ポンペイウスⅣ ―第一回三頭政治と食糧管理長官、2回目の執政官就任まで―

異例づくしの大将軍ポンペイウス

ポンペイウスが海賊討伐の次に狙った獲物は、未だ続いていた東方ポントス王国の君主、ミトリダテス6世との戦争だった。彼はまたしても護民官を自分の味方に引き入れ、討伐軍の指揮権を手に入れることに成功する。

わずか1年でミトリダテスを敗走に追い込んだ後、逃げるミトリダテスを追ってアルメニア王国やコーカサス地方も制圧した。ミトリダテス追撃を諦めた後もポントス王国の再編とセレウコス朝シリアの征服、ユダヤ王朝への介入、さらにナバテア王国の首都ペトラにまで進軍し、東方諸国をローマや自分の影響下に加えていく。

遠征中にミトリダテス6世の死を知ったポンペイウスは、ようやく進軍をやめて小アジアへ引き上げた。さらに1年かけて諸国の調整を行ったあと、ついに彼はイタリアに帰還する。

この遠征でポンペイウスの影響力は、アフリカ、西ヨーロッパ、ギリシアに続き、地中海の東側にまで広がることとなった。

ポンペイウス、ローマに帰還する

ブルンディシウム上陸

前62年年の瀬が迫ったころ、ポンペイウスはイタリアの地へ久々に足を踏み入れた。

ポンペイウス、ブルンディシウム上陸

この知らせを受けた元老院の面々は、少なからずキモを冷やしたに違いない。なぜなら前83年同じくイタリアに上陸したスッラは、軍隊を率いたままローマへと進軍し、軍事力を背景に独裁官の地位を要求したからである。

元老院議員たちが政治を主導する共和政、イコール元老院体制のローマでは、誰か一人がすべて決定する独裁こそ最も忌み嫌う状態だったのである。

ところがブルンディシウムに上陸したポンペイウスは、元老院の心配をよそにさっさと軍を解散してしまった。彼は後に挙行する凱旋式に出席するよう命じ、兵士たちを故郷へと返したのである。

ポンペイウスは、せっかくの大権をなぜ返上してしまったのか。

それはポンペイウスに軍隊をこのまま率いている理由がなかったからだ。前83年当時はスッラの政敵が軍備をしいて待ち構えていたが、いまやポンペイウスが倒す敵は存在しない。

それにポンペイウスも、独裁を敷いてまで行うローマ大改革の政治プランなど、持ち合わせていなかった。ポンペイウスはただ、自分がしてきた大仕事の功績を認めてもらえば、何の文句もなかったのだ。

3度目の凱旋式

ではポンペイウスが求めていたものは何か。
それは次の3つ。

  1. 海賊討伐およびミトリダテス戦争終結の功績による凱旋式の挙行
  2. ポンペイウスに長年付き従ってきたベテラン兵の退職金の支払い
  3. ポンペイウスが独断で行った東方再編の追認

(1)については元老院の承認を得るまでもなく、誰の目にもポンペイウスが凱旋将軍の資格を持っていることは明らかだった。前代未聞の仕事を広範囲に素早く治め、長年の敵を葬った実績は大きかった。

前61年、ポンペイウスは自らの誕生日を祝うかのように、9月28日(誕生日前日)と29日(当日)の2日に渡って凱旋式を行った

海賊討伐と東方遠征でポンペイウスが上げた、具体的な功績は次のとおり。

  • 国庫に治めた戦利品:20,000タレント(約1億2,000万デナリウス)
  • 国庫収入:5000万デナリウスから8500万デナリウスへ(70%アップ)
  • 凱旋式で引き回した捕縛者:324人

ポンペイウスが行った凱旋式は、これで3度目になる。彼の凱旋式は、全て違う大陸を征服して行われたものである。

  • 1回目:アフリカ大陸
  • 2回目:スペイン(ヨーロッパ大陸)
  • 3回め:アジア大陸

まさにポンペイウスは、1代でギリシアからアジア、イラン高原とインドにまで達したアレクサンドロスと肩を並べる、いやそれ以上の征服を成し遂げた人物として、名を残したことになる。

まさにローマのアレクサンドロスであり、

全世界(オルビス・テッラルム)の平和

を成し遂げたと謳われることになったのである。

ポンペイウスはこの時、人生の絶頂期にあったと言っていいだろう。

妻ムキアとの離婚

実はこの遠征中にポンペイウスが1つだけ失ったものがある。それがポンペイウスにとって3番目のとなる妻ムキアだ。

ムキアはポンペイウスの遠征中に、カエサルとの不倫を楽しんでいたのである。この事実を知ったポンペイウスはムキアと離婚した。しかし次のの妻は不倫相手であるカエサルの娘ユリア。

今では考えられないことも、当時のローマ社会上流階級の人々は政略結婚という名のもとに、兵器で行っていたのだった。

ポンペイウス、元老院の妨害にあう

では(2)についてはどうか。

力を貸してもらったクリエンテスたち(つまり子分たち)に対して、パトロヌス(親分)のポンペイウスが面倒をみることは義務といっても過言ではない。ろくに面倒をみれない親分は、やがて子分から見放されてしまう。だからこそ子分たちの働きに報いる必要が、ポンペイウスにはあった。

ポンペイウスは(2)のベテラン兵への退職金支払いを達成するため、前60年の執政官に最も信頼のおける部下、アフラニウスを当選させるべく大金をばらまいた。そして息のかかった護民官ルキウス・フラウィウスに、ベテラン兵への土地分配(つまり退職金)を定める法律、農地法の提出を委ねたのである。

しかし事はそう簡単には運ばなかった。この法律では、ポンペイウスが獲得した属州からの税収入が土地の買い上げに割り当てられていたので、元老院にも経済界を代表する騎士階級の金融家たちにとっても評判が悪かった。

その声に後押しされる形で、もうひとりの執政官クィントゥス・メテッルス・ケレルや、“ミスター品行方正”小カトーが反対に回ったのである。そして農地法は否決されてしまったのだった。

小カトー
小カトー
ルーヴル美術館, CC BY-SA 3.0  , ウィキメディア・コモンズ経由で

さらに独断とはいえ妥当性の高い東方の再編成を追認してもらう、つまり(3)はどうだったか。

こちらも元老院の重鎮として君臨するルクッルス(ポンペイウスにミトリダテス戦争の指揮権を譲り渡した人物。因縁については、ポンペイウスⅢ ―ミトリダテス戦争と東方再編成まで―を参照)や小カトー、クラッススなどが反対に回ってうまく行かなかったのだ。

ポンペイウスの計画がことごとく邪魔された原因の一つに、カエサルの不在も関係していた。唯一の賛成を期待できるカエサルが、前61年から遠方の属州に赴任しておりローマにいなかったのだ。

この2つの事案が達成できなかったことで、ポンペイウスの面目は丸つぶれとなったのである。

ポンペイウス、カエサルやクラッススと密約を交わし三頭同盟を結成する

カエサルの帰還

カエサルの彫像
カエサル
Museum of antiquities, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

前60年、カエサルが赴任先から帰還する。彼はスペインでの業績で凱旋式を認められていた。

ところで凱旋式を行う将軍は、ローマ市の境界線であるポメリウムを超えてはならないという決まりがある。前59年の執政官を狙っていたカエサルにとって、この決まりは都合が悪かった。なぜなら執政官選挙へ出馬するものは、自ら執政官(つまりローマ市内)へ届け出なければならなかったからだ。

カエサルは例外措置を元老院に要請したが、これは政敵、具体的に言えば小カトーによって邪魔をされてしまう。

執政官への出馬を諦めるか。
それともローマ男子一生の誉れである凱旋将軍となることを断念するか。

カエサルは決断した。ひとまず執政官出馬を果たすため、凱旋式を諦めたのである。しかし執政官選挙にも仮に執政官当選を果たした後も、政敵の大きな抵抗が予想された。

そこでカエサルは二人の人物を味方に就けることにしたのである。一人はカエサル最大の債権者であり、騎士階級に絶大な影響力のあるクラッスス。

そしてもうひとりが、同じく元老院の思惑に翻弄されていたポンペイウスだった。

3人の秘密協定

ポンペイウス・クラッスス・カエサル
ポンペイウス(左)・クラッスス(中)・カエサル(右)

ポンペイウス、クラッスス、カエサルが手を組む、いわゆる第一回三頭政治は、彼ら3人だけが知る秘密協定だった。そのため、この時ポンペイウスとカエサル、クラッススの間でどのような話し合いが行われたのかを知るすべはない。

後に起こったことから類推すると、まず大前提として次のことが取り決められていた。

3人のうち、1人でも不満なことはしない

さらにポンペイウスとカエサルには、次の盟約があったようだ。

  • カエサルを執政官にするために、ポンペイウス(とクラッスス)の影響力を使う
  • 農地法の成立(ポンペイウスの古参兵、退職金問題の解決)
  • 東方属州措置の正式決定

また3人の同盟をより強固なものとするために、翌前59年にはポンペイウスとカエサルの娘であるユリアが結婚。カエサルとの不倫で前妻と離婚したポンペイウスにとって、不倫相手の娘と結婚するのはどのような心境だっただろうか。

しかし親子ほども違うポンペイウスとユリアの仲は非常に良かったという。男女の関係とは、謎が多いものである。

カエサルの執政官当選

こうして秘密裏に始まった3人の秘密同盟は、まずカエサルが圧倒的な人気で前59年の執政官に当選することで効力を発揮した。

しかし同僚の執政官にカエサル、ポンペイウスが押していた自派のルッケイウスは落選してしまう。代わりに当選したのか、カエサルの政敵であるビブルスだった。

カエサルが執政官となったことで提案した法案については、ユリウス・カエサルⅣ ―第一回三頭政治から初の執政官就任まで―に詳しく書いているので、興味のある方は読んでいただくといいだろう。

ローマの礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサルⅣ ―第一回三頭政治から初の執政官就任まで―

とはいえ、やはり最大の焦点は農地法が成立するかどうかである。グラックス兄弟以来、提案しては潰されてきた農地法の成立は、カエサルにとってもポンペイウスにとっても悲願だった。

農地法の成立

前59年2月、カエサルは農地法を元老院に提出する。カエサルの提出した農地法は、基本的に前60年の護民官フラウィウスが提出したものと変わっていない。

農地法

もともとは土地を持たないローマ市民(無産市民)のために、国家が土地を分配し自作農民を増やすための法案。無産市民たちが農地を耕すことができると、配給量も抑えられ、さらに税収も増やすことができるため、ローマにとっては悪い話ではない。

もっとも割り当てられる土地――それはたいてい大土地を所有する元老院議員や騎士階級の大金持ちたち――が強制的に買い上げられては、反発がでることは目に見えていた。

しかしフラウィウス(つまりカエサル)の農地法では、強制的に買い上げることはないと条項に盛り込まれていたのである。

元老院議会で反対するものはいなかった。だが小カトーがまたしても長演説の嫌がらせを行ったので、カエサルは直接民会に決議をもちこんだのだ。

市民の集まる集会で、カエサルの演説にポンペイウス、クラッススが賛同したことにより、初めて彼ら3人が共謀しているとわかったのである。特にポンペイウスはカエサルが「指示を求める自分の願いに味方してほしい」と言ったことに対し、

もしもだれかあえて剣を抜く人がいるならば、自分は自分の盾を掲げよう

と答えたのだ。

ポンペイウスのカエサル支持は、元老院(の政敵たち)にとって衝撃的な出来事だったろう。それでも彼ら反対派たち(ビブルス、小カトー、ルクッルス、2人の護民官など)は諦めず、別日に設けられた民会決議の瞬間に異議を申し立てる予定だった。

ところが決議を行うその日、中央広場(民会の議場)に乗り込んできた反対派の面々を、ポンペイウス派の護民官ウァティニウスやポンペイウスに長年付き従ったベテラン兵たちが待ち構え、少々乱暴にではあるが追い払ったのである。

こうして農地法は成立したのだった。

ポンペイウス、東方の再編と部下への恩賞を与える

農地法成立からしばらくして、この法に次の項目が補完される。それはカンパニア地方も振り分けの対象として加えられるということ。この地は他の土地に比べて肥沃で収入も期待できたのである。

ポンペイウスは法案制定により、入植地を差配する二十人委員会のさらに5人の責任者に任命されていた。彼はこれで部下に実質的な退職金を手渡すことができたのである。

さらにカエサルは、次の法も元老院に通してみせた。

  • ポンペイウスが行った属州措置を正式に認める法案
  • アシア属州で国家請負人組合(騎士階級の金融家たち)から借りになっている請負額の総計1/3の免除

この法でポンペイウスは東方諸国の王たちにも、顔を立てることができたのだ。

カエサルと組む、つまり三頭が政治を主導することにより、ポンペイウスの名誉はおおいに挽回されることとなった。

ちなみにこの他にも、ポンペイウスは当時地盤が脆弱だったエジプト王プトレマイオス12世を正式な王として承認している。また先の話にはなるが、前55年にはポンペイウス派で当時のシリア総督だったガビニウスが、軍事力を背景にローマに亡命していたプトレマイオス12世をエジプトの王に復位させた。

これは後々ポンペイウスのの運命を左右することとなっていく。

カエサル、ガリアの属州総督へ

次はポンペイウスがカエサルに恩を返す番だった。

執政官を務めたものは、翌年に前執政官(プロコンスル)という肩書で属州を統治することがスッラ時代に制度化されたことは、ポンペイウスⅡ ―セルトリウス戦争終結から海賊討伐まで―初の執政官はほろ苦いものにで述べたとおりだ。

異例づくしの大将軍ポンペイウス ポンペイウスⅡ ―セルトリウス戦争終結から海賊討伐まで―

ところが元老院(の反カエサル派たち)は、カエサルの執政官就任に危惧をおぼえ、イタリア領内にある「森と家畜の道」の審査・監督を退任後の仕事にとりきめたのである。

当然カエサルはこの決定に甘んじるつもりはなかった。そこでポンペイウス派の護民官ウァティニウスにより、前54年3月1日までイリュリクムおよびガリア・キサルピナの属州総督として就任する法案を民会に提出してもらい、可決させたのである。

本来なら属州総督は1年任期となっている。さらに属州のエリアも限られたものだった。だがカエサルはポンペイウスに習い、数年間の大権保持と広大なエリアを与えられたことになる。

ポンペイウスは民会でも元老院でも、カエサルのためにウァティニウス法を推した。しかしこのカエサルへの恩返しが、やがて来たるべき内乱への引き金となることを、ポンペイウスはこのときまだ予想だにできなかった。

ポンペイウス、食糧管理(クラ・アンノナエ)に任命される

護民官クロディウス

ポンペイウス、カエサル、クラッススが主導する三頭政治にとって、カエサルが属州総督に赴任している間ローマの政治を誰が取り仕切るかは、非常に重要な問題だった。

そこで前58年の執政官に、ポンペイウスの海賊討伐法を提出した当時の護民官ガビニウスと、カエサルの妻の父つまり舅(しゅうと)であるカルプルニウス・ピソの就任が見込まれた。

また三頭側の護民官にクロディウスが選ばれる。

クロディウス

フルネームはプブリウス・クロディウス・プルケル。もともとはパトリキ(昔から続く名門貴族)出身者だったが、平民へと身分を移す。

前62年カエサルの妻に不義理を働こうとするが、見つかって未遂に終わる事件を起こす。カエサルがかばったため、以後カエサルの支持者として動くことに。

クロディウスの未遂事件については、ユリウス・カエサルⅢ ―ラビリウス弾劾からヒスパニア属州総督就任まで―を参照のこと。

ローマの礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサルⅢ ―ラビリウス弾劾からヒスパニア属州総督就任まで―

しかしこのクロディウスは、指示通りに動くような人間ではなかった。前59年末に護民官となると、さっそくいくつかの法案を民会で通過させた。

その中の一つに、宗教団体の再建や新設を許可する法があった。この法によりクロディウスは、周りに暴力団まがいの集団を形成することとなっていく。

また彼は民衆の支持を集めるため、それまで安くはあるが一定の価格だった配給制度を、無料にしてしまったのである。

キケロ、ローマ追放!

キケロの彫像
キケロ
Glauco92, CC BY-SA 3.0  , ウィキメディア・コモンズ経由で

もちろんクロディウスは三頭側の利益となる法を通すことは忘れていない。

代表的なものは、次の2つ。

  • 小カトーのキュプロス派遣(実質的なローマ追放)
  • キケロのローマ追放

この時ポンペイウスは、故郷のアルバ・ロンガに引きこもっていた。おそらくカエサルとポンペイウスの間で規定の約定があったのだろう。なぜなら彼らはどちらともキケロと親しい間柄だったからである。下手なことを「雄弁家」キケロに元老院議会で発言されたくなかったのだ。

しかしクロディウスの動きは、さらに激しさを増していく。そしてついに短剣を隠し持ったクロディウスの奴隷が、公式の場にポンペイウスが姿を表したところで捕らえられる事件が起こった。どうやらポンペイウスを暗殺する使命を帯びていたらしい。

この事件でポンペイウスは自宅に引きこもり、またキケロのローマ帰還を支援するようにもなった。

食糧管理(クラ・アンノナエ)責任者、ポンペイウス

一方、クロディウスの民衆受け政策である食糧の無料配給は、ローマの穀物不足を招き価格が異常高騰してしまう。そこで前56年、ポンペイウスに食糧危機を回避するための全権、食糧管理(クラ・アンノナエ)が与えられたのである。

具体的な権限は次の通り。

  • 5年に及ぶ執政官格の命令権
  • 15人の副官
  • 1000万デナリウスを自由に使える権利

食糧確保の任務でこれほどの大権が与えられたことは、ローマ史上かつてなかった。それほどローマ市の人数は多くなり、また市民に食糧が行き渡らなければ政治を指導する人々にとって危険な状態になったことを意味していた。

ポンペイウスは前56年4月にローマを出発した。そしてサルディニア、シキリア、アフリカの港を周り穀物を集める。

ポンペイウスの仕事に対する情熱は相当なものだった。海が荒れ、水夫たちが出発をためらうと、彼は自ら船に乗り込みこう言った。

船をやることが必要なのだ。いのちなど必要ではない

ポンペイウスのおかげで取引所は穀物であふれ、集められた穀物でローマ市はもちろん属州の都市まで潤したという。

2回目の執政官就任と三頭同盟の崩壊

ルッカ会談

話は前後するが、ポンペイウスが食物管理(クラ・アンノナエ)のためにローマを出発したあと、イタリア北方のルッカに向かった。目的は三頭政治の面々と会談をすること。

まずなぜルッカで会談が開かれたのか。

それはカエサルがガリアの属州総督として赴任中のため、イタリア本国に入るには、

  • 属州総督職の放棄
  • 軍の解散

が必要だったからである。そこで、イタリア本国の外で、比較的国境に近いルッカが会談の地として選ばれた。

ではルッカで会談が開かれた理由は何か。

実は反三頭政治派の元老院議員たち、特に政敵アヘノバルブスがカエサルから属州を取り上げ、勝手に軍を動かした大逆罪で訴えようとしていたのだ。そのためアヘノバルブスは翌55年の執政官当選を狙っていた。

このままではカエサルの政治生命に関わる一大事だった。そこでふたたび3人の協力により、カエサルの危機を救うとともに三者それぞれの思惑を実現させるべく集まった、というわけなのである。

まずアヘノバルブスの策謀を阻止しなければならない。そこで前55年の執政官にはポンペイウスとクラッススが立候補し、反対派を黙らせることにした。そしてカエサルは他の2人が確実に当選できるよう、投票権のある軍団兵たちを冬営中にローマへ送り込むよう計らった。

そして彼らが見事当選したあかつきに、次のことが決められたのである。

  • クラッススとポンペイウスには、5年間の命令権が与えられる
  • 執政官就任後の属州割当として、クラッススにはシリア、ポンペイウスにはスペインが与えられる
  • ポンペイウスとクラッススの属州就任には、それぞれ10個軍団が与えられる
  • カエサルの属州総督の命令権を5年間(前49年まで)延長する

ルッカ会談についてはユリウス・カエサルⅤ ―ガリア属州総督就任からルビコン川を渡るまで―でも書いたが、一回目の密議で取り決められたことが政治的協定だったのに対し、今回の会談では軍事的な協定ということができるだろう。

カエサルが前49年まで命令権を延長したかったのは、もちろんガリア遠征に時間がかかることもあるが、スッラにより執政官就任には10年の間をあけなければならない、という法が定められていたからだ。カエサルは翌前48年の執政官職を狙っていた。

こうして彼ら3人の同盟は更新されたのだった。

ポンペイウス、2回目の執政官へ

前55年、ポンペイウスはクラッススとともにルッカ会談で決めた予定どおり、2回目の執政官就任を果たした。二人は前70年のような反目はしなかった。カエサルの危機を救うとともに、ポンペイウスたちが赴任する属州の割当の法が、護民官ガイウス・トレボニウスによって民会に提出され決定したのである。

本来なら属州総督に任命されると、現地へ赴き様々な行政処理をおこなう必要があるのだが、ポンペイウスはこの当時食糧管理(クラ・アンノナエ)に就任していたため、特例として信頼できる副官のアフラニウスとマルクス・ペトレイウスに任せた属州管理を任せた。

そして自らはローマの近郊にとどまり、時折ローマ市外で開催される元老院会議に出席していたのだった。

一方のクラッススは、ポンペイウスやカエサルの軍事的成功から遅れを取り戻すべく、軍を率いてシリアへと出発した。彼はパルティアに遠征するつもりだったのである。

ポンペイウス劇場の落成

ポンペイウス劇場
ポンペイウス劇場
Amadscientist uploaded this image of artist Ad. Schill, Public domain,
ウィキメディア・コモンズ経由で

話は前後するが、前55年10月にカンプス・マルティウス(マルスの野)にポンペイウスが建てさせた劇場、「ポンペイウス劇場」が完成する。この劇場はローマ市初の石造りによる常設の劇場だった。

ポンペイウス劇場の特徴は、次の通り。

  • 4万人収容
  • 中央にウェヌス・ウィクトリクスの神殿が建つ
  • 舞台の背後に庭園があり、そのまわりにポンペイウス柱廊が集会場とともにある

この豪華絢爛な劇場は、ポンペイウスが東方遠征で得た戦利品を資金として建てられていた。ポンペイウス劇場落成の祝典には、芝居や演劇のほかに競技場で野獣狩りも行われたという。

ちなみにこの劇場で、のちにカエサルが暗殺されることとなるが、それはまだ後の話である。

ローマの礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサルⅨ ―ローマ帝国への道から終身独裁官就任、暗殺まで―

妻ユリアとクラッススの死

ルッカ会談で三頭同盟を更新し、このままローマ政界を3人で牛耳るかに思われたが、その綻びは早くも前54年に訪れた。ポンペイウスの妻でありカエサルの娘であるユリアが、出産で亡くなってしまったのである。

ポンペイウスは親子ほど歳が離れたユリアを大事にしていた。おそらく妻が死んだ悲しみは、相当大きかったに違いない。

さらに三頭同盟の間に決定的な亀裂が入る事件が起こる。前53年6月15日、シリア属州からパルティアへと遠征したクラッススが敗北し死亡してしまったのだ。50,000ほどもいたローマ兵のうち、生き残ったのはわずか10,000にも満たなかったという。

三頭の一角が崩れたことで、ポンペイウスは次第にカエサルとの溝を深めていく。カエサルもまたガリア総決起という事件で、ポンペイウスとの関係修復に力を注ぐ余裕などなかったのだった。

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