カリグラの政策
徹底した人気取り
破天荒な行動が目立つ暴君として描かれるカリグラだが、彼の治世ではどのような政策が行われていたのだろうか。
一言で言えば、カリグラは前帝ティベリウスとは真逆のことをした、と言えるだろう。
とはいえ、カリグラが知るティベリウスの政治は、おそらくカプリ島で共に暮らした6年間だけであり、この頃のローマは大逆罪裁判が吹き荒れ、緊縮財政により市民たちが楽しみを奪われていた時代だ。
そこでカリグラは市民に対し徹底したサービスを行うことで、人気を取るようにした。
また、ティベリウス時代の秘匿主義をなくす努力もする。
その一つが、国家が「どこにいくらのお金を使ったか」をすべて見せる、公的資金の公表を行った。
当然ティベリウスの治世では、市民が知る手段はなかった。
さらにカリグラは、火災による被害を受けたものに対して、税金を一部免除。
祝祭で行われた競技会(スポーツ大会や芸術大会のようなもの)に賞金を設けた。
公共事業
カリグラは、短い治世の中でも、積極的に公共事業を行った。
カリグラが行った主な公共事業は、クラウディア水道と新アニオ水道、2本の上水道建設が上げられる(ただし完成はクラウディウス帝時代)。
おそらくローマの人口はうなぎ登りであり、カリグラは必要な設備を整えただけだろう。
また、カリグラは港湾開発にも力を入れた。
具体的にはレギウム(現レッジョ・ディ・カラブリア)とシチリアの港づくりだ。
ユダヤ人のヨセフスは、カリグラが行った港湾開発を評価しており、この事業でエジプトからの穀物輸入量が増加したという。
これはカリグラ本人が自覚していたかわからないが、飢饉への対策としても評価できるだろう。
その他、カリグラが行った公共事業は、次のようなものが挙げられる。
- アウグストゥス神殿の完成
- ポンペイ(ウェスウィオ火山の噴火で埋没した都市)の劇場の完成
- サプエタ・ユリア近郊に円形劇場を建設
- 戦車競技場(のちにガイウスとネロのキクルスと命名される)を完成させ、エジプトから運ばせたオベリスクを中央に据える
- シラクサの市壁と神殿を修復し、道路を敷設、修復
- サモス島の僭主ポリクラテスの宮殿再建
- エフェソス・ディディマにあったアポロン神殿の完成
- アルプス高地に新都市建設計画
- ギリシアの地峡に運河開通計画
競技場に設置するため、エジプトからオベリスクを運ばせた船は、その後クラウディウス帝時代に、港で使う灯台の土台にするため、海の底に沈められた。
これら公共事業のなかでも特に度肝を抜いたのが、バイアエからプテオリに浮き橋を建設する事業だろう。
温泉の湧き出る行楽地として名高いバイアエから、海を挟んでプテオリの港まで、およそ3.2kmをつなぐ浮き橋。
ただしこの浮き橋は、恒常的なものとして建設したのではない。
カリグラはティベリウス時代、占い師に次のようなことを言われた。
(カリグラが皇帝になるのは)馬にまたがってバイア湾を渡るより難しい
この言葉を見返すために作ったと史書にはある。
また、浮き橋を利用してペロポネソス半島を渡ったペルシア王クセルクセス1世への対抗心とも言われている。
カリグラはこの橋を作るために、各地から船をかき集める。
それを2列に並べて錨で止め、この上に盛り土をして道路を作り上げた。
橋の所々には休憩所まで設けるという、念の入れようだった。
しかしカリグラがこの橋を使用したのは、たった2日間。
1日目は愛馬インキタトゥスに乗り、アレクサンドロス大王の胸当てを着け、インド産の宝石を散りばめた真紅のマントを羽織ってプテオリまで馬で疾駆した。
2日目は金で刺繍した服を着て戦車にのり、バイアエに向かって出発。
これは凱旋式をマネたもので、カリグラの前には模擬戦争捕虜ともいうべきパルティア王族の少年を連れていたという。
この他、カリグラは2艘の巨大な船を造らせている。
一つはディアナ神殿として設計した、浮き神殿。
もう一つは巨大なクルージング船で、大理石の床や浴室、上水道まで完備していたという。
ちなみにカリグラの巨船は、2艘とも沈んだと言われており、伝説となっていたが、1900年代にネミ湖の底から実際に発見されたようである。
カリグラが行った浮き橋づくりや巨船の建造は、究極的には自己満足の産物だろう。
彼も本気でこのようなものが役に立つとは思っていなかったはずだ。
しかしカリグラの中には「人々を驚かせたい、楽しませたい」という欲求がどこかにあったように思う。
ほら、今日でもいるではないか。
月まで行くとか、民間でロケットを打ち上げるような事業を行っている、スタートアップの起業家たちが。
引き起こした食糧危機
こうした政策は、市民たちに大きな娯楽をうみ、雇用も確保できたことだろう。
しかし公共事業にはお金がいる。
カリグラは市民たちの人気を考えるあまり、収支のバランスを崩してしまい、国庫が底をついてしまったのである。
加えてティベリウスが蓄財していた27億セステルティウス(今の価値で9,000億円程度)の私財まで空にしてしまった。
皇帝公庫と呼ばれる公私を混ぜたお金は、「もしも」のために必要となる。
ティベリウスは不人気になろうとも、もしものために「あえて」市民への人気取り政策を行わなかったのである。
カリグラは治世当初、間接税である1%の売上税を廃止していた。
このころローマは少しずつではあるが、人口は右肩あがりで経済も発展していたので、間接税さえ継続していれば、まだ資金はあったかもしれないのだ。
そして「もしも」とはこの場合、食糧危機を指す。
アウグストゥス以来、食糧危機が起こるたびに、私財を投じて市民のために食糧の調達をしてきた。
カリグラはお金が底をついたことで、市民たちへの生活に打撃を与えることとなったのである。
ネロの側近で哲学者セネカは、先に書いた浮き橋建設で徴発したために船が足りず、輸送が滞ったために食糧難を引き起こした、と著書の中で書いている。
原因のいくらかを作ったのは確かだろう。
だが、資金難のほうがよほど深刻な事態だったのではないだろうか。
カリグラの財政再建
カリグラは財政再建の必要に迫られた。
では彼はどのように足りなくなった資金を調達したのだろうか。
皇帝財産の競売
カリグラがまず行ったのは、皇帝私財を競売にかけること。
皇帝主催での競売は、のちの五賢帝ネルウァやマルクス・アウレリウスも、財政難や緊急時の戦時資金調達のために行っている。
カリグラはありとあらゆるものを売り出した。
宮廷で使っている家具調度品から宝飾、果ては使用人の奴隷まで。
アウグストゥスが使っていた寝台なども、その品の中にあったという。
こんな話もある。
カリグラはある時、剣闘士を13人もセットにして売りにだした。
しかしなかなか買うものが現れない。
そこでカリグラは、居眠りをしている元老院議員に目をつけた。
哀れな犠牲者となった議員は、居眠りしているまにうなずいたということにされ、900万セステルティウスのお買い上げとなったようである。
元老院議員や有力者からの財産接収
しかしいかに皇帝の私財に価値があるとは言え、この程度でカリグラの散財は回収できそうになかった。
そこで次に目をつけたのが、皇帝への遺贈である。
遺贈とは、生前お世話になったり交友関係があった知人に、遺産の受取人となってもらうこと。
共和政期からすでにあった習慣だったが、帝政に入るとパトロヌス(被保護者)の頂点である皇帝を遺産受取人として指名する有力者たちもいた。
もちろん前帝ティベリウスに対しても、である。
ところが前帝ティベリウスに遺贈する遺言書を書いておきながら、ティベリウスが先に死んでしまったため、約束を反故にした人がいたのだ。
カリグラはこの人たちに対して、「皇帝に約束した遺贈は、後継者にも引き継がれる」と、元老院で決議したのである。
皇帝個人への遺贈は、いまや皇帝という位への遺贈となってしまったのだった。
またカリグラは、遺産受取人に自分を指名するよう、下士官たちに強要した。
もし相続人に指定しないと、恩知らずと言われてしまう。
さらに一般の市民に対してさえ、皇帝へ遺贈するつもりで果たせず死亡した(と言われている)遺言は無効とし、皇帝への遺贈を強制したのである。
税制改革
さらなる資金調達のため、カリグラは税制改革にも着手する。
売上税の廃止で減った財源を、何かで満たす必要があった。
そこでカリグラは、首都ローマに次のような新税を課した。
- 食料品や商品の輸送税
- 訴訟税
- 娼婦による売春税
娼婦については、月当たり1回分の稼ぎを収めさせている。
さらに面白い(?)ことに、売春税は現役だけではなく、主婦におさまった元売春婦にも課された。
妻としてその役割を果たしている、という理屈らしい。
ここまで見てくると、カリグラがよほど財源に困っていた様子が伺える。
事実、カリグラは市民に対してお金を貸してくれるよう、懇願までしたようだ。
ならば素直に売上税を復活させればいいと私は考えるが、カリグラのプライドが許さなかったのかも知れない。
カリグラ、元老院と対立する
市民に対して徹底的な人気取り政策を実行したカリグラだったが、元老院と当初の良好な関係から一変、徐々に対立するようになっていく。
なぜ関係が悪化したのか、はっきりした原因はわからない。
しかし、次のような原因があるのではないか、と考えられる。
- 正式な裁判をせずに処刑したこと。とりわけマクロ夫妻の一件は非難の的だった
- 市民政策による財政破綻。政治家としての力量を疑われた
- 38年後半以降、カリグラの元老院軽視(専制政治)が加速した
その他、ティベリウスのカプア隠棲で皇帝不在に慣れきっていたため、議員たちはカリグラが目障りになったとも言われている(が、私はこの考えを支持しない)。
では元老院との対立の結果、カリグラは議員たちにどのようなことを行ったのだろうか。
ティベリウス時代の裁判をやり直す
カリグラは治世当初、母や兄たちの件を不問にすると宣言した。
しかしここに至って、カリグラは裁判文書の控えを取り出し、もう一度審議をやり直すと言い出したのである。
また、耳を貸さないとまで宣誓した大逆罪の告訴も復活させた。
カリグラはティベリウス時代の裁判記録を見直し、信頼に値しないと判断した議員数名を死刑としたのである。
彼の手のひらを返した態度は、当然元老院たちの反発を招く。
そしてついにカリグラへの陰謀が持ち上がったのだ。
義兄と高地ゲルマニア総督の陰謀
陰謀の主はカリグラの亡くなった妹ドルシッラの夫、レピドゥス。
つまりカリグラからすれば、義理の兄が陰謀を企てたことになる。
また、高地ゲルマニア総督も共謀したというのである。
これが本当なら軍事クーデターとなり、カリグラにとってもローマにとっても一大事となる。
だが実際は陰謀などなかったらしい。
結局陰謀を企てたとしてレビドゥスは処刑され、カリグラの妹二人もこれに加わったとして追放刑となった。
さらに謀反の疑いありとして、カリグラは高地ゲルマニア総督も処刑した。
カリグラは若さゆえに政治のことがわからないと、陰口を叩かれていたのではないだろうか。
それゆえ、彼は体面をつくろうため必死で元老院議員に対抗した。
しかしカリグラの態度と元老院の思惑が徐々にズレを引き起こし、運命の歯車が狂っていくことになるのである。