クレオパトラの死因は本当に蛇毒による自殺?女王の死の真相とは

誇り高き女王の最後 クレオパトラの死因

クレオパトラの本当の死因とはなにか。古代から現代にいたるまで、どの歴史家も明確な答えは出せていない

しかし絶世の美女と言われているクレオパトラの死は、人々の心を惹きつけて止まなかった。

クレオパトラは一体どのような方法で死んだのか。

そこで今回は、古代の歴史家が記述する女王の自殺の方法が実際には可能なのか、現代の医療知識をふまえながら考察してみよう。

クレオパトラの略歴

クレオパトラの死因──どのように死んだのか──を記述する前に、彼女はなぜ死んだのか、を見る必要があるだろう。まずは『王妃たちの最後の日々(著者:ジャン=クリストフ・ビュイッソン) 』を参考に、クレオパトラの略歴を見てみよう。クレオパトラの生涯を知ることで、彼女がなぜその死に方を選んだのかがわかるはずだ。

またクレオパトラの生涯を知りたいあなたは、クレオパトラⅠ ―誕生と女王即位、カエサルとの出会いと別れ―に詳しく書いてあるので、ご参考いただければ幸いだ。

エジプト最後の女王クレオパトラ クレオパトラⅠ ―誕生と女王即位、カエサルとの出会いと別れ―

なおクレオパトラの死因そのものを早く知りたい方は、クレオパトラの死因に迫るをご覧いただきたい。

弟や妹との政争

クレオパトラ7世フィロパトル、いわゆるプトレマイオス朝エジプト最後の女王クレオパトラは、わずか18歳の若さで女王の座につく。そして弟プトレマイオス13世と結婚し、共同統治を開始した。

ところが3年後の前48年には、彼女を煙たがる弟(と取り巻き一派)と妹アルノシエのクーデターにあい、クレオパトラは王座から追われてしまった。

そんなクレオパトラが女王の座に復帰できたのは、偶然といっても過言ではない。ちょうどカエサルに破れたポンペイウスが、庇護国エジプトを頼って来たのである。

しかし敗れた将軍の訪問を歓迎しない弟一派はポンペイウスを殺し、カエサルに首を届けて味方につけようとしたのだ。

ローマの礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサルⅦ ―クレオパトラとの出会いから「来た、見た、勝った」まで―

弟一派の思惑をよそに、エジプトを自分の影響下に置きたいカエサルは、クレオパトラと弟王との和睦を試みた。カエサルの気をひくため、クレオパトラ自らを絨毯に隠して贈り物にした逸話はあまりにも有名だ。

だがこの和睦に反対する弟一派がカエサルに兵を向けたため、カエサルは彼らを鎮圧。この戦いで弟プトレマイオス13世が死んでしまったため、代わりに幼い弟プトレマイオス14世とクレオパトラを結婚させて共同統治者とする。

またカエサルに反抗した妹のアルノシエは、捕虜としてローマに連行された。

カエサルの庇護と凱旋式の記憶

クレオパトラはカエサルの愛人となり、エジプトはカエサルのもとでローマの庇護を受けることになった。前47年、ポンペイウス一派の残党を片付けるため、カエサルはエジプトを出発。ある程度カタがつくと、カエサルはローマで行う凱旋式にクレオパトラを招待した。

この凱旋式はクレオパトラにとって忘れられない光景を目に焼き付けることとなる。妹アルノシエが捕虜という「目に見える形」でカエサルの功績を示すため、衆前のさらしものになり辱めを受けていたのだ。

かたや自分はカエサルの庇護を受ける国の女王として招待された身分。どちらもローマ、あるいはカエサルの胸先三寸に運命が握られている、という意味では大した差はなかった。彼女はこの記憶を、運命の日までひきずることになる。

ローマの礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサルⅧ ―「市民諸君」、タプススの戦い、凱旋式、ムンダの戦い―

カエサルの暗殺と後継者たち

ところが前44年、カエサルが暗殺された。突然庇護者を失ったことで、ローマに滞在していたクレオパトラはエジプトへ帰らざるを得なくなる。

ローマの礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサルⅨ ―ローマ帝国への道から終身独裁官就任、暗殺まで―

クレオパトラ帰還後の情勢は次のとおり。

  • 暗殺の首謀者ブルトゥスとカッシウスは東方に逃れると、東方の属州ならびに諸国を支配下におく
  • 西方ではカエサルの腹心アントニウスと、カエサルの遺言で正式な後継者に指名された(と主張する)オクタウィアヌス、それにレピドゥスの3人が実権を握る

双方の軍はフィリッピの戦いで激突し、アントニウスの活躍で西方側が勝利した。破れたブルトゥスとカッシウスはこの戦いで死亡する。

戦後処理は活躍したアントニウスが主導権を握り、比較的豊かな東半分を自分の支配下においた。

他方オクタウィアヌスはスペインを、レピドゥスはアフリカを統治。だがレピドゥスの失脚によりオクタウィアヌスが西方半分を支配すると、やがてアントニウスとオクタウィアヌスは対立していく。

アントニウスとの『同盟』

さて東方を自分の統治下においたアントニウスは、東方諸国の再編成を進める。それらの国の中でもっとも豊かなエジプトも例外ではなかった。クレオパトラはエジプトの生き残りをかけ、アントニウスとタッグを組むことを決意する。

アントニウスとしても従順にしてくれさえすれば、ローマ領に組み込む必要はなかった。なぜなら属州経営には金も軍も必要になるからだ。

こうして二人の利害は一致しクレオパトラはアントニウスの愛人となった。2人の間にはロマンチックな感情以上に政治的な妥協があったに違いない。そして彼らの間には3人の子供が生まれた。

アントニウスはこの子どもたちと、クレオパトラがカエサルとの間にできた(と主張する)カエサリオンを、東方諸国の再編に利用する。彼らを諸国の王たちの称号を与え、彼らの上にクレオパオラを置いた。

これはプトレマイオス朝エジプト、つまりアレクサンドロス大王の後継者であるとともに、カエサリオン=カエサルの後継者となることを意味していた。そしてアントニウス自身は彼らの後見人としてトップに君臨しようとしたのである。

アクティウムの敗戦から死まで

オクタウィアヌスはアントニウスの思惑に危機を感じた。彼の主張が通ってしまえば、「カエサルの正当な後継者」という肩書を失ってしまうのだ。そこでオクタウィアヌスはアントニウスに対抗するため、彼のネガティブキャンペーンを展開する。

アントニウスはオクタウィアヌスとの関係を保つため、オクタウィアヌスの姉オクタウィアを妻としていた。オクタウィアヌスはこの姉からアントニウスを奪った妖婦としてクレオパトラを非難し、妖婦にたぶらかされる堕落した将軍アントニウスを撃つべし、とローマの世論をまとめ上げたのだ。

オクタウィアヌス カエサルの遺志を継ぐ青年 オクタウィアヌスⅧ ―パルティア遠征失敗~アントニウス弾劾まで―

こうしてオクタウィアヌスは、アントニウス(をたぶらかしたエジプト女王)を討つため軍を東へと進める。一方のアントニウスもすぐさま軍を西に向け出発。両軍はアクティウムで海戦となったが、この戦いにアントニウス・クレオパトラ連合軍は破れてしまった。

アクティウムの海戦
アクティウムの海戦
Lorenzo A. Castro [Public domain] | Wikipedeiaより

アクティウムの海戦からアントニウスとクレオパトラは逃げ出したものの、東方諸国もアントニウスから離反し、もはや情勢は完全にオクタウィアヌスへと傾いていた。

オクタウィアヌスは膨らみすぎた兵の退役資金を、豊かなエジプトの財宝に求めて遠征を開始。この結果部下にまで裏切られたアントニウスは自刃し、クレオパトラはオクタウィアヌスに監禁されてしまう。

カエサルの凱旋式で辱めを受けていた妹アルノシエの姿が、クレオパトラの脳裏に蘇った。このままではオクタウィアヌスの見世物に自分もなってしまうだろう。

彼女は決めた。自らの命を断つことに。

クレオパトラはオクタウィアヌスの監視が緩んだスキを狙って自殺した。39歳での死だった。

クレオパトラの死因に迫る

クレオパトラが「どうして死ななければならなかったのか」を見たところで、いよいよ本題に入ろう。

クレオパトラがどのようにして死んだのか、である。

毒蛇による自殺は本当?

クレオパトラといえば、自らの身体を毒蛇に噛ませて死んだ、とイメージする方は多いだろう。毒蛇で自殺したと記述したのは、歴史家プルタルコスである。

ただしプルタルコスの歴史書「英雄伝(対比列伝)」は、クレオパトラの死から一世紀近くも経って書かれたものだ。その上、

毒蛇に噛まれて死んだと言われている

と伝聞形で記載されており、確かなことと断言しているわけではない。

話は脱線するが、プルタルコスは蛇に噛まれた場所は腕だとしている。では毒蛇をクレオパトラの乳房に噛ませたと書いたのは誰か。答えはシェイクスピアだ。

彼は戯曲『アントニーとクレオパトラ』の中で、蛇を自らの乳房に導き噛ませているような演出をしたのだ。

ところでプルタルコスが伝えたように、毒蛇による自殺は可能なのだろうか。

クレオパトラが自殺に用いるなら、おそらくアフリカにすむ毒性の高いクサリヘビかアスプコブラだろう。確かにこの2種類の蛇の毒性は高く、最悪死に至ることもあるという。

ただしこれらの蛇に噛まれてもすぐには死なず、最短でも2日は必要になる。

ところでクレオパトラは生前、死刑囚を使って毒を研究していたという。

死刑囚に毒を試すクレオパトラの絵画
死刑囚に毒を試すクレオパトラ ア
レクサンドル・カバネル, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

その彼女がすぐに死ぬこともできず、苦しみも大きい蛇毒による自殺を選ぶだろうか。

また厳重な監視の中で、いちじく入りのかごに隠して蛇を室内に入れたと史書には書いてある。しかし候補の一つであるアスプコブラは、体長1.5~2m、最大で3mにもなる。こんな大きな蛇をいちじくのかごに隠せるものだろうか。

さらに侍女2人もクレオパトラの自殺に付き合って死んでいる。彼女らが死ぬためには、一体何匹の蛇が必要になるのだろうか。

この疑問に対し、平安時代から幕末までの歴史上の人物の病を診断した『戦国武将を診る  』の著者・医師の早川智氏も、蛇毒の特性からクレオパトラの死が蛇に噛まれたものではないと主張している。

では一体クレオパトラはどのような死を選んだのだろうか。

服毒による自殺の可能性

答えの一つとして、彼女はトリカブトとアヘンなどを混ぜた毒を飲んだ、いわゆる服毒自殺だったという説がある。

この結論を導き出したのは、トリーア大学の歴史学者クリストフ・シェーファー教授。彼は、アレキサンドリアの古代の文献にあたり、また毒物学者の協力も得て出した答えだという。

シェーファー教授によると、『ヘムロック』と呼ばれた毒の調合は当時よく知られた方法だったようだ。痛みもなくわずか数時間で死に至ることができたため、クレオパトラはこの毒を使ったのではないか、とのこと。

死刑囚を使ってまで毒の研究をしていたかはともかく、状況的に何日も苦しまなければならない蛇を使うことは不自然だろう。クレオパトラが毒を飲んで自殺するほうが、よほど自然に思えるのではないだろうか。

今回のまとめ

それではクレオパトラの死因について、おさらいしよう。

  • クレオパトラは時のローマ権力者の庇護を受けていた
  • アントニウスの愛人となっていたクレオパトラは、ライバルオクタウィアヌスに敗れて死んだ
  • クレオパトラの死因は、古来から言われている蛇毒による死ではなく、服毒自殺の可能性が高い

クレオパトラの死が蛇毒による自殺という線は、かなり可能性として低いことがわかった。彼女の死についてはこの他にも、オクタウィアヌスの監視のゆるさが不自然な点など、謎の部分が非常に多い。

彼女がどんな死を選んだとしても、それは彼女自身が最後までエジプトの女王として統治者の姿を止めようとした結果ではないだろうか。

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