芸能人の不祥事が発覚すると、その人の出演していた作品が放映されなかったり、公開間近の作品が取りやめられるといった処置がなされることがある。
その人がまるで芸能界にいなかったかのように―。
古代ローマでは、このように生前の存在を否定する刑が存在した。
ダムナティオ・メモリアエ。
記録抹殺刑、あるいは名声の破壊ともいわれる刑罰は、一体どのようなものだったのだろうか。
この記事では次のことを書いていく。
- ダムナティオ・メモリアエとはなにか
- ダムナティオ・メモリアエで行われた内容
- ダムナティオ・メモリアエを実際に受けた人物
それではダムナティオ・メモリアエについて見てみよう。
古代ローマのダムナティオ・メモリアエとは
古代ローマのダムナティオ・メモリアエとはどのようなものなのか。
Wikipediaでは、次のように書かれている。
ダムナティオ・メモリアエ(ラテン語: Damnatio Memoriae)とは、古代ローマで元老院がその支配体制へ反逆した人物に対して行った措置を指す。
ダムナティオ・メモリアエ | Wikipedia
あなたはこれを一回読んだだけで理解できただろうか。
少なくとも私はわかりにくすぎて、3回読んでも理解できなかったが……。
ダムナティオ・メモリアエとは、ようするに元老院(国家の要職を経験した人たちが集まる機関、皇帝の相談役)が、自分たちに対してあまりにもひどい態度をとったり反抗的なことを行う人(たいていは皇帝かそれに近い人物)に対して行うもので、対象の人物が死んだり処刑されたあとに、
この世界(ローマ社会)にいなかったことにしよう
と、生前の記録をすべて消される刑のことだ。
ローマでは体面や名誉が特に重んじられている社会だった。
その社会の中で自分の記録が残らないことは死よりも恥ずかしいことであり、不名誉なこととされたのである。
ダムナティオ・メモリアエで行う内容
ではこの
生前の記録を消される
とは具体的にどのようなことを行うのだろうか。
ダムナティオ・メモリアエでは次のことが行われた。
- 肖像画からその人物のみ剥ぎ取られる
- 人物単体の彫刻は破壊される
- 何かと一緒にモチーフとされていた場合、そこのみ削り取られあたかもなかったかのように修復される
- 公式文書から、その人物の名前が消される。また消されるだけでなく、他の言葉が前後に付け加えられ、自然な文章にかきかえられる
- そのほか、その人物の名前や肖像があれば、剥ぎ取られる
その他の例では、発行された貨幣などに、抹消の痕跡を見ることができる。
ダムナティオ・メモリアエを受けた人物
ダムナティオ・メモリアエを検討された人物は、古代ローマ(主に帝政ローマ期)の中で30人以上にものぼる。
意外な人物としては、五賢帝の一人として数えられるハドリアヌスも、ダムナティオ・メモリアエを検討された一人だ。
しかし、実際に刑を実行された人物は、以下の3人しか確認できていない。
- セイアヌス
- ドミティアヌス
- ゲタ
セイアヌスは、2代皇帝ティベリウスの側近として権力を振るった人物だ。
ティベリウスがローマにいないすきに専横を極めたが、最後はティベリウス自身に粛清されてしまった。
元老院はセイアヌスの処刑を喜び、またセイアヌスに対してダムナティオ・メモリアエを行った。
また、ドミティアヌスは皇帝として元老院と対立し、元老院議員を次々と粛清して恐怖政治を行った人物。
元老院に『国家の敵』と認定され、死後にダムナティオ・メモリアエが実行された。
最後のゲタは、元老院ではなく皇帝によってダムナティオ・メモリアエを実行された人物だ。
ゲタは兄カラカラとともに共同で統治する皇帝だった。
しかし兄カラカラとの確執後、その兄の手によって暗殺されてしまう。
弟のことを憎んでいたカラカラは、弟の死後ダムナティオ・メモリアエを実行し、存在の痕跡そのものを消してしまったのである。
この他にもカリグラやネロ、コンモドゥスなど、元老院によって『暴君』や『国家の敵』と認定された皇帝が何人か存在する。
しかし、いずれも後を継いだ皇帝たちによって名誉を回復され、ダムナティオ・メモリアエを免れている。
今回のまとめ
ダムナティオ・メモリアエについて、もう一度おさらいしておこう。
- ダムナティオ・メモリアエとは元老院に対して反抗的だった人物に、死んだあと行う刑である
- ダムナティオ・メモリアエは、生前の公式な記録を完全に消し去る刑である
- ダムナティオ・メモリアエを受けた人物は3人いて、そのうち2人は皇帝である
とはいえこのような刑が成立するのは、あくまで貴人であり、庶民には関係がなかった。
なぜなら一般人が公式文書に残る記録を、持ち合わせていなかったからである。
ダムナティオ・メモリアエは、つくづくセレブな刑だと思われるが、いかがだろうか。