オクタウィアヌスⅧ ―パルティア遠征失敗~アントニウス弾劾まで―

オクタウィアヌス カエサルの遺志を継ぐ青年

オクタウィアヌスの再度のすっぽかしで危機を迎えた3人委員会の体制も、姉でありアントニウスの妻であったオクタウィアの仲介によって、無事5年更新されることが決まった。。
タレントゥムの協定でアントニウス、レピドゥスの力を借りることができたオクタウィアヌスは、再びセクストゥスの征伐を決意する。

アグリッパによって海軍力を強化したオクタウィアヌスは、幾多の危機を乗り越え、ついにセクストゥスをナウロクスの海戦で破り、シチリア戦争に勝利。
またこの戦いでシチリアを横取りしようとしたレピドゥスも、軍団兵にそっぽを向かれて政界からの引退を余儀なくされた。

ついにオクタウィアヌスはローマ世界の西方を完全に支配したのだ。
そのころ、東方ではアントニウスがパルティアに遠征し、勝利を伝える報告がローマへと送られてきたのだった。

アントニウス、東方問題解決にウェンティディウスを派遣する

アントニウスのパルティア遠征について述べる前に、まずは前40年のブルンディシウム協定以降、アントニウスが東方でどのように過ごしていたかを書く必要があるだろう。

東方では目下2つの問題が浮上していた。

  1. イッリュリア人部族のパルティニ族の反乱
  2. パルティア人によるシリア総督の殺害

イッリュリア人部族のパルティニ族の反乱

まず1つ目がイッリュリクムに住むパルティニ族が、ローマへ反旗を翻した問題だ。
彼らはブルトゥスに加担し、その後もローマに敵対してマケドニアへと侵入し、イリュリア北部の港サロナエ港(現在のクロアチアにあるスプリト近くのサロン)を占領したのである。

このまま南下されるとデュッラキウムの港とそれを起点とするエグナティウス街道があり、ここを襲われると東方地域とローマを陸路でつなぐ大動脈が遮断される恐れがあったのだ。

アントニウスは11個軍団を派遣し、早急に鎮圧することに成功した。

パルティア人によるシリア総督の殺害

もう一つが、前40年の春もしくは夏に行われた、王子パルコス率いるパルティア軍によるシリア総督殺害である。

パルティアは十数年前に、第一回三頭政治の一角であるクラッスス将軍を、カルラエの戦いで破っている。
内戦が終了したら、この戦いの復讐にローマ軍が総力をあげてやってくると踏んでいた。
それゆえ彼らは先に行動し、シリアを占領することにしたのである。

ちょうどこのときアントニウスは、ペルージア戦争と戦後処理にごたついていたので、彼の部下であるウェンティディウスを派遣した。
ウェンティディウスはアントニウスの期待に応え、2年の間に3つの戦いに勝利し、パルティアの王子を見事討ち取ることに成功する。
彼はさらに東に進軍、ユーフラテス川沿いのサモサタを包囲した。

しかしここでアントニウスはウェンティディウスを突如解任し、自ら出向いてサモサタの攻略に乗り出したのである。
アントニウスの目的は、あくまで自分自身の名声を高め、ローマ世界に君臨することだった。
そのためにアントニウスを凌ぐ軍事的功績をあげる部下はいらなかったのだろう。

しかしサモサタ攻略に手こずると、アントニウスは和平交渉に乗り出し、結局前39年か前38年の冬にアテナイへと帰還したのだった。

アントニウス、東方領地を再編成する

パルティアにシリア属州への侵入を許したことで、アントニウスはローマとパルティアの緩衝になる従属国が必要だと考えた。
ローマが属州に組み込み、直接統治をするには、兵員、資金、人材とあらゆるものが不足している。
ならばローマに忠実な王たちに直接納めてもらい、パルティアからローマを守ればよいではないか?

アントニウスは親分肌なところがあり、彼の人を見る目は確かだったようである。
彼は東方を再編するに当たり、次のように従属国を配置した。

支配地域 君主
ガラティア アミュンタス
ポントゥス ポレモ
カッパドキア アルケラオス・シシンネス
ユダヤ ヘロデ

彼らは比較的安定した統治をし、なおかつ軍事バランスをうまく保つことができる君主たちだった。

アントニウス、クレオパトラと交友を深める

再編した東方の君主たち以上に、アントニウスが信頼を寄せる同盟者こそ、プトレマイオス朝エジプトの実質的支配者である女王クレオパトラだった。

アントニウスは、レバノンの臨海都市やキリキアの一部をエジプトの領土にくみこんだ。
アントニウスが、エジプトをそこまで優遇する理由はなんだったのだろう。

よく言われるように、アントニウスとエジプトの女王が恋仲だった、という説はおそらく違う。
アントニウスにとって、エジプトとはあくまで同盟国の一つである。
だがエジプトは当時東方一の豊かな国であり、財力はピカイチだった。

アントニウスはエジプトを確実に味方とすることが、後に計画していたパルティア遠征を成功させるキモだと考えていたのではないだろうか。
エジプトの財力を利用し、パルティアを攻める兵力と武器、補給物資の確保をする。
そのためには、女王の生んだ子が自分の子であるという認知も、厭わなかったに違いない。

アントニウス、パルティア遠征に失敗する

エジプトとの盟約もなり、パルティア遠征の準備は整った。
パルティアへ出発し、無事に討伐と復讐を果たすことができました!
というアントニウスの報告どおりであれば、彼の名声はローマ中を駆け巡ったことだろう。
しかしアントニウスに起こった真相は、報告とは真逆の、敗北に近い撤退だったのである。


アントニウスのパルティア遠征は、どのようなものだったのだろう。

アントニウスはクラッススの轍を踏まないよう、砂漠を突っ切ることなく北方のアルメニアから進軍した。
アルメニアは友好国であり、そこを通ることは理にかなっていたのだ。

しかしアントニウスはパルティアへ進軍するに当たり、次の3つのミスを犯した。

  • アルメニアから人質を取らなかったこと
  • パルティアのスパイを(それとは知らず)信用してしまったこと
  • 動きの遅い攻城兵器を、後続に配置していたこと

アントニウスは6月に、メディア=アトロパテネの首都であるプラスパを攻略するため、長い行軍をすることになった。
だが、アントニウス軍の情報を得たパルティアの弓騎兵5万が突如として現れ、後続する攻城兵器に火を放ち、破壊してしまったのである。

さらにアントニウスが人質に取らず、おまけに守備隊も残していなかったせいで、友好国であるアルメニアの王アルタウァデス2世に裏切られ、アルメニアへの退路を絶たれたのだ。

プラスパを攻略し、冬営を予定していたアントニウスの軍は、攻城兵器を破壊され進退極まった。
彼らは冬の最中に退却をしたせいで、2万人以上もの犠牲者を出してしまったのである。
それでも兵士たちを鼓舞し、なんとかシリアまでたどり着いて全滅を免れることはできた。


オクタウィアヌスの情報網ならば、パルティア遠征が本当はどのような結果だったのかを「知って」いたはずである。
しかしオクタウィアヌスはアントニウスの報告を「そのまま」受け取ることにした。

オクタウィアヌスは、タラントゥムの協定でアントニウスに返すはずだった2万の兵をそのまま返すことはせず、またイタリアで兵を徴募することも許さなかった。
代わりに行ったのは、2,000の兵士と70隻の軍船、兵士たちのための大量の衣服や金銭を、姉であるオクタウィアとともに送ったのだ。
オクタウィアヌスはアントニウスへの手紙の中で、次のように書いている。

伝えられている勝利を考えれば、必要な軍隊など苦もなく集められるはずです

約束の数より圧倒的に少ないオクタウィアヌスの救援物資と兵士たちを、アントニウスは受け入れるしか選択肢はなかった。
しかしアテナイまできたオクタウィアを、アントニウスはローマへ帰るよう手紙で命じている。
オクタウィアは夫の命令に従ってローマへと帰ったが、アントニウスの邸宅を引き払って別で暮せばよいという弟の意見には従わず、そのまま夫の家に住み続けた。

オクタウィアヌスとアントニウス、ローマ世界の東西で活動を続ける

西方オクタウィアヌスの活動

前35年、オクタウィアヌスはイッリュリクムへの侵攻を開始した。
この地方は前229年にローマの属州へと組み込まれていたが、イッリュリクムに住む現地の部族たちを完全に制圧したわけではなかった。

そこでオクタウィアヌスは、ローマやイタリアに対する安全を確保する、という名目で軍を起こしたのである。
しかしそれは表向きの理由であり、真の理由は次の2つだった。

  • オクタウィアヌス自身の武功を手にし、兵士たちの信頼を勝ち取る
  • 対アントニウスへの兵力を確保し、兵士たちの実地訓練をする

オクタウィアヌスの戦争ベタは、当時でも有名だったようである。
シチリア戦争などの大きな戦には、必ずといっていいほどオクタウィアヌスの部下アグリッパの支えがあったし、フィリッピの戦いで肝心なときに姿をくらましたことは、語り草となっていた。

このままではアントニウスに対抗するための「シメシ」がつかないではないか。
オクタウィアヌスには、彼の派閥と全軍を率いるだけの威光がどうしてもほしかったのである。

前35年から前34年にかけて、

  • イッリュリクム(現クロアチアとアルメニア)
  • パンノニア(現オーストリア、スロベニア、ハンガリーなど、ドナウ川以南の地域)
  • ダルマティア(イッリュリクム南部にすむ部族の名)

に、自ら兵たちを指揮して制圧していったのである。
その影にはアグリッパによる作戦の指導があったが、彼の名は表に現れることはなかった。
またオクタウィアヌスは勇猛さを示すため、矢面に立って怪我までしてみせるという念の入れようだった。

東方アントニウスの活動

一方東方のアントニウスは、パルティア遠征の失敗を挽回すべく準備を整える。
そして自分を裏切ったアルメニアに対し、前34年に進軍を開始、アルメニア王を捕らえて王位を退かせた。
アントニウスはアルメニアをローマ属州として組み込み、統治のために部下と大軍を配備した。

また前回パルティア遠征のために侵攻したメディア=アトロパテネ王国とは、メディア側がパルティアとの同盟関係を解消したために和解し、アントニウスとクレオパトラの子であるアレクサンドロス・ヘリオスをメディア王の娘と婚約させて新たな関係を築いた。

アルメニア侵攻は、拍子抜けするほどあっけなく終了した。
だが成功は成功である。
パルティア遠征失敗の記憶を払拭するためにも、アントニウスは大々的に祝う必要があった。

エジプトのアレクサンドリアに戻ったアントニウスは、凱旋式によく似た催し物を開くことにした。
金の鎖で繋がれたアルメニア王の後に続いて、2頭立ての馬車でアレクサンドリアをパレードする、というものだ。

さらに数日後、ギュムナシオン(運動の練習や哲学の講義で使う大きな広場)でアントニウスと女神イシスの衣装をつけたクレオパトラが式典を行う。
「アレクサンドリアの寄贈」と呼ばれるようになる式典で、アントニウスは次のような演説を行ったと言われている。

  • プトレマイオス・カエサルはカエサルの実子であり、15歳となった彼をクレオパトラの共同統治者とする
  • プトレマイオス・カエサルには、シリアの全領土と小アジアの従属国の君主となる
  • アントニウスとクレオパトラの間にできた双子の兄、アレクサンドロス・ヘリオスにはメディアを、妹クレオパトラ・セレネにはキュレナイカ(現在のリビア東半分)とクレタ島を与える
  • 子どもたちのトップとなるプトレマイオス・カエサルは、東方諸国の「諸王の王」、さらに子どもたちを統べる母クレオパトラは「諸王の女王となる」

アントニウスが行ったとされる、これらの行事内容をそのまま信じるとすれば、ローマの人々にとってどれも大きな反感を買う内容である。
凱旋式をローマ以外で行うなど、ローマの神々を冒涜する行為だったし、ローマの東半分を従属国であるエジプトの女王(とその子どもたち)に分配することも言語道断だった。

しかしアントニウスの行為は、オクタウィアヌスによって大きく脚色されていたように思う。
先に述べたとおり、アントニウスはパルティア遠征の失敗を挽回する必要があり、それを目に見える形で人々に示さなければならなかった。
さもないと、東方での人心がアントニウスのもとから離れてしまう可能性があり、従属国の王たちもパルティア側に寝返る可能性があったからだ。

また、「アレクサンドリアの寄贈」も、アントニウスが行う予定だった東方再編案を演説しただけかもしれない。
アントニウスは、自分の事を「ディオニュソス(ギリシア神話の酒の神、ローマ神話ではバッコス)」になぞらえていた。
そしてイシス・アフロディーテの化身であるクレオパトラとの聖なる結合で、世界を統合するという宗教的な儀式を行い、人々の心を惹きつけておきたかっただけかもしれない。
パルティアを討伐した暁には……などといった大きなことを言うのもまた、リーダーとして民衆を扇動する責務だったのだろう。

しかしアントニウスの相手はオクタウィアヌスである。
プロパガンダをさせれば、ローマにおいてオクタウィアヌスの右に出るものはいなかった。

オクタウィアヌス、アントニウス弾劾を開始する

前33年、オクタウィアヌスはイッリュリクムの遠征からローマへ帰還すると、執政官に就任する。
オクタウィアヌスはおそらくこのとき、アントニウスとの決着を想定していたに違いない。
理由は次の2つ。

  • アントニウスとの3人委員会体制が、前33年の末で期限を向かえる
  • アントニウスのパルティア遠征を成功させたくない

このまま何事もなければ、3人委員会の体制(今は2人だが)は更新されてしまうだろう。
オクタウィアヌスは、3人委員会の体制を固定化させることは避けたかった。
また、アントニウスのパルティア遠征が今度こそ成功すれば、オクタウィアヌスの武功もかすみ、アントニウスの支持が増えるかもしれない。

ローマ(イタリア)でのアントニウスへの支持層を増やさず、オクタウィアヌスの支持者たちを増やすにはどうすればいいか。
オクタウィアヌスはその方法として、国内と対外の2つのプロパガンダ(政治的宣伝)を実行に移したのである。

国内向けの活動

オクタウィアヌスが国内向けに行った施策、それは公共事業への投資だった。
この公共事業への投資では、次の3つの目的があった。

  1. ローマを世界の首都(カプトゥ・ムンディ)にふさわしい外観にする
  2. ローマ市民の生活改善
  3. 建築遺産の改修でローマ古来の価値を復活させる

これらを行うことで、自分がローマの盟主にふさわしく、また自分の行うことがローマ市民の利益になることを、オクタウィアヌスは納得させようとしたのだ。

そのために、彼は自らの財産を使って神殿や公会堂(バジリカ)を修復した。
またオクタウィアヌスの部下たち、たとえばタウルスはマルスの野にローマ初の石造りの円形闘技場を建設している。

部下の中でも群を抜いていたのはアグリッパだ。
彼は執政官経験者であるにも関わらず、「名誉あるキャリア(クルスス・ホノルム)」を逆行するように、按察官(アエディリス)を務めた。
按察官は主に公共事業を行い、ローマ市民の安全を守り、生活を向上させる政務官である。
目的には合致していたが、事実上の降格となる公職への就任は異例中の異例であった。

アグリッパはこの職につくや、次の事を自費で行ったのである。

  • ローマ上下水道の整備
  • ローマ水道である「ユリウス水道」の建設
  • アグリッパ浴場の建設

またアグリッパは公共事業だけでなく、次のような市民に対してのサービスも行っている。

  • 料理に不可欠なオリーブ油と塩の配給(小麦は以前から配給されていた)
  • 170の入浴施設(町のお風呂屋さん)を通年無料に
  • 床屋に補助金を出して無料に(祝祭に出席するときの身なり整頓用)
  • 公的な催し物での、お金や衣服の引き換え券配布

etc……

相次ぐ公共事業への投資により、ローマの失業者は職にありつくことができた。
またインフラを整備することで、市民の生活の質が向上したことは言うまでもないだろう。

対外向けの活動

オクタウィアヌスが行ったもう一つの施策、それはアントニウスを弾劾することだった。

  • 曰く、アントニウスはオクタウィアヌスの姉であり、ローマ人女性の鏡のような性格のオクタウィアをないがしろにし、エジプト女にうつつを抜かしていること
  • 曰く、アントニウスがローマ以外の地で凱旋式(のようなものだが、オクタウィアヌスは市民たちを煽るために、あえて凱旋式と表現した)を挙げたこと
  • 曰く、アントニウスが東方の従属国君主たちを差し置き、エジプト女に騙されて「アレクサンドリアの寄贈」で彼女の子どもたちにローマの領土を切り取ったこと。
    同時にプトレマイオス・カエサルがカエサルの嫡子だと認め、後継者だと吹聴したこと

またセクストゥス・ポンペイウスを勝手に処刑し(自分なら殺さずに活かしておいた)、アルメニア王を騙して捕まえるなど、このような行為はローマの名誉を傷つけることだと非難したのである。

オクタウィアヌスは、アントニウスとの最後の決戦を計画していたが、アントニウスとの私闘として内乱を起こしては、世論や兵士たちの支持を得ることができないと考えていた。

そこでオクタウィアヌスは、あくまでも戦うのはアントニウスをたぶらかしたエジプト女であるクレオパトラであり、エジプトとの対外戦争であることを強調しようとしたのである。

アントニウスもこれを受け、オクタウィアヌスに対して非難を浴びせた。
もはやこの段階に至っては、オクタウィアヌスとの決戦を避けることができないと悟り、アントニウスは対パルティア用に用意していた30個軍団と12,000の軽装兵、12,000の騎兵を少アジアのエフェソスへと向ける。


前32年1月、オクタウィアヌスに代わって、アントニウス派の人間2人が同時に執政官へと就任した。
彼らは前年の秋に、アントニウスから預かった手紙を、元老院で読み上げるよう指示されていたのだ。
だが、彼らは読めなかった。
おそらく「アレクサンドリアの寄贈」に関する弁明や意図が書いてあったのだと思われる。
しかしクレオパトラとエジプトの心象が悪化している以上、アントニウスの言い分をそのまま読むにはあまりにも危険すぎた。

2月1日、執政官の一人であるソシウスが、アントニウスを擁護しつつオクタウィアヌスを非難する動議を提出。
オクタウィアヌス派の護民官が、すぐさま拒否権を発動させこれを阻止すると、オクタウィアヌス自身も2月半ばにクーデターまがいの行動に出て、元老院の集会を招集した。
そこでソシウスとアントニウスを強く非難する。

ここに至って執政官2人とは決裂し、彼らは密かにローマを去った。
彼らに付き従った元老院議員は300~400名近くいたようである(この時の元老院議員の総数は1000名程度)。

オクタウィアヌスは、アントニウスとの決戦が近づいているのを感じていた。
ついにここまで来たのだ。
しかし何かもう一つ、オクタウィアヌスは決定的なものが欲しかった。
そしてそれは、アントニウスの側から転がり込んできたのだった。

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