クレオパトラⅢ ―東方再編成と『アレクサンドリアの寄贈』から女王の最期まで―

エジプト最後の女王 クレオパトラ

カエサル亡き後、再び内乱が起こったローマ世界で主導権を握ったのはアントニウス。かつてカエサルの部下だった男は、いまやローマの東方を支配下に収めていた。

クレオパトラは引き続きローマの後ろ盾を得るため、アントニウスに狙いを定めた。女盛りの美貌、プトレマイオス王朝の財力、そして彼女自身の知性を駆使し、懲罰で呼び出されたタルソスで逆にアントニウスを虜とすることに成功。

一方西方ではカエサルの遺産を受けついだ『後継者』オクタウィアヌスが力をつけていた。クレオパトラと離れてイタリアに戻ったアントニウスは、オクタウィアヌスの姉オクタウィアと同盟の証として結婚することに。

アントニウスはその後、悲願であるパルティア遠征へと乗り出した。しかし結果は惨敗。兵の半分が命を落とし、その上物資や攻城兵器などを失ってしまう。

自暴自棄になるアントニウスをクレオパトラは懸命に慰めた。女王のおかげでいくぶんか元気を取り戻したアントニウスは、クレオパトラとともにアレクサンドリアへと向かったのである。

クレオパトラ目次

東方世界の大編成

オクタウィアヌスの台頭

アントニウスとは対照的に、西方のオクタウィアヌスは長年の宿敵セクストゥスをついに破ることができた。この戦いで活躍したのが、オクタウィアヌスの右腕といわれる将軍アグリッパ。

マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ
アグリッパ
ルーヴル美術館 [CC BY 3.0  ]

彼はセクストゥス攻略のために、軍船建造の着手と船乗りたちを鍛え上げたのである。敗れたセクストゥスは東方へと逃れたが、結局アントニウスに捕らえられて処刑された。

またセクストゥスとオクタウィアヌスの抗争の際、援軍にきたレピドゥスがどさくさに紛れてオクタウィアヌスとの連合軍指揮権を手に入れようと画策。しかし逆にオクタウィアヌスが兵士たちを味方につけたため、レピドゥスは長年の権限を剥奪され、一市民として余生をすごすことになった。

結果オクタウィアヌスはアフリカを加え、完全に帝国の西方を支配する。今や帝国はアントニウスとオクタウィアヌスによって2分されたのである。

オクタウィア

小オクタウィアの石膏像
オクタウィア
G.dallorto, Attribution, ウィキメディア・コモンズ経由で

前35年夏、オクタウィアはアントニウスと会うため、ギリシアのアテナイに旅立った。もちろん妻の務めとして夫のところへと向かったわけだが、彼女はもう一つ目的があった。アントニウスが弟オクタウィアヌスに「貸し」ている物資や兵、それに軍船を返すための旅だった。

ところが軍船は120隻から70隻へと減っており、さらにアントニウスに提供すると約束していた兵士20,000はその1/10しか連れていなかった。このあからさまな約束違反はオクタウィアヌスの挑発と言われている。アントニウスがもしオクタウィアを喜んで迎え入れれば、義弟の「不完全な」返済を受け入れたことになるし、逆に侮辱されたと拒否すれば、ローマ人の妻を拒絶した男として評判を損なうことになるからだ。

オクタウィアの「贈り物」をアントニウスは受け取った。しかし彼女自身はローマに帰るよう手紙で伝えた。なぜアントニウスはオクタウィアを追い返したのか。

真相はわからない。しかしアントニウスにとってオクタウィアよりもクレオパトラのほうが、一緒にいて居心地が良かったはずだ。クレオパトラはアントニウスをオクタウィアに渡すつもりがなかった。クレオパトラにとって「聡明で美しい」オクタウィアは、ある意味ライバルだったのである。

クレオパトラはアントニウスと一緒にいるときは嬉しそうにしてみせ、彼がいないときは泣いている姿を(誰かに)わざと見せ、急いで涙を拭うという「いじらしい」ところを演出している。また意図的に体重を落とし、アントニウスに身も心も捧げていると噂させたりもした。

アントニウスもクレオパトラといるときは、心が平穏だったのだろう。オクタウィアがローマ人にとって理想の女性であればあるほど、アントニウスは自分がローマ人だということ、そしてパルティアで敗北した無能な指揮官だということを思い出さずにはいられなかった。クレオパトラはアントニウスにとって、すべてを忘れさせてくれる存在だったのである。

東方君主たちとの結婚政策

前34年、アントニウスはアルメニア領を占領した。パルティアとの戦争で裏切ったことが主な理由である。ほとんどだまし討ちにも近かったが、メディア惨敗の汚名をいくらかは晴らすことができた。そしてアルメニアを得たことで、東方諸国への威信もいくらかは回復したのだった。

アントニウスはこの機を利用し、東方君主たちと自分の子供を結婚させた。

  • クレオパトラの双子の息子、アレクサンドロス・ヘリオスとメディア王の娘
  • アントニウスの長女(ローマ人との娘)アントニアと、小アジア出身・トラレスの貴族

これらはアントニウスの東方諸国再編成の一環だったのかもしれない。しかし同時にアントニウスのヘレニズム君主がより進んだことを示していた。彼はいう。

自分の血統から王朝を創出することで自分は祖先ヘラクレスに並ぶことになる

と。

アレクサンドリア式典

アントニウスは「アルメニアを占領した」ことを大々的に宣伝するため、アルメニア王や捕虜を伴ってアレクサンドリアの町を行進した。彼自身はバッコス(ローマ神話の酒の神)に扮し、バッコスの戦車に乗っている。いわば神の化身として姿を表したのである。

王は鎖で繋がれていたが、その鎖は黄金か銀製。王の地位に敬意を払って形だけの演出だった。そして市内をパレードしたあと最後に出迎えるのがクレオパトラ。彼女は黄金の玉座に座り行列を待っていた。ところがアルメニア王やその部下、貴族たちはいかに説得や脅しをしても、女王に頭を下げて挨拶することを拒絶したという。

この式典を開いたアントニウスの意図は、東方諸国の制服を祝う祝典の開催だった。しかしライバルの失点を巧みにつくオクタウィアヌスにとって、この式典はアントニウスを貶める格好の材料だった。彼はアントニウスが外国で凱旋式を挙行したとして非難したのである。

凱旋式はローマの神々が見守るなかで行われる神聖な儀式。最終目的地もカピトリヌスの丘にある最高神ユピテルの神殿であり、ここに業績の報告をして始めて儀式が完成するのだ。ローマの神が不在の外国で催すなど、言語道断だったのである。

アレクサンドリアの寄贈

さらに人々を驚かせたのが『アレクサンドリアの寄贈』と呼ばれる行為である。開催された場所は大ギュムナシオン。ギュムナシオン(ラテン語ではギムナシウム)とは様々な競技が行われる運動場をさす。日本で例えるなら国立競技場といったところか。

この式典で、クレオパトラはエジプトの女神イシスの格好をした。そしてアントニウスとともに黄金の玉座を並べて座る。その一段下には子どもたちの席が設けられていた。そしてアントニウスは高らかに、子どもたちが支配する領土の分割を宣言したのだ。

  • クレオパトラと長子カエサリオン:エジプト、キプロス、シリアの統治者
  • アレクサンドロス・ヘリオス(双子の兄):アルメニア、メディア、パルティアの統治者
  • クレオパトラ・セレネ(双子の妹):キュレナイカ、リビアの統治者
  • プトレマイオス(アントニウスとクレオパトラの第3子):シリアの残りとフェニキア、キリキアの統治者

そして彼らの親であるクレオパトラは、

その息子たちが王である諸王の女王

の地位が与えられた。

アレクサンドリアの寄贈を表す地図
アレクサンドリアの寄贈地図
アントニウスとクレオパトラ 下  より

とはいえアントニウスとクレオパトラが宣言したからと言って、クレオパトラの子どもたちが実際に現地を支配するわけではない。そもそもパルティアはローマのライバル国であり、独立を放棄するなど考えられないのである。

結局アントニウスとクレオパトラが『アレクサンドリアの寄贈』を意図したこともよくわかっていない。アレクサンドリア市民を楽しませるための演劇ならば成功したと言えるかもしれない。

私はアントニウスの単なる現実逃避と、その夢を少しでも見せて元気づけようとし、あわよくばプトレマイオス朝の領土拡大を狙う女王クレオパトラの思惑ではないかと疑っている。

しかしこの行事もオクタウィアヌスにとっては、アントニウスを攻撃する格好の的となった。と同時にクレオパトラがアントニウスをそそのかす悪の化身であり、エジプトを標的にする口実にもなり得たのである。

東西対決へ

クレオパトラの“桁外れな”賭けごと

クレオパトラの饗宴をモチーフとした絵画
クレオパトラの饗宴。衣装は近世よりだが……
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

前34年から前32年にかけての頃、アントニウスとクレオパトラは賭け事に熱中していた。

こんなエピソードがある。

ある夜アントニウスは贅沢な饗宴を企画した。ところがクレオパトラは出された料理をあざ笑い、「明日は私が250万デナリウス(この時代、ローマ兵の年給は225デナリウス)相当の宴会を催してみせましょう」と約束した。

ところが次の日の夜、女王が催した食事は贅沢ではあったが見慣れたものだった。アントニウスは自分が買ったと主張する。しかし女王は言った。自分だけで250万デナリウスのご馳走をたべるのだ、と。そして最後の献立を用意させた。

それは「アケトゥム」と呼ばれる酸味の強いワイン。通常は貧しいものが飲むワインである。あっけにとられた皆の反応を楽しんだあと、クレオパトラはおもむろに片方の耳からイヤリングを外し、このワインに落としてみせた。

そして真珠が溶けてなくなると、彼女はそのワインを飲んだのだ。このイヤリングこそ、250万デナリウス相当の価値があったのである。

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クレオパトラの気遣い

この賭け事の審判役を務めていたのは、アントニウスの取り巻きの一人プランクスだ。この他にもアントニウスとクレオパトラのもとには、デッリウス、カニディウスなどのローマ人が、少数ながら付き従っていた。

クレオパトラは彼らローマ人部下のために、さまざまな特権を用意したようである。例えば2,000年に発見されたパピルスによると、クレオパトラはカニディウスに広大な所領を与えており、収入への課税は免除されていた。さらにカニディウスの代理人により、いかなる関税も払うことなく輸入したワインをエジプト国内で売る特権が与えられていた。

おそらくその他の部下たちにも、同じような厚遇を与えていたのだろう。彼女はアントニウスの部下たちに特権を与えることで、アントニウス自身の関心を自分に惹きつけられるよう配慮しての行動だった。同時にそれは、彼女の権力に対する国家ローマ自体の後ろ盾の保証でもあったのだ。

再びパルティア、そしてイタリアへ

前33年春、ようやく自信をとりもどしたのか、はたまた兵と物資の立て直しが終わったのか、アントニウスは再びパルティアへの遠征を計画した。そして兵をパルティアの国境沿いに集結させる。

しかしここでアントニウスは気が変わった。集めた兵たちの進路を西へと変更した。ライバルのオクタウィアヌスがアントニウスへのネガティブキャンペーンを大々的に行っていたからだ。アントニウスはイタリアで自分の立場を守る必要が出てきたのである。

前33年の冬にクレオパトラはアントニウスと合流し、恋人とともにエフェソスで過ごした。彼女はアントニウスに総額銀2万タラントンという莫大な費用を提供している。クレオパトラⅠ ―誕生と女王即位、カエサルとの出会いと別れ―娘の乗っ取りと復位でもすでに述べたとおり、斜陽の王国だったにも関わらずインドとの直接貿易で潤っており、経済大国としての存在感は当時でもピカイチだったのだ。

献身的で自分を常にアゲてくれるクレオパトラと添い遂げる覚悟を決めたのか、アントニウスはついにオクタウィアとの離婚を決意した。クレオパトラはローマ妻との戦いに勝ったのだ。

アントニウスの遺言

ところがクレオパトラの帯同以上にオクタウィアとの離婚は、イタリアに波紋を広げてしまった。時勢に聡いアントニウスの部下の一人、プランクスはここで鞍替えすることに決める。彼はオクタウィアヌスに合流した。だけではなく新しい上司に土産を持ってきたのである。

その土産とは、アントニウスがウェスタ神殿に遺言状を預けている、ということ。ウェスタの巫女は非常に権威があり、神聖不可侵な存在とし崇められていた。ところがオクタウィアヌスはウェスタの巫女長が拒否したにも関わらず、神殿内にズカズカと押し入り遺言状を無理やり読んでしまったのだった。

そして自分に都合のいい部分を抜き出して、集会で次の箇所を読み上げた。

  • アントニウスが、クレオパトラと彼女との間に儲けた子供に遺産をあたえること
  • クレオパトラとカエサルの子とされるカエサリオンを、独裁官カエサルの子と認めたこと
  • アントニウスの死後、クレオパトラと並んで埋葬してほしいこと

上記を抜き出したオクタウィアヌスは、

  • アントニウスがクレオパトラの言いなりになっていること
  • クレオパトラがアントニウスを利用し、エジプトからローマを支配しようとしていること

上記2点を印象づけることが狙いだった。そして長年の同朋同士の争いで疲れ果てていた人々に、敵はクレオパトラであり、外国との戦争という体裁をとったのだ。

半ば強引なやり方だったにも関わらず、オクタウィアヌスは世論を味方につけることができた。そして全イタリアの共同体がオクタウィアヌス個人に忠誠を誓う制約を交わす。ついに彼は、アントニウスにではなくクレオパトラが率いるエジプトに対して宣戦を布告した。

アクティウムの海戦

アントニウス・クレオパトラ連合軍の東進

アントニウスとクレオパトラは、エフェソス滞在の後、ゆっくりと東へ向かった。はじめはサモス島に。次にアテナイへと寄り道をして。なぜ彼らは旅行とでも呼べるような移動をしていたのだろうか。

まずクレオパトラたち東方連合軍は、急ぐ必要がなかったのである。その理由は次の2点。

  • 資金や物資などが豊富にあったため
  • イタリア本土へ攻め込む必要がなかった。逆にイタリアに乗り込めば、オクタウィアヌス支持者たちの反発を食らってアントニウスの評判が悪くなる恐れがあった

アントニウスの戦略は、ギリシアでの「待ち」だったである。ギリシア西岸に西方よりも豊富な兵力を配置し、彼らが出撃したところを叩く。まずは海で。それから陸で。

ただしアントニウス側にも問題がなかったわけではない。ほとんどの兵力と艦隊はギリシアのアンブラキア湾に集結していた。しかしギリシアの西岸部は艦隊を配置できる島や入り江が無数に存在している。これらすべてを守ろうとすれば兵士たちを分散しなければならなかったのだ。そしてアントニウスの伝令にも時間がかかることになるのだ。

またアントニウス陣内でもクレオパトラ帯同に疑問の声が上がっていた。艦隊提督アヘノバルブスは、彼女に対して「諸王の女王」と呼ぶことはなく、名前で呼んでいたという。また、アントニウス支持者である元老院議員ゲミニウスはアテナイへとわざわざ赴き、アントニウスに女王をエジプトに送り返すべき(そしてオクタウィアヌスと和解すべき)だと忠告した。

ところがゲミニウスに危機感を抱いたクレオパトラは、彼の宴会の席で散々笑いものにした。今さらアントニウスが心変わりしてローマへと帰ることは避けたかったし、なによりオクタウィアヌスとの和解はオクタウィアとの復縁につながると恐れたのだった。

提督アグリッパ

一方オクタウィアヌスたちはそんなに悠長なことをしていられなかった。

まず東方を抑えられてしまえば穀物などの不足を引き起こし、市民から不満の声があがってしまう。これはセクストゥスの海上封鎖で経験しており、さんざん痛い目にあっていた。

さらには資金不足から、兵士たちがストライキを起こしてしまうことも考えられた。払えるものがなくなれば、彼らはオクタウィアヌスを見捨てて故郷へと帰ってしまう恐れがあったのだ。

そこで前31年冬の終わり、オクタウィアヌスの部下アグリッパはアントニウスの予想に反してメトネを急襲する。ここはアントニウス戦線の最南端に位置する場所で、航行ルートが最も長い場所だった。万が一航行中に座礁すれば、逆にアントニウスから艦隊戦を勝つのは不可能になるだろう。

しかしアグリッパは賭けに勝ったのである。なぜそれができたのか。

彼らはセクストゥスとの戦いを乗り越えたため、海軍力がアップしていた。アグリッパの提督としてのレベルアップに、海軍兵たちの熟練度もアントニウス軍より一回りも二周りも上だったのである。

アントニウス軍はアグリッパの奇襲を受けて完全に混乱した。そのスキを突きオクタウィアヌスはギリシアの北側に無傷で上陸。アントニウスを北の陸からも南の海からも封じ込めることに成功したのである。

アントニウス軍の衰弱

この結果、アントニウス優位だった豊富な物資が、補給困難に陥った。なぜならギリシアの南はアグリッパに抑えられたために海から輸送船で運び込むことはできないし、北回りもオクタウィアヌス率いる兵たちが目を光らせている。

オクタウィアヌスが北のトリュネ(杓子の意味もある町)を占領した時、クレオパトラはアントニウスに次のような冗談を言ったという。

カエサル(オクタウィアヌスのこと)が木の杓子を持って座っているのがどうして恐ろしいのです。

プルターク英雄伝 十一 アントニーウス  

杓子とは俗語で男根を意味した。このような卑猥な下ネタで和ませようとしても、アントニウスが不利な状況に変わりなかった。

形成は逆転した。大軍が逆に災いしアントニウスの兵たちは食糧不足に陥ったのである。また狭い地域に兵を集結させていたため、夏になると疫病が蔓延しアントニウス軍の士気はみるみる低下した。

その結果付き従っていた同盟諸国の王たちは次々と脱落。あるものはオクタウィアヌスに寝返り、あるものは自国へと兵を引き揚げてしまう。せっかく優位に立っていた艦隊も、船に乗り込む兵の数が足りなくなったため、敵に奪われる前に乗船しない船を焼き払わなければならなくなってしまった。

今やアントニウスは、

いかに戦いに勝つか

ではなく

いかに最小限の損害で戦場から離脱するか

へと作戦を変更しなければならなくなってしまったのだった。

運命の9月2日

決意を固めたアントニウスは、前31年9月2日、ついに艦隊でアンブラキア湾から撃って出ることにする。この時アントニウス軍の船は240隻。ただし大型船が多かった。対してオクタウィアヌス軍は400隻。アグリッパの指示で小回りの効く快速船を多数配備していた。

午前中は風がなかったため、アントニウスも動けなかった。戦場からの離脱を考えれば風は必要だったし、南西にあるレウカス島(現レフカダ島)を避けなければならなかったからだ。またアグリッパもそれは同じ。陸の近くでは戦いたくなく、より広い海域で決着をつけたかったためだ。

午後、ついに風向きが北北西に変わった。アントニウスは前進を命じる。アグリッパは敢えて広い海域に誘うため、オールを逆に漕ぎ、後退させた。そしてアントニウスを北側に誘い出して船を包囲するよう指示を出す。

アクティウムの海戦
アクティウムの海戦

一進一退の攻防が続いていた。次第に時間が経過するに連れ、艦隊の中央がポッカリと空いたのだ。後方に控えていたクレオパトラの艦隊はこの時を見逃さなかった。彼女の船には通常邪魔になる帆が積み込んであり、このタイミングで一斉に帆を上げたのである。

風を受けたクレオパトラ船隊に、オクタウィアヌスの艦隊が追いつくことはできなかった。しかもクレオパトラの離脱を見たアントニウスは、大型船の旗艦から快速船に移動し、クレオパトラの後を追ったのである。彼は今戦場で戦っている艦隊そのものを見捨てたのだ。さらに陸上戦に備えて待機していた何万もの兵士たちすら置き去りにしてしまったのだった。

アントニウスの態度

アントニウスが追いかけてきたので、クレオパトラは船の速度を落としてアントニウスを迎え入れた。ただし同じく追いかけていたアグリッパ艦隊数隻にも追いつかれたが、これはアントニウスがなんとか撃退したようである。

アントニウスが去った後、戦場から離脱できた船は70隻から80隻。これ以外の船の大部分はオクタウィアヌスに投降した。また陸上に残されていたアントニウスの部隊も、指揮官が見捨てたことを知って同じくオクタウィアヌスに投降する。

クレオパトラとアントニウスは3日後に、ペロポネソス半島の最南端へと着いた。そしてエジプトへと向かった。彼らは再起をかけて帰還したが、待機させていたキュレナイカ(エジプトの東)4個軍団は、アクティウムの結果を知るやオクタウィアヌスを支持した、という知らせだった。

今や完全にアントニウスとクレオパトラは丸裸になってしまい、国を防衛する兵すらいなくなってしまったのである。彼らの命運は尽きた。

クレオパトラの最期

クレオパトラ最後の闘い

クレオパトラはエジプトに帰国後、すぐに貴族の幾人かを処刑した。アクティウムの敗戦が知れ渡れば、自分の立場も危うくなるからだ。彼女は先手を打って自分の権力を守った。

ところでアクティウムの戦いのあと、オクタウィアヌスはエジプトへ急いで追撃しなかった。いや、できなかったのである。投降したアントニウスの兵たちが反抗することなく彼に従うために交渉をしなければならなかったからだ。またアントニウスの支配下にあったギリシアの共同体を、自分の方へと引き入れる必要もあった。

この間にクレオパトラは様々な手を積極的に打っている。

インド亡命

紅海の港の一つで船団を建造し、手持ちの船と合流させるためナイルをさかのぼり、さらに陸上を引いてその港まで運んだ。そしてその船に財宝を載せ出向する予定だった。

しかしこの試みは、ナバテア王マルコスの妨害で挫折する。アントニウスに領土を割譲され、エジプトに与えられていたことで、ナバテアはエジプトを憎んでいたのである。ナバテア軍に攻撃され、航海の前に船は焼き払われた。

スペイン逃亡

次に考えたのはスペインへ逃れて現地人たちをまとめ上げ、ローマに抵抗するという作戦。しかしポンペイウスとは違い、アントニウスにはアフリカにもスペインにも庇護者を持っていなかった。そのため敵勢力下の地中海を延々と航海することは、あまりにも非現実的だったため断念したようだ。

オクタウィアヌスとの交渉

最後の望みとして、クレオパトラはオクタウィアヌスへ手紙を送った。彼女は自分か子どもたちに王国の支配継続を懇願。さらに財宝をマウソレウム(霊廟)に蓄え、自分の命令で建物ごと財宝を燃やすことができると脅してみせた。

ちなみにオクタウィアヌスはアントニウスとも手紙のやり取りをしている。アントニウスは昔のよしみで楽しかった思い出を書いていたようだ。オクタウィアヌスは二人に別々の返事を返す。二人に互いの疑心暗鬼を生む巧妙な作戦をとっている。

ところでクレオパトラが財宝を盾に自分の権利を主張することは有効だったのだろうか。実はとても有効な手段だったのである。

オクタウィアヌスのエジプト進軍

なぜオクタウィアヌスにクレオパトラの財宝作戦が有効だったのか。

実はこのとき、戦後処理をしていたオクタウィアヌスのもとに、イタリアから危急を知らせる報告がアグリッパから届く。戦争のために増税をしたことで、イタリア中の都市から不満が相次いだ。さらにアントニウス軍が加わったことで増大した兵士を除隊させるため退役金が必要だったにもかかわらず、国庫には彼らに払う資金が不足していたのである。

オクタウィアヌスは上記の実行資金をエジプトに求めた。クレオパトラからの手紙には曖昧な返事をしておいて。なぜならすでにオクタウィアヌスの中ではエジプトをローマの属州にすることが決まっていたからだ。

前30年夏、オクタウィアヌスは東西からエジプトを攻めた。西、キュレナイカからはガッルスに任せ、自らは東を陸路沿いに進む。

西からの攻撃にはアントニウスが対処した。彼は自分の部下たちに戻ってくるよう呼びかけたが、ガッルスが指示したトランペットの音にかき消され、虚しく響いただけだった。結局アントニウスは敗れて撤退する。

その頃東では、ナイルのデルタ地帯東端にあるペルシオンが無血開城した。ペルシオンを守っていたのがセレウコスという将軍だったが、おそらくクレオパトラが明け渡すことを指示したのだろう。彼女はオクタウィアヌスの兵たちを損ねないことで、新たな交渉材料としたかったようである。

最後の抵抗

ついに追い詰められたアントニウスは、翌日最後の決戦を決意した。水陸両面から大胆に攻める作戦を立てたのだ。しかし彼の思惑はすっかり外れてしまう。軍船は敵に近づくとオールを上げ、降伏の意志を表明。これに呼応するようにアントニウスの近くにいた騎兵たちも、敵に寝返ってしまったのである。

この状況を見たアントニウスはこう叫んだ。

女王が裏切った!

結局艦隊を用意したのも兵を雇ったのも、女王クレオパトラとエジプトの富のおかげだった。ペルシオンの放棄も艦隊の投降も彼女の指図で行動が起こせたのである。あくまでクレオパトラは諦めなかった。オクタウィアヌスに余計な損害を与えないことで、「協力者」の意志を示し交渉材料にするつもりだった。

しかしいかにクレオパトラが協力者を装っても、長子カエサリオンはオクタウィアヌスが許してくれそうにもなかった。亡きカエサルの子供と主張しため、カエサルの正当な後継者を名乗るオクタウィアヌスには都合が悪かったのである。クレオパトラはカエサリオンをインドへと亡命させた。

アントニウスの最期

アントニウスが戦っている間、クレオパトラは建築中のマウソレウムに立てこもった。侍女二人と宦官一人を伴って。そしてアントニウスが戻ったら自分は死んだと告げるよう、使者に命じておいた。

クレオパトラのマウソレウム

マウソレウムとは豪華なお墓のこと。

クレオパトラのマウソレウムは2階建ての建物で、入り口は一つ。2階に1つ、もしくは複数の窓があった。マウソレウムの入り口は機械仕掛けになっており、一度閉まると内側からしか開かないようになっていたという。

案の定、アントニウスは戦場からもどってクレオパトラが死んだことを知ると、自殺を図ったのである。もちろんクレオパトラはこの地点で死んでなどいなかった。おそらくクレオパトラはアントニウスが自分の死を知ったことで起こす行動を予想していたのだろう。彼はオクタウィアヌスに助命しても、どうせ助かる運命ではなかったのだ。

ところがアントニウスの生命力は、自殺をしてもなお強かった。死にきれないアントニウスにクレオパトラが生きているとの報が入る。彼は自分をクレオパトラのところに連れて行くよう部下に命じた。

そして霊廟まで運ばれたアントニウスは、2階の窓からロープで引き入れられた。この時クレオパトラは全身をかきむしって嘆き悲しんだようである。

アントニウスはクレオパトラのもとに運ばれてから、まもなくして死んだ。

クレオパトラ、交渉材料をなくす

そうこうするうちに、オクタウィアヌスが派遣した解放奴隷プロクレイウスが、クレオパトラの立てこもるマウソレウムにやってきた。もちろんクレオパトラとの交渉に来たのである。しかしクレオパトラは霊廟の外に出ることを拒否する。

一計を案じたプロクレイウスは、違う人間をクレオパトラとの交渉役にしてもらう。前回と同じく入口の前で交渉を続けるクレオパトラ。そのスキを突いたプロクレイウスは、2階の窓にはしごを掛けて中に侵入。クレオパトラは侍女たちと捕らえられ、王宮に連れ戻されたのである。クレオパトラの交渉材料は、これでなくなってしまったのだ。

アントニウスの葬儀に立ち会った後、クレオパトラはかきむしった傷が感染症を引き起こし、高熱を出して寝込んだ。また食も拒むようになった。オクタウィアヌスが面会を求めても拒否するので、子供を脅迫材料とすることでようやく面会に応じたようである。

39歳になるクレオパトラの美は、やつれていたとはいえ衰えていなかったと言われている。しかしオクタウィアヌスを誘惑するようなことはせず、アントニウスに従うしかなかったと自分の行為を終始弁明した。

またオクタウィアヌスが最も知りたかった財産についても報告している。その際王家の執事が効果な品物を省いていることを指摘したため、クレオパトラは彼の髪を引っ張り頭を殴った。オクタウィアヌスには、リウィアやオクタウィアに送るためだと釈明した。

オクタウィアヌスは自分と会ったことで、クレオパトラが生きる気力を取り戻したと安心したようだ。しかしクレオパトラはすでにこの時、自分の運命を決めていたのである。

クレオパトラ、自決する

おそらくクレオパトラはオクタウィアヌスとの会合の中で、自分や子どもたちが権力から遠ざけられ、あるいは継承されないことに絶望したのだろう。彼女にとって、女王として生きることこそ生であり、子どもたちにも継承できないのなら、生きる意味などないに等しかった。

一方オクタウィアヌスは凱旋式で、捕虜のクレオパトラをローマ市中に引き回すことに決めていた。この時彼がクレオパトラを邪魔だと思っていた説があり、わざと警備を少なくしたとも言われている。しかし真相はまたしても闇の中である。

前30年8月10日、クレオパトラはアントニウスの墓を訪れ、最後の別れを済ませた。その後王宮に戻って沐浴を済ませた後、女王の衣装を身にまとい、侍女2人を伴って霊廟へと入っていく。おそらく出入り口はこの時開いていた。

オクタウィアヌスに自分の運命を綴った手紙を送ったあと、クレオパトラは侍女らとともに自殺した。彼女が一体どのように死んだのかも長年の謎とされている。

誇り高き女王の最後 クレオパトラの死因 クレオパトラの死因は本当に蛇毒による自殺?女王の死の真相とは

手紙を受け取ったオクタウィアヌスは、急いでクレオパトラのもとに部下を派遣した。クレオパトラと一人の侍女はすでに息を引き取っていたが、もうひとりは女王の冠を正しながらこう言ったという。

大そう立派な最期でした、多くの王たちの子孫であり、女王となられたお方にふさわしく……

アントニウスとクレオパトラ 下 29章 「立派な最期」 

今回のまとめ

それではクレオパトラについて、おさらいしよう。

  • クレオパトラはギリシア系ヘレニズム王朝プトレマイオス朝エジプトの王女として生まれた
  • 彼女の最大の魅力は知性と教養に裏打ちされた会話術
  • 父の死後、遺言を無視して単独統治を目指したが、弟王一派と対立して亡命した
  • 始めはカエサル、次にアントニウスという古代ローマ第一の実力者の愛人となることで、自分の権力を保証してもらった
  • アントニウスの妻オクタウィアをある意味ライバル視していた
  • アントニウスと対立するオクタウィアヌスに大義名分の標的にされた
  • 息子カエサリオンをカエサルの後継者とし、ローマとエジプトの王に君臨させたかった
  • アクティウムの海戦でオクタウィアヌスに破れた後、アントニウスの後を追って自殺した。

クレオパトラはローマ最高権力者の後ろ盾があって、始めて女王として君臨することができる、いわば従属者としての権力の持ち主だった。彼女は自分が愛されることを巧みに利用し、女王として長く統治することができたのである。

さて、クレオパトラのまとめに代えて、彼女が生んだ子どもたちがどうなったのかを最後に記載しておこう。

カエサリオン (カエサルとの遺児。男児)

クレオパトラの財宝とともにインド亡命の航海にでたが、教師ロドンに騙されて帰国し、後にオクタウィアヌスによって処刑された。

アレクサンドロス・ヘリオス(アントニウスとの間に生まれた双子の男児)

オクタウィアヌスの姉オクタウィアに引き取られ、彼女のもとで教育を受ける。その後どうなったのかは不明。

クレオパトラ・セレネ(アントニウスとの間に生まれた双子の女児)

アレクサンドロス・ヘリオスと同じく、オクタウィアに引き取られ教育を受ける。その後マウレタニア王ユバ2世の下に嫁ぎ2児を産む。そのうちの一人がプトレマイオス・トロメウス。彼はローマで教育を受けたあと、マウレタニア王国を受け継ぐが、カリグラによって殺害された。

カリグラ 皇帝家の血を引く貴公子 カリグラ ―両親からアウグストゥスの血統を受け継いだ貴公子皇帝―

プトレマイオス・フィラデルフォス(アントニウスとの間に生まれた第3子の男児)

彼も同じくオクタウィアに引き取られ、教育を受けた一人。その後は不明。

クレオパトラを映像作品で観るならドラマ「ROME」がオススメ!

プッロ(左)とヴォレヌス(右)の映像

クレオパトラの映像作品なら、古代ローマ時代を舞台にしたHBO&BBC共同製作の海外ドラマ「ROME」をオススメする。

総予算200億円で制作された映像は桁違いのスケールで、忠実に古代ローマ時代を再現。ガリア戦争も大詰めから始まるドラマでは、手に汗握る陰謀劇あり、女たちの野望あり。もちろんお色気シーンも満載。

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