でカバーされていた。
理由2:戦争時の破壊を防ぐため
水道橋などの建造物は目立つため、敵の攻撃対象になりやすい。
その点、地下に導水管があると、敵の目に触れず、破壊を防ぐことができる。
実際アッピア水道はサムニウム人との戦闘中に建設されているが、建設中も建設後も破壊されることはなかった。
理由3:メンテナンスがしやすいため
雨水の侵食や大気で導管内が汚れることが比較的少ない。
人が導水管に入って清掃することには労力を伴うが、地上部にある導水管よりはるかに清掃回数は少なかったはずだ。
ちなみに地下の導水管には、地上からたどり着くことが可能なメンテナンス用の立て坑が設けられた。
また地上部には立て坑の入り口にマンホールが設置されていた。
傾斜は50kmでわずか17mの落差しかなかった
古代ローマの水道は基本的に重力のみで水を流していたので、一定の傾斜を設けていた。
傾斜はローマに引かれた水道の平均で1kmあたり5m、傾斜率1/200であり、水流の速度は秒速1.3m。
これは現在の日本とほとんど同じである。
またフランスのポン・ドュ・ガールにある水道の傾きは、1kmあたり34cm、50kmでわずか17mしか降下しないのだ。
実に1/3000の傾斜率ということになる。
この傾斜率もまた、メンテナンスを考えて導き出されている。
つまり、あまり傾斜率が高いと水圧上がり、導水管が削られてしまう。
ただし水流の速度が遅すぎると水がよどみ、水質に影響がでたのではないか。
そのギリギリのラインをとった傾斜率になっていると考えられる。
水道橋の作り方
古代ローマの土木技術の高さを間近に感じることができる水道橋。
ここでは水道橋がどのように作られるのかを紹介しよう。
アーチの土台となる足を建てる
まずは土台となるアーチの足を組んでいく。
ある程度の高さまで組み上がれば、足場を組んで規定の位置まで高くした。
水道橋のアーチを作る
水道の『足』が組み上がると、アーチ型の木枠を足の間に渡した。
その後、切り出した石材をローマン・コンクリートと補填材で固めて積み上げる。
最後に楔石をアーチの最上部に打ち込んだ。
建設中の水道橋の上に重い石材を持ち上げるときは、移動式のクレーンを利用した。
クレーンの先端には石材を挟む器具がついており、ハムスターの運動用回転器具のようなものでクレーンのロープを引っ張って持ち上げていたらしい。
導水管を作り、蓋をする
積み上がった水道橋の最上部に導水管を作り、石版で蓋をする。
以上で水道橋の完成である。
水道橋が川をまたいでいた場合、川の水流を分散させるための三角形突起を水道橋の上流側に設置することもあったようだ。
なお、世界各地に現存する古代ローマの水道橋については、現存する帝国各地の水道橋で紹介しているので、ご覧いただければと思う。
首都ローマの上水道事情
首都ローマにひかれた上水道は11本
前述したとおり、ローマの上水道建設事業はアッピウス・クラウディウス・カエクスによるアッピア水道の建設から始まった。
アッピウスは他にもローマ幹線道路の敷設を始めた人で、ローマインフラの父と呼ばれている。
アッピウスがどういう人だったかはアッピウス・クラウディウス・カエクス 強引伝説の宝庫!古代ローマ「インフラの父」についてを見てほしい。
話を水道に戻そう。
首都ローマには、紀元前312年から紀元後226年まで約540年間に計11本の水道が建設された。
各水道のデータは次の通り。
名称 | 建築年 | 建設担当者 | 全長 |
---|---|---|---|
アッピア水道 | 前312年 | 監察官アッピウス・クラウディウス・カエクス | 16.5km |
旧アニオ水道 | 前272年~前269年 | 監察官ムニウス・クリウス・デンタトゥス 監察官ルキウス・バビリウス・カルボ |
63.6km |
マルキア水道 | 前144年~前140年 | 法務官クイントゥス・マルキウス・レックス | 91.3km |
テプラ水道 | 前125年 | ? | 17.7km |
ユリア水道 | 前33年 | 造営者マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ | 22.8km |
ヴィルゴ水道 | 前19年 | マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ | 20.9km |
アルシエティナ水道 | 前2年 | アウグストゥス帝 | 32.8km |
クラウディア水道 | 38年~52年 | カリグラ帝・クラウディウス帝 | 68.7km |
新アニオ水道 | 38年~52年 | カリグラ帝・クラウディウス帝 | 86.9km |
トライアーナ水道 | 109年 | トラヤヌス帝 | 57.7km |
アレクサンドリナ水道 | 226年 | アレクサンデル・セウェルス帝 | 22.0km |
新アニオ水道までの9本がローマ市に引かれていた時代の記録では、これらの上水道で運ばれる水のうち、約71%が市域内に供給されていた。
残りの29%はローマ郊外の別荘や農業用水として分水されていた。
郊外用の水の中には、非合法に取水する、いわゆる盗水も多かった。
盗水への罰則は土地や生産物の没収だが、厳密に取り締まることはできなかったらしい。
ローマ人の水の消費量と各施設の使用割合
29%の分水があったとはいえ、残りの71%で1日約100万m3もの水が首都ローマに供給されていた。
ちなみにこの量は住人一人あたり、約1000リットルに相当する。
2009年現在の東京都民は、一人あたり233リットルほどの水を使用しているので、ローマには豊富な水が運ばれていたようだ。
また、各施設への水の供給割合は次の通り。
皇帝から特別に許可を得た施設:約17%
兵舎、役所、公衆浴場、水汲み場などの公共施設:約44%
個人邸宅や工房:約38%
公衆浴場に供給していた水道
水を大量に使う施設といえば、公衆浴場だろう。
とくに古代ローマの公衆浴場は総合レジャー施設といってもいいほど、多目的で巨大な施設だった。
公衆浴場についてはお風呂にかける情熱はお湯より熱い!古代ローマ人が愛したテルマエを語ろうに詳しく書いているので、ご覧いただければと思う。
ローマ市内にある公衆浴場には、それぞれ供給元に専用の水道があった。
アグリッパ浴場:ヴィルゴ水道
トラヤヌス浴場:クラウディア水道・新アニオ水道
カラカラ浴場:マルキア水道(の支流のアントニア水道)
ディオクレティアヌス浴場:マルキア水道
とくにヴィルゴ水道からアグリッパ浴場に供給していた量は、実に1/3以上(約19,000m3)にもなったという。
水道料金は水道管の太さで決まっていた
ローマには共同の水汲み場が各所にあった。
その数は次の通り。
1世紀末:591ヶ所
4世紀:1212ヶ所
この水汲み場で利用できる水道水は無料だったので、ローマ市民は好きなだけ各自の住居に持ち帰って利用することができただろう。
ただし、私邸に直接水道水をひく場合や、営利目的で水道水を利用する場合は、水道管の直径に応じて水道料金が徴収された。
水道管の直径に対する料金設定は15段階あったらしい。
また、私邸へ分水する水道管には、水道使用者の名前が刻まれていた。
この水道利用料だけで、年に25万セステルティウスの歳入がローマ帝国にあったという。
水道管の直径によって決まっている料金だが、実際の直径よりも小さな数字を書き込んだり、水道庁のスタッフに賄賂を渡して使用量をごまかすものがあとを絶たなかったらしい。
上水道の管理
上水道は恒常的なメンテナンスが必要な施設である。
では古代ローマではどのようにして管理されていたのだろうか。
上水道を管理する役職
基本的にケンソル(監察官)の管理下に置かれていた。
『ローマインフラの父』アッピウスもケンソル時代に古代ローマ初の水道を建設している。
ただし、ケンソルは5年に1度だけ選出され、1年半しか任期がない。
そこで実際の管理は毎年選出されるアエディリス(造営官)が行い、点検や整備については民間に請負わせていた。
紀元前11年、水道を管理する専門機関として初代皇帝アウグストゥスにより水道庁が創設。
さらに4代目の皇帝クラウディウス時代に拡張された水道庁の組織は下記のようになっていた。
- 水道長官(1名):上水道の総責任者。元老院議員が務める
- 水道管理官(数名):水道長官の下に置かれた実務レベルのリーダー。帝室の被解放自由人が務める
- 専門技師、国有奴隷団(700名):水道専門のスタッフ。技術者と国有の奴隷で構成
水道庁の業務
帝政期に創設された水道庁では、主に次のような業務を行っていた。
- 水道管内の清掃
- 水道施設の保守点検
- 盗水の取り締まり
また、水質管理の一環として次のようなことも実施されていた。
ローマ人はどの水道が一番水質が良いか、定期的にコンテストを開いていたようだ。
大プリニウスの『博物誌』に次の一節がある。
全世界でもっとも冷たくもっとも健康的によい水に対する最優秀賞が、ローマの投票によってマルキア水道の水に与えられた
大プリニウス『博物誌』 | 古代ローマの生活
最優秀賞を受賞した水道にどのような報酬があったかはわからないが、受賞水道の担当者は大変栄誉あることだったと推測できる。
SNSで『いいね』をもらっても、気分がいいし、やる気も出るのだ。
人の評価は馬鹿にできないエネルギーになると思う。
反対に、水道水を汚染したものに対しては、どのように対処したのだろうか。
水質汚染者には、罰金として10,000セステルティウスもの額が課された。
帝政前期の軍団兵の年収が900セステルティウスなので、約11年分もの額である。
さらに帝国期の物価が知りたいと思ったあなたは、種類も図柄も様々!古代ローマ貨幣の価値や当時の物価についてのポンペイの家計簿からわかる、古代ローマ時代の貨幣価値が参考になるかと思う。
確かに水道に毒でも入れられたら、ローマ市全体の命運に関わるのだ。
ある程度罰則を重くするのも当然といえるだろう。
現存する帝国各地の水道橋
イタリア
クラウディア水道の水道橋
カリグラ帝の治世に建設が開始され、クラウディウス帝の治世で完成したローマ8番目の水道橋。
ローマの水道橋公園内に現存する姿を見ることができる。
そのほか、5つの水道橋もこの公園を通っている。
フランス
ポン・ドュ・ガール(フランス南部、ガール県)
古代ローマ水道橋の中でも保存状態がよいものの一つ。
美しいアーチとどっしりと安定した作りで、橋としても利用された。
スペイン
セゴビア旧市街の水道橋(セゴビア)
独立した丘の上にある町に供給するため作られた水道橋。
保存状態のよい水道橋の中でも1、2を争う長さで、壮麗な姿を見ることができる。
トルコ
ヴァレンス水道橋(イスタンブール)
ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、建設した都市コンスタンティノープル(現イスタンブール)に建設した水道橋。
378年、当時の皇帝ヴァレンスの治世に完成したので、彼の名にちなんでヴァレンス水道橋と呼ばれていた。
完成当時の全長は1kmほどあったが、現存するのは800m程度。
チュニジア
ザグーアン水道橋(チュニジア)
ハドリアヌス帝時代に建設された、ローマ帝国最長の水道、ハドリアヌス水道。
その水道橋が、チュニジアに残るザグーアン水道橋だ。
現存するだけでも20kmほどあるらしい。
なお、皇帝ハドリアヌスについて知りたい方は、ハドリアヌス ―暴君になりそこねた、旅と美青年を愛する万能賢帝―をご参考いただくといいだろう。
今回のまとめ
ローマの上水道について、もう一度おさらいしよう。
- 首都ローマには11もの水道が引かれていた
- ローマに住む一人あたりの水の消費量は、現在の東京都民の約4倍
- 公共の水道料金は基本無料。ただしプライベートや産業用の水は有料で水道管の直径によって決まっていた
- 帝国期の水道管理は水道庁で行い、様々な方法で水質を保っていた
- ローマの水道は古代最高峰の土木技術の結晶だった
古代ローマの水道技術は同時代の世界最高水準だったことだろう。
彼らの偉業は、しかし破壊とメンテナンス不足により終焉を迎えることになった。