古代ローマ人の名前 ―身分や関係まで表した、ローマの人名―

長くて同じ人がなぜ多い?古代ローマ人の名前

あなたは学校のテストで、古代ローマ人の名前に苦労させられた記憶はないだろうか。

同じような名前がたくさん出てくる上に、たいてい語尾は「ス」で終っている。
それに加えて、古代ローマ人の名前はいくつも連なっていることがあり、とても長い名前の人物が何人も出てくるのである。

では古代ローマ人は、なぜ同じ名前を持つものが多く、長かったのだろうか。
そして、どのような規則で名前をつけていたのだろうか。

この記事では、そんな古代ローマ人の名前の秘密について、迫ってみよう。

古代ローマ人の名前の構成

古代ローマ人の名前は、建国当初、1つだったようである。
理由は、都市国家ローマの人口がそれほど多くなく、一つでも特に困らなかったからだ。

だが、徐々に人口が増えてくると、個人の識別に加えて、身分や出自なども名前で表すようになり、共和政末期の独裁官スッラが実権を握っていたころには、3つの名前を名乗るようになっていた。

では古代ローマ人の名前がどのような構成になっていたのか、紀元前44年に暗殺された、独裁官ユリウス・カエサルを例にして見てみよう。

カエサルのフルネームは

ガイウス・ユリウス・カエサル

である。

この名前を分解すると、以下のようになる。

ガイウス:プラエノーメンと呼ばれる個人名
ユリウス:ノーメンと呼ばれる、氏族名
カエサル:コグノーメンと呼ばれる、家名

プラエノーメン(praenomen)

プラエノーメンとは、古代ローマ人の個人名であり、英語でいうところのファーストネームにあたる

日本なら「太郎」や「正夫」などの個人名も、比較的バリエーションが豊かだが、古代ローマ人の個人名は数が少なく、共和政期では男性の99%が17の個人名のどれかを名乗っていた

以下、代表的な個人名をあげてみる。

ラテン語の綴り 読み 由来
Aulus アウルス  
Appius アッピウス  
Gaius ガイウス  
Gnaeus グナエウス  
Decimus デキムス 「10番目生まれ」または「第10月(December 12月)生まれ」
Lucius ルキウス 「光(Lux)」から
Marcus マルクス 「3月(Martius)生まれ」
Manius マニウス 「5月(Maius)生まれ」
Mamercus マーメルクス  
Numerius ヌメリウス  
Publius プブリウス  
Quintus クィントゥス 「第5月(Quīntīlis 7月)生まれ」
Rufus ルフス ruber「赤い」と関係あり
Servius セルウィウス  
Sextus セクストゥス 「6番目生まれ」
Spurius スプリウス  
Titus ティトゥス  
Tiberius ティベリウス 「ティベリス川(Tiberis)」

※参考サイト:Wikipedia「プラエノーメン」 RESPIRATIO「ローマ人の名前と現代欧米人名」

この中でも特に「ガイウス」は、日本の「太郎」のように凡例として用いられるぐらい一般的な名前だった。
その証拠に、結婚式での誓いの言葉でも、新婦は

「あなたがガイウスであるところでは、わたしはガイアです」

と言っていたのである。

また、特定の氏族(同じ名前を持つ一族)でのみ使用される個人名もあった。
例えば「アッピウス」はクラウディウス氏族で、「カエソ」はクィンクティウ氏族でのみ使用されている。

さらにアントニウス氏族のマルクスのように、一族の恥となった人物の個人名が使用禁止とされたこともあった。

ノーメン(nomen(gentile))

ノーメンとは、氏族名のことである。
では、氏族とはいったいなにか。

簡単に言えば、同じ先祖をもつもの同士の集まりである。
例えばカエサルの氏族名であるユリウス氏族は、(本当かどうかは別として)ローマ建国の祖であるアエネアスの息子、ユルスを祖先にもつとされていた。
ただし、同じ氏族だからといって、血の繋がりがあるとは限らなかった。

氏族名は男系の親族から受け継ぐ
例えば父がクラウディウス氏族、母がコルネリウス氏族だとすれば、子供の氏族名は「クラウディウス」である。

コグノーメン(cognomen)

コグノーメンとは、家名のことである。
英語で言うファミリーネームに当たる。

もともとは個人名(プラエノーメン)と氏族名(ノーメン)のみを使用していたが、氏族の規模が大きくなると同じ氏族名を名乗るものが増えてしまったため、個人を特定することができなくなった
そのためコグノーメン(家名)が使われだしたのである。

コグノーメンは、もともと個人特定用のニックネームだったのだろう。
プルケル(美男子)、アヘノバルブス(赤ひげ)、ストラボ(斜視)、ブルトゥス(間抜け)など、どう考えても「その人」を表す特長でしかないのだ。

その特長の名前を子孫にも受け継がせ、日本で言えば名字、英語で言えばファミリーネームに当たる家名としたのであった。


これら生まれたときにつけられた名前のほかに、もう一つ名前をつけられることがあった。
それがアグノーメンと呼ばれる添え名である。

アグノーメン(agnomen)

アグノーメンとは、国家に貢献した人や、日頃の行いに対してつけられた、個人の特徴をあらわす添え名(通称)である。
コグノーメンが、ニックネームからファミリーネームへと変化したために、アグノーメンがその役割を担った、といってもいいだろう。
そのため、アグノーメンは1代(本人)限りで、子に受け継がれることはない

アグノーメンには、「ピウス(慈悲深い)」や「プルケル(ハンサム)」を意味するものもあれば、アフリカヌス(アフリカを制したもの)などがある。

例えば賢帝として知られる15代皇帝のアントニヌスには、「ピウス」というアグノーメンがついている。
また、カルタゴを滅ぼした将軍であるスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)には、アフリカヌス(アフリカを制したもの)とヌマンティヌス(ヌミディア王国を制したもの)というアグノーメンがついていた。

古代ローマ人の名前の付け方

あなたがテストでさんざん悩まされた、古代ローマ人の名前がみんな同じ問題。
なぜ古代ローマ人の名前は、同じ人が多いのだろう。

ここでは古代ローマ人の名前の付け方を見てみよう。

息子に名前をつける場合

古代ローマ人は息子が生まれると、ほとんどの父親が長男に自分と同じ名前をつけた
そのため、古代ローマ人はプラエノーメンからノーメン、コグノーメンまですべて同じ名前の人間を、歴史上にわんさか生産することになったのである。

だが、これほど同じ名前が多いと、歴史上の人物として区別したい時が出てきても、区別しにくい場合がある。
そこで先に生まれた人物に「大」をつけ、後に生まれた人物に「小」をつけて、便宜上区別している。

例えばアグノーメンの説明で例に出したスキピオ・アエミリアヌスの場合、祖父(正確には、養子に入ったので、養父の父)に、ハンニバルに勝利したスキピオ・アフリカヌスがいる。
彼らは

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス

が、すべて被っているので、祖父を「大スキピオ」、アエミリアヌスを「小スキピオ」と呼ぶのである。

養子縁組の場合

古代ローマでは、養子に入ると養父のプラエノーメン(個人名)、ノーメン(氏族名)、コグノーメン(家名)を受け継ぐ(そしてまた同じ名前が量産される……)。
ただし、養子に入ったことがわかるように、元の氏族名に「ianus」を後ろにつけ、受け継いだ名前の最後に加えた。

何度も例に出すスキピオ・アエミリアヌスの場合、もともとはアエミリウス氏族だったが、スキピオ・アフリカヌスの息子(個人名・氏族名・家名まで同じ)の養子となったため、アエミリウスに「ianus」をプラスして後ろに追加し、

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス

となる。

余談だが、アエミリアヌスにも祖父と同じ「アフリカヌス」というアグノーメン(添え名)があるが、彼の場合はカルタゴを滅ぼした将軍としての尊称で、祖父のものとは違うことに注意されたい。

奴隷や解放奴隷の場合

今まで取り扱ってきた古代ローマ人の名前は、あくまで男性のローマ市民に限ったものだ。
では、ローマ市民権のない奴隷の名前は、どのようにつけられたのか。

奴隷の名前は基本的に一つしかない。
家内奴隷(奴隷から生まれた子供の奴隷)の場合、奴隷の親か、奴隷の主人に名前をつけられた。
また、奴隷商人に売られた奴隷の場合は、奴隷商人に名前をつけられることが多かった。

なお古代ローマでは、奴隷から解放されてローマ市民権を得ると、解放奴隷という身分になる。
解放奴隷は、もとの主人からプラエノーメン(個人名)、ノーメン(氏族名)を貰い受け、奴隷時代の名をコグノーメン(家名)とした。
例えば、キケロの奴隷だった解放奴隷ティッロの場合、キケロのフルネームが

マルクス・トゥリウス・キケロ

なので、

マルクス・トゥリウス・ティッロ

となる。

※参考サイト

参考 古代ローマ人の名前Via della Gatta

女性の場合

ではローマ市民権を持つ女性の場合はどうか。

古代ローマの女性は、名前を一つしか持たなかった。
それも、父の氏族名を受け継ぎ、それを女性形に変化させたものを与えられたのである。

例えば冒頭で例に出した、カエサルの娘の場合、カエサルの氏族名がユリウスなので、その女性形「ユリア」が名前となる。

だが、これでは女の子供が増えたとき、困ってしまうだろう。
もし女の子が2人になった場合、姉は年上を表す「マイオル(maior)」、妹は年下を表す「ミノル(minor)」をつけて区別していた。

では3人以上になった場合は?
その時は、1番めや2番めなど、順序を表す言葉をつけて、呼び分けていたようである。
日本なら、「2番めのお姉ちゃん」といったところだろう。

また、女性が結婚すると、夫の家名を属格(~のもの、の形)に変化させて、名前に加えることもあった。
例えばクロディアがメテルスと結婚する場合だと、メテルスの属格メテリを加えて

クロディア・メテリ(メッテルスのものであるクロディア)

となる。

古代ローマでは、名前を見てもわかるように、女性の地位がとても低いし、意識として男性よりも劣ると見られていたのだろう。

古代ローマ人の意識として、子供の頃は「~家のお嬢ちゃん(お姉ちゃん)」であり、結婚すると「~さんの奥さん」であり、子供が生まれると「~のお母さん」だったのではないだろうか。

古代ローマ人の名前にまつわる“最高記録”

最後に、名前に関する最高記録を2つ紹介しよう。

生涯の中でもっとも名前を変更した古代ローマ人

古代ローマ人は、なにかイベントがあるたびに、名前をよく変更していた。
では、生涯もっとも名前を変更した、古代ローマ人は誰か。

答えは初代皇帝アウグストゥスである。
アウグストゥスは、生涯の中で5度も名前を変更している。

紀元前63年
Gaius Octavius Gaii filius Thurinus

オクタウィウス氏族のガイウスの子として誕生。
トゥリヌスは「都市トゥリオイを制するもの」という意味だが、父親のアグノーメンを受け継いだと思われる。

紀元前44年
Gaius Julius Gaii filius Caesar Octavianus

カエサルが暗殺されると、遺言に書いてある遺志を継ぎ、カエサルの養子となる。
カエサルの名を受け継ぎ、さらに元の氏族名に「ianus」をつけ、オクタウィアヌスとなる。

紀元前42年
Gaius Julius Divi filius Caesar Octavianus

カエサルを神として祀る「神格化」に伴って、名前を変更。
Diviとは「神の子」という意味。
アウグストゥスは、神の養子なので、「神の子(つまり特別)」と言いたかった。

紀元前31年
Imperator Gaius Julius Divi filius Caesar Octavianus

最高司令官の名称であるインペラトール(Imperator)を名前に組み込む。

紀元前27年
Imperator Caesar Divi filius Augustus

元老院より、「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を贈られる。
新旧の氏族名を外し、以降はアウグストゥスを名乗る。

さすがにここまで名前をコロコロと変える人は、アウグストゥスをおいて他にはいない。
アウグストゥスは、若輩から権力を握らなければならず、国家ローマの政体を変更するという特殊事情から、名前をたくみにプロパガンダ(政治的宣伝)へと利用した人だった。

最も長い名前の古代ローマ人

では、ただでさえ長い古代ローマ人の中で、もっとも長い名前を持つ人物は誰だろう。
答えは第17代皇帝のコンモドゥスである。

コンモドゥスはもともと

ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス

という名前があったのだが、剣闘士とヘラクレスに憧れていたので、次の名前にに変更したのだ。

ルキウス・アエリウス・アウレリウス・コンモドゥス・アウグストゥス・ヘラクレス・ロムルス・エクスペラトリス・アマゾニウス・インウィクトクス・フェリクス・ピウス

いくつ名前を付け足せば気が済むのか、というレベルである。

コンモドゥスに関する詳しいことは、コンモドゥス ―実の姉に命を狙われ、側近に政治を任せきりだった若き剣闘士皇帝―を見ていただくといいだろう。

最後に、古代ローマ人の名前を作成できるDiscord Botを開発・公開したので、あなたがDiscordを使っているなら一度使っていただけると嬉しい限りだ。

詳しいことは古代ローマ人の名前を自動でランダムに作れるDiscordのBot『古代ローマ人名生成Bot(ボット)』を公開!にまとめているので、ご一読いただけるとありがたい。

今回のまとめ

古代ローマの名前について、もう一度おさらいしよう。

  • 古代ローマの男性市民の名前は、プラエノーメン(個人名)、ノーメン(氏族名)、コグノーメン(家名)に分かれ、またアグノーメン(添え名)がつくこともあった
  • 古代ローマの女性市民には、固有の名前はなく、父方の氏族名を女性形にしてつけられた
  • 結婚や養子縁組などで名前を変更した
  • 奴隷や解放奴隷などは、名前によって関係性や身分がわかった

あなたが受験で覚えるのに苦労した古代ローマ人の名前も、丁寧に追っていくと、どのような人生を歩んだかがある程度わかるようになり、少し興味が出るのではないだろうか。

本記事の参考図書

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