オクタウィアヌスⅠ ―少年時代と大伯父カエサルとの関係―

オクタウィアヌス カエサルの遺志を継ぐ青年

ガイウス・オクタウィウス。
あなたはこのローマ人の名前を聞いて、彼が何をした人物か分かるだろうか。

彼こそカエサルの後継者オクタウィアヌスとして、カエサル亡きあとのローマの覇権争いに加わり、初代皇帝アウグストゥスとしてローマを帝政へと導く人物である。

しかしオクタウィアヌスはイタリアの地方都市出身であり、先祖から元老院議員を輩出する名門の貴族の家柄ではなかった。

そんな彼が、いかにしてローマのナンバーワンに上り詰めることができたのだろか。
この記事では、オクタウィアヌスがライバルであるアントニウスと争い、ローマの実権を握るまでを書いていくことにしよう。

ガイウス・オクタウィウス、誕生!

紀元前63年9月23日、のちに「オクタウィアヌス」の名を持つことになるガイウス・オクタウィウスは、ローマの南東40キロにある地方都市ウェリトラエ(現ヴェッレトリ)で生を受けた。

ガイウス・オクタウィウスの家は名門貴族ではなく、騎士階級(エクィテス)という、いわゆる経済界で活躍する身分である。
ガイウスの父方の曾祖父(ひいおじいちゃん)は、第二次ポエニ戦争で軍団の副官としてシキリア方面に従軍したことがあったが、その子であるガイウスの祖父は、ローマの中央政界に興味がなく、地方議員で満足していたようである。

この祖父の代でかなりの資産を蓄えると、父オクタウィウスは騎士階級でありながら、ローマの中央政界へと進出。
また、財産があっても家柄が劣っていると考えたオクタウィウスは、名門貴族とのつながりを得るために、当時それほど裕福でもなかったユリウス家の娘、アティアを妻に迎えた。

このアティアがガイウス・オクタウィウス(のちのオクタウィアヌス)の母となる。
そしてアティアの母、つまりガイウスの祖母こそ、のちに終身独裁官となるユリウス・カエサルの妹ユリアであり、ガイウス少年にとってカエサルは大伯父という間柄になるのだった。

ガイウスの父、オクタウィウス

元老院階級でもなく、名門の出でもない「新人(ホモ・ノウス)」の父オクタウィウスが、ローマの中央政界に打って出るのは、非常に難しかっただろう。
だがユリウス家、とりわけ日の出の勢いで出世するカエサルとのつながりを得たことで、オクタウィアヌスは名誉あるキャリア(クルスス・ホノルム)の道を順調に歩み、39歳でついに法務官(プラエトル)に選出された。

法務官を務め終えると、次に待っているのは法務官経験者(プロプラエトル)として属州総督となり、イタリア本国以外の任地へと派遣されることだ。
オクタウィウスは属州マケドニアへ1年間されることが決まった。

属州総督赴任前には、元老院からトゥリイの町近辺の奴隷――数年前にスパルタクスと反乱を起こした奴隷や、国家転覆の陰謀を企てたカテリーナと共謀した無法者の奴隷たち――を退治するよう要請され、オクタウィウスは見事無法者たちを征伐することに成功している。
その結果、オクタウィウスは代々受け継ぐことができる添え名、「トゥリヌス」を得ることができたのである。
ガイウス少年も、当然その添え名を受け継ぎ、

ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス

となった。


父オクタウィウスは、マケドニア属州を「公正かつ勇敢に」統治し、ローマの指導者たちから高い評価を得ることができた。
この評価で彼は、地方出身者でなおかつ「新人」にもかかわらず、ローマの最高政務官である執政官を狙えるところまできたのである。

しかしオクタウィウスは執政官になるどころか、立候補すらしなかった。
なぜなら前58年、40代半ばにもかかわらず、派遣先であるマケドニアからローマへの帰還途中にオクタウィウスは亡くなったからだ。
ガイウス少年が、わずか4歳での出来事だった。

母アティアの再婚とガイウスの友人たち

父オクタウィウスの死後、母アティアは新しい夫であるルキウス・マルキウス・フィリップスと再婚した。
古代ローマの共和政末期では、夫に先立たれた妻が再婚することは、珍しいことではない。
まして多額の財産を相続し、まだ若いアティアである。
おそらく引く手あまただっただろう。

再婚相手の候補の中でも、アティア特に前途有望な夫を選びだした。
事実フィリップスは執政官に当選を果たしていたのである。
この影響で、ガイウス少年は母方の祖母、ユリアと生活することになる。
どうやらガイウスはおばあちゃん子だったようだ。

祖母ユリアのもとで一通り初等教育を受けたが、ガイウス少年が12歳のころ、祖母ユリアが亡くなった。
祖母の死で母の再婚相手フィリップスの家に移ったガイウスは、より高等な教育を受けることになる。
ここで出会った学友が、終生の友であり、戦友となるアグリッパとマエケナスだ。

マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ
マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ
アグリッパ
ルーヴル美術館 [CC BY 3.0]

出自は不明だが、地方の裕福な家庭だったようだ。
現在のヴェネツィアか、イストリア半島あたりの出身か。

アグリッパは戦下手のオクタウィアヌスに代わり、軍の指揮を担当することになる。

ガイウス・キルニウス・マエケナス
ガイウス・キルニウス・マエケナス
ガイウス・キルニウス・マエケナス
Cgheyne [CC BY-SA 3.0]

母方の祖先がエトルリアの王族につながる由緒正しい家柄出身だが、マエケナスが生まれた頃は、その影もかなり薄くなっていたらしい。
騎士階級(経済界)に属していた。

マエケナスはオクタウィアヌスに代わり、主に外交を担当することになる。

ガイウス少年とアグリッパ、マエケナスがともに学んで少年時代を過ごしていた頃、ローマでは国家を揺るがす一大事件がおこった。
大伯父カエサルがルビコン川を渡り、イタリア本国へと乗り込んできたのである。

カエサル、ルビコン川を渡る

属州ガリアの総督だったカエサルが、なぜルビコン川を渡って本国ローマへと乗り込んできたのか――。
その長い道のりについてはユリウス・カエサル ―ローマ帝国の礎を築いた男―に詳しく書いているので、参考にしていただければと思う。

ローマ帝国の礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサル ―ローマ帝国の礎を築いた男―

以下、簡単に経緯を説明する。

ポンペイウス、クラッススと結んで三頭政治を実現したカエサルは、執政官となると、翌年ガリアの属州総督となってガリア平定を成し遂げた。
さらに2回めの執政官職に立候補するため、元老院にローマ不在のままでも立候補できるように要求した。

カエサルのことをこころよく思っていない元老院は、これを拒否。
また元老院派は、ガリア平定でカエサルに驚異を感じ始めたポンペイウスを抱き込むと、彼にローマを守る権限を与えた。
さらに属州総督をやめて軍隊を解散し、ローマへと帰還するように「命令」したのだ。

カエサルにとって属州総督の解任によって公職を失うことは、身の破滅を意味していた。
苦渋の選択を迫られたカエサルは、 国法を犯し軍隊を率いたままルビコン川を渡ったのである。


カエサルはやがてイタリアを勢力下に収めると、すぐさまポンペイウスの勢力下にあったヒスパニア(スペイン)を攻略。
そしてついにギリシアの地で、ポンペイウス(とローマから逃れていたカエサルに反対する一部の元老院議員たち)を破った。

このような情勢の中で、大人の仲間入りを果たしたガイウス少年――オクタウィウスは、大伯父カエサルと会うことになる。

オクタウィウスと大伯父カエサルの関係

カエサルを大伯父に持つことで、オクタウィウスは成人直後から恩恵を受けることになる。
ではオクタウィウスは成人後、どのような恩恵を受けることができたのだろう。

神祇官(ポンティフェクス)団への口利き

大人へと成長した彼が、まずローマでの最初の職に就いたのは、欠員があった神祇官団の仲間入りだった。
とはいえこれは、カエサルに直々に会ってのことではない。
だが、最高神祇官(ポンティフェクス・マキシムス)であったカエサルのことだ。
姪の子のために口利きをするなど、造作のないことだったろう。

ラテン祭(フェリアエ・ラティナエ)での首都長官任命

オクタウィウスがカエサルと会ったのは、カエサルがエジプトでの揉め事を解決し、さらにファルナケス2世を破り、史上最も短い戦勝報告「見た・来た・勝った」を元老院に送ったあと、ローマに帰還したころだ。

カエサルは、虚弱体質だが聡明で粘り強いオクタウィウスと会ってみて、彼を気に入ったのだろう。
オクタウィアヌスを貴族(パトリキ)へと加えるよう取り計らうと、さらにラテン祭(フェリアエ・ラティナエ)が開催される間、首都長官(プラエフェクトゥス・ウルビ)に任命した。

首都長官とは執政官不在中のローマ市を管理する役割だが、おそらく祭りの間のみの名誉職、といったところだろう。
現代日本だと、1日警察庁長官を務めるようなものだった。

だが、いかに名誉職とはいえ、ローマ市民に顔を覚えてもらえるというだけでも、オクタウィウスにとっては誇らしかったに違いない。

親友アグリッパの兄の助命嘆願

この後、カエサルは反カエサル派の残党を討伐するため、アフリカへと渡る。
そしてタプススの戦いで見事に討ち果たすと、ローマへと凱旋した。

ローマの礎を築いた男 ユリウス・カエサル ユリウス・カエサルⅧ ―「市民諸君」、タプススの戦い、凱旋式、ムンダの戦い―

実はこの戦いには、オクタウィウスの親友アグリッパの兄が参加し、捕虜になっていたのだ。
オクタウィウスはカエサルに、アグリッパの兄を助命してもらうよう嘆願し、認めてもらえたのである。

オクタウィウスのアグリッパの友情が、さらに深まったのは言うまでもないだろう。

凱旋式での催しもの演出

カエサルはアフリカの戦勝を祝うため、凱旋式を挙行した。
この凱旋式で催される様々な出し物(剣闘試合や戦車競走など)の一部を、オクタウィウスは任された。

カエサルは、姪の子にもそろそろ行政経験を積ませたいと考えていたのだろう。
オクタウィウスはカエサルの期待に応えるため、熱くて長い日も、出し物を見るため最後までとどまったが、元来病弱の身で無理がたたり、重い病気(おそらくは重度の熱中症)にかかってしまったのだった。

ヒスパニアでの戦争への同行

凱旋式から間もなくして、今度はヒスパニアでポンペイウスの遺児を中心とした元老院派の残党が再び軍を組織し、抵抗を見せているとの知らせがカエサルのもとに届く。

カエサルはすぐさま戦いの準備をしてヒスパニアに向かうが、このときオクタウィウスにも同行を指示している。
オクタウィウスも成人を果たし、そろそろ軍の経験をしておいたほうがいいとの判断だったのだろう。
だが、当のオクタウィウスは凱旋式での無理がまだ癒えていなかったので、遅れての出発となった。

オクタウィウスがようやくヒスパニアに着いたころには、すでに戦い(ムンダの戦い)は終わっており、実践経験をすることはお預けとなった。
そのかわり、掃討戦やヒスパニアからの帰還途中はカエサルとともいることができた。
このときオクタウィウスは、独裁官カエサルの様々な業務を助け、行政的な経験を積めたようである。

アポッロニアの滞在

このように、忙しいながらもカエサルは、姪の子オクタウィウスを気にかけ、またオクタウィウスもカエサルを懸命に手伝い、助けようとしていたことが伺える。

ヒスパニアでの戦いを終えたカエサルは、戦争の次なる目標を東方の大国パルティアと、ドナウ川南岸の蛮族へと決めた。
パルティアには9年ほど前に、当時三頭政治の主役の一人だったクラッススが大敗し、軍旗を奪われるという屈辱を味わっていた。
一方のドナウ川南岸の地域では、ダキア(現ルーマニア)族が勢力をつけ、周辺地域を脅かしているという。

オクタウィウスはカエサルの要請で、アグリッパ、マエケナスともう一人の友人であるクィントゥス・サルウィディヌス・ルフスとともに、 先行してアポッロニア(現アルバニアのフィエル)へと滞在した。

目的はもちろんカエサルが行う軍事行動への同行である。
カエサルはパルティア遠征のために、軍も先行してアポッロニアに終結させていた。

オクタウィウスは、この地で学校に通い、ギリシア語や雄弁学を学ぶ。
また先行軍に混じって、軍事教練にも参加した。
オクタウィウスは、アポッロニアや軍の関係者の間では、カエサルの関係者というだけではなく、気さくな人間として人気があったようだ。

オクタウィウスも遠征軍も、準備は整っていた。
あとはカエサルが到着し、軍を率いて出発するだけである。
この戦いで、オクタウィウスは初めて実戦を経験するはずだった。

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