エラガバルス ―奇行を繰り返した反抗期の祭司皇帝―

奇行を繰り返した祭司皇帝エラガバルス

エラガバルス(またはヘリオガバルス)という皇帝を、あなたはご存知だろうか。
当時でも、性の倒錯や奇妙な言動が目立ったため、伝記史家に、

もしカリグラやネロ、ウティリウスが以前に帝位に就いていなければ、(中略)私は彼(エラガバルス)の伝記を文字にしなかったであろう

とまで言わしめた人物だ。

ではなぜエラガバルスは、ローマ皇帝としてふさわしくない(と考えられる)行動をとっていたのだろうか。
その理由には、彼の出自と皇帝就任の経緯や年齢が関係していたのである。

そこで今回は、ローマ皇帝の中でも異色の人物、エラガバルスの生涯を見ていこう。

※タイトル下イメージは、「ダークヒストリー3 図説ローマ皇帝史」より拝借しました。

皇帝エラガバルス誕生!

マクリヌスの誤算

218年6月8日、皇帝マクリヌスは惨めな姿で帝国の東方を落ちのびていた。
わずか十数日前、反乱軍によって皇帝に擁立された人物はまだ15歳であり、こんな年端もいかない若造の率いる軍に自分が負けるなど、想像もしていなかったに違いない。

一体なぜマクリヌスは、このような運命をたどることになったのか。
そこには少年エラガバルスを皇帝に仕立て上げるための、祖母ユリア・マエサのしたたかな作戦があったのである。

エラガバルスの家系

マクリヌスの敗走から遡ること15年前の203年3月20日、エラガバルスはシリアのエメサ(現ホムス)で生まれた。

エラガバルスの本名は、ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス。
バッシアヌス家は、シリアの土着神エラガバルスに代々仕える祭司を出す家柄だ。
エラガバルスの祖母ユリア・マエサの父、つまりウァリウスからすれば曽祖父のユリウスは祭司長を務めた人物である。
ウァリウスが皇帝となってから、エラガバルス(またはヘリオガバルス)とあだ名される由来は、この神の名前にあった。

シリアの太陽神「エル=ガバル」

ここでエラガバルス神について触れておこう。

エラガバルス神は、ローマ帝国東方の太陽信仰から派生した神である。
「エル」と「バアル」という共に神の名を表す言葉を合わせて、「エル=ガバル」と呼ばれるようになった。

古代セム族の神エルの像の写真
古代セム族の神エルの像
ダークヒストリー3
図説ローマ皇帝史より

さて、太陽信仰はローマにもともとあり、「ソル神」が古くから崇められていた。
65年、ローマ皇帝ネロは、大陰謀を未然に防ぐことができたとして、特別に感謝を捧げているし、自分に似せたソル神の巨像を建立している(後にこの像の近くにコロッセオが建てられた)。


しかし太陽信仰は、徐々に東方由来の神へと代わっていく。
この太陽神こそ「不敗太陽神(ソル・インウィクトゥス)」。
夜、闇に屈しても朝には必ず復活し勝利する、不屈にして不敗の神というわけだ。
この神の性質から、不敗太陽神は皇帝や兵士たちに人気があった。

ただし、太陽信仰のなかでもエラガバルスは地元のマイナー神。
女人禁制で、兵士の心をつかんだペルシアの太陽神を奉じるミトラ教が、当時は超メジャーの神だった。
首都ローマの玄関港オスティア・アンティカにも、ミトラ神を祀る地下神殿の遺構があることで、当時の普及度合いがわかるだろう。

バッシアヌス家が脚光を浴びるようになったきっかけは、エラガバルスの祖母であり、ユリア・マエサの姉ユリア・ドムナの結婚相手セプティミウス・セウェルスが皇帝になったことだ。
さらにユリア・ドムナは、息子カラカラも皇帝となったことで皇太后となり、ローマの中央政界に大きな影響を及ぼす存在となった。

一方妹のユリア・マエサも、ある元老院議員と結婚し二人の娘を生んだが、夫に先立たれたため地元のエメサに戻っていた。

皇帝一家とその親類として、輝かしい運命が約束されるかと思いきや、217年にカラカラが暗殺されたことで暗転する。
皇帝位を奪ったマクリヌスによって、ユリア・ドムナは追放を言い渡されたが、重い病を患っていた彼女は拒否し、絶食によって自ら命を絶ってしまう。

ユリア・ドムナの死により、セウェルス朝とバッシアヌス家の命運着きたかに思われたが、ユリア・マエサは諦めなかった。
なぜなら、皇帝マクリヌスの犯した失策によって、不満の声が上がっていたのである。

皇帝マクリヌスの失策

ではマクリヌスはどんな失策を犯したのだろうか。
彼には前皇帝カラカラが残した、大きなツケがあった。
それが次の2つ。

  1. パルティア遠征の終結
  2. 兵士たちの給料アップによる財政悪化の解消

この問題に、マクリヌスは対処方法を誤ってしまったのである。

パルティア遠征の終結

パルティアの王位争いに介入し、国境を侵したカラカラによって、ローマ帝国はパルティアと戦争状態になっていた。
一刻も早くこの戦争を終わりたかったマクリヌスは、一度戦ってみたものの破れたため、講和の道を選ぶことにした。

しかしマクリヌスのとった方法は、パルティアに2億セステルティウス相当(現代日本に換算すると800億円程度)の金品を贈って「終わらせてもらう」という、屈辱的な内容。
ローマ軍の兵士たちは、マクリヌスの弱腰な態度に怒りを覚えた。

兵士たちの給料アップによる財政悪化の解消

カラカラが行った兵士たちへの給料アップは、ローマ帝国の財政を大きく悪化させていた。
マクリヌスは財政再建のため、兵士たちの給料減額を行う。
一方で彼自身は、自分の身を削らず豪華な生活を続ける生活。
兵士にだけ痛みを与えるマクリヌスのやり方に、兵士たちは不満をつのらせていく。


上記に加え、首都ローマではカラカラ以来皇帝不在が続いており、それに対する怒りが高まっていた。
そこへ雷による火災と洪水が同時に発生し、ローマは大混乱に陥ったため、問題に対処できなかった皇帝として、マクリヌスはますます評判を落とすことになったのである。

エラガバルス、カラカラの子になる?

セウェルス朝の復権と帝位奪回を虎視眈々と狙っていたユリア・マエサは、このチャンスを逃さなかった。
彼女は孫ウァリウスをカラカラの「正当な」後継者とするため、カラカラから見れば「母の妹の孫」でしかないウァリウスを、カラカラと間違いを犯した娘が産み落とした、カラカラの「実の息子」に仕立て上げたのだ。

もちろんこの話はユリア・マエサのでっち上げた作り話でしかなかった。
しかし不満を募らせた兵士たちにとっては、マクリヌスが皇帝を追われる口実なら何でもよかったのである。

こうして218年5月16日深夜、たまたまエメサに近い場所で駐屯していた第3ガリカ軍団の陣営に、ユリア・マエサたち首謀者は潜入。
「カラカラのご落胤」説を押し出し兵たちを扇動すると、明け方にはウァリウスが皇帝に擁立されたのである。
マクリヌスの反乱軍が誕生した瞬間だった。

歴代最年少皇帝の誕生

慌てたマクリヌスは反乱鎮圧のために軍を派遣するが、逆に戦う前からマクリヌス軍は兵士たちの裏切りにあって、指揮官が殺害される始末。
それとは対象的に、少年を擁立した反乱軍は、彼の教師である宦官(男性器を切り取り去勢した人)ガンニュスに率いられ、ますます勢力を増していく。

そして6月8日、マクリヌスは反乱軍と戦ったものの敗れてしまい、伝令の姿に変装して逃亡を図るが、結局カッパドキアで見つかり処刑されてしまう。
享年53歳。
またパルティアに逃れていた彼の息子も、パルティアから送り返されて同じく処刑された。

ついにウァリウスことエラガバルスは、歴代最年少皇帝としてローマ帝国単独の支配者となったのだった。

エラガバルス、ローマへ向かう

新皇帝となったエラガバルスとその一行は、早速首都ローマへと向けて旅立った。
しかし彼らは218年の6月にマクリヌスを倒してからローマに到着するまで、1年以上も費やしている。
もちろん車も列車も、ましてや飛行機もなかった時代なので、時間がかかるのは当然だが、それにしてもシリアからローマの旅程にしては遅すぎた。
一体なぜそんなに時間がかかったのか。

マクリヌス派と側近の粛清

理由の一つは、マクリヌス派などの処分を行ったからである。
エラガバルスは、敵対した総督たちの更迭や処刑を次々に実行。
また教師役でもあり、反乱軍を率いたガンニュスも処刑した。
彼はエラガバルス帝の影の仕立て人として、第一の功労者と言っても過言ではない。
史書には、エラガバルスの皇帝にあるまじき行いを見かねて口を出し、エラガバルスの怒りを買ったために殺されたとある。

もちろんこの理由も処刑の一つにはあるだろう。
しかし真の理由は別の理由だと思われる。
すなわち、「カラカラの子供」を思いついたガンニュスから、真実が漏れる可能性を危惧した皇帝の祖母ユリア・マエサや母ユリア・ソアエミアスによって、口封じのために粛清されたのだ、と。

エラガバルスはまだ15歳の少年であり、独断で判断するには若すぎる。
おそらく彼女たちが裏で糸を引き、粛清したのではないか。

御神体との旅路

理由の2つ目が、皇帝のエラガバルス神宣伝と、御神体の移動である。

エラガバルスは祖母や母によって、エラガバルスの曽祖父と同じく、皇帝になる以前から祭司職に就いていた。
彼は皇帝になっても祭司職をまっとうすることにこだわるのである。
その一環として、彼がローマへの途上で立ち寄る都市ごとに、エラガバルスの神殿エラがバリウムを建立していく。

また地元のシリアから、エラガバルス神の御神体である巨大な隕石を、はるばるローマまで運ばせていたのである。

御神体の隕石のコイン写真
御神体の隕石が描かれたコイン
ローマ帝国愚帝物語より

神殿に鎮座していた巨大な隕石を運んでいては、ローマへの旅程が遅れるわけだ。

祭司姿でのローマ行

さらに御神体を運ばせていた彼の格好も、次のようなシリアでの祭司然としたものだった。

  • 足元まで届く長袖の、金と紫の絹の服
  • ネックレスや腕輪などの装飾具
  • 頭部の宝冠

これでは皇帝というよりも、神官が各地を巡幸しているようなものだ。
長衣を身にまとい、宝石を散りばめたエラガバルスの格好は、ローマでは女装とみなされてしまう。
ようするに、皇帝としてナメられてしまうのである。

ローマの上流階級での生活を経験したエメサは、エラガバルスに皇帝らしく振る舞うよう忠告したが、エラガバルスは祖母の言うことなど聞く気などなかった。
彼はまだ15歳、反抗期真っ盛りの少年である。
地元シリアの祭司が誇らしく、首都ローマの人間に見せつけてやりたいという思いがあったに違いない。

その証拠に、エラガバルスは祭司服を身にまとった自分と太陽神の肖像を首都ローマに送り、元老院の議場に掲げさせたという。
自分のことを知らぬなら、知らしめてやろうという、彼なりの心意気なのかもしれない。

しかしこの行いは、元老院にも皇帝擁立に貢献した兵士たちにも、違和感を植え付ける結果となってしまったのである。

背徳皇帝エラガバルス

エラガバルスはローマに着いてからも、自由奔放な行動をやめなかった。
その一つが倒錯した性生活である。
ではエラガバルスの性に対するエピソードから見ていこう。

エラガバルスの女性関係と結婚

エラガバルスの女性に対するエピソードは、次のようなものだ。

  • 公衆浴場で女性用の風呂に入り、女性客に脱毛剤を塗る
  • 妻を除けば、一度抱いた女性とは二度と寝ない
  • 女性の痴態を観察するために、数多くの女性と性関係を持つ

など、なかなかに奔放な姿がうかがえる。
このようなエラガバルスの女性に対する態度は、彼の結婚にも言えた。
エラガバルスは短い治世の中で3人の女性と結婚したが、そのどれもが短いものだ。

一人目の妻:コルネリア・パウラ

エラガバルスの最初の結婚相手は、シリア系のローマ人で裕福な上流階級の若い女性、コルネリア・パウラ。
彼女との結婚は盛大に祝われ、通常皇帝の結婚に伴う剣闘士の試合や野獣狩りなどの見世物も執り行われた。
また、民衆にはごちそうも振る舞われた。

彼女には、女性の尊称「アウグスタ」が送られるなど、大事にされていたと思いきや、同年には離婚を言い渡された。
エラガバルスの性癖を満たすことができなかったため、体に欠陥ありとの理由だった。

二人目の妻:アクィリア・セウェラ

アクィリア・セウェラのコイン近影
アクィリア・セウェラのコイン Classical Numismatic Group, Inc.
[CC BY-SA 3.0]

エラガバルスの次のお相手は、ウェスタの巫女アクィリア・セウェラ。
この結婚はある意味禁断の結婚と言えた。
なぜならウェスタの巫女は、30年間の聖職を勤め上げるまで処女でなければならず、それを破ろうものなら生き埋めにされるという厳しい処分がくだされるからだ。

エラガバルスは例外を認めさせ、強引に結婚した。
宗教改革者エラガバルスでも説明するが、この結婚は彼にとってローマ伝統の神とエラガバルス神を結びつける神聖なもので、両者の間に生まれる子供は、両者の神が合わさる高貴なものとして君臨できるだろうという理屈なのである。

ただしこの結婚の反発は相当強く、彼らは結局すぐに離婚することとなった。

三人目の妻:アンニア・ファウスティナ

アンニア・ファウスティナの胸像写真
アンニア・ファウスティナ
ダークヒストリー3 図説ローマ皇帝史より

セウェラの次の結婚相手は、五賢帝最後の皇帝で、哲人皇帝の異名をとるマルクス・アウレリウス帝の曾孫アンニア・ファウスティナ。
ウェスタの巫女との結婚が、ローマ臣民の反発を招いたと感じたエラガバルスの母ソアエミアスが、彼にふさわしい妻を用意したのだ。
実はかの哲人皇帝にあやかるため、エラガバルス自身も本名をウァリウスからマルクス・アウレリウス・アントニヌスに変更した経緯がある。

しかしエラガバルスはファウスティナをその年のうちに離婚し、結局2番めの妻であるセウェラと寄りを戻したのだった。


エラガバルスの奔放な女性関係は、どのような意味があったのか。
もちろん若さゆえの興味本位と、飽きからくるとっかえひっかえしたい欲望を、皇帝権力で存分に発揮したといえるかもしれない。

しかしエラガバルスの行動には、もう一つ意味があった。
彼は男性とも関係を持てる「両刀使い」だっだのだ。
そのため、エラガバルスの女性との交友は、女役をするための格好の勉強の場だったのである。

またエラガバルスにとって結婚とは、子をなし世継ぎを残すものではなく、神の意志を示す象徴的なものでしかなかった。

女役を自ら買って出る皇帝

エラガバルスの性倒錯は、男たちとの関係にまで及んだ。
彼は男性と「交友」するため、次のようなことをしたという。

  • かつらを着けて街に出かけ、娼婦に扮して客引きを行う
  • やがて宮廷に体を売る専用部屋を用意し、入り口に全裸で立ってカーテンを振りながら、甘い声で客を誘う
  • 街中にエージェントを派遣し、公衆浴場では巨根を、波止場では筋骨たくましい男性を「恋人」としてスカウトする
  • 当代一の名医を呼び、自分の体に女性器を作る手術を受ける

ここまでくると、一体どこまでが真実か分からなくなってくる。
ただし、一連のエピソードは皇帝が男性との関係をおおっぴらにしていたことを示していると考えられるだろう。

皇帝の「彼氏」ヒエロクレスと「恋敵」ゾディクス

エラガバルスには、妻も他にも彼氏、つまり男性の恋人がいた。
彼の名はヒエロクレス。
奴隷身分の戦車乗りで、エラガバルスが戦車競技を観戦中に、たまたま皇帝の前に落馬してお目通りがかなったと言われている。

ヒエロクレスは性のテクニックに通じており、エラガバルスを虜にしたという。
一方エラガバルスはヒエロクレスを尻目に男漁りし、彼から罵倒されて顔を殴打されて青あざを作った。
皇帝に対し暴力を振えば普通なら大逆罪として死刑にもなりそうなものだが、彼らの間では性の「プレイ」なのだ。

さて、エラガバルスのエージェントが見つけた恋人候補に、ゾディクスとうアスリートがいた。
彼は筋肉たくましい肉体もさることながら、イチモツが立派だった。
もちろんエラガバルスもゾディクスを気に入り、彼が「陛下」と挨拶しても、「陛下と呼ばないで、私は女なのよ」と媚を売る始末。

この状況にヤキモキしたのがヒエロクレスだ。
ゾディクスが「新恋人」に収まろうものなら、自分は間違いなくお払い箱にされるだろう。
そこで、彼は友人を宮廷に忍ばせ、ゾディクスの料理に精力減水剤をまぜさせた。

夜になり、ゾディクスが皇帝といざ事に及ぼうとしても、肝心のイチモツが役に立たない。
怒ったエラガバルスによって、ゾディクスはイタリアを追われ、ヒエロクレスは事なきを得たという。

ちなみにローマではギリシア文化が入ってきて以降、男性同士の同性愛自体は受け入れられた習慣だった。
同性愛を嗜んだ皇帝では、五賢帝の一人ハドリアヌスが美少年アンティノウスを愛していたことは有名だ。

しかしローマの同性愛にはルールがある。
家父長制の強いローマでは、身分や地位の高いものが低いものに奉仕するのはタブーとされていた。
ましてや皇帝が女役に徹するなどもってのほか。
エラガバルスは自分が女役になっていることを公に知られたことで、ローマの人々から眉をひそめられたのである。

もっともエラガバルスにとって、女装(と見られた扮装)をしたり、性交渉の場で「受け」に回ることはタブーではなかった。
なぜなら、彼の信奉するエラガバルス神は、男性的な不敗神話とともに、豊穣を約束する女性的な側面があり、その女性性を祭司として表現したに過ぎなかったからである。

宗教改革者エラガバルス

ローマ神の序列変更

性の倒錯ですら、信仰の表現でしかなかったエラガバルス。
その彼が、エラガバルス神をローマでメジャーにしたいとの思うのは、自然な流れだった。
御神体との旅路でも書いたとおり、シリアからローマ入りするまで立ち寄った各都市に、エラがバリウムを建立し、祭司団を結成させている。

そしてエラガバルスは、彼の思いを実現させるため、ローマの伝統宗教を大幅に変更する、いわば宗教改革を行うことになるのである。

最高神ユピテルを下僕に

ローマの宗教は、最高神ユピテルを頂点としてユノー、ミネルバという女神を加えた主要三神がおり、その他大勢の神々が彼らの下に集う多神教である。

エラガバルスは、この神々の序列を変更する。
彼はエラガバルス神を、最高神ユピテルをも従える存在としたのだ。

エラガバリウムにローマ伝統神の神具を集める

エラガバルスは、パラティウムの丘にエラガバルス神の神殿エラガバリウムを建立し、さらに第二神殿をローマの城壁外にも建てさせた。

この神殿に、ローマの神々の象徴である神具を集めさせた。
集めたものは、次の通り。

  • ウェスタの火
  • キュベレの御神体
  • マルスの盾など

これら神具をエラガバリウムに奉納することで、ローマ神の序列をはっきり示したのである。

女神ウェスタとの結婚

さらに彼はエラガバルス神とローマ伝統神を結びつけるため、神々の結婚を演出した。
エラガバルス神の相手は女神ウェスタ。
エラガバルスの女性関係と結婚でも記述したように、この演出を現世に投影したのが、皇帝自身とウェスタの巫女セウェラとの結婚だった。

しかしこの結婚は非難を浴びたため、彼はエラガバルス神を離婚させ、カルタゴ起源の別の神、月の女神デア・カエレスティスと再婚させたようである。

エラガバルス神に捧げる儀式

祭司団を引き連れて行進するエラガバルスの絵画
祭司団を引き連れて行進するエラガバルス
ダークヒストリー3 図説ローマ皇帝史より

エラガバルス神の信仰を根付かせるためか、エラガバルスは様々な儀式をおこなった。

  • 毎朝の脱毛
  • シリア風のシルク服に豪華な装身具を身につける
  • 顔に白粉を塗り、アイシャドウで厚化粧
  • 楽器を打ち鳴らし、いかがわしい(と思われた)女達を引き連れる
  • 皇帝自身も奇妙なダンスを踊り、エラガバリウムへ向かう

さらに神殿エラガバリウムでの様子は次のようなものだ。

  • 屠った牛や羊の血を混ぜたワイン捧げ、香を炊く
  • 神の聖歌を唱い踊りながら、祭壇の周りを回る
  • 少年を生贄に捧げる
  • 神殿内にライオンや猿、蛇を閉じ込め、切除した男根を火に投げ入れる

最後の2つは誇張臭いが、東方起源の宗教はしばしば人々に理解し難い秘儀を伴っていた。
ローマに住む人々にとって奇妙に見えた上記行動は、シリアで祭司職を務めた皇帝には、毎日の習慣でしかなかったと思える。

エラガバルスはまた、信者に必要な割礼を自分自身に施していた。
しかし割礼は2世紀の後半から法律で禁止されており、手術依頼者は財産没収の上追放刑、執刀医は死罪だったのだ。
もちろん皇帝に、そのような法律が適用されるはずなどなかったのだが。

エラガバルス神の祭典「御神体大移動」

夏に行われるエラガバルス神の祭典も、ローマに住む人々にとっては馴染みのないものだった。
この祭典は、パラティウム丘に祀られている御神体が、市壁外の第二神殿まで運ばれるというイベントだ。

具体的には次のように祭典が進行した。

  1. 通り道には砂金がまかれ、両側に人々が立ち並ぶ
  2. 神々の像や御神体、奉納品が近衛兵に護衛されながら運ばれる
  3. それらの行列が通ったあと、両側の人は花を投げて祝福する
  4. 最後に、皇帝に先導された太陽神の御神体が、六頭の白馬に引かれた戦車に載って運ばれてくる

クライマックスの太陽神御神体パレードでは、皇帝が御神体に尻を向けないよう、後ろ向きに行進するという念の入れようだった。

御神体を戦車にひかせる様子を図柄にしたコインの写真
御神体を戦車にひかせる様子を図柄にしたコイン
Classical Numismatic Group, Inc. [CC BY-SA 3.0]

そしてパレードが神殿に到着すると、エラガバルスは塔に登り、見物人に次のような金品を投げ落とした。

  • 銀のコップ
  • 衣服
  • (宗教的に嫌われた豚以外の)家畜など

これらの「プレゼント」を得ようと大勢の人が押しかけたため、見物人の中には圧死者も出たらしい。


ローマに住む一般の人々にとってエラガバルスの「宗教儀式」は、おそらく奇妙な行事としての見物の対象や、お祭りが一つ二つ増えたような感覚だったのかもしれない。
ただし、エラガバルスに付き合わされた元老院議員などの上流階級の人々、また近衛兵たちにとって、エラガバルスは憎むべき対象に変化していったのである。

贅沢皇帝エラガバルス

若干15歳で皇帝となったエラガバルスだが、彼が治世を通じてローマ皇帝の役割を理解していたか疑わしい。
皇帝には、専用に財産を管理する皇帝公庫がある。
いわば巨大なポケットマネーだ。
ただしこのお金は皇帝個人だけに使える財産というより、ローマ帝国の運営で足りない箇所や、もしものときに必要なお金だった。

しかしエラガバルスは、彼個人の贅沢に湯水の如く使っていくのである。

エラガバルスの贅沢伝説

ではエラガバルスはどのような贅沢をしたのだろうか。
彼の行った散財は、次のようなものだ。

  • プールにサフランやローズウォーターの香料を入れないと泳がない
  • 宮殿のあらゆる場所にユリ・バラ・すみれ・ヒヤシンスなどの花をまき散らせる
  • 内陸に海水のプールを掘らせる
  • 純銀の長椅子では満足できず金箔で覆わせ、さらにうさぎの毛皮かキジの羽毛(それも翼の内側の柔らかい上級品)を詰めたクッションを敷く
  • 黄金の便器(携帯用?)とシマメノウのし尿瓶を作らせる
  • 真夏は厚いからと、宮廷の庭園に雪山を作らせる

などなど。

また、彼は自分だけでなく、ローマ市民も楽しませることが好きだった。
皇帝が慣例的に行うお土産を与えたり、剣闘士競技や戦車競技も頻繁に開催。
さらに首都の運河で模擬海戦も行った。

ただしこの模擬海戦にも凝った趣向をこらせている。
エラガバルスはなんと模擬海戦を行う運河をワインで満たさせたという。
こんなことを本当に行ったら、イタリア中のワインが一日でなくなってしまいそうだが、このような逸話が残るほど、度肝を抜く贅沢をするのが楽しくて仕方がなかったのだろう。

食道楽皇帝

しかしエラガバルスの贅沢の中でもっとも有名なのは、食へのこだわり。
エラガバルスは、食道楽で有名な1世紀の人物、アキピウスのレシピに書かれたものを食べるのが好きだったようだ。
例えば次のようなものである。

  • ラクダのかかと
  • 生きたまま切り取られた鶏冠(とさか)
  • クジャクやウグイスの舌
  • ダチョウの脳みそ

また彼は宴会に人を招くのも好きで、廷臣たちには

  • フラミンゴの脳
  • ヤマウズラの卵
  • ツグミの脳
  • オウム、キジの頭
  • ボラの腑

などが振る舞われたという。

さらにエラガバルスはソースにもこだわりを見せた。
魚料理には、海を再現する青い色のソースがかけられ、ソースの発明コンテストも行われたらしい。

私からすれば、彼の食べているものはゲテモノ臭いのだが、普通の食に飽きている人間にとっては、珍しさこそ食通の証だったのかもしれない。

エラガバルスの「饗宴」

堕落の象徴として、しばしば映像化されてきたローマの饗宴。
その実態として、重要な商談や政治的会合のために用いられる外交的な側面が強かったことは、ケーナでの晩餐について―ローマの上流階級は本当に自堕落な食生活だったのか―で書いたとおりだ。

歴代の皇帝たちも部下や国賓をもてなすため、饗宴をしばしば開催したが、エラガバルスのそれは、度を越して贅沢だった。
例えば夏の饗宴て使用する会場を、青や緑などの色で統一する。
これはまだかわいいほうで、宴会の天井に回転する装置をつくって大量の花を仕掛け、宴会途中に一斉に落とす。
中には花に埋もれて死んだ人もいたという。

花びらを宴会に降らせるエラガバルスの絵画
花びらを宴会に降らせるエラガバルス
ローレンス・アルマ=タデマ [Public domain]

そして極めつけは「宴会マラソン」。
参加者の自宅に一品ずつ料理を用意し、各家を順次訪問しながらコース料理を堪能する。
参加者は1日で回りきれなかったらしいが、その割には休憩がてら入浴を楽しんだり、女性と戯れたりしているので、全部食べきれなくても問題なかったのだろう。

いたずら皇帝エラガバルス

ペット大好き皇帝

エラガバルスはペット大好き人間としても有名だ。
彼の飼っていた動物の例は、以下の通り。

  • 犬や馬
  • ライオンや豹などの猛獣
  • カバやワニを始めとする、エジプトのあらゆる動物

またペットに与える餌も贅沢だった。

  • 犬にはガチョウの肝臓
  • 馬にはシリアから取り寄せたブドウ
  • 猛獣にはツグミやオウムなど

宮廷は動物園さながらの様子ではなかったかと思ってしまう。

豪快ないたずらエピソード

エラガバルスもティーンエイジャーの遊びたいざかりで、いたずらが大好きだった。
しかし彼は皇帝としてあらゆるものを持っているので、付き合う方はたまったものではない。
エラガバルスが行ったいたずらは、次のようなものである。

  • たくさんの人が集まる競技途中の群衆の中に、何百もの蛇を放つ
  • 饗宴に来た客に、レプリカの料理を振る舞い、自分はそれを尻目に本物の料理を食べる
  • 酔いつぶれた客を部屋に閉じ込め、夜中にペットの猛獣を入れる(飼いならしているため、噛みつかれる心配はないが……)
  • 蜘蛛の巣を300kg集めてくれば賞金を出すと約束する(奴隷たちは首都から3トンも蜘蛛の巣を集めたらしい)
  • ミッシリアというクジに「ハエ10匹」などハズレを用意する(通常は食品や貴金属などの景品)

エラガバルスのいたずら好きや、気前のよいハデなパフォーマンスは、民衆には人気があったようである。
しかし彼のもとで政治を行う元老院議員や近衛兵たちに、エラガバルスは見切りをつけられつつあった。

そしてそれを敏感に感じていたのは、彼を担ぎ出した張本人である、ユリア・マエサだったのである。

エラガバルスの最期

母と娘の対立

エラガバルスが皇帝に擁立されてから、自由奔放でまともに政務を行わなくても、大きな混乱がなかったのは、祖母マエサと母ソアエミアスのおかげだった。
彼女たちはエラガバルスの代わりに、影で国政を取り仕切っていたようである。

しかしエラガバルスの度重なる贅沢や背徳、エラガバルス神を祀る祭司優先の態度が、ローマのとりわけ上流市民から受け入れられていないことを、祖母マエサは感じ取っていた。

だが孫にそのことを注意しても、皇帝は頑として聞き入れない。
おそらくエラガバルスの年齢からして、反抗期真っ盛りだったのだろうと思う。
さらに母ソアエミアスがエラガバルスの「奇行」を肯定したため、マエサとソアエミアスは対立。

このままでは自分の身も危ないと感じたマエサは、ついにエラガバルスを廃位する決意を固めた。

従兄弟アレクサンデルを養子に

そこでマエサは、もうひとりの娘ユリア・ママエア(ソアエミアスの妹)と結び、ママエアの子でエラガバルスの従兄弟であるアレクサンデルを後継者に仕立て上げることにした。

マエサはまず、

皇帝が祭司を兼業しつつ国務を果たすには荷が重すぎるので、従兄弟を養子にして国務を任せてみてはどうか

と言葉巧みにエラガバルスを説得し、まんまとアレクサンデルを皇帝の養子とすることに成功した。
さらにアレクサンデルに「カエサル」の称号を与え、正当な後継者にも祭り上げたのである。

実はアレクサンデルはエラガバルスとは違い、母ママエアがローマ的な伝統に則って教育された人物。
東方の習慣を頑として曲げない享楽志向のエラガバルスより、上流階級、特に近衛兵たちから人気を集めることを、マエサは期待していたし、事実そうなっていったのである。

従兄弟と執政官就任

これに焦ったのはエラガバルスだ。
彼はアレクサンデル人気に危機感を抱き、アレクサンデルに蟄居(ちっきょ)を命じた。
その一方で、彼はアレクサンデルが重病で死にかけていると公表したのである。

しかしことの真相を知る近衛兵は、エラガバルスに抗議する。
彼らに迫られたエラガバルスは、慌ててアレクサンデルを彼らの前に連れ出し、近衛兵をなだめなければならなかった。

さらに近衛兵の機嫌を取るため、人気者のアレクサンデルとともに執政官職に就任する。
だがエラガバルスはアレクサンデルの人気を嫌い、彼と共に同じ席に姿を見せることはなかった。

そして苛立つエラガバルスはついに皇帝に敬意を払わない近衛兵を逮捕するように命じた。
彼にしてみれば、近衛兵に皇帝の権威を示そうとした起死回生の手だったのだろう。
しかしこの命令が、自らの死刑執行状となったのである。

近衛兵の離反と母子の暗殺

逮捕命令で火に油を注がれた近衛兵たちは、222年3月11日、ついに宮殿に乱入した。
エラガバルスは箱に隠れて運んでもらい逃げようとしたが、発見されてしまう。

母ソアエミアスは息子を抱いてかばったが、結局2人とも首をはねられて殺された。
エラガバルス、享年18歳。
エラガバルスは首だけでは済まず、手足をもがれ、遺体はローマ市中を引き回されて、ティベリス川になげこまれた。

さらに彼の愛人ヒエロクレスや彼の支持者たちも、数時間のうちに追い詰められて殺されてしまったのだった。

今回のまとめ

エラガバルスについて、もう一度おさらいしよう。

  • エラガバルスの実家は、シリアの太陽神「エル=ガバル」の祭司を代々務める家系だった
  • エラガバルスはセウェルス朝の縁者で、祖母マエサによって若干15歳にして皇帝に擁立された
  • エラガバルスは皇帝というより祭司そのもので、彼の実家や礼拝の慣習を実践した
  • エラガバルスは皇帝の権力や財力を利用して、贅沢三昧に明け暮れたが、最後はマエサの策謀で近衛兵の離反を招き、母とともに暗殺された

ローマ帝国史上、最悪の皇帝と評価されるエラガバルス。
しかし彼の不幸は、15歳の遊びたい盛りで反抗期真っ只中に、身内の権力欲によって利用されたのが原因と言えるだろう。
皇帝という肩書を外せば、ただのやんちゃな子供。
その彼に巨大な帝国の舵取りを任せるのは、まだ早すぎたのだ。

本記事の参考図書

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