ユリウス・カエサルⅠ ―誕生から1度目のローマ亡命まで―

ローマ帝国の礎を築いた男 ユリウス・カエサル

ガイウス・ユリウス・カエサル。
英語表記ジュリアス・シーザーでもおなじみの、古代ローマ最大の英雄である。

しかしカエサルが具体的に何をしたのか、あなたは答えることができるだろうか。
ハゲ、女たらし、借金王など、数々の逸話に彩られたカエサルの生涯。

このような逸話には絶えないカエサルだが、彼はその生涯において、自分の成し遂げる目的を違えることはなかった。
いったいカエサルは、自分の命をかけて何をめざしたのだろう。

教科書では語られることのない、カエサルの生涯を追ってみよう。

カエサル、民衆派と元老院派が激しく争うローマで生を受ける

カエサル誕生!

カエサルは紀元前100年7月13日に生まれた。

カエサルが生まれた頃、ローマでは民衆による市民集会の決議のみで政治を動かそうとする『民衆派』と、30歳以上の官職経験者による集まりである、元老院が主導して政治をおこなう『元老院派』に分かれ、激しく争っていた。

その民衆派の代表が、軍制改革で有名なガイウス・マリウスであり、彼はカエサルの伯母の夫、つまり義理の伯父にあたる人物。

マリウス
マリウス
グリュプトテーク [Public domain]

自然カエサル家は、民衆派と考えられていたことだろう。

同盟市戦争で活躍する伯父

また、カエサルにはローマと同盟都市が激しく争った同盟市戦争で活躍した実の伯父、ルキウス・ユリウス・カエサルがいた。
ルキウスは最高司令官の一人として戦い、同盟市戦争終結後はイタリア半島の諸都市に対してローマ市民権を認める法『ユリウス法』を成立させている。

しかし同盟市戦争で輝かしい戦績を上げたのは、ルキウスだけではなかった。
元老院派の代表、スッラも同盟市戦争終結の立役者の一人だったのである。

『民衆派』マリウスと『元老院派』スッラの争い

スッラ
スッラ
グリュプトテーク [Public domain]

同盟市戦争が終わってまもなく、東方で不穏な動きをするミトリダテス6世の討伐をめぐり、『民衆派』の代表マリウスと、『元老院派』の代表スッラの間で指揮権をめぐる争いが起こる。

一連の流れはこうだ。

  1. 執政官に就任していたスッラに討伐軍指揮権を与えると市民集会(ローマ市民権を持つ全員参加の集会)で可決される
  2. それを平民のみ参加が許される平民会の議決でマリウスが指揮権を奪い返す
  3. 遠征用に集めていた軍隊を率い、スッラがローマを制圧
  4. 民衆派の護民官が殺され、マリウスは北アフリカに逃亡する

本来なら、執政官が軍隊を率いてローマに入ることなどあり得なかったのに、スッラは気にすることなく、このタブーを実行したのである。
こうしてスッラは東方遠征へと旅立った。

親戚同士の粛清劇

だが、スッラに事後を託されたもうひとりの執政官キンナが、スッラのいないローマにマリウスを招き入れたのである。
復讐に燃えるマリウスは、スッラ支持者を次々と粛清。

この粛清に、カエサルの伯父ルキウスも入っていた。
理由は「スッラに反対しなかった」だけだというのに、だ。
マリウスの粛清した人々は、フォロ・ロマーノ内の演壇の上にさらされたという。
そして復讐を果たしたマリウスは、このあとまもなく死んだ。

この一連の争いを、義理の伯父によって、実の伯父を殺された少年カエサルは、どのように見ていたのだろう。
元老院が主導しても、民衆の決議のみで決めても、極端に振り切れてしまうことを学んだのではないだろうか。

そして民衆派と元老院派との争いに、カエサル自身、否応なしに巻き込まれていく出来事が起こる。
キンナの娘、コルネリアとの結婚だ。

一人目の妻、コルネリア

マリウスと結んだ『民衆派』のキンナは、やがて戻ってくるスッラとの対決に備え、元老院議員たちを懐柔するための方法を模索していた。
その方法に選んだのが、元老院でも一目置かれていたルキウスを伯父に持つカエサルと、自分の娘コルネリアの結婚だったのである。

カエサルは、コルネリアとの結婚話が持ち上がったとき、父の決めた騎士階級(経済界)の娘と婚約中だった。
しかしその父は数年前に亡くなっている。

決断したのはカエサル自身なのか、彼の母アウレリアなのかはわからない。
だが婚約を破棄してまでキンナの娘と結婚することが、カエサルが『民衆派』となることを決定づけたのは確かである。

カエサル、ローマから亡命する

スッラの帰還

カエサルの結婚から1年も経たずに、スッラが東方からアドリア海を渡ってイタリア半島に帰還した。
本来なら軍隊を解散しなければならないのだが、民衆派であるキンナがローマを牛耳っていることを知っていたスッラは、構わずそのままイタリアに上陸したのである。

スッラの帰還を、民衆派は黙って見ていたわけではなかった。
だがキンナはスッラを迎え撃つべく軍団を編成中、混乱に巻き込まれて死亡してしまう。
しかしキンナを失っても、なお集まった兵は12万。

一方スッラの軍は、もともと所有する5個軍団にギリシアから参加した1個軍団、さらにメテルス・ピウスの2個軍団に、ポンペイウスが自費で編成した3個軍団をあわせた、計11個軍団7万5千。
さらにクラッススも、亡命先から戻ってスッラの元に馳せ参じた。

両者激しい戦いが続いたが、結果はスッラの圧勝に終わった。

独裁者スッラの要求

スッラはローマに入ると、民衆派の粛清者リストを作り上げ、それに従って彼らを血祭りに上げていく。
この粛清者リストの中に、キンナの娘と結婚したカエサルも入っていたのだ。

しかしカエサルはまだ若い。
また政治活動もしていない。

それゆえスッラの支持者はカエサルの命を助けるように願い出た。
はじめは耳を貸さなかったスッラだが、ウェスタの祭司長までが助命嘆願をするにいたり、ついにカエサルを助命する。
スッラは助命に際して、次のことを言った。

きみたちにはわからないのかね、あの若者のなかには百人ものマリウスがいることを

しかしスッラはカエサルの助命にたいして一つだけ条件をつけた。
それがキンナの娘との離婚である。

だがカエサルはこの独裁者の、半ば命令ともいえる要求に対し、「否」と回答。
この回答に激怒したスッラから逃れるため、カエサルはローマから逃亡し、遠く小アジアまで旅立つことになった。

なぜカエサルは離婚をしなかったのか
絶対権力者であったスッラの要求に、誰もが屈すると考えたカエサルの意外な回答。
この理由はなんだったのだろう。

カエサルは結婚を生涯「政略のための道具」としてしか考えていなかったため、妻への愛が本当の目的ではないだろう。
カエサル自身はこのことに触れていないため、推測するしかないが、現代の研究者では次のように言われている。

『民衆派』を目指すカエサルにとって、裏切る行為は許されなかった

また『ローマ人の物語』の著者、塩野七生さんは次のように主張する。

絶対権力者といえど個人の私生活に立ち入る権利までは有しない、と考え、(中略)自己の考えに忠実に行動した

ローマ人の物語 文庫版8 ユリウス・カエサル ルビコン川以前[上] | 塩野七生著

この答えに私が付け加えるとすれば、カエサルは「目立ちたかった」からではないだろうか。
絶対権力者に逆らうということは、それだけで強烈に目立つ行為である。
そしてスッラの名前が出るたびに、「そういえばスッラに逆らったヤツいたよな?」と言われ、覚えてもらうことができる。

有名になることは、それだけで後のローマでの活動に有利に働く、という目論見があったように思えるのだ。
ただし、命がけの行為ではあるのだが。

東方への旅立ち

スッラの怒りから逃れるため、ローマから逃亡し、小アジア(現在のトルコ)をめざしたカエサル。
彼はアナトリア半島の西岸までたどり着くと、現地の属州総督であるミヌチウムに軍団入りを志願した。

ミヌチウムはスッラ派にもかかわらず、カエサルを快く受け入れ、早速レスボス島攻略のために仕事を与える。
その仕事とは、当時ローマと同盟国だったビティニア王国に軍船の派遣を要請する、というもの。

さっそくカエサルはビティニア王国へとおもむいた。
また軍船を要請するだけではなく、カエサルは軍船の準備を待っている間に、王宮での生活をおおいに満喫したという。
このときビティニアの王ニコメデスに気に入られたため、後年政敵に男色関係を疑われ、ネタにされたらしい。

真実はともかく、準備が整うと軍船を従えてレスボス島へと向かい、そこで攻略戦に参加する。
カエサルはこの戦いで、味方を救ったときに与えられる『市民冠』を手に入れている。

レスボス島攻略が終わり、しばらくするとキリキアへと移動するが、この時スッラ死去の報告が入った。
カエサルは、久々にローマへの帰還を果たすことになったのである。

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