ネロ ―母からの自立を願い、芸術と娯楽を愛した民衆派皇帝―

死後も愛され続けた民衆派皇帝ネロ

今回のまとめ

それではネロについて、おさらいしよう。

  • ネロはカリグラ帝の妹アグリッピナの長男として誕生した
  • ネロはアグリッピナがクラウディウス帝の皇后になり、皇帝の娘と婚約して養子になった結果、皇帝になることができた
  • ネロの治世開始当初は『黄金の5年間』と言われるほど素晴らしい統治を行った。また立役者としてアグリッピナがネロに用意した近衛隊長官ブッルス、家庭教師セネカの影響があった
  • ネロは年を重ねるごとにアグリッピナに反発し、59年にはとうとう母殺しを行った
  • ネロは有能な人物を辺境に送り込み、辺境統治や東方との国際問題を(将軍のおかげではあるが)うまく解決した
  • 母の死後、人前で歌を歌うことや戦車競技で戦車に乗り込む夢を叶えた
  • しかしローマ大火後の黄金宮殿建設などで民衆から反発を食らい、ピソの陰謀やコルブロなどの将軍処刑で、元老院と軍から見放される結果になった
  • ガリアで反乱が起こった後は各地でネロ打倒の声があがり、ローマで孤立したネロは自ら命を断った

ネロは母へのコンプレックスを必死に克服しようとして、もがいた人生ではなかったかと思う。彼は古代の歴史家に非難されているが、彼の行ったことは(意識しているかいないかはともかく)大富豪の貴族たちから財産を没収し、それを民衆のサービスに当てる、財産の再配分だったのである。

しかしやりすぎると反動が来る上に、自ら軍の遠征に赴かなかったため、彼の「パワー」の源である軍から見放されたことは誤算だっただろう。もう少しバランス良く統治することができたなら、また最後に踏ん張ることができたなら、彼のその後のは栄光に輝いていたのかもしれない。

本記事の参考図書

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