ユリウス・カエサルⅦ ―クレオパトラとの出会いから「来た、見た、勝った」まで―

ローマの礎を築いた男 ユリウス・カエサル

エジプト側からポンペイウスの首を送られて、死を知ったカエサル。
エジプトの回答は、

「必要なものは差し上げたので、帰られたし」

であった。

だがカエサルはエジプト上陸を決める。
もちろん私的な感情で、ことを決するカエサルではなかった。

カエサル、オリエントを制す

クレオパトラとの出会い

クレオパトラとカエサル
クレオパトラ(左)とカエサル(中央)
ピエトロ・ダ・コルトーナ [Public domain]

ポンペイウスの首をカエサルのもとに送ったプトレマイオス13世一派としては、カエサルに恩を売ったつもりだったのだろう。
しかし敗将とはいえ、ポンペイウスはローマの公人である。
また、エジプトのパトローネス(保護者)を殺された以上、ローマとしては黙って見過ごすわけにはいかなかった。
現職執政官であるカエサルは、ローマの代表としてエジプトに降り立つことを決める。

先ほども述べたとおり、エジプトでは弟王であるプトレマイオス13世派が国政を牛耳り、本来なら共同統治者としてエジプトの国政に参加する姉クレオパトラ7世は、首都アレキサンドリアを追われていた。

カエサルは、プトレマイオス13世とクレオパトラ7世を招集し、次のことを命じたのである。

  • プトレマイオス13世とクレオパトラ7世は、共同統治者として国を治める
  • エジプト王室は、以後も「ローマ市民の友人であり同盟者」でありつづけること

アレクサンドリアからも追い出されたクレオパトラに対し、かなり有利な裁定に見える。
なぜカエサルは、このような裁定をくだしたのだろうか。

カエサルとクレオパトラ

ここで思い起こされるのが、かの有名なカエサルとクレオパトラとのエピソードである。

上記の裁定前夜、クレオパトラの従者が一枚のじゅうたんをカエサルのもとに届けた。
そのじゅうたんを広げると、中からクレオパトラがあらわれた。
彼女はその身体的魅力と話術でカエサルを虜にし、自分の要求をカエサルに承諾させることに成功したという。

史実かどうかは置いておくとして、クレオパトラの性格や人物像を反映した、よくできた話である。
カエサルと初めて出会った頃のクレオパトラは、まだ21歳。
女性として身体的に最も輝いていた時期だっただろう。
また、何カ国語も理解し、教養も高く、ユーモアのセンスも抜群であった彼女は、カエサルと話があったに違いない。

一方カエサルはどうだっただろうか。
結婚はもとより、愛人関係でさえも、自分の政治キャリアに利用してきたカエサルである。
私人として甘い言葉をささやくならともかく、公人としての発言では、絶対に個人的感情に流されることはなかった。
しかし籠絡された、と思わせることはしたかもしれない。
プレイボーイで鳴らしたカエサルのことだ。
いくら才気抜群とはいえ、21歳の小娘を「手玉に取る」ことは容易だったことだろう。

だが、クレオパトラはカエサルが死ぬまで、自分の魅力にカエサルが酔いしれたと勘違いしたのではないだろうか。
この意識のズレが、クレオパトラの後の人生を決めるのである。

クレオパトラに酔いしれたわけでもないカエサルが、なぜクレオパトラに対し、有利な裁定を下したのか見てみよう。

まず第一に、これは姉弟の父親である、プトレマイオス12世の遺言でもあった。
プトレマイオス12世はローマに対し、同盟関係を結び続けた統治者だった。
そしてローマは、そのプトレマイオス12世を庇護するという成約を交わしていたのである。

第二に弟側の陰謀により、ポンペイウスが殺されたこと。
これにより、弟王側のみの政権を黙認するなど、カエサルは公人としてできようはずもなかった。

当然ながら、弟側は納得いかなかった。
そこで半ばエジプトの私兵と化しているローマの駐屯軍とともに、寡兵しか伴わなかったカエサルをプトレマイオス13世派は襲ったのである。

ナイルの戦い

この時カエサルの手持ちの兵は、歩兵3,200に騎兵800、さらに軍船10隻。
一方弟王派が招集した兵は、22,000に軍船72隻。

これでは勝ち目なしと判断したカエサルは、小アジアにいるドミティウスに2個軍団の派遣を要請し、自らはアレクサンドリアの港を抑えるため、ファロスの灯台を占拠し、防衛に専念する。

ファロスの大灯台
ファロスの大灯台(想像図)
Emad Victor SHENOUDA [Attribution または Attribution]

圧倒的に有利と見るや、勝った後の主導権争いが生じるのは、船頭が多い体制の特徴である。
そしてご多分にもれず、ここエジプトでも同じようなことが起こった。

まずプトレマイオス13世を操る家庭教師アキラスと宦官ポティウスのうち、ポティウスがはじめに殺された。
今度はクレオパトラの妹であるアルシノエが、統治権を主張してアキラスのもとに走る。
そうこうするうちに、アルシノエの命によりアキラスも殺される。

このような状態では、カエサルに対して決定的な行動を起こすことができず、弟王側は無為に時間をつかうことになった。
そして4ヶ月が過ぎたころ、ようやくカエサルに援軍が到着。
市街戦から脱したカエサルが援軍と合流と果たすと、戦況は逆転し、弟王軍を撃破したのであった。

結局この戦いでプトレマイオス13世は、味方の混乱に巻き込まれて戦死(自殺説あり)。
クレオパトラと対立した妹アルシノエは捕らえられ、カエサル凱旋ののち、ローマ市中を引きずり回されることになった。
こうしてエジプトは、プトレマイオス13世の弟14世と、クレオパトラ7世とが共同統治をすることで、落ち着いたのである。

なおこの戦いで、地中海一の蔵書をほこっていたアレクサンドリア図書館が、カエサルの軍船攻撃の際に放った火が引火して燃え落ちたという。

アレクサンドリア図書館
アレクサンドリア図書館
O. Von Corven [Public domain]

読書好きだったカエサルのことだ。
さぞ残念だったことだろう。

「来た、見た、勝った」

「ナイル川周辺の調査」と称したクレオパトラとのアツい時間、および休暇を終えて、カエサルがエジプトを立ったのは、ナイルの戦いから2ヶ月が経過したころだった。
カエサルはこの時、小アジアからドミティウスのSOSを受け取っていたのである。

小アジアの北、黒海沿岸に領土を持つポントス王のファルナケス2世は、父ミトリダテス6世を自殺に追い込んで王位を継承した人物だ 。
ファルナケス2世はポンペイウスと同盟を結んで、黒海北のボスポロス王国を治めていた。
だがローマ内戦のスキをついて、小アジアへと攻め込んだのである。

カエサルは、ファルナケス2世の処理をドミティウスに任せていた。
しかし、ドミティウス率いる軍団は新兵が多く、またカエサルに要請されて2個軍団を派遣していたため、ファルナケス2世の攻撃に耐えきれず、敗北してしまった。
幸いドミティウス自身はシリアに逃れ、カエサルに手紙をおくったが、カエサルはエジプトでのドタバタ真っ只中であった。

カエサルは北に向かった。
ただ応援に行くのではない。
カエサルの目的は、ポンペイウスのクリエンテスである地域を、「カエサル派」へと鞍替えさせることにあった。
カエサルはこうしてオリエント諸地域を自分の「クリエンテス」に組み込んだあと、ようやくファルナケスと対峙した。

結果はわずか4時間の戦いでカエサルが勝利。
あまりにも早い決着だったため、元老院に送った報告のなかに、「来た、見た、勝った(VENI,VIDI,VICI)」と記したという。

この戦いのあと、ギリシアでもカエサルは「鞍替え」を実行しながらローマへと帰還した。
エジプト、オリエント、そしてギリシャという東方が、ついにカエサルの影響下へと入ったのであった。

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