古代ローマ国家が広大な領土をどのように統治していたか、あなたはご存知だろうか。
その一つが属州単位で治める分割統治制度である。
ではこの属州がどのように統治されていたかを説明するとなると、案外知らないことに気づくのではないだろうか。
そこで今回の記事では
- ローマ本国と属州の違い
- 属州の税制
- 帝政期の属州が3種類あったこと
- ローマ帝国最盛期の属州の数
について書くので、しばしの間お付き合いいただけると嬉しい。
ローマ本国と属州の違い
属州とは、ローマ本国以外に戦争などで領有したものを指す。
ではローマ本国と、属州の違いとはなにか。
ローマはもともと都市国家であり、イタリア半島内では他の都市国家との同盟関係で勢力を拡大していった。
戦争で勝ち、強制的に同盟関係を結ばせたとしても、同盟都市には一定の自治権を認めているし、ある種の特権であるローマ市民権を与える場合もあった。
この都市国家連合体が、いわゆるローマ本国である。
これに対して第一次ポエニ戦争で獲得したシチリアは、同盟関係ではなくローマから派遣される担当官が統治を行った。
当然自治権はなく、またシチリアの人々はローマ市民権を持っていない。
シチリアはローマにとって、あくまで外国の扱いだったのだ。
これがローマの属州統治の始まりであり、これ以降獲得した領土は属州として統治していくことになる。
属州を納めたのは属州総督
前述したとおり、属州はローマから派遣される担当官、属州総督が統治を行った。
属州総督になるための資格
属州総督として赴任するには、次の2つのうちいずれかの資格が必要だった。
- 執政官経験者(プロコンスル)
- 法務官経験者(プロプラエトル)
執政官(コンスル)とは、ローマの行政最高責任者であり、法務官(プラエトル)は司法の責任者である。
この役職を経験したものが、元老院(帝政期では皇帝含む)に任命されて、任地に赴いた。
ちなみにカエサルも執政官経験後、属州総督としてルビコン川以北、アルプス以南のガリア・キサルピナに赴任している。
属州と本国を隔てる川、ルビコンがどんな川かはルビコン川 ―わずか1mの川幅を渡ることをカエサルが躊躇した意味とは―で説明しているので、興味があれば一読いただくとありがたい。
属州総督の権限
属州総督は属州に対し、次の責務を負っていた。
- 課税、および財政運営
- 司法
- 軍事統括
責務とは、裏を返すと権利である。
属州総督は財政運営のために属州民から徴税し、裁判を行い、そして安全のために属州内外の敵を取り除く。
この3つがあることで、属州では属州総督が絶対的な権力を握っていた。
属州総督に付き従った者たち
属州には属州総督のほかに、執政官の下僚である財務官、あるいは会計監査官(クァエストル)など数名が派遣された。
しかし、この人数で属州を統治することは実質不可能なため、属州総督は子飼いの部下、下僚を付き従えて赴任したという。
部下の多くは奴隷や解放奴隷であった。
属州の税制
属州には、主に次の税が課せられた。
- 属州税(10分の1税)
- 売上税(50分の1税)
- 収穫物税(3分の1税)
属州税(10分の1税)
収入の10%を納める税。
属州民には兵役の義務がなかったので、そのかわりとして属州税を納めなければならなかった。
売上税(50分の1税)
ものを売ったり買ったりした時にかけられた税金。
こちらはローマ市民にも同様のものがあった。
収穫物税(3分の1税)
国有地の賃貸料として、収穫物の3分の1を払う税。
属州はローマが新たに領有する際、支配地域として多くの土地が国有化されたため、属州の人々はローマから土地を借りるという名目で払わされた。
この他にも税は存在したが、その多くはローマ市民も同様のものが課されていた。
属州によっては人口が10分の1に減った地域もあった
共和制末期、属州税の徴収は、属州総督から委託された徴税請負人が担当した。
彼らは「納税遅延のため、一時的に貸し付ける」という名目のもと、通常の税とは別に「利子」として属州民から余分に徴収した税を着服し、私腹を肥やしていた。
また、属州総督も徴税請負人と結託していたため、属州の赴任で一儲けする政治家たちが後を絶たなかった。
この「徴税」は凄まじく、属州の中には借金で奴隷に身を落とし、数十年のうちに10分の1にまで人口が減少した地域もあったという。
帝国期の属州は皇帝直轄と元老院管轄とに分かれていた
共和制末期の属性統治を憂いて改革をしたのが、カエサルとそれを受け継い初代皇帝アウグストゥスである。
カエサルは、悪名高い徴税請負人制度を廃止した。
またアウグストゥスは属州を、
- 防衛が必要だったり、情勢が不安定な統治しにくい地域(皇帝属州)
- 比較的情勢の安定している安全な地域(元老院属州)
に分け、皇帝属州には自ら任命した属州総督を派遣できるようにした。
防衛が必要だったり、情勢不安であるとは、すなわち軍が必要であるということ。
これにより、アウグストゥスは軍を掌握し、権力が高まることとなった。
実は属州にはもう一つ、
- アウギュプトゥス
がある。
これは当時ナイル川の恵みで作物がよく育つ穀倉地帯だったエジプトのことで、ローマの人口を食料面から支える最重要拠点のために、属州総督ではなく皇帝直属の官僚(エジプト長官)を派遣して治めた。
ローマ帝国の属州は最盛期で50州程度あった
シチリアの属州化以降ローマは属州を次々と増やし、最盛期には50近くの属州があった。
それぞれの属州がどこにあったかや、属州の州都についてはローマ帝国最盛期の属州一覧 -ヨーロッパからアジア、アフリカまで-にまとめているので、参考にしてほしい。
今回のまとめ
属州について、もう一度おさらいしよう。
- 属州は同盟都市とは違い自治権がなく、属州民にはローマ市民権がなかった
- 属州には本国とは違う税金が課せられていた
- 共和制末期の属性統治は属州民にとって過酷だった
- 帝政期は属州は3種類に分かれていた
文化が違う外国統治は非常に難しい。
それでも初めての属州獲得から400年以上も統治を続けたローマの柔軟性は、賞賛に値するのではないだろうか。