ドミティアヌス ―ローマ法を尊重しすぎた生真面目な暴君―

ドミティアヌス 生真面目すぎた暴君

ドミティアヌス、元老院と対峙する

皇帝が暴君とよばれる理由の一つが、治世中に元老院と対立することだ。
ではドミティアヌスは、元老院(議員)に対してどのような態度をとっていたのだろう。

法の厳守と賄賂の対応

ドミティアヌスはモラル法以外でも、法を厳格に適用するよう務めた。
それがたとえ元老院議員身分のものであっても、いや、議員だからこそ生真面目な彼は厳しく対処しようとしたのだろう。

ドミティアヌスの治世下では、彼が慎重に裁判の判決を下し、また公正に判断しようとした。
また、共和政以来の悪習である、官職を利用した属州民からの不当な取り立てに対しても、彼は毅然とした態度で望んだ。

その証拠として、ドミティアヌスは皇帝が派遣する管理官、つまり属州総督の不正を管理したり、徴税を担う彼らに対し、現地民からの身勝手な挑発を禁止する通達をしている。

またドミティアヌス治世下では属州民が告発した裁判は(史料で確認できる限り)1件だけだが、のちのトラヤヌス帝治世下では7件へと増えている。
これを持ってドミティアヌスが行った不正防止の効果が出ていると考えるのは早計だろうが、一定の判断基準にはなるだろう。

実際、小プリニウスは元老院に対して、次のような一般論を書き残している。

元老院は他の身分に厳しい一方で、同僚議員の犯罪には、互いに黙認し合うかのように、甘かった

ローマ帝国愚帝物語 第四章 残虐帝伝

元老院議会の軽視と顧問団の重用

ドミティアヌスはまた、議員が600人もいるために決断能力の低い元老院議会をなんとかしたいと考えていた。
実はアウグストゥス帝以来、どの皇帝もこの現実には気づいていた。
というより、元老院の権威を損なわず、かつないがしろにすることで皇帝自身が凶刃に倒れないように敢えて議会の存在を残しつつ、1人の決断によって効率化を図るというバランスを取っていたのだ。

ドミティアヌスは、元老院に対しこの現実を突きつける。
彼は自分と法律と行政の専門家集団である皇帝付きの顧問団(アミキ・カエサリス)を重用し、元老院をすっ飛ばして独断で案件を処理するようになった。
その一つがブドウ畑の規制問題だ。

ブドウ畑の規制

食糧不足はブドウ畑の増やしすぎにあり、と考えたドミティアヌスが出した規制。
彼の規制は以下のとおり。

  • イタリア内では今後ブドウの木を植樹してはならない
  • 属州では、ブドウの木を半分切り倒す

さすがに半分は大げさだと思うが、ある程度はブドウ畑を減らされたと予想できる。

なぜドミティアヌスはブドウ畑の規制を元老院を通さずに行ったのか。

元老院議員たちは(法律上商売を禁止されていたにも関わらず)農場の経営をしているものが多かった。
その彼らは小麦などの食物よりも、お金になるブドウを栽培し、ワインとして出荷する方を選んだのである。

とうぜんブドウ畑が増えすぎると、穀物の生産が落ちる。
ドミティアヌスはこの議員の金儲け主義を規制した、ということなのだ。

おそらく元老院議会では、議員同士の既得権益を守るために、ブドウ畑の規制など議題にも登らなかったにちがいない。
ドミティアヌスは、この生ぬるい議員体質をついたのだ。
だがこのような態度は、元老院議員たちに煙たがられる原因となったに違いない。

イタリア出身議員の軽視と属州出身議員の尊重

もう一つ、ドミティアヌスが元老院との確執を深めた原因として、古代ローマ史家の南川高志氏は、伝統的なイタリア出身議員たちよりも属州出身の議員を重用したことを挙げている。

南川氏によると、帝国東部属州出身者を新たに元老院議員として迎えているという。
また軍団が配置された重要な属州への赴任も、伝統的な家柄の議員ではなく、新たに加わった議員を任命している。

本来なら伝統的な議員勢力への配慮をしつつも、新しく有能な血を加え、帝国運営を巧みに操作するのが皇帝の仕事。
ドミティアヌスは、どちらかというと伝統勢力よりも新興勢力を重用し、現実路線を貫いた。
そしてそのことが、伝統勢力とのバランスを崩し、一部議員からの反発をまねいたのではないだろうか。

ドミティアヌスのローマ帝国防衛対策

元老院との対立については一旦置いておき、ドミティアヌスの帝国防衛について話を進めてみよう。

ドミティアヌスは父や兄とは違い、皇帝になる前はこれと行った軍事的な功績をあげているわけではなかった。
おそらく本人もそのことを自覚していたのではないかと思う。
ではドミティアヌスは、帝国防衛をどのような態度で臨んだのだろうか。

アグリコラの解任

まずドミティアヌス時代の軍人として思い浮かべるのが、歴史家タキトゥスの義父にして、ブリタンニア(現イングランド)総督を異例の7年間も務めたアグリコラだろう。

アグリコラ
アグリコラ
Ostrich [Public domain]

タキトゥスによると、アグリコラはブリタンニア総督時代、属州民には公正な態度で統治に臨み、反乱の続いたブリタンニアを平定した。
またスコットランドにも攻め込み、海軍を派遣してイギリスが島であることも確認した人物だ。

ドミティアヌスは84年、アグリコラを総督職から突如解任する。
タキトゥスによると、ドミティアヌスはアグリコラの輝かしい軍功を嫉んだためだという。
しかし近年の研究では、タキトゥスの主張を否定している。
なぜか。

実はアグリコラがスコットランドへ軍を展開中の82年、ゲルマニア(現ドイツ)で新たな戦争が起こった。
ドミティアヌスは、アグリコラが長年の統治で積極的な侵攻をすることは承知していた。
しかし帝国の軍隊が最低限の防衛を想定した配置をしている以上、2方向での戦争は厳しいと判断したのだろう。
さらにアグリコラがこれ以上ブリタンニアの領土戦争を目論めば、戦争が泥沼化する可能性もあった。
そこでアグリコラをブリタンニアからローマへと呼び戻したのである。

では82年から起こったゲルマニアでの戦争は、どのようなことが原因だったのだろうか。

リメス・ゲルマニクスの建設

ローマ帝国は後9年のトイトブルク森の戦いでの敗北を受け、北側はライン川とドナウ川を防衛ラインと定めた。
大河を挟んだ防衛はたしかに強固だったが、一つだけ弱点がある。
それが両大河の合流地点だ。

ライン川とドナウ川は上流で川幅が狭くなるだけでなく、完全に川が合流しているわけではない。
加えてこのあたりにはシュヴァルツヴァルトという大きな森林が広がっており、ローマ軍がゲルマン人のゲリラ戦法に手こずる場所でもあった。

リメス・ゲルマニクス
リメス・ゲルマニクス
Sansculotte [CC BY-SA 3.0 ]

ドミティアヌスはこの問題に対処するため、ドナウ川とライン川をつなぐ長城(リメス)を築くことにしたのである。
ドミティアヌスはまず、このあたりに住むゲルマン人部族で、ローマに有効的なマティアチ族から土地を買収。
彼らと敵対するカッティ族との間に防壁を建設しはじめた。

当然リメスの建設は、カッティ族の反感を招く。
ただしドミティアヌスが建設を開始したのは83年。
カッティ族との戦争が起こったのは82年なので、リメス建設が原因で戦争が起こったのか、戦争が原因でリメスを建設したのかは定かではない。

いずれにせよ、なんとかカッティ族との戦いに勝利したローマは、リメス・ゲルマニクスの建設を続けることができた。
このリメスが完成するのは、ハドリアヌス帝の頃であり、260年に放棄されるまで180年近く、ローマ帝国を守り続けることになる。

ダキア人の侵入と対応

ゲルマン人との戦争が終わったのもつかの間、85年末に今度はダキア人(現ルーマニアに住む人々)が南下し、ドナウ川を渡って突如ローマ領内に侵入してきたのである。
突然のことに対応しきれず、モエシア総督は戦死。

ドミティアヌスは近衛隊長官フクスクとともに、軍を率いてダキア人を迎え撃ち、1度は勝利しローマ領内から追い出すことに成功した。
しかしフクスクに指揮権を預けてドミティアヌスが現場を離れた後、ダキア領内に攻め入ったフクスクも奇襲を受けて敗北、戦死してしまった。

結局ダキア人との和睦が成立するのは開戦から3年後の88年。
ドミティアヌスは、ローマ人捕虜を引き渡してもらう代わりに、毎年800万セステルティウスを支払わされる事になったのである。

戦争費用の捻出

戦争には当然先立つもの、つまりお金が必要だ。

ドミティアヌスは、83年、まず兵士たちの給料を33%アップした。
さらに退役兵にたいして次の特権も認めた。

  • 正規軍には税金の免除
  • 補助兵(属州民からなる正規兵以外の兵士)の退役後、本人がローマ市民権を得られる従来の方式に加えて、妻子にも市民権を付与

兵士たちを厚遇することで、戦争への士気を高めようとしたが、当然費用もかさむことになる。
ドミティアヌスはこの問題にどう対処したか。

彼はまず、貨幣の改悪に踏み切った。
つまり兵士に支払われるデナリウス銀貨の銀含有率を下げたのである。
銀の純度を下げると、その分貨幣の量を増やすことができる。
ただしあまりにも貨幣の量を増やすと、慢性的なインフレを引き起こすのは、ご存じのとおりだ。

また、ユダヤ人に対して税の取り立てを厳しくした。
これは父や兄が行ったユダヤ人の反乱鎮圧に伴い、ユダヤ人の監視を強くした結果だろう。


こうしたドミティアヌスの戦闘能力のなさと弱腰の姿勢は、やがて軍の反発を招くこととなる。
そのことについては高地ゲルマニアの反乱で書くとして、次はドミティアヌスが市民に提供した娯楽を見てみよう。

9 COMMENTS

フェリクス

古代ローマライブラリーの記事、
とても楽しく読ませていただきました。
古代ローマの新しい一面が
発見でき、大変面白かったです。
※ ドミティアヌス ―ローマ法を尊重しすぎた生真面目な暴君―の記事で、
伯父サビヌスの計らいで危機一髪の命拾いをするの章で[残念なことに、この事件で兄サビヌスは]、と書かれていましたが
叔父ザビヌスと書いた方が良いのでは・・・

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プロフィールアイコン 名もなき司書官

フェリクスさま

当サイト、古代ローマライブラリーの記事をお読みいただき
ありがとうございます!

また、「面白い」とおっしゃっていただけて、
嬉しい限りです・・・!

これからも記事を更新していく予定なので、
また遊びに来てくださいね。

>叔父ザビヌスと書いた方が良いのでは・・・
当該部分を読み返してみましたが、
確かに「誰から見た〇〇」の関係性が、
かえってわかりにくいですね・・・

貴重なご意見ありがとうございます!
これからもお気づきの事があれば、
コメントお待ちしております。

返信する
フェリクス

こちらこそありがとうございます。
また、新しい記事を楽しみにしております。
※ところで、フェリクスには古代ローマ
では(英語でいえばラッキー)という意味が
あるそうです(笑)
ー[奴隷のしつけ方、第I章、奴隷の買い方]
より

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プロフィールアイコン 名もなき司書官

フェリクスさま

>※ところで、フェリクスには古代ローマ
では(英語でいえばラッキー)という意味が
あるそうです(笑)

たしか共和制末期の政治家スッラも
名前に「フェリクス(felix)」とついていますよね。

そういえば漫画「プリニウス」の
登場人物の一人にも、。
「フェリクス」という名前の人がいたような・・・。

コメントありがとうございました!

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フェリクス

ー名もなき司書官さま

こんにちは、フェリクスです。
前回の返信で 〉そういえば漫画
「プリニウス」の登場人物の一人にも、「フェリクス」という名前の人がいたような・・・ とご指摘(笑)
がありましたが、その通りです(笑)。
名もなき司書官さまも「プリニウス」を読んでらしている(?)と思い
この名前を付けてみました。
ところで、私フェリクスがこの
サイトを始めて拝見したのは
古代ローマの奴隷 ―高度な専門知識を持つものも存在した、社会の基盤を支える労働力―でした。この記事で古代ローマへの興味が大変かき立てられました。(続)

フェリクス

ー長文失礼いたします

フェリクスです。
前回の投稿の通り、名もなき司書官さまの
記事ー古代ローマを楽しく知るために、おすすめする本ーで紹介されていた
ー奴隷のしつけ方ーを購入するに至りました。(&続編の古代ローマ貴族9つの習慣も購入しました)
その本の中から興味深いと感じた箇所が
あり今回報告させていただきます。

ー奴隷のしつけ方ー第X章でクラウディウス帝の側近である解放奴隷のパッラスが
皇帝の為に法案を考えただけで高額の
報償金と法務官の肩書を元老院から提示
されたとあり、(結局報償金は辞退しましたが)それだけではなく、なんとパッラスは
およそ3億セステルティウスの資産を持ち、弟のフェリクス(私とは別人の笑)は
ユダヤ属州総督になり傍若無人の振る舞いをした、と書いてありました。
それだけでも凄いのですが、私が一番驚いたのはパッラスの資産額です。
ーローマ貴族の9つの習慣ーに有名人 
マルクス・リキニウス・クラッススの
総資産が2億セステルティウスと書かれていましたが、パッラスの資産額はあの
クラッススを超えていた事に大変驚きました。
(物価の変動などもあるでしょうが・・・)

つい、長くなりましたが、フェリクスから
名もなき司書官さまへの報告とさせて頂きます(^^)

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プロフィールアイコン 名もなき司書官

フェリクスさま

ご返信ありがとうございます!

お名前の由来は『プリニウス』からでしたか。
かの漫画に登場するフェリクス氏も魅力あるキャラクターですよね。
普段はコミカルなのに、やるときはやる(主に格闘で)男。
でも「総督」プリニウスに振り回されるという・・・。

また、ご報告もいただき、ありがとうございました。
「奴隷のしつけ方」、
古代ローマ人が著者の体裁を取る形で書かれいて、
あの時代の考え方を感じられる本としても珍しい。

そして、そのような体裁で書ける
著者の裏打ちされた古代ローマ知識に舌を巻く本ですね。

クラウディウス帝の側近パッラスについては、
どこかの本で権勢を誇っていたことを読んだことがあったのですが、
そんなに資産があったのは初耳でした!

パッラスに追い抜かれたクラッススだけど、
彼のお金に纏わる話で度肝を抜かれるのは、
スパルタクスの乱でのことでしょうか。

六個軍団を私費(!)で編成するというトンデモを
サラリとやってのけるのが、豪胆というか、
お金の使い方をわかっているというか。

1軍団5,000人としても、
単純計算で30,000人のお給金を自腹で出すって・・・。

さらに彼らの装備
(この頃国家から支給されているけど、私費編成だから、多分自腹)
を考えると、一体いくら必要だったんだろうな、と。

ポンペイウスもスッラのもとに駆けつける時
三個軍団を同じく私費で編成しているので、
あの時代の人たちのお金の使い方は、まさに桁違いです。

・・・ずいぶん横道にそれちゃいましたが、
「奴隷のしつけ方」面白いですよね、と言いたかっただけです(笑)

「古代ローマ貴族9つの習慣」は恥ずかしながら未読ですので、
今度読んでみたいと思います。
本の紹介(?)もありがとうございました!
面白かったら、おすすめ本に付け加えさせていただきます(笑)

返信する
フェリクス

名もなき司書官さま
フェリクスです。
長文のコメントに、丁寧な返信を
していただき本当にありがとうございます。
前回も書きましたが、私は古代ローマと奴隷
(解放奴隷)との関係に大変興味があるので
いつか、解放奴隷の記述などを書いて
いただけると大変嬉しいです( ^ω^ )

名もなき司書官さまも書かれている様に
クラッススのお金に纏わる話は私も
度肝を抜かれました。(笑)
※クラッススはかなりアコギな不動産業で
ローマの土地の大部分を所有するように
なったと「ローマ貴族の9つの習慣」に書いてありました(( ・∇・))!!
話が逸れましたが、これからも
古代ローマライブラリーを楽しみにしております。
※ところで次回のコメントなどは
ーお問い合わせーからの方で大丈夫でしょうか?

返信する
プロフィールアイコン 名もなき司書官

フェリクスさま

解放奴隷については私も興味があるので、
心性も含め、いつか記事を書いてみたいですね。

お待たせすることになるかもしれませんが、
首をキリンぐらい長くしてお待ちいただけますでしょうか(笑)

コメントについては
お問い合わせで直接送っていただいても
問題ないです!

Twitterをされているようでしたら、
そちらのアカウントから
DMなど入れていただいても大丈夫です。

もちろんどこかの記事にコメントいただけるのも
嬉しいです(笑)

なんでも結構なので、お好きな方法で
お送りくださいね。

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