古代ローマの橋 ―利便性と機能性を兼ね備えた、もう一つのローマ街道―

ローマ街道の接続施設 古代ローマの橋

橋。
街道とならび、人が移動するためにかかせない設備である。

約8万キロ、地球2周分にもおよぶ幹線道路を敷いた古代ローマ人たちは、道と道をつなぐ橋もまた、ローマ帝国中に約3,000ヶ所も設置したのだった。

では古代ローマ人が作った橋は、どのようなものだったのだろうか。
ここでは次のことを書いていく。

  • 橋の種類
  • 橋の構造
  • 橋の作り方
  • 現代にのこる古代ローマの橋

それではさっそく古代ローマの橋について、みていこう。
なお、この記事では人が往来に使う橋のみを取り上げるので、上水道を運ぶ水道橋については古代ローマの上水道―構造から水道橋の建設方法、コンテストまであった水質管理まで―をご覧いただければ幸いだ。

古代ローマの橋の種類

古代ローマの橋には、大きく分けて2つの用途があった。

  1. 恒久的に使用する橋
  2. 一時的にかける橋

恒久的に使用する橋

この中で、恒久的に使用する橋は次の2種類だ。

1. 石橋

古代ローマの石橋
アルカンタラ橋
Dantla from de.wikipedia.org [GFDL ]

もっともよく見かける古代ローマの橋は、なんといっても石で建設された橋だ。
詳しい構造は次の項で書くが、古代ローマ人は石橋を街道から続くよう、平坦に、しかも幅、建設方法とも同じ作りにしたのである。

2. 長い橋(沼地などにかける橋)

「ポンス・ロングス」と呼ばれるこの橋は、湿地帯などで人や軍が通行するのに困らないようにかけられた橋である。
発案者は、古代ローマの英雄カエサル。

ガリア(現フランス)などの北ヨーロッパには、沼などの湿地帯がいたるところにあった。
現地の人は、もともとこのような沼に、次のようにして作った橋をかけていた。

  • 通行不能な湿地帯に杭を打ち込む
  • 杭の上に木の板をかける
  • その木の板の上にしばの束を敷く

カエサルはガリア戦争で軍を移動する必要があったので、この橋を改良する。
まず、しばの束だけだった舗装を砂利舗装に変えた。
さらにこの橋を何本も平行に作って、橋の幅を大きくした。

カエサルの工夫により、軍の移動速度もあがり、安全性も確保できたのだ。
ただしこの種の橋は、ガリア征服後のローマ化により、次第に姿を消していく。

一時的にかける橋

また、一時的にかける橋は次の2種類。

1. 木製の橋

1つ目は文字通り、木を材料として使った木製の橋である。

古代ローマ人が長く使用するためにかけた橋も、はじめは木の橋だった。
4代目の王の時代にかけられたローマ初の橋である、「スブリチウス橋」も木製だったのだ。
だが、石の橋を建設できる技術力が古代ローマ人に身につくと、木の橋は一時的なものとしてかけられることになる。

木の橋の例として有名なのは、なんといってもカエサルがゲルマン(現ドイツ)を攻めるときにかけた、ライン川渡河用の橋だろう。
カエサル(麾下の部下たち)は、広いライン川に10日あまりで橋をかけてしまったのだ。

カエサルは2回に渡って対岸のゲルマン人を攻めたが、目的を終えたあとはガリアに引き返し、2回とも木製の橋を燃やしてしまったのである。

なおカエサルについては、ユリウス・カエサルとは ―ローマ帝国の礎を築いた男―により詳しく書いているので、興味のある方は読んでいただくといいだろう。

2. 舟橋

古代ローマの舟橋
トラヤヌスの記念柱(西暦98-117年頃)のレリーフから
Attributed to ダマスカスのアポロドーロス [Public domain]

もう一つは、浮かべた船の上に板をかけた舟橋である。
作りは簡単だ。

対岸までずらりと並べた船を、流されないように碇(いかり)で固定し、さらにそれらを鎖でつないで、その上に木の板をかける。
凝ったものだと、板の上にしばの束を敷き、さらにセメントを混ぜた砂利を敷き詰めたという。
軍の移動もたやすく、さぞかし安心して渡ることができただろう。

舟橋をかけた様子は、レリーフにも描かれている。

古代ローマの舟橋2
ローマの軍隊がドナウ川を渡る様子。
マルクス・アウレリウスの記念柱(西暦161-180年ごろ)のレリーフから
User:MatthiasKabel [CC BY-SA 3.0 ]

古代ローマの橋の特徴

では、古代ローマの橋には、どのような特徴があったのだろうか。
ここでは長い期間に渡って使用する、石橋にスポットを当てて見てみよう。

1. 石造りである

石橋なのだから当たり前なのだが、橋のすべてが石でできている、ということ。
橋を支える橋脚はもちろん、欄干(落下防止用の手すり)にいたるまで、すべて石造りだった。

2. 水平にかけられている

古代ローマの橋は、登って下るタイコ橋ではなく、ほぼ水平にかけられていた
橋といえども、古代ローマでは街道の延長線上にあるものであり、軍の移動に支障をきたしてはならなかったからである。

3. 街道と同様の舗装がされている

上記と同じ理由で、街道の延長にある古代ローマの橋は、街道と同じ舗装がされていた
幹線道路の延長なら石で舗装され、支道であれば砂利で舗装される、といった感じである。

4. 車道と歩道が別れている

これも街道と同じく、中央の車道と左右の歩道が別れていた
あくまで街道の延長なので、軍の移動を妨げてはいけないのだ。

5. 排水設備がある

古代ローマの橋には、街道と同じく水がたまらないように、排水が考えられていた
車道の中央部がほんの少し盛り上がって、左右の排水溝へと流すは、街道の作りと変わらない。

ここからが橋特有の排水方法だ。
古代ローマの橋は、中央を頂点としてほんの少しだけ傾斜している。
この傾斜のおかげで、橋の始点に水が流れるようになっているのだが、このままでは始点部分に水が溜まってしまう。
そこで、川へと流れ込む排水溝を、始点に設置したのである。

排水溝のおかげで、橋の両側に水がたまらず、橋そのもののダメージを防げるメリットがあった。

6. 橋の両端に門がある

古代ローマの橋には、入り口(出口)に凱旋門型のアーチ門が設置されているものが多い
この門は橋の飾りであると同時に、街道などの公共物を建設した人の功に報いる、という意味もあった。
要するに、凱旋門の代わりである。

古代ローマで凱旋を行うとは、男子最高の栄誉なのだ。
これを公共物を建設した人に寄贈したのである。
古代ローマ人が、いかにインフラを重視していたかがわかるだろう。

古代ローマの橋の作り方

古代ローマ人は、どのようにして川にかける橋を作ったのだろうか。
大きく工程を分けると、次の3つになる。

  1. 橋脚を作る
  2. アーチを作る
  3. 橋の上部を舗装する

1. 橋脚を作る

川にかける橋を作る上で一番の難事は、なんといっても流れている水の中に、土台となる橋脚をつくることである。
古代ローマ人は、橋脚を次のように作った。

1-1 橋脚を立てる位置を、木の杭と板で壁を作り囲う

橋の作る位置を決めると、橋脚を立てるポイントに木の杭を何本も打ち込み、木の板で囲んで壁を作った。

1-2 囲った内部の水を、すべて外に汲み出す

木の杭と板できた壁内部の水をすべて汲み出してなくし、地表と同じ条件にしたのである。

1-3 水がなくなった川床を深く掘り下げ、石材を積み重ねる

あとは地表と同じように、ある程度の固さをもつ地層まで掘り下げ、そこで基礎をつくり、石材を重ねて橋脚を作ったのであった。
また、上流側にある橋脚の形を「くの字型」にして水圧を逃がすような工夫もしていた。


ちなみに古代ローマの橋脚づくりの工法は、材料が違うだけで、現代の工法とほとんど同じらしい。
古代ローマ時代に、現代にもつながる工法が確立されているとは、恐るべしというしかない。

2. アーチを作る

水道橋の建設
アーチの作り方(水道橋の場合)
Construction of an aqueduct ~ O. Scarpelli

橋脚を組み上げたら、それらを連結するためのアーチを作った。
水道橋の作り方でも紹介したとおり、アーチを作る手順は次のとおりだ。

  1. アーチ型の木枠を足の間に渡す
  2. 切り出した石材を、木枠の上にセメントと補填材で固めて積み上げる
  3. 最後に楔石をアーチの最上部に打ち込む

橋の上部には移動式クレーン(おそらく船で運んだと思われる)を使い、石材を持ち上げていた。
また、高い橋を作る場合は、何層ものアーチを組み上げて、高度を保つようにした。

3. 橋の上部を舗装する

こうしてできあがった橋の上部を、最後は舗装して完成である。
上部の舗装については、基本的に街道を作るのと同じよう、車道、歩道を分けて舗装した。

また排水溝などの設備も、このとき同時に設置したものと思われる。

現代に残る古代ローマ時代の橋

古代ローマの橋はよほど頑丈にできていたのか、現在でも当時のままの姿で使用されているものがある。
ここでは、今でも見ることができる、古代ローマ時代の姿のままで使用されている橋を紹介しよう。

ファブリチオ橋

ファブリチオ橋
ファブリチオ橋
User:MatthiasKabel [CC BY-SA 3.0 ]

ローマにあるテヴェレ川にかかる橋で、ティベリーナ島とテヴェレ川左岸のカンプス・マルティウスを結んでいる。
現役で使用されている、古代ローマ時代の石造アーチ橋の中では、もっとも古い。

紀元前62年、キケロが執政官の年に、道路長官のルキウス・ファブリキウスが作ったので、ファブリキウス橋(イタリア語でファブリチオ)と呼ばれている。

紀元前23年に洪水の被害を受けたが、紀元前21年に修復され、現在まで使用されている。

アエミリウス橋(壊れた橋)

アエミリウス橋
アエミリウス橋
Patrick Denker [CC BY 2.0 ]

テヴェレ川にかかる橋で、商業の中心であったフォルム・ボアリウムと、テヴェレ側対岸のトラステヴェレを結んでいた。
「結んでいた」と過去形なのは、現在では1部分しか存在しないためである。

この姿のため、現在では“壊れた橋”を意味する「ポンテ・ロット」と呼ばれている。

アエリウス橋(サンタンジェロ橋)

アエリウス橋(サンタンジェロ橋)
アエリウス橋(サンタンジェロ橋)

ハドリアヌス霊廟である、サンタンジェロ城にかかる橋。
ハドリアヌス帝が着工し、アントニヌス・ピウス帝の頃に完成。
この橋も度々修復され、現在の姿は1892年の修復時のものである。

なお、ハドリアヌスについてはハドリアヌス ―暴君になりそこねた、旅と美青年を愛する万能賢帝―に詳しく説明しているので、興味のある方はご一読いただければ嬉しい。

ミルヴィオ橋

ミルウィオ橋
ミルウィオ橋
Livioandronico2013 [CC BY-SA 4.0 ]

テヴェレ川にかかっている、ローマの北にある橋。
この橋は、コンスタンティヌス1世(大帝)が、ライバルであったマクセンティウスを破った戦いである、『ミルウィウス橋の戦い』でも有名。

中世になって度々修復されているが、現在でも使われている古代ローマ時代の橋の一つである。

今回のまとめ

古代ローマの橋について、もう一度おさらいしよう。

  • 古代ローマの橋は、一時的なものと恒久的にかけられる橋があった
  • 古代ローマの橋は、街道と同じく平坦につくられ、さまざまな工夫がされていた
  • 古代ローマの橋脚づくりは、現代の工法とほとんど同じ
  • 今でも古代ローマの橋が現役として使われている

街道にしろ、橋にしろ、古代ローマ人のインフラ技術が、いかに高かったかが、おわかりいただけるだろうか。
現代の技術で、いまから2,000年経っても使われているものがあるかと考えると、私には思い当たらないのである。

本記事の参考図書

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