古代ローマの暦(こよみ) ―現代のカレンダーにも名残を残す、生活サイクルの基準―

現代に名残を残す古代ローマの暦

暦(こよみ)。
普段なにげなく使用しているが、私たちの生活にこれほど影響力をもっている規則もないだろう。

それは古代ローマ人にとっても同じだった。
かれらはもともと農耕民族だったので、作物の収穫サイクルを図るために、暦は必要不可欠だったのだ。
そして古代ローマの人々が定めた暦は、現代の私たちにも大きな影響を及ぼしている。

では古代ローマ人はどのような暦を使っていたのだろうか。
これを読めば、現在の月の英語表記の由来がわかっていただけるだろう。

太陰暦

太陰暦とは、月の満ち欠けによって月の日数や1年を決める方法である。
地上から見る月は、毎日形が変わるため、月のサイクルがわかりやすいのが特徴。

しかし月の地球を一周する公転周期は約29.5日なので、12ヶ月では354日となり、1年の日数よりも11日短い。
そのため11日分をどこかで調整する必要に迫られる。

太陰暦を使っていた日本では、12ヶ月が終了したあと、閏月を設けて調整していた。
このように1年が変則的に決まるため、きっちり運用しないとズレが起こる可能性が大きいというデメリットもある。

太陽暦

太陽暦は、太陽の周りを一周する地球の公転周期に基づいて1年の日数を決める方法である。
季節は地球の公転周期と連動するため、季節のズレが起こらないのが特徴。

ちなみに地球の公転周期は、約365.24日。
365日で運用すると何年かに1回の調整が必要だが、毎年調整が入る太陰暦よりは煩雑にならないだろう。

古代ローマの暦、『月』について

ではいよいよ古代ローマの暦について、見ていこう。
まずは農業にとっていちばん大切な1年のサイクルから。

古代ローマの暦は、最初に成立したものから徐々に変遷していった。
その変遷の段階は、3つあった。

  1. ロムルス暦
  2. ヌマ暦
  3. ユリウス暦

ロムルス暦

古代ローマで最初に使われたのがロムルス暦である。
ローマ建国の王ロムルスが作ったといわれているが、伝説の人物なのでその真偽は謎だ。

ただし、古代ローマ人はおそらく初期の段階でこの暦を使い、1年を過ごしていたのだろうと考えられている。

ロムルス暦は次の通り。

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ラテン語 由来 日数
1の月 Martius(マルティウス) 軍神マルスに語源を持つ 31日
2の月 Aprilis(アプリリス) 「花開く(Aperio)」に語源を持つ 30日
3の月 Maius(マイウス) 豊穣の女神マイヤに語源を持つ 31日
4の月 Junius(ユニウス) 結婚の女神ユノーに語源を持つ 30日
5の月 Quintilis(クインティリス) 5番目という意味の「Quinque」から 31日
6の月 Sextilis(セクスティリス) 6番目という意味の「Sex」から 30日
7の月 September(セプテンベル) 7番目という意味の「Sept」から 30日
8の月 October(オクトーベル) 8番目という意味の「Octo」から 31日
9の月 November(ノウェンベル) 9番目という意味の「Novem」から 30日
10の月 December(デケンベル) 10番目という意味の「Decem」から 30日

ロムルス暦の特徴は2つ。

  • 1年が現代の3月(March)から始まっていること
  • 10の月までしかないこと

3月から始まる、というのは暖かくなる時期から、ようやくローマ人にとっての1年の活動が始まることを意味している。

農耕民の要である農業はもちろん、この時代で頻繁に起こっていた他都市との戦争なども、この時期に開始、あるいは再開されたのだろう。
その影響からか、他の月では農業に関係のある花や豊穣といった神々の名前がついているのに対し、1年のはじまりには軍神の名がつけられている。

また10番目の月(現在の12月)が終わると、次の年へ向けての休息にはいるため、約60日間は月を設けなかったようだ。

ヌマ暦

とはいえ単なる60日間の休息という設定では生活をするうえで不便だったのだろう。
これを改めたのが2代目の王ヌマと言われている。
そのヌマが制定した暦がヌマ暦だ。

ヌマ暦は共和政末期まで長く使われていたが、紀元前153年に一つの転機を迎えることになる。
まずは紀元前153年より前に使われていた暦を見てみよう。

紀元前153年以前のヌマ暦

紀元前153年以前のヌマ暦では、新たに月を2つ設け、60日の空白期間をなくした。
その暦が下記である。

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ラテン語 由来 日数
1の月 Martius(マルティウス) 軍神マルスに語源を持つ 31日
2の月 Aprilis(アプリリス) 「花開く(Aperio)」に語源を持つ 29日
3の月 Maius(マイウス) 豊穣の女神マイヤに語源を持つ 31日
4の月 Junius(ユニウス) 結婚の女神ユノーに語源を持つ 29日
5の月 Quintilis(クインティリス) 5番目という意味の「Quinque」から 31日
6の月 Sextilis(セクスティリス) 6番目という意味の「Sex」から 29日
7の月 September(セプテンベル) 7番目という意味の「Sept」から 29日
8の月 October(オクトーベル) 8番目という意味の「Octo」から 31日
9の月 November(ノウェンベル) 9番目という意味の「Novem」から 29日
10の月 December(デケンベル) 10番目という意味の「Decem」から 29日
11の月 Januarius(ヤヌアリウス) 門の神ヤヌスに語源を持つ 29日
12の月 Februarius(フェブルアリウス) 清めという言葉「フェブルア(februa)」に語源を持つ 28日

ヌマ暦ではロムルス暦からさらに2つの月を追加した。

これにより1年の合計日数は355日となる。

しかしこれでは年を追うごとに季節のズレが生じるため、さらに次のルールを追加した。

  • 2年に1度27日、もしくは28日の閏月(うるうづき)を追加する
  • 閏月のある年は、最後の月を23日とする

季節のズレを修正するために、毎年日付を調整する太陰暦を、太陰太陽暦という。
ただしヌマ暦は太陰太陽暦を参考にしたが、ローマの独自路線を歩んだらしい。

私はこれを『なんちゃって太陰暦』と勝手に名付けている。

紀元前153年以降

紀元前153年、これまでの11の月だったヤヌアリウスを1年の始まりとする改定がなされた。
この年以降、暦は次のようになった。

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ラテン語 由来 日数
1の月 Januarius(ヤヌアリウス) 門の神ヤヌスに語源を持つ 29日
2の月 Februarius(フェブルアリウス) 清めという言葉「フェブルア(februa)」に語源を持つ 28日
3の月 Martius(マルティウス) 軍神マルスに語源を持つ 31日
4の月 Aprilis(アプリリス) 「花開く(Aperio)」に語源を持つ 29日
5の月 Maius(マイウス) 豊穣の女神マイヤに語源を持つ 31日
6の月 Junius(ユニウス) 結婚の女神ユノーに語源を持つ 29日
7の月 Quintilis(クインティリス) 5番目という意味の「Quinque」から 31日
8の月 Sextilis(セクスティリス) 6番目という意味の「Sex」から 29日
9の月 September(セプテンベル) 7番目という意味の「Sept」から 29日
10の月 October(オクトーベル) 8番目という意味の「Octo」から 31日
11の月 November(ノウェンベル) 9番目という意味の「Novem」から 29日
12の月 December(デケンベル) 10番目という意味の「Decem」から 29日

いったいなぜ紀元前153年に暦を改正したのだろうか。

暦の改正理由

実はこの2年前、紀元前155年にイベリア半島のルシタニア(内部リンク)でルシタニア人が蜂起、ルシタニア戦争が起こった。
さらに翌紀元前154年にはイベリア半島中部のケルト=イベリア人が蜂起し、ヌマンティア戦争が勃発。

今までであれば3月15日に新執政官の就任が行われ、軍事行動が開始されていた。
しかし、上記非常事態を受けて、前153年は早期出兵を実現するために、ヤヌアリウスの1日を執政官就任日と定める。

これ以降、ヤヌアリウスの1日が1年の始まりの日となり、いままで11の月と12の月として最後にあった月が最初に来たことで、呼び名にずれが生じる事となった。

なぜ153年以前は改定しなかったのか

おそらく第二次ポエニ戦役(前219年~前201年)を戦う前まではイタリア半島よりも外に遠征する必要がなく、わざわざ軍隊を早期に派遣する意味がなかったのだろう。
だがローマの領土が拡大するにつれ、軍隊の行動範囲が広がると、いつでも軍事行動をとれるような体制が必要になったのではないだろうか。

また、冬至を迎えた月の翌月が1年の始まりという認識は、紀元前153年以前にもローマ人の中にあったではないかと考えている。
緊急事態を迎えた紀元前153年は、ローマ人にとってちょうどいいタイミングだったのだろう。

ユリウス暦

長くローマ人の間で使われたヌマ暦は、運用面での煩雑さから正確に閏月や日を挿入していないことも多く、結果として共和政末期になると現実の季節と3ヶ月程度のズレが生じていた。

そこで紀元前46年、独裁官だったユリウス・カエサルは、エジプトの天文学者やギリシアの科学者を集めて地球の公転周期を計算させ、季節のズレを修正して暦を改めることに決めた。
そして出た計算結果は、1年が365日と6時間というもの。

カエサルは各月の日数を次のように割り振った。

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ラテン語 由来 日数
1の月 Januarius(ヤヌアリウス) 門の神ヤヌスに語源を持つ 31日
2の月 Februarius(フェブルアリウス) 清めという言葉「フェブルア(februa)」に語源を持つ 28日
3の月 Martius(マルティウス) 軍神マルスに語源を持つ 31日
4の月 Aprilis(アプリリス) 「花開く(Aperio)」に語源を持つ 30日
5の月 Maius(マイウス) 豊穣の女神マイヤに語源を持つ 31日
6の月 Junius(ユニウス) 結婚の女神ユノーに語源を持つ 30日
7の月 Quintilis(クインティリス)
→Julius(ユリウス)
ユリウス・カエサルに由来 31日
8の月 Sextilis(セクスティリス)
→Augustus(アウグストゥス)
初代皇帝アウグストゥスに由来 31日
9の月 September(セプテンベル) 7番目という意味の「Sept」から 30日
10の月 October(オクトーベル) 8番目という意味の「Octo」から 31日
11の月 November(ノウェンベル) 9番目という意味の「Novem」から 30日
12の月 December(デケンベル) 10番目という意味の「Decem」から 31日

また毎年出る6時間のズレを修正するため、フェブルアリウス(2の月)の23日と24日の間に、4年に1度だけ1日挟むようにした(閏年)。

さらにこれまでの『なんちゃって太陰暦』であるヌマ暦運用のツケを払うため、前46年の11の月と12の月の間に3ヶ月プラスしたのである。
結果、紀元前46年は次のようになった。

  1. 1の月
  2. 2の月
  3. 3の月
  4. 4の月
  5. 5の月
  6. 6の月
  7. 7の月
  8. 8の月
  9. 9の月
  10. 10の月
  11. 11の月
  12. 第一挿入月
  13. 第二挿入月
  14. 第三挿入月
  15. 12の月

そして紀元前45年からユリウス暦の運用が開始された。
開始当初はなぜか3年に一度閏年を挿入したりと波乱もあったが、紀元8年以降は4年に1度に戻り、1582年のグレゴリ暦改定まで実に1600年以上もヨーロッパで使用され続けるのである。

ちなみにカイサルと初代皇帝アウグストゥスを讃えるため、紀元前44年に7の月を Quintilis(クインティリス)からJulius(ユリウス)に、紀元8年にSextilis(セクスティリス)からAugustus(アウグストゥス)に変更することで、現在の英語での月表記の原型ができあがった。

なおユリウス暦に改定したカエサルがどのような人物だったかは、ユリウス・カエサル ―ローマ帝国の礎を築いた男―にまとめているので、興味がある方はぜひご一読いただければと思う。

ローマ帝国の礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサル ―ローマ帝国の礎を築いた男―

古代ローマの暦、『日』について

古代ローマの日の呼び方は、現代の私達には非常にわかりにくく、独特のものだ。
彼らは月の中にある基準日を設定し、その基準日から何日前、という呼び方で日を表していた。

基準日

月の中で基準日は3日あり、月のかたちを表していたと言われている。

カレンダエ:その月の第一日目。朔月のこと
イドゥス:その月の真ん中の日。満月のこと
ノナエ:イドゥスから数えて8日前(ノナエはローマで9日前という意味だが、基準点も数えるので現代では8日前に相当)。最初の弦の月(半月)のこと

イドゥス、ノナエはその性質上、月の日数が変化するとそれに合わせて変わってしまう。
このため、ヌマ暦で31日まである3月、5月、7月、10月はイドゥスは15日でノナエはその8日前の7日、それ以外の月はイドゥスが13日でノナエが5日となる。

説明だけではわかりにくいため、各月の基準日を列記しておく。

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名称 ノナエ イドゥス
1月 Januarius(ヤヌアリウス) 5日 13日
2月 Februarius(フェブルアリウス) 5日 13日
3月 Martius(マルティウス) 7日 15日
4月 Aprilis(アプリリス) 5日 13日
5月 Maius(マイウス) 7日 15日
6月 Junius(ユニウス) 5日 13日
7月 Julius(ユリウス) 7日 15日
8月 Augustus(アウグストゥス) 5日 13日
9月 September(セプテンベル) 5日 13日
10月 October(オクトーベル) 7日 15日
11月 November(ノウェンベル) 5日 13日
12月 December(デケンベル) 5日 13日

例えば1月3日と言いたい場合、古代ローマ人は次のように月日を表した。

ヤヌアリウスの月のノナエの日から遡って3番目の日

現代人の感覚からすると、なんと回りくどい言い方なのだろうと感じてしまう。
だが、古代ローマ人はこのように日付を表していたのである。

※参考サイト
参考 古代ローマの暦Via della Gatta

古代ローマの暦、『週』について

古代ローマの週は紀元2世紀ごろに導入された現代と同じ7日制の前は、8日間が一週間のサイクルだった。
彼らは一週間をヌンディヌム(nundinum)と呼んだ。

ヌンディヌムとは9日間のこと。
しつこいようだが、基準点も数えるため現代では8日間である。
このサイクルは市が開かれ、農業を休んで買い物に行く日が8日に一度おとずれたことに由来している。

彼らのカレンダーには、1週間をAからHまでの記号で割り振り、その記号の一つが市の日となったようだ。

古代ローマの暦、『年』について

古代ローマの年の表記法には、大きく分けて2つある。
下記2つは私が勝手に命名したので、これを他のところで使っても責任は取らないことをご了承いただきたい。

  • 就任執政官名表記法
  • ローマ建国元年法

就任執政官名表記法

古代ローマでは、内政最高責任者である執政官(コンスル)は、選挙で2人選出された。
また就任期間は1年で、再任までに一定の期間を開ける必要があった。

そのため同じ2人が同時期に再選されることはほとんどない(稀にあるかもしれないが)ので、就任執政官の名前を表記すれば、自ずと年代が特定できたのである。

例)ガイウス=パンサとアウルス=ヒルティウスが執政官の年

ローマ建国元年法

一方こちらはローマの一般的な建国年である紀元前753年から数えて何年目、という表記法。
使用例は少なく、また就任執政官名表記法と併記されることも多かった。

例)ローマが建国されてから850年目、ウェトゥスとウァレンスが執政官の年

現存する古代ローマのヌマ暦のカレンダー

実は共和政時代に使われていたヌマ暦のカレンダーは、ローマ国立博物館に展示されているのだ。

国立博物館に飾ってある共和政ローマ時代のヌマ暦カレンダー

Juliana Bastos Marques [CC BY-SA 3.0 ]

この写真からは何がなんだかわからないものだが、白黒で実際に何が書かれていたかがわかる。

ヌマ暦のカレンダー白黒
See page for author [Public domain]

さらに表計算ソフトで清書されたものがこちら。

ヌマ暦のExcel版
Göran Holbeck [CC BY-SA 4.0 ]

これをみると、週を表すAからHの表記、さらにノナエやイドゥスといった基準日を確認することができる。

もしあなたがローマを訪れることがあったら、国立博物館に足を運んで実際のヌマ暦をその目で確かめてみるといいだろう。

※参考サイト

参考 Museo Nazionale RomanoMuseo Nazionale Romano

今回のまとめ

古代ローマの暦について、もう一度おさらいしよう。

  • ローマの暦はロムルス暦、ヌマ暦、ユリウス暦と変わっていった
  • ヌマ暦は紀元前153年に11の月と12の月が1番目と2番目に移動し、表記のズレが生じた
  • ユリウス暦はカエサルが制定した
  • 日は基準日から前の日として数えられた
  • 週は7日制が採用される前は8日制だった
  • 年は就任執政官の名前を表記する方法とローマ建国年から数える方法の2つあった

現代の英語月表記の名前にも名残のある古代ローマの暦法。

古代ローマ人がどのような生活サイクルだったのか、少しでも思いを馳せられたのではないだろうか。

なお暦と関係する古代ローマの時間については、時間と時計 ―季節によって長さが変わる古代ローマの計時法―からからどうぞ。

季節で長さが変わる古代ローマの時間と時計 時間と時計 ―季節によって長さが変わる古代ローマの計時法―
 

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