古代ローマの娼婦 ―売春方法から場所、値段など―

ワイン2杯分で買えた古代ローマの娼婦

古代ローマの娼婦。
その起源は古く、建国の王とその弟ロムルスとレムスを育てたのも娼婦だと言われている(諸説あり)。
また、ある詩人は自らの詩の中でローマの娼婦を「ハエの数より多い」と歌うほど、ローマでは馴染みの職業だったと言えるだろう。

では古代ローマの娼婦たちは、

  • どんな種類があり
  • どのような場所にいて
  • どのような人たちがなり手で
  • どのように商売をしていた

のだろうか。

今回はローマ市の例を中心に、古代ローマの娼婦を紹介することにしよう。

※タイトル下のイメージは、Heinrich Sturzl [CC ]氏の提供によるものです。

古代ローマの娼婦の種類

娼婦、と一口に言っても、古代ローマの娼婦たちには、様々なタイプがあった。
では、古代ローマにはどのような娼婦たちがいたのだろうか。

売春宿で働く娼婦

まずは売春宿で働く娼婦たち。
彼女たちは宿の主人から僅かな給料をもらい、一晩に何人もの男を相手に春を売った。
このほかに、独り立ちした娼婦が売春宿の一室を間借りし、主人に客を斡旋してもらう娼婦もいた。

街娼

次に街で客を引っ掛けるタイプ、いわゆる「ストリートガール」である。
彼女たちは自分のねぐらに近い場所や、客が釣れそうな場所にたむろし、道行く男たちに声をかけて稼ぎを得ていた。

また街娼には次のようなタイプがあった。

アンブラートーリケス

街をぶらぶら歩く女、という意味で、文字通りいろんな場所に出没して客を引く女たちのこと。
彼女たちはスケスケの服と若い容姿、少々強引なやり口で客を誘い、近くにある自分のねぐらに誘って商売をした。

ノクティルカーエ

夜輝くもの、という意味で、夜の街に出没するストリートガールのこと。
逆に言えば、古代ローマでは娼婦たちは昼夜関係なく出没していた、ということになるだろう。

フォルニカートリケス

柱廊のアーチの下で客を待つ娼婦のこと。
古代ローマの娼婦はどこで客を「引っかけた」のかでも説明するが、古代ローマの娼婦たちは円形劇場や大競技場(キルクス・マクシムス)などのアーチの影で、客と情事を行うこともあった。

宿屋や居酒屋などで働く娼婦

古代ローマでは、専業で男たちを相手にする娼婦の他にも、宿屋や居酒屋の給仕(ウェイトレス)をしながら客を引く、いわゆる兼業の娼婦もいた。
ときには宿の主人の妻が、娼婦として店に出ることもあったという。

高級娼婦

娼婦のなかでもよりランクが高かったのが、高級娼婦だ。
上流階級の男たちを相手に商売をし、歌や演奏、踊りなどの芸事に秀でていた。
また彼女たちは「営業」をかけてくれる女主人たちと連携して、より裕福で権力を握る男たちを紹介してもらうこともあった。

さらに高級娼婦のなかには、一晩や一回といった単位での支払いではなく、月単位や年単位で客と契約を交わすものもいた。

その他の娼婦

上記の他にも、富裕層が夕食で客を招く「晩餐」の余興として呼ばれる娼婦や、最貧層になると町外れや街道沿いの墓場に出没して、墓場の草や少年の内蔵を混ぜて薬(毒薬)を作り出す、魔女娼婦なども存在していたようである。

古代ローマの娼婦はどこで客を「引っかけた」のか

ローマ市の地図
ローマ市の地図
図説 娼婦の歴史 より

古代ローマの娼婦たちはどこで客を得ていたのだろう。
大まかに分けると、次の二つになるだろう。

  • 売春宿で客を引く
  • 外(街角)で客を引く

では売春宿はどこにあり、外で客を引いた街娼はどこにいたのだろうか。

売春宿のある場所

ローマ市では、売春宿はローマ市壁の近くに集まっていた。
現代日本で言えば、高速道路のインター近くや、町外れにラブホテルが多く集まっているのと似ているだろう。

その他、貧民街のスブラ地区やウェアブルム地区にも、売春宿は点在していた。

街娼を見かける場所

街娼(いわゆるストリートガール)は、次の場所で見かけることが多かった。

  • 両替商や宝石商の店の近く
  • フォルム(広場)へと抜ける「お熱い通り」
  • 香商人(トラウリウス)通り
  • くびき製造者(ユガリウス)通り
  • 大競技場近く

両替商や宝石商などの近くは、もちろんお金を持っている客を狙うためだ。
香商人も同じ理由だろう。

またフォルムへと抜ける通りは、しばしば娼婦たちが客を引く「たまり場」となっていたようだし、大競技場については、興奮した客がその高ぶった感情を彼女たちにぶつける事のできる、格好の的になっていたようである。

ローマ市の地区別での娼婦たち

ではローマ市の地区別では、どのような娼婦たちがいたのだろうか。

スブラ・ウェアブルム地区

スブラ地区やウェアブルム地区はいわゆる貧民街であり、その日暮らしの人間や最下層の人々が暮らしていた。
今で言うスラム街に似たイメージを想像していただくといいだろう。

ちなみに独裁官ユリウス・カエサルも、実家はスブラ地区の一角にあった(ただしカエサルの実家は、一軒家のドムスか、集合住宅インスラでも家賃の高い低階層に住んでいた可能性は高い)。

スブラ地区やウェアブルム地区では、メレトリクラと呼ばれる底辺娼婦たちが商売をしていた。
この地区の娼婦たちは売春宿で働くほか、インスラの一室を共同で借り、その部屋で商売をするものもいた。
また、浮浪者に混じって野宿する、ホームレス娼婦もいたようだ。

トランステヴェレ地区

トランステヴェレとは、ローマ市を流れるティベリス川の沿岸に位置する地域で、この地区はアウトローたちのたまり場だった。
そのため、ローマ市の治安を守る夜警ですら、近寄ることはなかったという。

この地区の娼婦たちは、売春宿ではなく宿や居酒屋で働くパートタイム娼婦たちが多かった。
彼女たちは飲みにくるゴロツキや盗人などを誘い出し、稼ぎを得ていたのである。

アウェンティヌス地区

スブラ地区やウェアブルム地区と対照的なのが、ローマ市の南に位置するアウェンティヌス地区だ。

アウェンティヌス丘の斜面にそった商店街には、一流の楽器奏者や見目麗しい娼婦たちがいる高級売春宿がそろっていた。
また売春宿の雇われ娼婦から独り立ちしたものも多く、中流から上流階級の男を相手にできたのである。

どのような女性が娼婦になったのか

売春宿の娼婦たち

売春宿で働く娼婦は、たいてい次のような女性たちだ。

  • 奴隷
  • 捨て子
  • 解放奴隷

奴隷

売春宿の元締めが、奴隷市場から見た目のいい女性を買って娼婦にするほか、元締め自体が奴隷商人で、彼らが仕入れた奴隷を「教育」し、働かせる場合もあった。

では彼女たちはなぜ奴隷になったのか。
奴隷になるケースは、次の2つが圧倒的に多い。

  • 戦争捕虜
  • 海賊などから誘拐され売り飛ばされる

娼婦となる奴隷は、後者の誘拐から売り飛ばされたケースが多かったようである。

捨て子

ローマでは捨て子、とくに女子の捨て子が多かった。
元締めたちは、捨て子の中でも丈夫そうな子を選び、拾って「教育」を施した後に売春宿で働かせる、いわゆる先行投資を行うこともあった。

ちなみに娼婦になるための教育とは、

  • 楽器の演奏
  • 化粧などの身なりの整え方
  • 男たちの口説き方
  • 金の巻き上げ方

などである。

解放奴隷

特殊なケースとしては、女性の解放奴隷が自立するために売春宿で働く、というもの。
古代ローマでは女性の職が少なく、また稼ぎも大して期待できないなかで、娼婦の収入はある意味魅力的だったのである。

ただし、大抵は元締めに稼ぎをごっそりと持っていかれ、娼婦の手元にはほんの一握りしか残らなかったのだが。

街娼

自ら客をとるケースでよく見られるのは、夫に先立たれて生活苦から娼婦に身を落とすパターンである。
その他、苦しい家計を支えるために、母が娘に売春を勧めることもあったという。
このような親子は、たいていスブラ地区などの貧民街に住む人々だった。

古代ローマの売春宿の様子

このような娼婦たちを、客は売春宿でどのように買ったのだろう。

売春宿の種類

ローマ市に45ヶ所の国家公認売春宿があったと言われる。
この数字は公認された売春宿の数なので、非公認のものも含めると実数はもっと多いだろう。
この売春宿には、次のような種類があった。

ルパナレス

娼婦の他に働く従業員もいる、比較的大きな売春宿。
ルパナレスの「ルパ」は、娼婦を意味する。

トゥルトゥリッラエ

別名「鳩小屋」とも呼ばれる比較的小さな売春宿。

トゥグリア

別名「小屋」。この中では最も小さい売春宿で、最低限の設備しかなかった。

売春宿で娼婦を買う手順

ポンペイの売春サービス画
ポンペイの売春サービス画 | Wikipediaより

どの売春宿も、夕方近くになってようやく開業した。
どうも、若者が誘惑に負けて仕事をサボらないように、という配慮かららしい。

では実際に売春宿で娼婦を買う手順を紹介しよう。
売春宿で娼婦を買うときは、だいたい以下のような手順を踏んだ。

  1. 宿の外から娼婦たちを品定めする
  2. 宿に入り、気に入った娼婦を指名する
  3. 娼婦に割り当てられた部屋に入って「コト」に及ぶ

宿の外から娼婦たちを品定めする

客はまず売春宿の部屋を除いて、娼婦たちの様子をチェックする。
娼婦たちも、自分に割り当てられた部屋で、通行人から見えるような位置に立ったり座ったりして客を待った。

吉原など遊郭が登場する時代劇でも、通行人から遊女が格子越しに確認できるシーンがあるが、おおむね同じものだと考えればいいだろう。

ちなみ古代ローマのこのような売春宿の様子から、「公に陳列する」あるいは「売るために展示する」という意味のラテン語プロスティテューテ(prostitute)が、英語の娼婦の語源である。

宿に入り、気に入った娼婦を指名する

売春宿は、ひと目で分かるようになっていた。
なぜならドアノブが男根の形をしていたり、あるいはどのようなサービスを受けることができるかを描いた絵が、宿の壁にあったからだ。
また、売春宿の名前も

  • ディアナ神殿(神殿で巫女が売春をする)
  • フェニックス
  • アセリアの娘たち
  • 四姉妹

などと、意味深なものも多かった。

気に入った子が目に入る、あるいは「それ」が目的で客が売春宿に入ると、宿の主人は娼婦たちを何人か連れて、客の前に並べる。

女主人が娼婦を陳列するシーン
女主人が娼婦を陳列するシーン
ドラマ「ROME」 より

上の画像は、HBO製作のドラマ「ROME」 のワンシーン。
ここではオクタウィウス(ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの少年時代の名)が、女性の初体験、いわゆる筆おろしのために売春宿にやってきて、一人の女性を選んだところだ。

こうして客は気に入った娼婦を指名すると、主人と値段の交渉をして料金を払う。
取りそこねを避けるため、料金は必ず前払いだった。

娼婦に割り当てられた部屋に入って「コト」に及ぶ

選んだ娼婦の部屋に入ると、彼女は「オクパータ(使用中)」と書かれた札を下げ、戸を閉める。
この戸には彼女の名前のほかに、得意な性技などが書かれている場合もあった。

また、戸は閉めてもリクエストがない限り、鍵はかけないのが普通だった。
そのため、コトが済んだ客が他の部屋を覗き見することもあったという。

セラと呼ばれる部屋の中には、ランプとベッド(敷物)が置かれていた。
売春宿は悪臭がひどく、客のからだに臭いが染み付いてしまうほどだった。

このような中で客は娼婦から「サービス」を受けるわけだが、本番のセックス意外にも、

  • 口だけで男性器を愛撫する「フェラチオ」
  • お尻の穴でする「アナルセックス」

などの方法でサービスをする娼婦もいた。
このようなサービスは妊娠の危険がないからか、たいてい本番よりも安くで受けることができたようである。


所有物である奴隷娼婦は、宿の主人にこき使われた。
当然お客を断ることなど論外。
一晩に10人以上相手にさせられることも稀ではなかった。

ただし、独り立ちした娼婦が客を斡旋してもらうために売春宿に間借りする場合は、この限りではない。
彼女たちは、借り主に売上の何分の1かを支払い、客の斡旋と一室の賃貸をしてもらった。

また大きい売春宿の場合、客と客の合間に女奴隷がたらい一杯分の水と櫛、香水を娼婦へ持ってくることもあった。

売春宿で働く娼婦以外の人

前述したように、大きい売春宿では娼婦以外にも働くものがいた。
ここでは売春宿で働くその他の人を紹介しよう。

売春宿の主人「レノ」「レナ」

売春宿の主人は、男なら「レノ」、女なら「レナ」と呼ばれていた。
どのような女性が娼婦になったかでも記述したとおり、彼らは奴隷商人を営む傍ら、売春宿を経営することも多かった。

また女主人「レナ」は、娼婦たちに「男をたらしこむ」ための教育をする教育係も受け持っていたようだ。

スクルペラ

スクルペラとは、売春宿の入り口で娼婦や客を出迎えたり、見送る役目の女のこと。
彼女たちの中には客を見送ると称して墓場へ連れ込み、客を寝取るものもいたという。

オルナトリックス

売春宿で娼婦を買う手順で記載した、客が変わるたびに娼婦に白粉や脂などの化粧道具を持っていく下女のこと。

アクアリオリ

こちらも売春宿で娼婦を買う手順で記載した、飲み物を持っていく女のこと。

売春宿以外で娼婦を買う方法

街娼に声をかける

売春宿以外で娼婦を買う方法として、まず最初に上げられるのが、街を歩く娼婦、いわゆる街娼(ストリートガール)に声をかけることだろう。

彼女たちは他の女性たちとは違う、ひと目で娼婦と分かるような格好をしていた。
例えば次のような身なりである。

  • 透ける布を用いた服を着る
  • エジプトやシリアのような外国人風のコスプレファッション
  • ゲルマン人の髪で作った金髪のかつら

もちろんこれらの服やかつらを揃えるためにはお金がかかるので、上記ファッションは高級娼婦たちが好むものだ。

また娼婦は通常ローマの婦人が着るストラを着ることが許されていなかったため、娼婦用のトガを着ていたので客も見分けやすかったことだろう。

彼女たちはオリエンタルな香りのする香水を漂わせ、街角や浴場、薄暗い横町、神殿の近辺、円形劇場や闘技場のアーチの下で客を引いていた。

また独り立ちした街娼の中には、一回に何人もの男を同時に相手する、いわゆる○Pを繰り広げて荒稼ぎを狙う剛の者もいたようだ。

居酒屋や宿などのサービス

古代ローマの娼婦の種類でも紹介したとおり、古代ローマでは居酒屋の給仕などが副業で体を売り、一稼ぎする兼業娼婦も多かった。
娼婦の街としても有名なポンペイでは、政府公認の売春宿が少なくとも7箇所あったというが、その一つが理髪店に付随していたようである。
髪を切った客が、ついでに娼婦を買っていく、ということもあったのだろう。

公共浴場のオプション

その他にも、公共浴場でも娼婦を買えることがあった。
公共浴場では、客が脱いだ服の見張り役に奴隷か解放奴隷を雇うことがあったが、この役は単なる隠れ蓑で、実は娼婦ということもあったのだ。

客は真っ裸になるため、ちょうどよかったのかもしれない。

古代ローマの娼婦の値段

古代ローマの娼婦は、一体いくら出すと買うことができたのか。
もちろん娼婦やサービスによって様々だが、ここでは売春宿やその他の相場を見てみよう。

売春宿での相場

古代ローマの売春宿では、だいたい2アスから8アス、高くても18アス程度で買うことができた。
では2アスとは一体どれぐらいの価値なのか。

帝政前期の一般的な軍団正規兵の年給は、900セステルティウス。
1アス=4セステルティウスなので、年給の18分の1で変えたことになる。

もっとわかりやすくするために、1アスを現代日本の価値に強引に換算すると、だいたい100円程度。
この頃のテーブルワイン(居酒屋で出す一般的なワイン)一杯が1アス程度なので、娼婦はワイン2杯分の値段で買うことができたのである。

古代ローマの物価については、種類も図柄も様々!古代ローマ貨幣の価値や当時の物価についてにも掲載しているので、ご参考いただくといいだろう。

宿屋、居酒屋でのサービスの相場

宿屋や居酒屋も、基本的には売春宿と変わらなかった。
ちなみにポンペイなどの観光保養地は比較的お高めの値段設定だが、他地域では1アス、時には1/2アスや1/4アスで体を売る娼婦も多かったようだ。

高級娼婦の場合

では高級娼婦の場合はどうか。

娼婦の値段を聞いて仰天するシーン
娼婦の値段を聞いて仰天するシーン
ドラマ「ROME」 より

こちらも海外ドラマ「ROME」 で、主人公の一人であるプッロが提示された金額に、「ナルボの女なら半分買い占められる」と目をむくシーンだ。

提示された金額は、なんと1,000デナリウス。
1デナリウス=4セステルティウスなので、アスに換算すると16,000アスを女主人から提示されたことになるのだ!
この値段では、1軍団兵で一般的な娼婦しか知らないプッロが驚くのも、理解できるだろう。

上記の例に出てくるナルボとは、ガリア・ナルボネンシスの属州都のこと。
このような地方都市でも、やはり娼婦の相場はそれほど高くなかったと考えられる。

ちなみにここで紹介した海外ドラマ「ROME」は、カエサルのガリア征服戦争終盤からアウグストゥスの内乱終結まで渡る、長編歴史ドラマ。
物語だけではなく、古代ローマ当時の宗教や生活、風習、軍隊の様子に至るまで非常に細かく描写されているので、もしあなたが観ていなければ、おすすめしたい映像作品だ。

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このように、高級娼婦ともなると天井知らずの値がつくこともあった。
また、彼女たちは契約形態が一晩(や1回)ではなく、月単位や年単位の長期契約を1人のクライアントから結ぶこともあったのである。
こちらはレンタル彼女ならぬレンタル娼婦といったところか。

ただし契約内容は細かく、

自宅に男性を入れてはならない

などの制約から

(手紙を書くための)ロウ板を置くのも禁止

外国語を学ぶのも禁止

などという、理解しがたいものもあったらしい。
この条件を破った場合、客は法廷に訴えて契約を破棄し、払ったお金を取り返すことができたという。

娼婦にかかる税金

古代ローマでは、娼婦にも税金をかけていた。
娼婦に初めて課税したのは、3代皇帝カリグラである。
彼は月に稼ぎの17%~25%を国庫に収めるように定めた。
つまり毎日客一人分の稼ぎを、各娼婦(払うのは売春宿を営むレノやレナだが)から徴収していたのである。

古代ローマの娼婦の地位

最後に古代ローマの娼婦は、社会的にどのような地位にあったのかを説明しておこう。

古代ローマでは、役者や剣闘士と同じく、ローマ市民権を持っている娼婦でも最下層の職業とみられていた。
娼婦は性悪で、男をたぶらかしで金を巻き上げ、快楽のためなら獣とも交わるという認識を多くのローマ人は持っていたのである。

娼婦との結婚

また娼婦の社会的地位が低かったせいか、結婚にも制約があった。
しかし売春経歴があっても、ローマ市民権を持つ自由民の女性と、ローマ市民の男性との結婚は認められていた。

問題は元老院議員だ。
彼らはローマ社会の最上層に位置する身分であったため、品行その他を汚すことは許されなかった。
そのため、彼らは体を売った経歴のある女性、あるいは先祖に娼婦のいるものとは結婚できなかったのである。

今回のまとめ

それでは古代ローマの娼婦について、おさらいしよう。

  • 古代ローマの娼婦は、売春宿で働くほか、街娼や居酒屋での兼業娼婦もいた
  • ローマ市には娼婦のよくいる地区があり、また地区ごとにも特色があった
  • 古代ローマの娼婦には、誘拐されて売られた奴隷や捨て子からなるものが多かった。
  • 古代ローマの売春宿にも種類やランクがあり、サービスも様々だった。
  • 古代ローマの娼婦の相場は、ワイン2杯分で買える安いものから、天井知らずの値段がつくものまであり、契約形態も色々あった
  • 古代ローマの娼婦の地位は低く、結婚の制約もあった

奴隷として売春宿で働かされる古代ローマの娼婦たちは、過酷だと言われる炭鉱奴隷のほうがマシだと言われるくらい厳しい環境で働いていた。
しかし独り立ちすれば、一般の子女が行う機織りの収入より稼ぎが見込めたのも娼婦という職業だったのだ。
奴隷は自分の身を買い戻すため、あるいは解放奴隷ならよりよい暮らしを得るため、日々彼女たちなりに精一杯生きていたのである。

古代ローマの娼婦も登場するドラマ「ROME」

女主人が娼婦を陳列するシーン
女主人が娼婦を陳列するシーン
ドラマ「ROME」より

HBOとBBCの共同製作ドラマ『ROME』では、若きオクタウィアヌスが、主人公のプッロに案内されて高級娼館へとともに行くシーンがある。

そこで娼館の女主人と繰り広げられる会話は、古代ローマの娼婦の価値や考え方をよく表しているので、ぜひ見てもらいたい。もちろんオクタウィアヌスがどんな娼婦を「買った」のかも興味深い。

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