カリグラ ―両親からアウグストゥスの血統を受け継いだ貴公子皇帝―

カリグラ 皇帝家の血を引く貴公子

ローマ皇帝カリグラといえば、暴君の代名詞としてネロと並ぶ有名な人物。
あなたもこの名を一度は聞いたことがあるだろう。

カリグラの暴君伝説は色々ある。
一晩に1,000万セステルティウス(現在の価値で400億円相当)を使った過度な贅沢、妹たちとの近親相姦、そして愛馬を愛するあまり官職の頂点である執政官へ任命しようとした、などなど。

狂人じみたこれらの逸話は話としては面白いが、私にはカリグラという人間の実像から遠ざかっているように思える。

では実際のカリグラとはどんな人物だったのだろうか。
この記事では史書の内容を踏まえつつも、私の想像を踏まえてカリグラという人物に迫ってみたい。
妄想に近い内容を書くにあたり、研究者ではない一歴史ファンとしての立場を最大限に利用するので、お許しいただければ幸いだ。

※タイトル下イメージは、「ダークヒストリー3 図説ローマ皇帝史 」より拝借しました。

カリグラの生い立ち

カリグラという人物を理解するため、私は彼の生い立ちから皇帝になるまでを知ることが、非常に重要になると考えている。
そこでカリグラの半生を、ていねいに追っていこう。

両親はアウグストゥス家の血を受け継ぐ

紀元12年8月31日、ローマの南に位置するアンティウムの町でカリグラは生まれた。
父はゲルマニクス。
ゲルマニクスは、2代目皇帝ティベリウスの弟と、アウグストゥスの姉オクタウィアの子であり、アウグストゥスの血筋につながる。

一方の母は、アウグストゥスの親友であり有能な部下アグリッパと、アウグストゥス唯一の実子ユリアを親にもつアグリッピナ。
彼女もまた、アウグストゥスの血を受け継ぐ人間だ。

カリグラまでのユリウス・クラウディウス朝家系図
カリグラまでのユリウス・クラウディウス朝略式家系図

この二人のもとに生まれたカリグラは、両親からアウグストゥスの血筋を受け継ぐ超一流の貴公子だったのである。

カリグラの由来は「小さな軍靴」

カリグラの本名は、ガイウス・ユリウス・カエサル。
終身独裁官、ユリウス・カエサルと同じ名である。
もっともローマ人の名はバリエーションが少ないので、親戚一同を集めると同じ名の人間がいることも珍しくなかった。

ではなぜ彼は、本名ではなく「カリグラ」と呼ばれたのか。

カリグラは幼い頃、ゲルマニアの軍総司令官に任命された父に従い、赴任先へと同行し、そこで幼年期を過ごす。
よちよち歩きの頃から軍営にいることが多く、そこでは特別にあつえたミニチュアの軍服や兜を身にまとい、軍靴(カリガ)を履いていた。

カリガ
カリガ
Wikipediaより

マスコット的存在だった彼は、軍団兵たちに大変人気が高かった。
兵士たちは彼のことを、愛情を込めて小さな軍靴「カリグラ」と呼び、後にこれが彼のあだ名となる。
もっとも本人は「カリグラ」を気に入らなかったようだが。

父の死、母とティベリウスの対立

カリグラの人生は順風満帆だった。
彼の両親は、この時代の上流階級にしては珍しく仲睦まじい。
その証拠に、カリグラの上には兄(ネロ、ドルスス)が2人おり、さらに下には妹たちが3人(ユリア、ドルシッラ、小アグリッピナ)もいた。

また父ゲルマニクスは皇室の血を受け継いだ、次期皇帝とも目される人物。
市民たちからも圧倒的な人気があり、ゲルマニアで輝かしい軍功を上げるなど、実績も抜群。
このまま行けば、カリグラも皇子への道が開かれるかと思われた。

だが、ゲルマニクスの任地が東方の属州シリアへと変わると、運命の歯車が狂い始める。
19年、ゲルマニクスは赴任先のアンティオキアで急死してしまったのである。
まだ34歳の若さだった。

ゲルマニクスは、赴任先の属州総督であるピソと仲が悪かったため、ピソの毒殺が疑われた。
さらにその毒殺は、ゲルマニクスに嫉妬した皇帝ティベリウスが、裏で糸を引いていたとも噂される。

今日ではマラリアでの病死が有力だが、真相は分からない。
いずれにしても、ゲルマニクスの死で動揺している上、子どもたちの身を案じるあまり、母アグリッピナはティベリウスと事あるごとに対立した。
おそらく彼女は、夫をティベリウスによって殺されたと思いこんでいたのではないだろうか。

ティベリウスにしてみれば、ゲルマニアは放棄しライン川をローマの防衛ラインと定める予定であり、東方派遣は大国パルティアとの紛争回避のため、アルメニア問題を解決するカードの一つでしかなかったはずだ。

だが、両者の意識のズレによるボタンの掛け違いが、次期皇帝の座を狙う近衛隊長官セイヤヌスに付け込まれることとなる。

セイアヌスの陰謀

セイヤヌスは、ティベリウスの厚い信頼のもとで権力を握っていた近衛隊長官だ。
彼は皇帝の座すら狙っており、ティベリウスの息子ドルススを毒殺したこともある。
セイヤヌスにとって、アウグストゥスの血統につながる一家の存在は邪魔でしかなかった。

そこでセイヤヌスは、27年、ティベリウスがカプア島に引きこもって公に姿を見せなったことを利用し、アグリッピナ親子を罠にはめる。
その結果、アグリッピナと長男ネロは29年に追放刑で島流しにされ、さらに翌年には次男のドルススまでも幽閉されることになる。

ゲルマニクスの血を受け継ぐカリグラも時間の問題かと思われたが、31年、セイヤヌスが失脚し、命を取り留める事ができたのである。

母と兄たちの死

セイヤヌス失脚後もティベリウスは母アグリッピナやネロ、ドルススを許すことなく幽閉し、数年後には餓死や自殺へ追い込んだ。
特にアグリッピナの次男ドルススが幽閉中、食べるものを求めて枕の真綿まで口にする様子を耳にした元老院議員たちは、一同顔をしかめるほどひどい様子だったという。

奸臣の罠だと知っても刑を続行したティベリウス。
よほどアグリッピナのことが目障りだったに違いない。

カリグラ、ティベリウスとともに暮らす

カリグラ、ティベリウスに引き取られる

セイヤヌス失脚以前、父の死からカリグラはどのように過ごしていたのか。

カリグラははじめティベリウスの母で彼自身の曾祖母であるリウィアのもとに預けられる。
リウィアが29年に亡くなると、今度は祖母であるアントニアのもとに身を寄せた。

母や上の兄たちが次々に追放される中、カリグラはどうなったのか。
それが31年、不思議にもティベリウスに引き取られたのである。

ティベリウス
ティベリウス
Cnyborg[Public domain]

なぜティベリウスは、カリグラを兄たちと同じ運命に合わせなかったのか。
一つはティベリウス自身の後継者問題があった。

セイヤヌスの陰謀でも書いたとおり、ティベリウスはセイヤヌスに唯一の息子を殺されていた。
さらにこの頃後継者候補として上がるのが、カリグラ以外では次の2人。

  • ゲルマニクスの弟、クラウディウス
  • ティベリウスの孫、ゲメッルス

クラウディウスは年齢的に候補者として最適だったが、知的障害の疑いあると、実母アントニアから馬鹿にされてきた人物。
後にこれは誤解で皇帝の座まで上り詰めることになるが、この頃は歴史家を目指しており、元老院議員ですらなかった。

もうひとりの候補者ゲメッルスは、ティベリウスの孫で直系男子ながら、まだ12歳と若く、高齢のティベリウスがあと何年生きるか分からない状況では、いささか後継者として心もとなかったのである。

とはいえカリグラも若い。
しかし引き取られた時点で19歳とゲメッルスよりも年上であり、また両親からアウグストゥスの血統を受け継ぎ、いまだ人気の衰えない父の威光を背負っている人物として、次期皇帝としては最適だったのである。

もう一つはカリグラ自身の性格だと私は考える。
彼は三男であり、末弟特有の人懐っこく誰に対しても愛嬌よく振る舞える性質の人間だったのではないか。
ゲルマニアで兵士に人気があったのも、幼いだけではなく、カリグラの性格も大きかったはずだ。
カリグラの人懐っこさこそが彼の命を救ったと言えるだろう。

しかし母アグリッピナを死に追いやったティベリウスが、いつ心変わりするか分からず、カリグラは心休まらない日々を過ごしていた。
そこでもう一つの才能である処世術を発揮する。
セイヤヌスの後を継いだ近衛隊長官マクロと、協力関係を築いたのである。

近衛隊長官マクロとの同盟

カリグラとマクロの間に、いつ頃から協力関係が生まれたのか、正確なことは分からない。
史書ではカリグラがマクロの妻をたらしこみ、自分が皇帝となった暁には皇后の地位を約束して協力を取り付けたとなっているが、これは週刊誌的な噂だろう。
なぜならこの同盟には、両者ともに利益があった。

カリグラは、マクロの口から事あるごとに彼を褒めてもらい、ティベリウスに好印象を与えてもらう。
これは自分の命を守るためだけではなく、ティベリウスの本心にある直系男子ゲメッルスに皇位を継がせたい気持ちを揺らがせるにも、一役買うだろう。

一方マクロにしてみれば、老齢のティベリウスの命が尽きれば、自分の地位が守られる保証はない。
ここでカリグラに恩を売っておき、彼がうまく皇帝の地位につけば、自分の立場も安泰となるはずだ。

カリグラとマクロが協力することは、両者にとってWin-Winの関係だったのである。

ティベリウスの死と遺言操作

37年3月16日、ティベリウスは77歳で世を去った。
カリグラやマクロの陰謀説など色々と言われているが、おそらく老衰だろう。
このときカリグラ24歳。

カリグラ
カリグラ
Louis le Grand [CC BY-SA 3.0 ]

これで晴れてカリグラが皇帝の地位についたのかといえばそうではない。
ティベリウスの遺言には、カリグラと孫のゲメッルスの二人が共同の遺産相続人として指名されていた。

遺産相続とはすなわち後継者指名と同じこと。
結局ティベリウスは最期まで後継者選びで迷い、ついに結論を出さないまま死んでしまったのである。

カリグラはここでマクロと図ることにする。
元老院議員でもないゲメッルスを共同の統治者にするなど言語道断とばかりに、共同統治者としての条目を破棄し、代わりにカリグラの養子とすることを元老院議員たちに認めさせたのだ。
ちなみにカリグラはティベリウスの生前に、特例として元老院議員となっていた。

こうしてカリグラは、ついに単独皇帝の座を手に入れたである。

カリグラ、ついに皇帝となる

「幸福な」7ヶ月間

のちに「暴君」と言われるカリグラだが、彼の治世が始まってから7ヶ月の間は、元老院にも市民にも圧倒的な支持をされる「善政」を行ったとされている。
しかし7ヶ月後に大病を患い、それ以降カリグラの精神は病に侵され、徐々におかしくなっていったのだ、と。

しかし私はこの説を取ろうとは思わない。
カリグラが「善政」を行った期間は7ヶ月間は、たまたまカリグラの考えと一致しただけなのだ。
その証拠に、同時代の史料を残すユダヤ人のヨセフスは、彼の善政期間を即位から最初の2年間と記しており、意見が食い違っている。

ではカリグラは、なぜ治世当初に「善政」を行ったのか。
それはカリグラが、おそらく24歳の若さで何の実績も持たずに皇帝に即位したことと関係しているだろう。

近衛隊長官マクロと協力関係を結んだとはいえ、元老院はいまだティベリウス治世で出世したティベリウス派が多数を占めており、カリグラの支持議員は少なかったのではないか。
そのためカリグラは、ティベリウス派の懐柔に加えて、非ティベリウス派議員を取り込むため、嫌われていたティベリウスの政治を否定し、誰に対しても「公正」に接する世の中が来たと知らしめる必要があったのだろう。

ではカリグラが治世当初に行った、具体的な政策を見ていこう。

元老院との融和

先にも書いたとおり、カリグラは自分の支持基盤を得るために、「嫌われ者」ティベリウスを否定し、元老院議員たちを懐柔する必要があった。

そのためにカリグラは、元老院に対して敬意を払い、その総意に基づいて政治を行うと約束した。
カリグラは自分を「元老院の息子」とまで呼び、彼らの歓心を買ったのである。

また、ティベリウス帝末期に吹き荒れた大逆罪裁判の結果が出ていない被告たちを、全員無罪とする。
後に皇帝となるネロの父親も、このとき赦された議員のうちの一人。
その上、かつて母や兄たちに追放刑を下した元老院に対し、この件を不問にすると明言し、当時の裁判記録を

余はこれらの文書を読んだことも手にしたこともない

と宣誓してフォルム(人々が集まる広場)で焼き払った。

さらにカリグラはこう明言する。

誰からも恨まれることはしていない、密告者に貸す耳は持たない

つまり大逆罪告発を認めず、皇帝暗殺の密告すら受け付けないと言い放ったのである。

ティベリウス治世で陰鬱な日々を過ごしていた元老院議員たちが、これを喜ばないはずがなかった。

市民への対策

カリグラはローマ入りした当初から、金縮政策のティベリウス治世下で嫌気のさしていた市民に、「我らの子」「我らの星」と呼ばれるほど人気があった。
カリグラも、市民たちの期待に応える。

カリグラはまず、ティベリウスの遺産から市民たちへ下賜金を贈った。
とはいえこれはアウグストゥスからの慣例なので、別段珍しいことではない。
しかしここからはカリグラが、ティベリウス時代にはないサービスを市民に対して行っていく。

まずティベリウス時代にほとんどなかった剣闘士競技を復活させ、戦車競技と合わせて提供。
しかも競技を観覧しにきた客に、食べ物を詰め合わせたカゴを配り、土産もばらまいた。

さらにカリグラは1%の売上税(今で言えば消費税)を廃止している。
また生活がままならない低所得者のために、税金を使って保護をした。
しかしこの税金廃止は、のちにカリグラ自身の首をしめることになる。

そしてもう一つ、カリグラは14年、つまりティベリウスが即位した年以来、元老院で行われるようになった政務官選挙を、市民が投票して決める民会選挙に戻したのである。
おそらくカリグラが元老院ではなく、市民の人気を自分の政治基盤として重視したかったのではないだろうか。
元老院では、年齢とそれに伴う実績が重視された。
カリグラは元老院議員たちにナメられたくなかったのだろう。

軍の懐柔

名将ゲルマニクスの遺児として、即位当初からカリグラは軍にとても人気があった。
兵士たちは、ゲルマニクスを冷遇した(と思われている)ティベリウスに対して反感を抱いていたので、カリグラの即位は歓迎されたのだ。

カリグラはさらに兵士たちに対し、ボーナスを出す。
しかも近衛兵やイタリアの兵士だけでなく、属州にいる兵士にまで出した。
これで軍との絆も確保したのである。

母や兄たちの弔いと身内への配慮

カリグラは、即位後すぐに母や兄たちが流刑にされていた島を訪れ、遺骨を集めてアウグストゥス廟へ丁重に葬った。
彼がこのとき何を思ったのかはわからない。
ただ、前帝ティベリウスの神格化を認めていないので、無念さとともにティベリウスに対する憤りを感じることができる。

母や兄の遺骨を集めるカリグラの絵
母や兄の遺骨を集めるカリグラ
ウスタシュ・ル・スュール [Public domain]

またカリグラは世話になった祖母アントニアを「アウグスタ(女性の尊称)」と呼び、さらに3人の妹には祭司の特権をあたえた。
さらに伯父クラウディウスには、同僚の執政官職を与え、元老院議員席まで確保したのである。


親や兄弟を思い、前帝の悪しき習慣を改め、元老院を立てて市民への配慮を忘れない。
カリグラは、いわば「理想の皇帝(正確には元首)」を積極的に演じることで、彼の政治的足場を固めたのだった。

カリグラ、大病を患う

元老院議員たちの祈願に応える

37年10月、突然カリグラは明日の身も知れない瀕死の大病を患った。
皇帝生活の贅沢が原因だとか、セックスに明け暮れる毎日が理由だとか、史書には様々な憶測を記している。
私はティベリウスとの生活や、新皇帝での日々で心の休まらず、疲れが溜まったのでないかと踏んでいる。

人々はカリグラの快癒を神に祈った。
ある議員は、カリグラが治るのなら剣闘士と戦うと言い、またある議員はカリグラが助かったら自分の命を差し出すとも言った。
もちろんこの発言は、自分がどれほど皇帝の身を案じているかというアピールだ。
誰も本気で実行しようと思っていないし、させようもとしないだろう。
唯一、カリグラを除いては。

カリグラはこの大病を、7ヶ月間の人気取りで固まった足場を利用し、自分の反対派を一掃できるチャンスだと思ったのではないか。
病気が完全に癒えたカリグラは、剣闘士との戦いを望んだ議員を実際に戦わせ、さらに自分の命を差し出すと言った議員を崖から突き落とし、約束を守らせたのである。

しかしカリグラは、自分の大病をさらなる足場固めに利用する。
それは皇帝候補として将来の禍根となりそうな、ゲメッルスを除くことだった。

義父とゲメッルス、マクロ夫妻の排除

カリグラは、元妻の父で有力議員であるシラヌスを、ゲメッルスと共謀して自分を打倒する疑いがあるとして、裁判にかける。
ゲメッルスは、カリグラが病の床に就いているときにシラヌスとはかり、皇帝の座を狙ったというのだ。

この結果、義父のシラヌスとゲメッルスは自殺に追い込まれる。
『皇帝伝』の著者スエトニウスによると、この陰謀はカリグラの空想でしかないと記しているし、私もその意見については同意する。
なぜなら、シラヌスを起訴をするよう命じられた人物は、カリグラの命令を断ったために処刑されているからだ。
私はスエトニウスの意見に加え、カリグラには政敵の排除という完全な目的があったと考えている。

さらに翌年には、カリグラを皇帝の座につけた一番の功労者であるマクロ夫妻も処刑された。
これもシラヌスと同様、カリグラへの口出しをする事ができる人間の排除だと考えている。
カリグラは若さゆえの万能感をいだき、徐々に自分に対して耳の痛い意見をいう人間を排除したくなったのではないだろうか。

カリグラは祖母アントニアが生前忠告をした事に対し、次のように言ったという。

よく覚えておいて下さい。私は誰にでも何でもしていいのだということを

ローマ帝国愚帝物語 第二章 淫蕩帝伝

この言葉こそが、皇帝になった彼の、偽らざる本心だったのではないだろうか。

最愛の妹ドルシッラの死と神格化

カリグラ自身の大病に続き、翌38年6月、妹ドルシッラが死んだ。
カリグラに3人の妹がいたことは、父の死、母とティベリウスの対立ですでに述べたとおりだ。
史書ではカリグラがこの3人の妹たちと近親相姦を重ね、彼女たちを嫁がせた後でさえ、関係を続けていたと言われている。

カリグラの妹たちを刻印したコインの写真
妹たちを刻印したコイン
ローマ帝国愚帝物語 より

妹たちとの関係の真偽は脇に置くとして、彼女たちへの愛にあふれていたことは想像に難くない。
この3人の中でも特に溺愛していたのが、2番めの妹ドルシッラだった。

カリグラはドルシッラの死を悼み、国葬を命じた。
さらに女性としては異例の神格化、つまりアウグストゥスなどと同じくローマ神の仲間入りをさせたのだ。
本来ならすぐれた業績を上げた人間に対し行われる神格化だが、カリグラは「愛していた」という理由だけでドルシッラを神に列席させたのである。

カリグラの結婚遍歴

さて、暴君カリグラが実際に行った政策を見る前に、彼の結婚歴を紹介しておこう。
彼は生涯で4度結婚しているが、いずれも結婚生活は短かった。

1番目の妻:ユニア・クラウディラ

はじめに結婚した相手は、ユニア・クラウディラ。
ティベリウスの生前に行われている。
この結婚は彼女がお産で子供とともに死亡してしまったため、長くは続かなかった。
ちなみに処刑された義父マルクス・シラヌスは、彼女の父である。

2番目の妻:リウィア・オレスティラ

ある貴族との結婚披露宴に臨席したカリグラが、ただちに別れさせて自分の妻にした略奪婚のお相手が、リウィア・オレスティラ。
しかしカリグラは彼女とほんの数日過ごしただけで、すぐに離婚している。

3番目の妻:ロリア・パウリナ

彼女も2番めの妻と同じく人妻で、またしても略奪婚。
さらにこちらも同じくすぐに離婚した。
カリグラは離婚の際、彼女に、

生涯どんな男とも寝てはならぬ

と言い渡したという。

4番目の妻:ミロニア・カエソニア

放蕩で名高かったが、なぜかカリグラに最後まで愛された女性。
カリグラは彼女との間に一女をもうけている。
もしかしたら彼女は、カリグラのありのままを受け入れることができた唯一の女性だったのかもしれない。

カリグラの政策

徹底した人気取り

破天荒な行動が目立つ暴君として描かれるカリグラだが、彼の治世ではどのような政策が行われていたのだろうか。

一言で言えば、カリグラは前帝ティベリウスとは真逆のことをした、と言えるだろう。
とはいえ、カリグラが知るティベリウスの政治は、おそらくカプリ島で共に暮らした6年間だけであり、この頃のローマは大逆罪裁判が吹き荒れ、緊縮財政により市民たちが楽しみを奪われていた時代だ。

そこでカリグラは市民に対し徹底したサービスを行うことで、人気を取るようにした。
また、ティベリウス時代の秘匿主義をなくす努力もする。

その一つが、国家が「どこにいくらのお金を使ったか」をすべて見せる、公的資金の公表を行った。
当然ティベリウスの治世では、市民が知る手段はなかった。

さらにカリグラは、火災による被害を受けたものに対して、税金を一部免除。
祝祭で行われた競技会(スポーツ大会や芸術大会のようなもの)に賞金を設けた。

公共事業

カリグラは、短い治世の中でも、積極的に公共事業を行った。

クラウディア水道の写真
クラウディア水道
Luca Andrea Rossi[CC BY-SA 2.0 ]

カリグラが行った主な公共事業は、クラウディア水道と新アニオ水道、2本の上水道建設が上げられる(ただし完成はクラウディウス帝時代)。
おそらくローマの人口はうなぎ登りであり、カリグラは必要な設備を整えただけだろう。

また、カリグラは港湾開発にも力を入れた。
具体的にはレギウム(現レッジョ・ディ・カラブリア)とシチリアの港づくりだ。
ユダヤ人のヨセフスは、カリグラが行った港湾開発を評価しており、この事業でエジプトからの穀物輸入量が増加したという。
これはカリグラ本人が自覚していたかわからないが、飢饉への対策としても評価できるだろう。

その他、カリグラが行った公共事業は、次のようなものが挙げられる。

  • アウグストゥス神殿の完成
  • ポンペイ(ウェスウィオ火山の噴火で埋没した都市)の劇場の完成
  • サプエタ・ユリア近郊に円形劇場を建設
  • 戦車競技場(のちにガイウスとネロのキクルスと命名される)を完成させ、エジプトから運ばせたオベリスクを中央に据える
  • シラクサの市壁と神殿を修復し、道路を敷設、修復
  • サモス島の僭主ポリクラテスの宮殿再建
  • エフェソス・ディディマにあったアポロン神殿の完成
  • アルプス高地に新都市建設計画
  • ギリシアの地峡に運河開通計画

競技場に設置するため、エジプトからオベリスクを運ばせた船は、その後クラウディウス帝時代に、港で使う灯台の土台にするため、海の底に沈められた。

サン・ピエトロ広場にあるオベリスクの写真
カリグラがキクルスに設置したオベリスク
(現在はサン・ピエトロ広場に設置されている)

これら公共事業のなかでも特に度肝を抜いたのが、バイアエからプテオリに浮き橋を建設する事業だろう。

バイアエープテオリ間の浮き橋建設

温泉の湧き出る行楽地として名高いバイアエから、海を挟んでプテオリの港まで、およそ3.2kmをつなぐ浮き橋。
ただしこの浮き橋は、恒常的なものとして建設したのではない。

カリグラはティベリウス時代、占い師に次のようなことを言われた。

(カリグラが皇帝になるのは)馬にまたがってバイア湾を渡るより難しい

この言葉を見返すために作ったと史書にはある。

また、浮き橋を利用してペロポネソス半島を渡ったペルシア王クセルクセス1世への対抗心とも言われている。

カリグラはこの橋を作るために、各地から船をかき集める。
それを2列に並べて錨で止め、この上に盛り土をして道路を作り上げた。
橋の所々には休憩所まで設けるという、念の入れようだった。

しかしカリグラがこの橋を使用したのは、たった2日間。
1日目は愛馬インキタトゥスに乗り、アレクサンドロス大王の胸当てを着け、インド産の宝石を散りばめた真紅のマントを羽織ってプテオリまで馬で疾駆した。

2日目は金で刺繍した服を着て戦車にのり、バイアエに向かって出発。
これは凱旋式をマネたもので、カリグラの前には模擬戦争捕虜ともいうべきパルティア王族の少年を連れていたという。

この他、カリグラは2艘の巨大な船を造らせている。
一つはディアナ神殿として設計した、浮き神殿。
もう一つは巨大なクルージング船で、大理石の床や浴室、上水道まで完備していたという。

ネミ湖に沈んでいたカリグラの船の写真
ネミ湖に沈んでいたカリグラの船
Wikipediaより

ちなみにカリグラの巨船は、2艘とも沈んだと言われており、伝説となっていたが、1900年代にネミ湖の底から実際に発見されたようである。


カリグラが行った浮き橋づくりや巨船の建造は、究極的には自己満足の産物だろう。
彼も本気でこのようなものが役に立つとは思っていなかったはずだ。
しかしカリグラの中には「人々を驚かせたい、楽しませたい」という欲求がどこかにあったように思う。

ほら、今日でもいるではないか。
月まで行くとか、民間でロケットを打ち上げるような事業を行っている、スタートアップの起業家たちが。

引き起こした食糧危機

こうした政策は、市民たちに大きな娯楽をうみ、雇用も確保できたことだろう。
しかし公共事業にはお金がいる。
カリグラは市民たちの人気を考えるあまり、収支のバランスを崩してしまい、国庫が底をついてしまったのである。

加えてティベリウスが蓄財していた27億セステルティウス(今の価値で9,000億円程度)の私財まで空にしてしまった。
皇帝公庫と呼ばれる公私を混ぜたお金は、「もしも」のために必要となる。
ティベリウスは不人気になろうとも、もしものために「あえて」市民への人気取り政策を行わなかったのである。

カリグラは治世当初、間接税である1%の売上税を廃止していた。
このころローマは少しずつではあるが、人口は右肩あがりで経済も発展していたので、間接税さえ継続していれば、まだ資金はあったかもしれないのだ。

そして「もしも」とはこの場合、食糧危機を指す。
アウグストゥス以来、食糧危機が起こるたびに、私財を投じて市民のために食糧の調達をしてきた。
カリグラはお金が底をついたことで、市民たちへの生活に打撃を与えることとなったのである。

ネロの側近で哲学者セネカは、先に書いた浮き橋建設で徴発したために船が足りず、輸送が滞ったために食糧難を引き起こした、と著書の中で書いている。
原因のいくらかを作ったのは確かだろう。
だが、資金難のほうがよほど深刻な事態だったのではないだろうか。

カリグラの財政再建

カリグラは財政再建の必要に迫られた。
では彼はどのように足りなくなった資金を調達したのだろうか。

皇帝財産の競売

カリグラがまず行ったのは、皇帝私財を競売にかけること。
皇帝主催での競売は、のちの五賢帝ネルウァやマルクス・アウレリウスも、財政難や緊急時の戦時資金調達のために行っている。

カリグラはありとあらゆるものを売り出した。
宮廷で使っている家具調度品から宝飾、果ては使用人の奴隷まで。
アウグストゥスが使っていた寝台なども、その品の中にあったという。

こんな話もある。
カリグラはある時、剣闘士を13人もセットにして売りにだした。
しかしなかなか買うものが現れない。
そこでカリグラは、居眠りをしている元老院議員に目をつけた。

哀れな犠牲者となった議員は、居眠りしているまにうなずいたということにされ、900万セステルティウスのお買い上げとなったようである。

元老院議員や有力者からの財産接収

しかしいかに皇帝の私財に価値があるとは言え、この程度でカリグラの散財は回収できそうになかった。
そこで次に目をつけたのが、皇帝への遺贈である。

遺贈とは、生前お世話になったり交友関係があった知人に、遺産の受取人となってもらうこと。
共和政期からすでにあった習慣だったが、帝政に入るとパトロヌス(被保護者)の頂点である皇帝を遺産受取人として指名する有力者たちもいた。
もちろん前帝ティベリウスに対しても、である。

ところが前帝ティベリウスに遺贈する遺言書を書いておきながら、ティベリウスが先に死んでしまったため、約束を反故にした人がいたのだ。
カリグラはこの人たちに対して、「皇帝に約束した遺贈は、後継者にも引き継がれる」と、元老院で決議したのである。
皇帝個人への遺贈は、いまや皇帝という位への遺贈となってしまったのだった。

またカリグラは、遺産受取人に自分を指名するよう、下士官たちに強要した。
もし相続人に指定しないと、恩知らずと言われてしまう。
さらに一般の市民に対してさえ、皇帝へ遺贈するつもりで果たせず死亡した(と言われている)遺言は無効とし、皇帝への遺贈を強制したのである。

税制改革

さらなる資金調達のため、カリグラは税制改革にも着手する。
売上税の廃止で減った財源を、何かで満たす必要があった。

そこでカリグラは、首都ローマに次のような新税を課した。

  • 食料品や商品の輸送税
  • 訴訟税
  • 娼婦による売春税

娼婦については、月当たり1回分の稼ぎを収めさせている。
さらに面白い(?)ことに、売春税は現役だけではなく、主婦におさまった元売春婦にも課された。
妻としてその役割を果たしている、という理屈らしい。

ここまで見てくると、カリグラがよほど財源に困っていた様子が伺える。
事実、カリグラは市民に対してお金を貸してくれるよう、懇願までしたようだ。

ならば素直に売上税を復活させればいいと私は考えるが、カリグラのプライドが許さなかったのかも知れない。

カリグラ、元老院と対立する

市民に対して徹底的な人気取り政策を実行したカリグラだったが、元老院と当初の良好な関係から一変、徐々に対立するようになっていく。

なぜ関係が悪化したのか、はっきりした原因はわからない。
しかし、次のような原因があるのではないか、と考えられる。

  • 正式な裁判をせずに処刑したこと。とりわけマクロ夫妻の一件は非難の的だった
  • 市民政策による財政破綻。政治家としての力量を疑われた
  • 38年後半以降、カリグラの元老院軽視(専制政治)が加速した

その他、ティベリウスのカプア隠棲で皇帝不在に慣れきっていたため、議員たちはカリグラが目障りになったとも言われている(が、私はこの考えを支持しない)。

では元老院との対立の結果、カリグラは議員たちにどのようなことを行ったのだろうか。

ティベリウス時代の裁判をやり直す

カリグラは治世当初、母や兄たちの件を不問にすると宣言した。
しかしここに至って、カリグラは裁判文書の控えを取り出し、もう一度審議をやり直すと言い出したのである。

また、耳を貸さないとまで宣誓した大逆罪の告訴も復活させた。
カリグラはティベリウス時代の裁判記録を見直し、信頼に値しないと判断した議員数名を死刑としたのである。

彼の手のひらを返した態度は、当然元老院たちの反発を招く。
そしてついにカリグラへの陰謀が持ち上がったのだ。

義兄と高地ゲルマニア総督の陰謀

陰謀の主はカリグラの亡くなった妹ドルシッラの夫、レピドゥス。
つまりカリグラからすれば、義理の兄が陰謀を企てたことになる。
また、高地ゲルマニア総督も共謀したというのである。

これが本当なら軍事クーデターとなり、カリグラにとってもローマにとっても一大事となる。
だが実際は陰謀などなかったらしい。

結局陰謀を企てたとしてレビドゥスは処刑され、カリグラの妹二人もこれに加わったとして追放刑となった。
さらに謀反の疑いありとして、カリグラは高地ゲルマニア総督も処刑した。


カリグラは若さゆえに政治のことがわからないと、陰口を叩かれていたのではないだろうか。
それゆえ、彼は体面をつくろうため必死で元老院議員に対抗した。

しかしカリグラの態度と元老院の思惑が徐々にズレを引き起こし、運命の歯車が狂っていくことになるのである。

カリグラと領土問題

父ゲルマニクスの威光を受け継ぎ、軍隊には人気があったとはいえ、カリグラ自身には軍事での実績がまったくなかった。
そのためカリグラは軍事面でもコンプレックスを抱いていたのではないかと思う。
ローマ皇帝とは、ローマ軍の総司令官でもあるのだから。

ではカリグラは軍事面で、どのようなことをしたのだろうか。
次はカリグラの領土問題を見ていこう。

ゲルマニア・ブリタニア遠征

39年秋頃、カリグラはゲルマニア遠征へと出発した。
史書には見せかけのみで引き返した、とあるが、私はこのゲルマニア遠征を翌年のブリタニア遠征のための地固めだと考えている。

つまり、カリグラはゲルマニアの様子を確認するためライン川を渡り、ゲルマン人への牽制を済ませた後引き返したのではないか。

実際、オランダにあるローマ時代の砦では、年代測定でカリグラ時代の木が使われていたことが判っている。
また、カリグラ時代に生産されたコインも発見されているのである。

ともあれ大きな成果もなく冬をルグドゥヌム(現フランスのリヨン)で過ごすと、翌年早々カリグラと遠征軍はドーバー海峡へと到着。
この遠征の目的は、ブリタンニアの王子が内紛により救援を求めていたためだった。

カリグラはドーバー海峡を渡ろうとしたが、冬の大西洋に阻まれ、結局引き返すことにした。
こちらも史書では成果なく引き返すのもためらったカリグラが、海岸で兵士たちに貝殻を拾わせ、それを戦利品として持ち帰らせたとあるが、私はどうも信じることができない。

最近の研究では、カリグラの遠征は下見であって、本格的な侵攻に備えたものだったとされており、こちらのほうがまだ説得力はあるだろう。
実際カリグラは海峡に灯台を作らせ、ローマへ帰還しても略式の凱旋式ですませている。

この灯台についても、軍事目的だけではなく、商船のための灯台でもあったのではないか。
ローマの商人たちは、地中海だけではなく大西洋周りでも交易にのりだしていたのだから。

帝国東方の対応

帝国東方での問題は、もっぱらユダヤ人への対応だった。
彼らは商売敵であるギリシア人との中が悪いだけでなく、後に説明する宗教問題で、カリグラとは相性が悪かったのである。

この問題をカリグラの代わりに対処したのがカリグラの友人で、後にユダヤの領主となるアグリッパ1世だ。

アグリッパ1世の肖像画
アグリッパ1世
Published by Guillaume Rouille [Public domain]

カリグラは38年、エジプト長官だったフラックスを更迭、処刑する。
カリグラはもともとティベリウスの忠臣だったフラックスを信用しておらず、また母への陰謀加担やエジプトの独立を望むものたちに通じていたと言われている。
そのフラックスを調査するため、アグリッパ1世がエジプトへ派遣されていた。

またアグリッパ1世は、東の大国パルティアと共謀して反乱計画を立てたとして、ユダヤの領主を告発。
カリグラは自白したとして領主を追放し、褒美としてユダヤ領主が治めていた土地をアグリッパ1世に与えている。

マウレタニア併合

カリグラが行った中でも最も不可解なのが、北アフリカ西方にあるマウレタニア王国の併合と国王プトレマエウスの殺害だろう。

プトレマエウスは、ユバ二世とクレオパトラ・ヘレネの子である。
ユバ二世は、カエサルに殺されたユバ一世の子であり、アウグストゥスにマウレタニア王国の統治を任された人物。
一方のクレオパトラ・ヘレネはアントニウスとクレオパトラの子供であり、彼らがアウグストゥスに破れてからは、アウグストゥスの姉オクタウィアの元で育てられた女性。

では彼らがローマに対して恨みを持っていたかというと、全くそんなことはなかった。
ユバ2世はローマで教育受け、ローマ的な思想へと変化していたし、クレオパトラ・ヘレネもオクタウィアから愛情を受けたおかげで、父と母を殺された恨みなど微塵もなかったのだ。
この両親のもとで育てられたプトレマエウスも当然親ローマであり、ローマにとっても理想的なパートナーとなっていた。

にもかかわらず、カリグラはプトレマエウスをローマに呼び出すと、彼を殺害。
マウレタニア王国を属州として2州に分けてローマの領土に組み込みこんだのだ。

しかしこれは完全な悪手だった。
なぜならローマは防衛戦が広がったせいで、軍隊を派遣する必要が生じる。
だけでなく、親ローマだった王を殺されたので、ほどなくマウレタニアで反乱が発生したからだった。

カリグラがなぜこんな暴挙にでたのか、残念ながら詳細を書いた史料は散逸して残っていない。
これも、コンプレックスからくる「どこかで軍事的成果を上げなければならない」焦りだったのか。

カリグラ、神になる

生前の神格化

40年、カリグラは最高神ユピテルを自称した。
ローマでは死後に神の列に加えられる、いわゆる神格化をされることはあっても、生前から神となったことはない。
なぜなら皇帝であっても同じ市民(市民の第一人者)であり、同じ人間が神と崇められることは不合理だったからである。

それをカリグラは破ったのである。
彼はユピテルだけではなく様々な神に扮装し、人々の前に現れた。
さらに神となる自分の祭司団まで結成する。
妻カエソニア、叔父クラウディウスを祭司に任命したのだ。

皇帝であっても市民の一人でしかないと見せかける、アウグストゥスが創設したシステムを、カリグラは見事に無視してみせたのである。
これもカリグラのコンプレックスから来る、行動の一つだろう。

しかしカリグラが神を自称することは、ローマ市民には軽蔑される程度ですんだが、神は一人(一つ)しか存在しないとするユダヤ人たちにとっては、見過ごすことができない出来事だった。

ユダヤ人の報復

この頃、エジプトのアレクサンドリアではギリシア系の市民たちの、商売敵であるユダヤ人迫害が頻発していた。
ユダヤ人は使節団を派遣して、ギリシア人の不当な扱いを正してもらうため、皇帝への拝謁を賜った。
しかしカリグラは、ユダヤ人が神である自分を崇めないという理由から、彼らの訴えを退けたのである。

イスラエルのある都市では、ユダヤ人たちがカリグラの神格化に反対して建設されたレンガ造りの神殿を破壊する。
これに激怒したカリグラが、エルサレムのユダヤ神殿に自分の像を立てさせるよう、部下に命じた。
実行すれば内戦は必至。
しかしこれは部下が機転を利かせ、工事を1年以上遅らせ、その間にアグリッパ1世がカリグラを説得して命令を破棄させたようである。

カリグラの最期

財政悪化による皇帝財産の強引な収奪、元老院との対立による孤立、そして陰謀疑惑による疑心暗鬼と身勝手な処刑で、ますます深まる溝……。

このような状態で、元老院議員や騎士身分の有力者、一部の近衛兵たちの間でついに堪忍袋の緒が切れた。
カリグラの暗殺計画が、ついに実行に移される時がきたのである。

最初の暗殺未遂

40年後半、カリグラに一部の元老院議員による最初の暗殺計画が謀られる。
しかしこれは事前に漏れてしまい、失敗。
容疑者が拷問された結果、一人が無罪と引き換えに共謀者を自白した。

カリグラは犯人たちを捕らえると処刑し、彼らの父親までも死を与えたのだった。

近衛隊副長に暗殺される

しかし暗殺計画はこれで終わらなかった。
元老院議員に一部の近衛兵まで巻き込む、大規模な計画が信仰していたのである。

実行犯はカシウス・カエレア。
近衛兵副官で、元ゲルマニア軍団の兵士であり、おそらくカリグラの父ゲルマニクスの元で戦ったこともあっただろう。

塩野七生氏はローマ人の物語の中で、カエレアが暗殺を行ったのは国家のことを思ってだと書いているが、私は私憤(恨み)を義憤で包んだ感情があったと考える。
一線を踏み越えるのは、ぼんやりとした輪郭しかないものではなく、ドロッとした感情が強い憤りとなって、はっきりとした目標に向かうときだ。
それが「正義」という免罪符を与えられて、初めて行動となって表れるのだと思う。

カリグラ暗殺のシーンを描いた絵
カリグラ暗殺
Lawrence Alma-Tadema [Public domain]

暗殺実行日は1月24日。
17日から数日間続く皇室主催の「パラティウム祭」に行われた。
皇帝が昼食に出かける際、必ず通る狭い通路で待ち伏せをすれば、必ず成功するという確信があったからだ。

そしてついにその時は訪れた。
カリグラが正午過ぎ、若い俳優に声をかけようと狭い通路で立ち止まったとき、カエレアが短剣を抜き放ち、彼に一撃を見舞った。
それに続いて共謀者たちも次々とカリグラを刺す。

カリグラは絶命した。
享年28歳。
帝政始まって以来の、暗殺劇で幕を閉じた治世だった。

暗殺後の経緯

カリグラが襲われたことを知った護衛のゲルマン人たちは、怒り狂って暗殺者たちに襲いかかった。
あまりにも怒りが大きく、関係のないものまで犠牲になったという。

一方別の暗殺者グループは宮殿に忍び込み、皇帝の妻カエソニアを殺害。
また幼い娘ドルシッラは壁に頭を打ち付けて殺されたという。
義憤だけでは、関係のない家族に対し、こうまで残酷な殺し方をするだろうか。

彼らは続いて、カリグラの叔父クラウディウスを殺す予定だったが、別の近衛兵たちがカーテンに隠れているクラウディウスを近衛隊兵舎に運び込み、その身を守った。
後日、カリグラに懲りた元老院議員は、アウグストゥス以前の皇帝のいない「本当の共和政」に戻そうとしたが、近衛隊によって皇帝に推挙されたクラウディウスを確認すると、しぶしぶ承認。
最後の共和政回帰の計画は泡と消え、第4代皇帝が誕生したのだった。

今回のまとめ

ではカリグラについて、もう一度おさらいしよう。

  • 両親からアウグストゥスの血筋を受け継ぐサラブレッドだった
  • 父の死と母の流罪で子供時代に一家が離散し、カリグラは最終的に皇帝と一緒に暮らすことになった
  • 近衛隊長官と手を結んで皇帝の座を手に入れたが、後にその長官と共同統治者を処刑、自殺に追い込んだ
  • カリグラの治世は徹底した民衆への人気取りのため、財政が破綻し元老院との関係も悪化した
  • 最後は元老院と共謀した一部の近衛兵によって暗殺された

カリグラほど民衆に期待されて即位した皇帝はいなかっただろう。
彼はそれに懸命に応えようと努力したが、若干24歳の若さでは、アウグストゥスの創設した政治システムを理解しきれなったのだと思う。

民衆はカリグラの暗殺に耳を疑い、下手人不明との報を受けると激しく怒り、騒ぎを起こしたという。
カリグラは望み通り、民衆たちに最後まで愛された皇帝だった。

本記事の参考図書

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