あなたは古代ローマにあったインスラをご存知だろうか。
インスラとは、人口の多い都市に建てられた高層集合住宅である。
現代でいうなら高層マンションのようなものだ。
限られた土地の中で住居を確保するなら、上を目指すのは当然の成り行きだろう。
では古代ローマの高層集合住宅であるインスラとは、どのようなものだったのだろうか。
ここでは次のことを書いていく。
- インスラの名前の由来
- インスラが建てられた理由
- 首都ローマのインスラの棟数
- インスラの構造
- インスラで横行した不法投棄と取り締まる法律
- インスラからの収入と管理方法
- インスラで儲けた人たち
- 今でも見に行くことができるインスラの遺跡
それでは古代ローマの高層集合住宅、インスラについて見ていこう。
インスラの名前の由来
インスラはラテン語で『島』を意味する。
では、なぜ高層集合住宅が『島』を意味するインスラと呼ばれるようになったのか。
高層集合住宅は1つの街区に、6棟から8棟ほどが密集して建てられた。
首都ローマを高い場所から見たときに、高層集合住宅の建っているところが盛り上がり、まるで『島』のように見えたため、インスラと呼ばれるようになったのだ。
なぜインスラを建てるようになったのか
首都ローマでインスラが建てられた理由は、次の3つが考えられる。
人口の過密化
第一に人口が集中したため。
首都ローマの大きさは、おおよそ東京都の墨田区と、ほぼ同じと考えられる。
山手線の内側面積の4分の1ほどだ。
この中に100万人以上の人々が生活していたのである。
当然土地が枯渇するのは想像に難くない。
公共の交通網が発達していない
ならば首都ローマをどんどん大きくすれば解決するかといえば、そうではない。
なぜなら古代ローマでは交通が発達していなかったからだ。
現代社会なら当たり前に存在する電車、バス、タクシーなど、スピーディに移動できる手段は複数存在する。
しかし、古代ローマでは人々の移動手段は基本的に徒歩。
都市サービスを利用するにはどうしても中心街にアクセスする必要がある。
歩いて1時間もかかる場所に、わざわざ人が通うだろうか。
必然的に人の住む場所が限られてくるのも納得できるだろう。
インスラが投機目的で建てられたため
また、インスラをより高くしたのは、建てる側に『うまみ』があったからだ。
インスラは基本的に賃貸物件だったので、住人が多ければ多いほど家賃収入が手に入る。
人口が集中する地区なら、いくら建てても需要が減ることはない。
不動産投資という観点からも、どんどんインスラを建てて儲けることを優先したのだ。
この不動産投資でうまみを味わった人間については、インスラで儲けた人たちに後ほど記述する。
首都ローマのインスラの棟数
このインスラ、首都ローマでいったいどれほどの棟数が建っていたのだろう。
セプミティウス・セウェルス帝時代(2世紀末)の土地台帳によると、インスラは46,602棟建っていたという。
ちなみに古代ローマの一戸建て住宅であるドムスが1,797棟なので、ドムス1棟にたいしてインスラは26棟の割合だったらしい。
東京都の都心もかくや、という割合である。
ローマの住宅事情を表現したアエリウス・アリスティデスの言葉を引用しておこう。
もしすべての住宅を地面の高さに降ろしたならば、ローマはたちまちアドリア海にまで広がる
ローマはイタリア半島の西側に位置している。
いっぽうアドリア海はイタリア半島の東に面する海だ。
つまりアリスティデスは、ローマの住宅がすべて1階建てなら、町の広さがイタリア半島を横断してしまう、と表現したのである。
言い得て妙ではないか。
インスラの構造
インスラの建築材料
インスラは燃えやすい木ともろい泥レンガで建てられていた。
当然火災のリスクに加えて、倒壊、崩落の危険性が非常に高い。
建築といえば古代ローマの”十八番”とも言える技術力があったのにもかかわらず、なぜこれほど脆弱な作りをしていたのだろう。
理由は2つ。
- 投機目的のため、最小経費で建設された
- 古代ローマには建築基準法のような法律が整備されていなかった
不動産投資をするオーナーはインスラに住まないため、住人たちのことは(金さえ取れれば)それほど気にする必要はなかったのである。
インスラの水回り
古代ローマに上水道が整備されていたことは、古代ローマの上水道―構造から水道橋の建設方法、コンテストまであった水質管理まで―でも紹介したとおりだ。
インスラにも上水道は通っていたが、当時の技術では1階と2階までが限界で、3階より上の階層に水を上げる技術はなかった。
インスラには、基本的に専用の調理場がなく、可動式の火鉢によって料理を作っていた。
しかしこの火鉢からも煙や煤が大量に発生するため、調理のときはなるべく窓辺に近いところへ移動しなければならなかった。
また、3階より上の住人は、公共の上水道から壺に水を入れてわざわざ自分の部屋まで運び、調理に使用していたのである。
現代日本のマンションにはかならずあるといってもいい個人用の浴室も、インスラには存在しなかった。
理由は3つ。
- 3階より上の階層には水道を引くことができなかった
- 水を温めるシステムを備え付けるスペースがなかった
- そもそも浴室に使うスペースもなかった
そのため、インスラの住人はバルネア(個人経営の公衆浴場)やテルマエ(大型の公衆浴場)などを利用した。
このうちテルマエについてはハドリアヌス ―暴君になりそこねた、旅と美青年を愛する万能賢帝―でも書いているので、参考にしていただければ幸いだ。
現代の日本であれば、各部屋にトイレがあるのは当たり前。
しかしインスラではトイレそのものが設置されていることは稀だった。
ではインスラの住人たちは、排泄物をどのように処理していたのだろう。
彼らは自分の部屋にし尿便とおまるを用意し、そこで用を足す。
各自の排泄物は、1階に設置されている排泄物収集用の大甕(おおがめ)に捨てるようになっていた。
もちろん昼間であれば公共トイレを利用しても構わない。
古代ローマのトイレ事情については、古代ローマのトイレ事情 ―下水が通る公衆用便所と個人住居の排泄について―にも詳しく書いているので、参考にしていただくといいだろう。
インスラの窓
インスラにも窓はあったが、現代で当たり前に使われているガラスは、1、2階の部屋のみ。
といっても使われない場合も多々あった。
さらに3階より上は光を通す布や革、もしくは板戸が取り付けられていた。
つまり光や風を取り入れるためには板戸を開けなければならない。
しかし寒い日や雨の日は板戸を閉めるため、部屋の中は昼間でも薄暗くなる。
そこでランプや獣脂ろうそくで灯りをともすが、部屋の中が煤だらけになってしまい、天井や壁が黒く変色してしまうのだった。
なお、窓ガラスについては古代ローマのガラス、ローマングラス ―製法、用途、流通など―で詳しく説明しているので、興味のある方は読んでいただくといいだろう。
インスラのエクステリア(外装)
インスラは、見た目には優雅な外装をしていた。
また裕福な住人には、暮らしを快適にする工夫もされていた。
採光を取り入れるために、中庭が設けられたインスラもあった。
中庭には植物が植えられており、住人の息抜きにもなっただろう。
そのため、1階は非常に人気が高く、また人気に比例して家賃も相当な額だった。
2階には、マエニアーヌムと呼ばれる幅の狭いバルコニーがあり、各住居部分をつないでいる。
このバルコニーも庭やテラスに相当し、住人にとってちょっとした贅沢な空間だった。
3階より上の部屋にも、ペルグラと呼ばれる木製のベランダが、ところどころ設置されていた。
すべての部屋にはないところから、オーダーメイトだったのかもしれない。
ペルグラは囲まれていて、外からは中の様子を伺うことができないので、息抜きの空間として人気があった。
住人は洗濯物を干すほかにも、この空間に植物を飾って楽しんだという。
その他、建物の裾の部分(1.5m幅)をポンペイレッドと呼ばれる赤い塗料で塗り、見た目の美しさプラス汚れを目立たなくする工夫がされていた。
インスラは、上記のような構造のため、下の階ほど人気が高く、それに比例して家賃も高い。
また、3階より上の階層は安普請で作りが粗雑だったため、上の階に行くほど貧しいものがすんでいた。
エレベーターもないので、単純に不便で手入れも行き届かなかったのである。
古代ローマでは、高階層ほど高くなる現代の高層マンションとは真逆だったのだ。
インスラのテナント(貸店舗)利用
大通りに面したインスラの1階は、商店や飲食店として利用されることも多かった。
現代のテナントだ。
このような利用方法は、古代ローマが初めてと言われている。
とくに冷蔵庫がなかった時代、飲食店は上階の住人にとって、非常に便利だったことだろう。
店側にしても顧客を確保できるため、売上の計算がたち、安心できたに違いない。
当時の飲食店については、古代ローマの庶民が食事で利用した外食店に掲載しているので、興味のある方は読んでいただくといいだろう。
インスラで横行した不法投棄と取り締まる法律
不法投棄
前述したとおりエレベーターのない時代、インスラの上層階は非常に不便だった。
加えて粗雑な作りのため通路は狭く、階段は急勾配。
このような環境下では当然できるだけ移動を少なくしたいというのが人間の心情である。
では移動を少なくするためにどうするか。
重力に任せて下に落とせばいいのだ。
つまり上階のものは窓からの不法投棄をしばしば行った。
インスラの水道とトイレでも述べたが、住人たちの排泄物はインスラの1階の大甕に集められる。
しかしこれをショートカットするために、窓から投げ捨てるものもいた。
糞尿が上から落ちてくるのは嫌だが、これだと汚れるだけですむ。
だが上階のものは、さらに壺や皿などのゴミを投げすてたというのだから、ローマの街路を歩くのも命がけだったにちがいない。
インスラに関連する法律
不法投棄による被害を取り締まる法令
古代ローマではインスラ上階からの不法投棄を取り締まる法令が存在した。
刑罰は、被害を受けたものがどのような目にあったか、で決まっていたようだ。
インスラの高さ制限
倒壊の危険性と火災の被害拡大、さらにポイ捨てに対する被害を防ぐため、ときの皇帝たちはインスラの高さに制限を設けた。
アウグストゥス帝:70ローマン・フィート(約21m、7階建て程度)
トラヤヌス帝:60ローマン・フィート(約18m、6階建て程度)
法律により高さを制限したが、インスラの違法建築は後を立たなかったようだ。
結局インスラの部屋数が多いほど家賃収入が大きく、部屋数を多くするには上の階を作るのが手っ取り早かったからである。
ではどのようにして不法に上の階を作るのか。
答えはリフォームだ。
合法的に建設したインスラに、あとから上の階を追加して部屋数を足していくのである。
インスラからの収入と管理方法
インスラは通常持ち主(オーナー)がおり、一階以外を一括で管理人に何年かの契約で貸し出す。
管理人とは、今で言う管理会社のようなものだろう。
管理人は、借りたインスラに対して次のことを行った。
- インスラに住む住人の確保
- インスラの手入れ
- インスラの風紀取り締まり(喧嘩の仲裁など)
- 借家人からの家賃徴収
徴収した家賃の合計とオーナーからの借り賃の差額が管理人の収入となるわけだ。
ただし管理人が手間だと感じた場合、さらに下請けの管理人を雇って契約をする場合もある。
こうして子貸し、孫貸しごとに家賃は上がり、首都ローマのインスラは地方都市の何倍もの賃貸料を払わなければならなかった。
インスラで儲けた人たち
その日暮らしの貧民がいる一方、インスラで財を成した人もいる。
キケロ
共和政ローマ末期の政治家であり、名文家でもあるキケロは、インスラのオーナーとしても有名だった。
キケロはインスラの収入で、なんと年間8万セステルティウスもあったという。
時代は下るが、帝政ローマの一兵卒の年収が900セステルティウスなので、8万セステルティウスがいかに大きな額かわかるだろう。
クラッスス
共和政末期にローマ一の金持ちと言われたクラッススも、インスラで大儲けをした一人だ。
クラッススはローマに火災が発生するたびに、延焼の危険がある近隣のインスラを安く買いたたいた。
正確な家賃収入がどれぐらいなのか分からないが、クラッススが生み出した錬金術は、彼に相当な収入をもたらしたはずだ。
※参考サイト
今でも見に行くことができるインスラの遺跡
実は古代ローマで実際に使われていたインスラのいくつかは、現代でも見ることが可能だ。
ここでは見に行くことができるインスラを紹介しよう。
ローマに残るインスラ
カンピドリオの丘のふもとにあるヴェネツィア広場に建つ、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。
この付近に当時のインスラの遺跡が残されている。
オスティア・アンティーカに残るインスラ
ローマ近郊の町、オスティア・アンティーカにあるインスラ跡。
紀元2世紀頃の建物と言われている。
現存する数少ないインスラの中でも保存状態がよく、中に入ることができるところもある。
今回のまとめ
古代ローマの高層集合住宅インスラについて、もう一度おさらいしよう。
- 古代ローマの高層集合住宅は、ラテン語の『島』を意味するインスラと呼ばれた
- インスラは過密する人口の住居を確保するために建てられた
- インスラは1,2階の家賃が最も高く、上層階に行けば行くほど家賃が安く、劣悪な環境になっていった
- インスラの1階はたいてい貸店舗として使用した
- 安全性を確保するため、インスラに対する法律も設けられたが、守られることは少なかった
- インスラには家主と管理人がおり、両者の間で協約が結ばれていた
- インスラで財を成すものも現れた
人口過密都市ローマを象徴する建物インスラ。
1階から最上階まで、グラデーションのように生活環境が異なる社会の縮図が、インスラの中にはあったのだろう。
なお一戸建て住宅のドムスについてはこちらの記事をどうぞ。