カリグラ ―両親からアウグストゥスの血統を受け継いだ貴公子皇帝―

カリグラ 皇帝家の血を引く貴公子

ローマ皇帝カリグラといえば、暴君の代名詞としてネロと並ぶ有名な人物。
あなたもこの名を一度は聞いたことがあるだろう。

カリグラの暴君伝説は色々ある。
一晩に1,000万セステルティウス(現在の価値で400億円相当)を使った過度な贅沢、妹たちとの近親相姦、そして愛馬を愛するあまり官職の頂点である執政官へ任命しようとした、などなど。

狂人じみたこれらの逸話は話としては面白いが、私にはカリグラという人間の実像から遠ざかっているように思える。

では実際のカリグラとはどんな人物だったのだろうか。
この記事では史書の内容を踏まえつつも、私の想像を踏まえてカリグラという人物に迫ってみたい。
妄想に近い内容を書くにあたり、研究者ではない一歴史ファンとしての立場を最大限に利用するので、お許しいただければ幸いだ。

※タイトル下イメージは、「ダークヒストリー3 図説ローマ皇帝史 」より拝借しました。

カリグラの生い立ち

カリグラという人物を理解するため、私は彼の生い立ちから皇帝になるまでを知ることが、非常に重要になると考えている。
そこでカリグラの半生を、ていねいに追っていこう。

両親はアウグストゥス家の血を受け継ぐ

紀元12年8月31日、ローマの南に位置するアンティウムの町でカリグラは生まれた。
父はゲルマニクス。
ゲルマニクスは、2代目皇帝ティベリウスの弟と、アウグストゥスの姉オクタウィアの子であり、アウグストゥスの血筋につながる。

一方の母は、アウグストゥスの親友であり有能な部下アグリッパと、アウグストゥス唯一の実子ユリアを親にもつアグリッピナ。
彼女もまた、アウグストゥスの血を受け継ぐ人間だ。

カリグラまでのユリウス・クラウディウス朝家系図
カリグラまでのユリウス・クラウディウス朝略式家系図

この二人のもとに生まれたカリグラは、両親からアウグストゥスの血筋を受け継ぐ超一流の貴公子だったのである。

カリグラの由来は「小さな軍靴」

カリグラの本名は、ガイウス・ユリウス・カエサル。
終身独裁官、ユリウス・カエサルと同じ名である。
もっともローマ人の名はバリエーションが少ないので、親戚一同を集めると同じ名の人間がいることも珍しくなかった。

ではなぜ彼は、本名ではなく「カリグラ」と呼ばれたのか。

カリグラは幼い頃、ゲルマニアの軍総司令官に任命された父に従い、赴任先へと同行し、そこで幼年期を過ごす。
よちよち歩きの頃から軍営にいることが多く、そこでは特別にあつえたミニチュアの軍服や兜を身にまとい、軍靴(カリガ)を履いていた。

カリガ
カリガ
Wikipediaより

マスコット的存在だった彼は、軍団兵たちに大変人気が高かった。
兵士たちは彼のことを、愛情を込めて小さな軍靴「カリグラ」と呼び、後にこれが彼のあだ名となる。
もっとも本人は「カリグラ」を気に入らなかったようだが。

父の死、母とティベリウスの対立

カリグラの人生は順風満帆だった。
彼の両親は、この時代の上流階級にしては珍しく仲睦まじい。
その証拠に、カリグラの上には兄(ネロ、ドルスス)が2人おり、さらに下には妹たちが3人(ユリア、ドルシッラ、小アグリッピナ)もいた。

また父ゲルマニクスは皇室の血を受け継いだ、次期皇帝とも目される人物。
市民たちからも圧倒的な人気があり、ゲルマニアで輝かしい軍功を上げるなど、実績も抜群。
このまま行けば、カリグラも皇子への道が開かれるかと思われた。

だが、ゲルマニクスの任地が東方の属州シリアへと変わると、運命の歯車が狂い始める。
19年、ゲルマニクスは赴任先のアンティオキアで急死してしまったのである。
まだ34歳の若さだった。

ゲルマニクスは、赴任先の属州総督であるピソと仲が悪かったため、ピソの毒殺が疑われた。
さらにその毒殺は、ゲルマニクスに嫉妬した皇帝ティベリウスが、裏で糸を引いていたとも噂される。

今日ではマラリアでの病死が有力だが、真相は分からない。
いずれにしても、ゲルマニクスの死で動揺している上、子どもたちの身を案じるあまり、母アグリッピナはティベリウスと事あるごとに対立した。
おそらく彼女は、夫をティベリウスによって殺されたと思いこんでいたのではないだろうか。

ティベリウスにしてみれば、ゲルマニアは放棄しライン川をローマの防衛ラインと定める予定であり、東方派遣は大国パルティアとの紛争回避のため、アルメニア問題を解決するカードの一つでしかなかったはずだ。

だが、両者の意識のズレによるボタンの掛け違いが、次期皇帝の座を狙う近衛隊長官セイヤヌスに付け込まれることとなる。

セイアヌスの陰謀

セイヤヌスは、ティベリウスの厚い信頼のもとで権力を握っていた近衛隊長官だ。
彼は皇帝の座すら狙っており、ティベリウスの息子ドルススを毒殺したこともある。
セイヤヌスにとって、アウグストゥスの血統につながる一家の存在は邪魔でしかなかった。

そこでセイヤヌスは、27年、ティベリウスがカプア島に引きこもって公に姿を見せなったことを利用し、アグリッピナ親子を罠にはめる。
その結果、アグリッピナと長男ネロは29年に追放刑で島流しにされ、さらに翌年には次男のドルススまでも幽閉されることになる。

ゲルマニクスの血を受け継ぐカリグラも時間の問題かと思われたが、31年、セイヤヌスが失脚し、命を取り留める事ができたのである。

母と兄たちの死

セイヤヌス失脚後もティベリウスは母アグリッピナやネロ、ドルススを許すことなく幽閉し、数年後には餓死や自殺へ追い込んだ。
特にアグリッピナの次男ドルススが幽閉中、食べるものを求めて枕の真綿まで口にする様子を耳にした元老院議員たちは、一同顔をしかめるほどひどい様子だったという。

奸臣の罠だと知っても刑を続行したティベリウス。
よほどアグリッピナのことが目障りだったに違いない。

カリグラ、ティベリウスとともに暮らす

カリグラ、ティベリウスに引き取られる

セイヤヌス失脚以前、父の死からカリグラはどのように過ごしていたのか。

カリグラははじめティベリウスの母で彼自身の曾祖母であるリウィアのもとに預けられる。
リウィアが29年に亡くなると、今度は祖母であるアントニアのもとに身を寄せた。

母や上の兄たちが次々に追放される中、カリグラはどうなったのか。
それが31年、不思議にもティベリウスに引き取られたのである。

ティベリウス
ティベリウス
Cnyborg[Public domain]

なぜティベリウスは、カリグラを兄たちと同じ運命に合わせなかったのか。
一つはティベリウス自身の後継者問題があった。

セイヤヌスの陰謀でも書いたとおり、ティベリウスはセイヤヌスに唯一の息子を殺されていた。
さらにこの頃後継者候補として上がるのが、カリグラ以外では次の2人。

  • ゲルマニクスの弟、クラウディウス
  • ティベリウスの孫、ゲメッルス

クラウディウスは年齢的に候補者として最適だったが、知的障害の疑いあると、実母アントニアから馬鹿にされてきた人物。
後にこれは誤解で皇帝の座まで上り詰めることになるが、この頃は歴史家を目指しており、元老院議員ですらなかった。

もうひとりの候補者ゲメッルスは、ティベリウスの孫で直系男子ながら、まだ12歳と若く、高齢のティベリウスがあと何年生きるか分からない状況では、いささか後継者として心もとなかったのである。

とはいえカリグラも若い。
しかし引き取られた時点で19歳とゲメッルスよりも年上であり、また両親からアウグストゥスの血統を受け継ぎ、いまだ人気の衰えない父の威光を背負っている人物として、次期皇帝としては最適だったのである。

もう一つはカリグラ自身の性格だと私は考える。
彼は三男であり、末弟特有の人懐っこく誰に対しても愛嬌よく振る舞える性質の人間だったのではないか。
ゲルマニアで兵士に人気があったのも、幼いだけではなく、カリグラの性格も大きかったはずだ。
カリグラの人懐っこさこそが彼の命を救ったと言えるだろう。

しかし母アグリッピナを死に追いやったティベリウスが、いつ心変わりするか分からず、カリグラは心休まらない日々を過ごしていた。
そこでもう一つの才能である処世術を発揮する。
セイヤヌスの後を継いだ近衛隊長官マクロと、協力関係を築いたのである。

近衛隊長官マクロとの同盟

カリグラとマクロの間に、いつ頃から協力関係が生まれたのか、正確なことは分からない。
史書ではカリグラがマクロの妻をたらしこみ、自分が皇帝となった暁には皇后の地位を約束して協力を取り付けたとなっているが、これは週刊誌的な噂だろう。
なぜならこの同盟には、両者ともに利益があった。

カリグラは、マクロの口から事あるごとに彼を褒めてもらい、ティベリウスに好印象を与えてもらう。
これは自分の命を守るためだけではなく、ティベリウスの本心にある直系男子ゲメッルスに皇位を継がせたい気持ちを揺らがせるにも、一役買うだろう。

一方マクロにしてみれば、老齢のティベリウスの命が尽きれば、自分の地位が守られる保証はない。
ここでカリグラに恩を売っておき、彼がうまく皇帝の地位につけば、自分の立場も安泰となるはずだ。

カリグラとマクロが協力することは、両者にとってWin-Winの関係だったのである。

ティベリウスの死と遺言操作

37年3月16日、ティベリウスは77歳で世を去った。
カリグラやマクロの陰謀説など色々と言われているが、おそらく老衰だろう。
このときカリグラ24歳。

カリグラ
カリグラ
Louis le Grand [CC BY-SA 3.0 ]

これで晴れてカリグラが皇帝の地位についたのかといえばそうではない。
ティベリウスの遺言には、カリグラと孫のゲメッルスの二人が共同の遺産相続人として指名されていた。

遺産相続とはすなわち後継者指名と同じこと。
結局ティベリウスは最期まで後継者選びで迷い、ついに結論を出さないまま死んでしまったのである。

カリグラはここでマクロと図ることにする。
元老院議員でもないゲメッルスを共同の統治者にするなど言語道断とばかりに、共同統治者としての条目を破棄し、代わりにカリグラの養子とすることを元老院議員たちに認めさせたのだ。
ちなみにカリグラはティベリウスの生前に、特例として元老院議員となっていた。

こうしてカリグラは、ついに単独皇帝の座を手に入れたである。

カリグラ、ついに皇帝となる

「幸福な」7ヶ月間

のちに「暴君」と言われるカリグラだが、彼の治世が始まってから7ヶ月の間は、元老院にも市民にも圧倒的な支持をされる「善政」を行ったとされている。
しかし7ヶ月後に大病を患い、それ以降カリグラの精神は病に侵され、徐々におかしくなっていったのだ、と。

しかし私はこの説を取ろうとは思わない。
カリグラが「善政」を行った期間は7ヶ月間は、たまたまカリグラの考えと一致しただけなのだ。
その証拠に、同時代の史料を残すユダヤ人のヨセフスは、彼の善政期間を即位から最初の2年間と記しており、意見が食い違っている。

ではカリグラは、なぜ治世当初に「善政」を行ったのか。
それはカリグラが、おそらく24歳の若さで何の実績も持たずに皇帝に即位したことと関係しているだろう。

近衛隊長官マクロと協力関係を結んだとはいえ、元老院はいまだティベリウス治世で出世したティベリウス派が多数を占めており、カリグラの支持議員は少なかったのではないか。
そのためカリグラは、ティベリウス派の懐柔に加えて、非ティベリウス派議員を取り込むため、嫌われていたティベリウスの政治を否定し、誰に対しても「公正」に接する世の中が来たと知らしめる必要があったのだろう。

ではカリグラが治世当初に行った、具体的な政策を見ていこう。

元老院との融和

先にも書いたとおり、カリグラは自分の支持基盤を得るために、「嫌われ者」ティベリウスを否定し、元老院議員たちを懐柔する必要があった。

そのためにカリグラは、元老院に対して敬意を払い、その総意に基づいて政治を行うと約束した。
カリグラは自分を「元老院の息子」とまで呼び、彼らの歓心を買ったのである。

また、ティベリウス帝末期に吹き荒れた大逆罪裁判の結果が出ていない被告たちを、全員無罪とする。
後に皇帝となるネロの父親も、このとき赦された議員のうちの一人。
その上、かつて母や兄たちに追放刑を下した元老院に対し、この件を不問にすると明言し、当時の裁判記録を

余はこれらの文書を読んだことも手にしたこともない

と宣誓してフォルム(人々が集まる広場)で焼き払った。

さらにカリグラはこう明言する。

誰からも恨まれることはしていない、密告者に貸す耳は持たない

つまり大逆罪告発を認めず、皇帝暗殺の密告すら受け付けないと言い放ったのである。

ティベリウス治世で陰鬱な日々を過ごしていた元老院議員たちが、これを喜ばないはずがなかった。

市民への対策

カリグラはローマ入りした当初から、金縮政策のティベリウス治世下で嫌気のさしていた市民に、「我らの子」「我らの星」と呼ばれるほど人気があった。
カリグラも、市民たちの期待に応える。

カリグラはまず、ティベリウスの遺産から市民たちへ下賜金を贈った。
とはいえこれはアウグストゥスからの慣例なので、別段珍しいことではない。
しかしここからはカリグラが、ティベリウス時代にはないサービスを市民に対して行っていく。

まずティベリウス時代にほとんどなかった剣闘士競技を復活させ、戦車競技と合わせて提供。
しかも競技を観覧しにきた客に、食べ物を詰め合わせたカゴを配り、土産もばらまいた。

さらにカリグラは1%の売上税(今で言えば消費税)を廃止している。
また生活がままならない低所得者のために、税金を使って保護をした。
しかしこの税金廃止は、のちにカリグラ自身の首をしめることになる。

そしてもう一つ、カリグラは14年、つまりティベリウスが即位した年以来、元老院で行われるようになった政務官選挙を、市民が投票して決める民会選挙に戻したのである。
おそらくカリグラが元老院ではなく、市民の人気を自分の政治基盤として重視したかったのではないだろうか。
元老院では、年齢とそれに伴う実績が重視された。
カリグラは元老院議員たちにナメられたくなかったのだろう。

軍の懐柔

名将ゲルマニクスの遺児として、即位当初からカリグラは軍にとても人気があった。
兵士たちは、ゲルマニクスを冷遇した(と思われている)ティベリウスに対して反感を抱いていたので、カリグラの即位は歓迎されたのだ。

カリグラはさらに兵士たちに対し、ボーナスを出す。
しかも近衛兵やイタリアの兵士だけでなく、属州にいる兵士にまで出した。
これで軍との絆も確保したのである。

母や兄たちの弔いと身内への配慮

カリグラは、即位後すぐに母や兄たちが流刑にされていた島を訪れ、遺骨を集めてアウグストゥス廟へ丁重に葬った。
彼がこのとき何を思ったのかはわからない。
ただ、前帝ティベリウスの神格化を認めていないので、無念さとともにティベリウスに対する憤りを感じることができる。

母や兄の遺骨を集めるカリグラの絵
母や兄の遺骨を集めるカリグラ
ウスタシュ・ル・スュール [Public domain]

またカリグラは世話になった祖母アントニアを「アウグスタ(女性の尊称)」と呼び、さらに3人の妹には祭司の特権をあたえた。
さらに伯父クラウディウスには、同僚の執政官職を与え、元老院議員席まで確保したのである。


親や兄弟を思い、前帝の悪しき習慣を改め、元老院を立てて市民への配慮を忘れない。
カリグラは、いわば「理想の皇帝(正確には元首)」を積極的に演じることで、彼の政治的足場を固めたのだった。

カリグラ、大病を患う

元老院議員たちの祈願に応える

37年10月、突然カリグラは明日の身も知れない瀕死の大病を患った。
皇帝生活の贅沢が原因だとか、セックスに明け暮れる毎日が理由だとか、史書には様々な憶測を記している。
私はティベリウスとの生活や、新皇帝での日々で心の休まらず、疲れが溜まったのでないかと踏んでいる。

人々はカリグラの快癒を神に祈った。
ある議員は、カリグラが治るのなら剣闘士と戦うと言い、またある議員はカリグラが助かったら自分の命を差し出すとも言った。
もちろんこの発言は、自分がどれほど皇帝の身を案じているかというアピールだ。
誰も本気で実行しようと思っていないし、させようもとしないだろう。
唯一、カリグラを除いては。

カリグラはこの大病を、7ヶ月間の人気取りで固まった足場を利用し、自分の反対派を一掃できるチャンスだと思ったのではないか。
病気が完全に癒えたカリグラは、剣闘士との戦いを望んだ議員を実際に戦わせ、さらに自分の命を差し出すと言った議員を崖から突き落とし、約束を守らせたのである。

しかしカリグラは、自分の大病をさらなる足場固めに利用する。
それは皇帝候補として将来の禍根となりそうな、ゲメッルスを除くことだった。

義父とゲメッルス、マクロ夫妻の排除

カリグラは、元妻の父で有力議員であるシラヌスを、ゲメッルスと共謀して自分を打倒する疑いがあるとして、裁判にかける。
ゲメッルスは、カリグラが病の床に就いているときにシラヌスとはかり、皇帝の座を狙ったというのだ。

この結果、義父のシラヌスとゲメッルスは自殺に追い込まれる。
『皇帝伝』の著者スエトニウスによると、この陰謀はカリグラの空想でしかないと記しているし、私もその意見については同意する。
なぜなら、シラヌスを起訴をするよう命じられた人物は、カリグラの命令を断ったために処刑されているからだ。
私はスエトニウスの意見に加え、カリグラには政敵の排除という完全な目的があったと考えている。

さらに翌年には、カリグラを皇帝の座につけた一番の功労者であるマクロ夫妻も処刑された。
これもシラヌスと同様、カリグラへの口出しをする事ができる人間の排除だと考えている。
カリグラは若さゆえの万能感をいだき、徐々に自分に対して耳の痛い意見をいう人間を排除したくなったのではないだろうか。

カリグラは祖母アントニアが生前忠告をした事に対し、次のように言ったという。

よく覚えておいて下さい。私は誰にでも何でもしていいのだということを

ローマ帝国愚帝物語 第二章 淫蕩帝伝

この言葉こそが、皇帝になった彼の、偽らざる本心だったのではないだろうか。

最愛の妹ドルシッラの死と神格化

カリグラ自身の大病に続き、翌38年6月、妹ドルシッラが死んだ。
カリグラに3人の妹がいたことは、父の死、母とティベリウスの対立ですでに述べたとおりだ。
史書ではカリグラがこの3人の妹たちと近親相姦を重ね、彼女たちを嫁がせた後でさえ、関係を続けていたと言われている。

カリグラの妹たちを刻印したコインの写真
妹たちを刻印したコイン
ローマ帝国愚帝物語 より

妹たちとの関係の真偽は脇に置くとして、彼女たちへの愛にあふれていたことは想像に難くない。
この3人の中でも特に溺愛していたのが、2番めの妹ドルシッラだった。

カリグラはドルシッラの死を悼み、国葬を命じた。
さらに女性としては異例の神格化、つまりアウグストゥスなどと同じくローマ神の仲間入りをさせたのだ。
本来ならすぐれた業績を上げた人間に対し行われる神格化だが、カリグラは「愛していた」という理由だけでドルシッラを神に列席させたのである。

カリグラの結婚遍歴

さて、暴君カリグラが実際に行った政策を見る前に、彼の結婚歴を紹介しておこう。
彼は生涯で4度結婚しているが、いずれも結婚生活は短かった。

1番目の妻:ユニア・クラウディラ

はじめに結婚した相手は、ユニア・クラウディラ。
ティベリウスの生前に行われている。
この結婚は彼女がお産で子供とともに死亡してしまったため、長くは続かなかった。
ちなみに処刑された義父マルクス・シラヌスは、彼女の父である。

2番目の妻:リウィア・オレスティラ

ある貴族との結婚披露宴に臨席したカリグラが、ただちに別れさせて自分の妻にした略奪婚のお相手が、リウィア・オレスティラ。
しかしカリグラは彼女とほんの数日過ごしただけで、すぐに離婚している。

3番目の妻:ロリア・パウリナ

彼女も2番めの妻と同じく人妻で、またしても略奪婚。
さらにこちらも同じくすぐに離婚した。
カリグラは離婚の際、彼女に、

生涯どんな男とも寝てはならぬ

と言い渡したという。

4番目の妻:ミロニア・カエソニア

放蕩で名高かったが、なぜかカリグラに最後まで愛された女性。
カリグラは彼女との間に一女をもうけている。
もしかしたら彼女は、カリグラのありのままを受け入れることができた唯一の女性だったのかもしれない。

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