オクタウィアヌスⅡ ―アドリア海渡航からアントニウスとの対面まで―

オクタウィアヌス カエサルの遺志を継ぐ青年

パルティア遠征のため、カエサルがあらかじめ配置した軍団兵たちや友人たちとともに、アポッロニアに滞在して勉学と軍事教練に励むオクタウィアヌス。
しかしオクタウィアヌスは、衝撃的なニュースを両親の手紙によって知ることになる。

オクタウィウス、ローマ帰還を決断する

しかしカエサルはアポッロニアに姿を見せることはなかった。
紀元前44年3月15日の午前中、元老院が開かれるポンペイウス劇場で、ブルトゥス、カッシウスらによってカエサルは暗殺されたのだ。

母アティアと継父フィリップスの手紙によって、オクタウィアヌスはカエサルの死を知った。
これからどうするか――。

オクタウィウスには2つの選択肢があった。

  1. このままアポッロニアにとどまり、カエサルの軍隊と共に過ごし、勉学を続ける
  2. ローマに帰還し、母と継父のもとに帰る

アポッロニアにとどまれば、おそらくカエサルの死とそれに続く混乱で危ういローマを避けることはできるだろう。
町の人や軍の関係者にも人気のあったオクタウィウスは、実際アポッロニアの滞在を勧められていた。

1日迷ったオクタウィウスは、しかしローマ帰還をえらぶ。
だがこの決断は、母アティアや継父フィリップスのもとへと避難することを意味していなかった。
ローマがいまどうなっているのか、自分の目で確かめなければならない。
そう考えたオクタウィアヌスは、僅かな友人たちとともに、彼にとっての「ルビコン川」であるアドリア海を渡ったのである。

それは大伯父カエサルより、はるかに広いルビコン川だった。

オクタウィウス、カエサルの名を継いでカエサル・オクタウィアヌスに名を変える

アポッロニアからアドリア海を渡り、ブルンディシウムに到着すると、オクタウィウスはローマから新たな知らせを聞く。
その知らせによると、暗殺されたカエサルには遺言書があり、内容は次のようなものだった。

  1. カエサルの資産の4分の3は、ガイウス・オクタウィウスとアティアの息子、オクタウィウスに遺す。
  2. 残り4分の1は、ルキウス・ピナリウスとクイントゥス・ペディウスで2分される。
  3. 第一相続人オクタウィウスが相続を辞退した場合の相続権は、デキムス・ブルトゥスに帰す。
  4. オクタウィウスが相続した場合の遺言状執行責任者として、デキムス・ブルトゥスとマルクス・アントニウスを指名する。両人は、カエサルの死後に妻カルプルニアに子が生まれた場合、その子の後見人にも指名する。
  5. 第一相続人オクタウィウスは、相続した時点でカエサルの養子となり、息子となった彼はカエサルの名を継ぐ。
  6. 首都在住のローマ市民には、一人につき300セステルティウスずつ贈り、テヴェレ西岸のカエサル所有の庭園も、市民たちに寄贈する。このことの実行者は、第一相続人とする。

オクタウィウスにとって、この遺言書のもっとも大きな部分は(5)の

第一相続人オクタウィウスは、相続した時点でカエサルの養子となり、息子となった彼はカエサルの名を継ぐ

である。
では、カエサルの養子となりカエサルの名を継ぐことが、なぜ大きな事なのだろう。

古代ローマでは、養子になるということは、単に誰々の息子になった、というだけの意味ではない。
家父権の非常に強かったローマで養子、それも養父に息子がいない場合は後継者として迎え入れられるということ。

ましてやカエサルは権力の頂点にいたのだ。
カエサルの名を継ぎ養子になることは、カエサルのクリエンテス(庇護者)、つまり カエサルに恩義を感じた何十万もの後援者たちを受け継ぐことができる、ということだ。
オクタウィウスは直接カエサルから権力を譲り受けたわけではないが、このクリエンテスたちは、オクタウィウスが望めば彼の今後の政治活動にとって大きな力となってくれるだろう。

オクタウィウスの元には、継父フィリップスから名を受け継がないように、との手紙が届いていた。
政治の世界に巻き込まれると危険だと判断し、オクタウィウスの身を案じて。

だがオクタウィウスは継父の言葉に耳をかさず、カエサルの名を継ぐ決心をする。
オクタウィウスは、まだローマに着いていないにもかかわらず、

ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス

を名乗った。
ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス――カエサルの名を継いだカエサル・オクタウィアヌスは2度めのルビコン川を渡ったのだった。

※ただし彼はこの後もっぱら「カエサル」を名乗ったようである。
しかしこの記事では、一般的に浸透している「オクタウィアヌス」を今後の彼の名前として使用することにする。

オクタウィアヌス、カエサル派の重鎮と今後の方策を決める

オクタウィアヌスはすぐにローマへ行かず、カンパニア地方の港町プテオリにある両親の別荘に立ち寄った。
表向きは両親に顔を見せることだったが、この寄り道の本当の目的は、カエサル派の人々に会い、ローマでどのように活動するかを話し合うことだった。

カエサルの腹心であるバルブスなどにしてみれば、オクタウィアヌスがどのような人物かを確認したかっただろうし、オクタウィアヌスもローマの状況を確認する必要があった。

ローマでは、この年の執政官であるアントニウスが政治的な主導権を握っている。
アントニウスもカエサルの腹心の一人であり、カエサルとともに数々の戦いに参加してきたカエサル派の主要な人物だ。
おそらくアントニウスも、自分こそが独裁官カエサルの後継者だと考えていたことだろう。

ではなぜバルブスたちは、アントニウスのもとに集うことなく、オクタウィアヌスを選んだのか。

アントニウスは、カエサルを暗殺した自称「自由の闘士」たちの罪を問わず、彼らが就く予定だった公職についても、そのまま残すことにした。
ローマを無用な混乱から避けるため、というのが表向きの理由だが、アントニウスは「自由の闘士たち」を許す見返りに、カエサルの行ってきた政策を継続することで、元老院と折り合いをつけ、自分の立場を守ることが目的だった。

元老院のなかで共和政を支持する穏健派の人々も、カエサルの独裁という「異常事態」がながく続くことを快くおもっていなかったのだろう。
アントニウスはこのことを察したのか、のちに「独裁官」という公職そのものを永久的に廃止する法案を可決させている。

このようなアントニウスの動きに対して、カエサル派の中核にいた人々が、アントニウスを「カエサルの後継者」と認めなかったとしても、不思議ではない。

だが、オクタウィアヌスはまだ若い上に無名である。
オクタウィアヌスを「カエサルの後継者」と認めさせ、カエサル派のリーダーにするにはどうするか。
それには、次の2つが必要だった。

  • なによりもまずローマ市民たちに対してカエサルの遺言をすみやかに実行すること
  • カエサルの暗殺した「自由の闘士たち」に復讐を果たすこと

この2つを実行することで、無名のオクタウィアヌスをローマ市民たちに知らしめ、カエサルが残した古参の軍団兵など、クリエンテスたちを「確実に」取り込むことができる。
そしてアントニウスの評判を落とし、元老院と引き離すことで、 ゆくゆくはオクタウィアヌスがローマ政界で主導権を握っていく、というシナリオである。

方策は決まった。
そして、ことを成し遂げられるかはオクタウィアヌスにかかっていた。

オクタウィアヌス、ローマに帰還しアントニウスと対面する

ローマに帰還したオクタウィアヌスは、カエサルの遺言を実行するため、カエサルの財産を管理するアントニウスの住んでいる家を訪ねた。
しかしアントニウスに長時間待たされたあげく、やっと面会できたアントニウスの答えは、カエサルの遺産を渡すことができない、だった。
その理由は次のとおりだ。

  1. 国庫がからであり、公共事業に回す資金が必要なこと
  2. オクタウィアヌスの養子縁組が正式に決まっていないこと

もちろんこの2つはアントニウスの方便である。
ローマで政治的主導権を握りたいアントニウスにとって、カエサルの息子を名乗る「少年」の存在は、不都合以外の何物でもなかった。
そのため、さきほど挙げた2つめの理由である養子縁組を、正式な手続きを踏んで法律的に認めることを遅らせるという嫌がらせも行っている。

オクタウィアヌスはアントニウスに腹をたてたが、執政官である以上、彼が首を縦に振らない限り状況は変わらないし、見込みも薄かった。
ならば他のことを優先すればいい。
オクタウィアヌスは、遺言の実行をひとまずあきらめ、アントニウスの評判を落とし、元老院から引き離す作戦にでることにした。

だがアントニウスの評判を落とすにはどうするのか。
またその資金は?

実はカエサルの遺産が手に入らなくても、オクタウィアヌスには多額の資金を動かせるアテがあった。
それが次の2つである。

  • カエサルがパルティア遠征のために用意していた軍資金
  • ブルンディシウムでの国庫に納められるはずだったアシアからの税金

アポッロニアとブルンディシウム滞在中に、これらを押さえていたオクタウィアヌスは、さらにカエサルの財産と地所を競売にもかけた。
そして対アントニウスの第一ラウンドが開始される。

オクタウィアヌス、自分の名を売りつつアントニウスのイメージダウン作戦を展開する

オクタウィアヌスはアントニウスの評判を落とす(ついでに自分を市民に知らしめる)ために、どのようなことを行ったのか。

カエサルの黄金の椅子とディアデマの公開

オクタウィアヌスはまずはじめに、5月に開催される競技会で、カエサルの黄金の椅子と「ディアデマ」と呼ばれる白い布製のヘッドバンドを展示する計画を立てた。
このディアデマは君主の証であり、アントニウスがカエサルに贈ろうとしたが、あまりの不評にカエサルが拒んだという、いわくつきの品である。

アントニウスは激怒し、彼の派閥である護民官にオクタウィアヌスの計画を阻止させ、結局実行されることはなかった。
しかしアントニウスに対するジャブとして、オクタウィアヌスの行動は有効だっただろう。

アントニウスに対するネガティブキャンペーンの展開

またオクタウィアヌスは彼の支持者を率いて市内の中心部を歩き回り、アントニウスが行った自分に対する扱いを吹聴して回った。

私を侮辱したければいくらでもするがいい、アントニウスよ。だがカエサルの遺産は市民が受け取るまで強奪するな。そうすれば、残りはすべてお前にあげよう。

アウグストゥス ローマ帝国のはじまり | 第4章 名前を持った少年 ―前四四年

これに対し、アントニウスはまたしても怒り、脅しをかけてきた。
さすがに執政官の部下たちが2人を仲直りさせようとしたようである。

キケロへの接近

アントニウスのイメージダウンを図るかたわら、オクタウィアヌスは自分の存在をローマ市民や元老院に示すことも忘れない。
その一つが元老院の長老格であるキケロを持ち上げることである。

オクタウィアヌスはキケロを「父(パーテル)」と呼び、(表面的には)よく慕っていた。
おそらく共和政を賛美し、「古き良きローマ(の政治)を再興したい」などといい、そのためにはキケロの力がまだまだ必要だ、と調子のいいことを言ったのだろう。

はじめはカエサルの名を継いだ若者を警戒していたキケロも、次第にオクタウィアヌスを「少年(プエル)」と親しみを込めて呼ぶようになった。
もっともオクタウィアヌスは「少年」と呼ばれることを快く思っていなかったようだが。

カエサルの勝利を祝う競技会の計画

さらにオクタウィアヌスは、年に一度のカエサルの戦勝記念を祝う競技会を開催する計画を立てた。
競技会は10日間にも及ぶ大規模なものだ。

この競技会を開催するにあたり、大盤振る舞いをした結果、祭典はとても豪華になった。
現代でも、オリンピックを開催するために国や自治体が様々な費用を捻出するが、オクタウィアヌスはそれをポケットマネーでやった、と考えるといいだろう。


オクタウィアヌスの一連の行動は、アントニウスに「招かれざる客」を意識させたに違いない。
だが所詮カエサルの名を継いだだけの20歳にも満たない「少年」であり、RPGで例えるなら冒険を始めたばかりのLv.1のひよっこである。
アントニウスにとって、オクタウィアヌスはまだまだライバルにもならない存在だったろう。
そしてアントニウスには、オクタウィアヌスの相手をするよりも、やらなければならない事があった。

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