アウグストゥスⅦ ―私生活と人物像―

アウグストゥス ローマを帝政に導いた初代皇帝

これまではアウグストゥスが実際に行ってきた、権力の掌握や行政機構の改革などを書いてきた。
ではこのような事業をおこなったアウグストゥスとは、どのような人物だったのだろう。

この記事では、暮らしぶりや趣味嗜好などをから、アウグストゥスの人物像を見ていくことにしよう。

日常生活

住居

アウグストゥスの家
ドムス・アウグスティ
Wikipediaより
アウグストゥスⅣ ―首都ローマの再開発―でも書いたとおり、アウグストゥスはパラティヌスの丘にあった、ある元老院議員の家を買い取って、そこに自分の邸宅を建てた。

パラティヌスの丘は、ローマでも高級住宅街として有名だったので、そこに家をもつことは一種のステータスだった。
しかしアウグストゥスの邸宅は、当時ローマにあったドムス(一軒家)の一般的な大きさからみても、特に大きくも豪華でもなく、ごく普通だったようである。

このことはアウグストゥスの性格に加えて、彼が人々の嫉妬を買わないように慎重に振る舞った結果だといえるだろう。

書斎「シュラクサイ」

アウグストゥスの住んでいた建物は、小さな居間のあるプライベートな部分と、それより少し大きな公務室でできていた。

ローマの公人の邸宅は、一種の事務所のような役割があったので、アウグストゥスの家も例にもれず、いろんな人が訪れたり、事務作業を行ったりしていた。
また日常生活を手伝う様々な家人や召使い、奴隷がいたので、アウグストゥスの家には様々な人が訪れたり住んでいたりした。

このような家で、アウグストゥスが一人になりたいときにこもる部屋がある。
それが「シュラクサイ」と呼んでいた屋根裏にある書斎だ。
シラクサの大数学者であるアルキメデスの仕事場にあやかったものだと言われている。

寝室と睡眠

アウグストゥスは、40年以上同じ寝室を使っていた。
低い寝台に、ごく普通の被いをかけて寝ていたようだ。

アウグストゥスは眠りの浅い人だったようで、彼が移動に使っていた臥輿(奴隷などが数人で担ぐ乗り物)の中や、立ち往生して地面に下ろされたときに居眠りをしていた。

また夜中に何度も起きることがあり、すぐに眠れなかったアウグストゥスは、朗読係(の奴隷)や語り部を呼んで詩を朗読させたりした。
想像すると、まるで絵本を読んでもらいながら寝る幼児のようだと、私は思わず笑みがこぼれたが、激務でなかなか脳が休まらなかっただけなのかもしれない。

衣服

養父カエサルがおしゃれに気を使っていたのとは対象的に、アウグストゥスは衣服に頓着しなかったようで、普段はリウィアや彼の親族の女性が織ったり縫ったりした部屋着を着ていた。

ただし公式の場に出席するときは、それようの服を着用したようだ。
また急に公式の場に出席しなければならないときのために、いつもそばに上等な服と靴を用意していた。

靴といえば、アウグストゥスは厚底の靴を履いていたらしい。
アウグストゥスの身長は170cmほどだったと言われているので、当時としてはそこそこ高い気もするが、威厳を保つために身長を高くみせていたのかもしれない。

食事

皇帝の食事といえば、あなたは豪華なものを想像するかもしれない。
しかしアウグストゥスはごく普通の、どちらかといえば質素な食事をしていた。

そもそもアウグストゥスは少食だった。
朝食もあまり食べないし、昼食は忙しすぎてお腹がへったときに一口二口食べる程度。
アウグストゥスの昼食が記してある手紙や書簡によると、

  • 一口のパンとナツメヤシ
  • 約28gのパン(やっぱり一口ぐらい?)と皮の厚いぶどう

を口にしていたとある。

また、ローマ貴族の間では「ケーナ」と呼ばれる夕食の食事会を開いて、社交や交渉を行う接待をひらいており、アウグストゥスも頻繁に行っている。
しかしここでも彼は遅刻や途中退場の常習犯だった。

それもそのはず、アウグストゥスはこの手の会に必要なお酒をほぼ飲まなかった(飲めなかった?)のである。
彼の水分補給法は、次の方法で行った。

  • 水に浸した一片のパン
  • きゅうりの刻んだもの
  • レタスの芯
  • すっぱい新鮮なリンゴ、もしくは乾燥させたリンゴ

おそらくアウグストゥスは、食にあまり興味がなかったのだろう。

体質と体調管理

虚弱体質

アウグストゥスは生まれたときから体があまり強くなかった。
とくに緊張が大きくなると不調を起こし、2、3日寝込むことも多かった。
オクタウィアヌス時代には、重要な戦いの前で自分の体質にかなり悩まされている。

暑さ寒さの不調

アウグストゥスは寒さも暑さも苦手だった。
直射日光には冬でも耐えることができず、 外出時のお供はつばのある帽子。
寒さで手がかじかむと、右手の人差し指に力がはいらなくなり、書くこともできなくなった。
さらに極度の冷え性で、冬には下着の上に4枚のトゥニカと重いトガを着て、その下に胸当てとズボン下、羊毛のゲートル(スネにまく衣類)をつけている。

その他の体調不良

アウグストゥスはこの他にも次のような病気に悩まされている。

  • 何年か続いた膀胱痛。尿が出るとすぐに痛みは消えた
  • アフリカからの熱風「シロッコ」が吹くとかかる風邪
  • リウマチ

このように、大病以外にも様々な体調不良と闘ったアウグストゥスは、自分の体が強くないことをよくわかっていた。
そこで健康を保つための工夫も行ったのである。

日々の運動

アウグストゥスと同時代を生きた学者であるケルススは、自著「医学論」の中で次のように述べている。

家事仕事、公務を問わず、日中仕事に従事する者は、体をいたわるために一日の一定時間を割くべきである

アウグストゥス ローマ帝国のはじまり
第20章 宮廷生活より

アウグストゥスは、体調管理のために、適度な運動を取り入れる。
昨今の経営者たちが、業務の合間にスポーツジムで体を鍛えたり、競技で汗を流すのと同じ理屈だろう。

アウグストゥスが好んだスポーツは、次のようなものだ。

  • 乗馬
  • フェンシング
  • ハンドボール

これ以外にも、散歩をしたり、友人二人とボール投げをしたり(バスケットボールのようなものか)、外套やブランケットに包まって汗を流したり、全速力で走ったり飛び跳ねたりしていたようである。
ときどき釣りに出かけることもあったという。

迷信など

初代皇帝になった人、と聞くと、非常に合理的に物事を考えるイメージがあるが、アウグストゥスは意外にも迷信深く、予兆を心から信じていた。

靴の心がけ

その一つがアウグストゥスの靴に対するこだわりだ。
彼は左の靴に右の足を入れないよう注意を払った。
なぜなら左右を間違って履いてしまうと、不幸がもたらされると信じていたからだ。

私なんかは子供の頃に、よく靴を左右間違って履いてしまったり、なんだったら他人の靴を間違って履いてしまうこともあったので、数え切れないほどの不幸が降り掛かっているのかもしれない。

雷への恐れ

アウググストゥスは雷が大の苦手だった。
そのため、彼はオットセイの皮切れを肌身離さず常に持ち歩いていたらしい。

このお守りの効果かあったのか、ヒスパニア遠征での夜間の行軍中、松明を掲げて前を歩いていた奴隷が雷に打たれて死ぬという事件があった。
奴隷が身代わりとなることで自分が死ななかったと考えたアウグストゥスは、難を逃れたことに感謝し、カピトリヌスの丘にユピテル・トナンス神殿を建てている。

娯楽・休暇

別荘

アウグストゥスのローマでの生活は、華美に走らずごく普通の生活だった。
では彼は質素を好んでいたのかというと、そうではない。

ナポリから約50km離れたところにあるパンダテリア島(現ヴェントテーネ)に、アウグストゥスはかなり大きな別荘を建てている。

泉も川もないために、雨水を集めるための大きな水槽が作られ、資材や食料を運ぶために石灰岩が削られて、小さな港が建設された。
そして高い断崖の上に大きな家が建っており、ダイニングルームや入浴施設なども備えられていたようである。
また離れには使用人のための多数の部屋がある建物もあった。

アウグストゥスはローマでの疲れを癒やすため、おそらくしばしばこの島を訪れていたのだろう。
この孤島では、友人たちと大騒ぎしてもひと目をはばからずに済んだのである。

趣味

アウグストゥスはスポーツの観戦を好んでおり、特に好きなスポーツは拳闘家同士の試合だった。
拳闘とは今で言うボクシングのことで、相手を過度に傷つけないよう、また自分の関節を痛めないよう手に牛革を巻いて闘った。
プロ同士の対戦ではイタリア人対ギリシア人の戦いを好んでいたが、街のゴロツキ同士を戦わせることも好んだと言う。

また、彼は休日にサイコロ遊びで賭け事もしていた。
ある時ティベリウス(2代目の皇帝)の弟ドゥルススと賭けを行ったが、その日のうちに2万セステルティウスを失ったこともあったようである。
ちなみにこの時代の正規兵1人の給料が年900セステルティウスなので、2万セステルティウスがいかに大きい額かは想像できるだろう。

女性関係

アウグストゥスⅤ ―古き良きローマの復活と再生―でも述べたとおり、アウグストゥスは大の女性好きだった。
政敵であったアントニウスが、クレオパトラとの関係を非難されたことで、アウグストゥスに対して応酬をかけたために、一方的な言われようではあるが、その中にもいくぶんかの真実は含まれているだろう。

またアウグストゥスはマエケナスの妻テレンティアとも関係を持っていたらしい。
もっとも夫のマエケナスも性に対しては奔放な考えだったので、そのことで両者の亀裂ができることがなかったのだから、現代の私達からみれば不思議な世界である。

ちなみにアウグストゥスを養護するわけではないが、ローマの特に上流社会では、結婚と性愛は別ものとして考られていたことを付け加えておこう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA