ユリウス・カエサルⅡ ―弁護士時代から海賊との捕虜生活、『名誉あるキャリア』の道まで―

ローマの礎を築いた男 ユリウス・カエサル

スッラの死により、ローマへ帰ることができたカエサル。
しかし若いカエサルには、これといった実績がまったくなかった。

そこでカエサルは、ある職業につくことで、ローマに自分の名を売ることを考えたのだった。

カエサル、ローマ帰還と二度目の亡命

カエサル、弁護士として名をあげようとする

帰国早々、民衆派のマルクス・アエミリウス・レピドゥスが挙兵。
カエサルにも誘いがあったが、彼はこれを拒否し、弁護士として名をあげる道を選ぶ。
(レピドゥスの挙兵はポンペイウスによって鎮圧された)

ちなみに当時の弁護士は検察側にもなり、罪を犯した人を告発することもある。
カエサルも告発側に回ったが、最初の告発は見事に失敗。

そこでカエサルは、政界の大物であり、スッラの側近だったドラベッラを、2回目のターゲットとして選んだ。

ドラベッラの告発

ドラベッラは小アジア属州総督時代、現地民からの搾取がひどいことでは有名だった。
共和政末期に横行していた、属州総督の不正な徴収だが、ドラベッラはその中でもかなりひどいやり方だったのだろう。

だが、このカエサルの告発も敗訴となる。
さらに敗訴となるだけでなく、政界の大物を裁判に引きづり出したことで目をつけられてしまい、またしてもカエサルはローマから亡命する必要に迫られた。

そこでカエサルはロードス島へ留学することに決めた。

海賊との遭遇

しかしロードス島への船旅中、キリキアの海賊に捕まってしまう。
海賊はカエサルに20タレントの身代金を要求した。

20タレントの価値

20タレントは、ローマの通貨に換算すると、30万デナリウス。
当時の兵士の年給が70デナリウスなので、約4,300人の兵士を1年間養える額となる。

カエサルはこの要求を安いと言い、自分から50タレントに値上げしてしまう。
そして従者が身代金を用意するまで海賊たちと過ごすことになった。

カエサルは海賊との捕虜生活にも全く動揺することなかった。
彼らと一緒に身体を鍛えたり、時には詩や演説の聞き役をさせ、堂々と振る舞っていたという。
また、海賊たちと仲良くなった挙げ句、

いずれは縛り首にしてやるぞ

と言って脅したりもしたらしい。
当の海賊たちは、ただの冗談だと思って笑っていた。

従者が身代金を用意して戻ってくると、カエサルは無事解放される。
するとカエサルはすぐに近くの町で海軍を招集し、停泊していた海賊たちを急襲、彼らを全員捕まえることに成功した。

そこで海賊をいったん牢につないでおき属州総督に報告。
海賊たちの処分を一任されたので、カエサルは海賊たちに宣言したとおり、彼らを全員絞首刑にしたのであった。

ロードス島での生活とローマ帰還

ロードス島での留学生活は、1年ほど続く。
この間、キケロの師であったアポロニウスや、ポシドニウスに学んだという。
また、小アジアでことが起こるたびに、私兵を組織して駆けつけるような生活だった。

そして1年ほど経過し、そろそろドラベッラ告発のほとぼりが冷める頃、カエサルはローマに帰還した。
きっかけは母方の伯父、アウレリウス・コッタが病死したことで、空席になった神祇官の職に、カエサルが任命されたからだった。

カエサル、『名誉あるキャリア』を歩みだす

神祇官、及び大隊長就任

カエサルは神祇官の任に就くと、さらに高級将校である大隊長(トリブヌス)に立候補し、当選した。
しかし大隊長就任後に起こった大規模な反乱、スパルタクスの乱とも呼ばれる第三次奴隷戦争には参加していない。
立候補しなかったのか、お声がかからなかったのか。

スパルタクスの乱を鎮圧したのは、民衆派との戦いに向かうスッラのもとに、馳せ参じたことのあるクラッススだった。
彼はローマ一の大金持ちであり、カエサルの最大の債権者となる人物である。

この反乱についてはスパルタクス―第三次奴隷戦争と呼ばれる反乱を指揮し、故郷を目指した剣闘士―に書いているので、詳しく知りたい方はご覧いただければと思う。

ローマを震撼させた剣闘士スパルタクス スパルタクス―第三次奴隷戦争と呼ばれる反乱を指揮し、故郷を目指した剣闘士―

スパルタクスの乱終盤に、イベリア半島の反乱を制圧したポンペイウスも参加したが、クラッススの功績を横取りする形となり、クラッススとポンペイウスの仲は悪くなってしまう。

後年、カエサルは彼ら二人の間を持つこととなるが、まだこの頃のカエサルのキャリアは、彼ら二人の後ろにも立っていなかった。

財務官就任

そのカエサルは31歳になって、ようやく政界進出の道である『名誉あるキャリア(クルスス・ホノルム)』の第一歩、財務官(クァエストル)に当選した。
そしてスペインへと赴任する。

カエサルはこの赴任中に立ち寄った町、カディスでアレクサンドロスの像を前にして、こんな独り言を言ったらしい。

アレクサンドロスが世界を制覇した齢になったのに、自分は何ひとつやってないではないか

確かに6歳年上のポンペイウスは、軍事的実績抜群、しかも30代の若さで執政官まで経験している。
アレクサンドロスはともかく、同時代に生きた先輩と比べても、自分の歩みが遅いことに、カエサルが悩んでいたのかもしれない。

伯母ユリアの葬儀

スッラにまで離婚を拒否した1人目の妻、コルネリアが死んだこの年、民衆派の代表であったマリウスの妻である、カエサルの伯母ユリアも亡くなった。
アレクサンドロス像を見たことに影響をうけたのか、ヒスパニア赴任からローマへと帰っていたカエサルは、伯母ユリアの追悼式典にある決意を持って出席、演説をする。

それは伯母ユリアの夫だったマリウスの像を伴うことだった。
この行為はカエサルが、マリウスから民衆派の代表を受け継ぐとともに、民衆派を支持基盤として政界に打って出る覚悟を示したと言える。
ただしカエサルの真の目的は別のところにあるのだが、この頃はまだおくびにも出していない。

上級按察官就任

さらにカエサルは35歳で上級按察官(アエディリス・クルリス)に選出される。
上級按察官の職務は祭儀を取りしきることや公共事業の実施である。

カエサルはこの職につくや、他の3人の同僚をそっちのけで、派手に公共事業や民衆へのサービスを行った。
具体的には次のとおりだ。

  • アッピア街道の大幅な補修工事
  • 剣闘士興行のプロデュース
  • スッラによって破壊された、マリウスの戦勝記念碑再建

民衆の娯楽である剣闘試合については、 剣闘士―パンとサーカスで有名な、民衆を熱狂させた古代ローマ帝国のグラディエーターたち― に詳しく書いているのでご参考いただければと思う。

これらを、カエサルは自費で行ったのである。
数々の事業のなかに、サラリとマリウスのことを入れ込むのは、いかにもカエサルらしい。

もともと借金の多いカエサルだったが、数々の事業によって、上級按察官時代には、借金が天文学的数字にまで跳ね上がってしまったようだ。

借金王カエサル

カエサルといえば借金、というぐらい有名な話だが、彼はいったい何にお金を使ったのだろう。
按察官になる前の出費は次の4つだと言われている。

  • 読書のための書物代
  • おしゃれのため
  • 付き合い
  • 女性へのプレゼント

これだけでも11万の兵士を1年間養えるだけの借金があったのだが、按察官で使った公共事業のためのお金は、上記の出費を遥かにしのいでいた。

この出費を支えたのが、ローマ一の金持ちと言われたクラッススである。
なぜカエサルに、クラッススはこれほどまでお金を貸すことにしたのか。

個人的好意も非常に大きな要因の一つだとは思う。
もう一つの要因として、クラッススはカエサルに大金を貸すことで、間接的に人気を得ることができたのではないだろうか。

カエサルに投資をすることは、お金というリターン以上に、政界に必要な人気を返してくれたのだろう。
カエサルとクラッススは互いに利害が一致していたのだと思う。

最高神祇官就任

上級按察官の任期が終わり、しばらくたったころ、メテルス・ピウスが死んだ。
メテルスはキンナがローマ政界を牛耳っているときに、スッラの元に軍団を率いて駆けつけた人物。

このメテルスが就任していた最高神祇官の職を、カエサルは狙った。
最高神祇官は、ローマ宗教上の最高責任者だが、基本的に名誉職であり、通例としてキャリアも終盤にさしかかる人間が、ハクをつけるために立候補する公職だった。

この職に、まだ法務官や執政官といった上級政務官の経験すらない、37歳が立候補したのである。
元老院議員たちは驚いた。
だが最高神祇官という公職の特長をみれば、カエサルの狙いは明らかなのだ。

  • 終身職』であること
  • 宗教界ではあるが、『最高責任者』であること
  • 同僚のいない、『ただ一人の公職』であること

最高神祇官への立候補は、後に行う改革への布石であり、ついに彼が目指すところを明確にした『事件』ともいえる。
カエサルは、この選挙に悲痛な覚悟を持って臨んだ。

事実、この選挙を前に、カエサルは母アウレリアに、次のことを言っている。

最高神祇官に当選しなかったときは、私の帰宅を待たないでください

カエサルは最高神祇官の選挙に臨むにあたり、友人である護民官のラビエヌスに選挙の法律を立案させたり、自らも選挙活動に勤しむなど、かなりの根回しをしたようだ。

この根回しの効果と、マリウスの民衆派への威厳効果、さらに上級按察官時代のセルフプロデュースが実り、みごと最高神祇官への当選を果たした。

ちなみに最高神祇官は、次の2つのことが許されている。

  • ほかの公職と兼任できる
  • フォロ・ロマーノ(ローマの中心)に用意された公邸に住むことができる

この特権を使い、カエサルはさっそく住居を最高神祇官の公邸に移す。
そしてこの公邸が彼の終の住処となった。

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