ヘリオガバルス ―エラガバルスとも呼ばれる奇行を繰り返した反抗期の祭司皇帝―

奇行を繰り返した祭司皇帝ヘリオガバルス

背徳皇帝ヘリオガバルス

ヘリオガバルスはローマに着いてからも、自由奔放な行動をやめなかった。
その一つが倒錯した性生活である。
ではヘリオガバルスの性に対するエピソードから見ていこう。

ヘリオガバルスの女性関係と結婚

ヘリオガバルスの女性に対するエピソードは、次のようなものだ。

  • 公衆浴場で女性用の風呂に入り、女性客に脱毛剤を塗る
  • 妻を除けば、一度抱いた女性とは二度と寝ない
  • 女性の痴態を観察するために、数多くの女性と性関係を持つ

など、なかなかに奔放な姿がうかがえる。
このようなヘリオガバルスの女性に対する態度は、彼の結婚にも言えた。
ヘリオガバルスは短い治世の中で3人の女性と結婚したが、そのどれもが短いものだ。

一人目の妻:コルネリア・パウラ

ヘリオガバルスの最初の結婚相手は、シリア系のローマ人で裕福な上流階級の若い女性、コルネリア・パウラ。
彼女との結婚は盛大に祝われ、通常皇帝の結婚に伴う剣闘士の試合や野獣狩りなどの見世物も執り行われた。
また、民衆にはごちそうも振る舞われた。

彼女には、女性の尊称「アウグスタ」が送られるなど、大事にされていたと思いきや、同年には離婚を言い渡された。
ヘリオガバルスの性癖を満たすことができなかったため、体に欠陥ありとの理由だった。

二人目の妻:アクィリア・セウェラ

アクィリア・セウェラのコイン近影
アクィリア・セウェラのコイン Classical Numismatic Group, Inc.  
[CC BY-SA 3.0  ]

ヘリオガバルスの次のお相手は、ウェスタの巫女アクィリア・セウェラ。
この結婚はある意味禁断の結婚と言えた。
なぜならウェスタの巫女は、30年間の聖職を勤め上げるまで処女でなければならず、それを破ろうものなら生き埋めにされるという厳しい処分がくだされるからだ。

ヘリオガバルスは例外を認めさせ、強引に結婚した。
宗教改革者ヘリオガバルスでも説明するが、この結婚は彼にとってローマ伝統の神とヘリオガバルス神を結びつける神聖なもので、両者の間に生まれる子供は、両者の神が合わさる高貴なものとして君臨できるだろうという理屈なのである。

ただしこの結婚の反発は相当強く、彼らは結局すぐに離婚することとなった。

三人目の妻:アンニア・ファウスティナ

アンニア・ファウスティナの胸像写真
アンニア・ファウスティナ
ダークヒストリー3 図説ローマ皇帝史  より

セウェラの次の結婚相手は、五賢帝最後の皇帝で、哲人皇帝の異名をとるマルクス・アウレリウス帝の曾孫アンニア・ファウスティナ。
ウェスタの巫女との結婚が、ローマ臣民の反発を招いたと感じたヘリオガバルスの母ソアエミアスが、彼にふさわしい妻を用意したのだ。
実はかの哲人皇帝にあやかるため、ヘリオガバルス自身も本名をウァリウスからマルクス・アウレリウス・アントニヌスに変更した経緯がある。

しかしヘリオガバルスはファウスティナをその年のうちに離婚し、結局2番めの妻であるセウェラと寄りを戻したのだった。


ヘリオガバルスの奔放な女性関係は、どのような意味があったのか。
もちろん若さゆえの興味本位と、飽きからくるとっかえひっかえしたい欲望を、皇帝権力で存分に発揮したといえるかもしれない。

しかしヘリオガバルスの行動には、もう一つ意味があった。
彼は男性とも関係を持てる「両刀使い」だっだのだ。
そのため、ヘリオガバルスの女性との交友は、女役をするための格好の勉強の場だったのである。

またヘリオガバルスにとって結婚とは、子をなし世継ぎを残すものではなく、神の意志を示す象徴的なものでしかなかった。

女役を自ら買って出る皇帝

ヘリオガバルスの性倒錯は、男たちとの関係にまで及んだ。
彼は男性と「交友」するため、次のようなことをしたという。

  • かつらを着けて街に出かけ、娼婦に扮して客引きを行う
  • やがて宮廷に体を売る専用部屋を用意し、入り口に全裸で立ってカーテンを振りながら、甘い声で客を誘う
  • 街中にエージェントを派遣し、公衆浴場では巨根を、波止場では筋骨たくましい男性を「恋人」としてスカウトする
  • 当代一の名医を呼び、自分の体に女性器を作る手術を受ける

ここまでくると、一体どこまでが真実か分からなくなってくる。
ただし、一連のエピソードは皇帝が男性との関係をおおっぴらにしていたことを示していると考えられるだろう。

皇帝の「彼氏」ヒエロクレスと「恋敵」ゾディクス

ヘリオガバルスには、妻も他にも彼氏、つまり男性の恋人がいた。
彼の名はヒエロクレス。
奴隷身分の戦車乗りで、ヘリオガバルスが戦車競技を観戦中に、たまたま皇帝の前に落馬してお目通りがかなったと言われている。

ヒエロクレスは性のテクニックに通じており、ヘリオガバルスを虜にしたという。
一方ヘリオガバルスはヒエロクレスを尻目に男漁りし、彼から罵倒されて顔を殴打されて青あざを作った。
皇帝に対し暴力を振えば普通なら大逆罪として死刑にもなりそうなものだが、彼らの間では性の「プレイ」なのだ。

さて、ヘリオガバルスのエージェントが見つけた恋人候補に、ゾディクスとうアスリートがいた。
彼は筋肉たくましい肉体もさることながら、イチモツが立派だった。
もちろんヘリオガバルスもゾディクスを気に入り、彼が「陛下」と挨拶しても、「陛下と呼ばないで、私は女なのよ」と媚を売る始末。

この状況にヤキモキしたのがヒエロクレスだ。
ゾディクスが「新恋人」に収まろうものなら、自分は間違いなくお払い箱にされるだろう。
そこで、彼は友人を宮廷に忍ばせ、ゾディクスの料理に精力減水剤をまぜさせた。

夜になり、ゾディクスが皇帝といざ事に及ぼうとしても、肝心のイチモツが役に立たない。
怒ったヘリオガバルスによって、ゾディクスはイタリアを追われ、ヒエロクレスは事なきを得たという。

ちなみにローマではギリシア文化が入ってきて以降、男性同士の同性愛自体は受け入れられた習慣だった。
同性愛を嗜んだ皇帝では、五賢帝の一人ハドリアヌスが美少年アンティノウスを愛していたことは有名だ。

しかしローマの同性愛にはルールがある。
家父長制の強いローマでは、身分や地位の高いものが低いものに奉仕するのはタブーとされていた。
ましてや皇帝が女役に徹するなどもってのほか。
ヘリオガバルスは自分が女役になっていることを公に知られたことで、ローマの人々から眉をひそめられたのである。

もっともヘリオガバルスにとって、女装(と見られた扮装)をしたり、性交渉の場で「受け」に回ることはタブーではなかった。
なぜなら、彼の信奉するヘリオガバルス神は、男性的な不敗神話とともに、豊穣を約束する女性的な側面があり、その女性性を祭司として表現したに過ぎなかったからである。

宗教改革者ヘリオガバルス

ローマ神の序列変更

性の倒錯ですら、信仰の表現でしかなかったヘリオガバルス。
その彼が、ヘリオガバルス神をローマでメジャーにしたいとの思うのは、自然な流れだった。
御神体との旅路でも書いたとおり、シリアからローマ入りするまで立ち寄った各都市に、ヘリオガバリウムを建立し、祭司団を結成させている。

そしてヘリオガバルスは、彼の思いを実現させるため、ローマの伝統宗教を大幅に変更する、いわば宗教改革を行うことになるのである。

最高神ユピテルを下僕に

ローマの宗教は、最高神ユピテルを頂点としてユノー、ミネルバという女神を加えた主要三神がおり、その他大勢の神々が彼らの下に集う多神教である。

ヘリオガバルスは、この神々の序列を変更する。
彼はヘリオガバルス神を、最高神ユピテルをも従える存在としたのだ。

ヘリオバリウムにローマ伝統神の神具を集める

ヘリオガバルスは、パラティウムの丘にヘリオガバルス神の神殿ヘリオガバリウムを建立し、さらに第二神殿をローマの城壁外にも建てさせた。

この神殿に、ローマの神々の象徴である神具を集めさせた。
集めたものは、次の通り。

  • ウェスタの火
  • キュベレの御神体
  • マルスの盾など

これら神具をヘリオガバリウムに奉納することで、ローマ神の序列をはっきり示したのである。

女神ウェスタとの結婚

さらに彼はヘリオガバルス神とローマ伝統神を結びつけるため、神々の結婚を演出した。
ヘリオガバルス神の相手は女神ウェスタ。
ヘリオガバルスの女性関係と結婚でも記述したように、この演出を現世に投影したのが、皇帝自身とウェスタの巫女セウェラとの結婚だった。

しかしこの結婚は非難を浴びたため、彼はヘリオガバルス神を離婚させ、カルタゴ起源の別の神、月の女神デア・カエレスティスと再婚させたようである。

ヘリオガバルス神に捧げる儀式

祭司団を引き連れて行進するエラガバルスの絵画
祭司団を引き連れて行進するヘリオガバルス
ダークヒストリー3 図説ローマ皇帝史  より

ヘリオガバルス神の信仰を根付かせるためか、ヘリオガバルスは様々な儀式をおこなった。

  • 毎朝の脱毛
  • シリア風のシルク服に豪華な装身具を身につける
  • 顔に白粉を塗り、アイシャドウで厚化粧
  • 楽器を打ち鳴らし、いかがわしい(と思われた)女達を引き連れる
  • 皇帝自身も奇妙なダンスを踊り、ヘリオガバリウムへ向かう

さらに神殿ヘリオガバリウムでの様子は次のようなものだ。

  • 屠った牛や羊の血を混ぜたワイン捧げ、香を炊く
  • 神の聖歌を唱い踊りながら、祭壇の周りを回る
  • 少年を生贄に捧げる
  • 神殿内にライオンや猿、蛇を閉じ込め、切除した男根を火に投げ入れる

最後の2つは誇張臭いが、東方起源の宗教はしばしば人々に理解し難い秘儀を伴っていた。
ローマに住む人々にとって奇妙に見えた上記行動は、シリアで祭司職を務めた皇帝には、毎日の習慣でしかなかったと思える。

ヘリオガバルスはまた、信者に必要な割礼を自分自身に施していた。
しかし割礼は2世紀の後半から法律で禁止されており、手術依頼者は財産没収の上追放刑、執刀医は死罪だったのだ。
もちろん皇帝に、そのような法律が適用されるはずなどなかったのだが。

ヘリオガバルス神の祭典「御神体大移動」

夏に行われるヘリオガバルス神の祭典も、ローマに住む人々にとっては馴染みのないものだった。
この祭典は、パラティウム丘に祀られている御神体が、市壁外の第二神殿まで運ばれるというイベントだ。

具体的には次のように祭典が進行した。

  1. 通り道には砂金がまかれ、両側に人々が立ち並ぶ
  2. 神々の像や御神体、奉納品が近衛兵に護衛されながら運ばれる
  3. それらの行列が通ったあと、両側の人は花を投げて祝福する
  4. 最後に、皇帝に先導された太陽神の御神体が、六頭の白馬に引かれた戦車に載って運ばれてくる

クライマックスの太陽神御神体パレードでは、皇帝が御神体に尻を向けないよう、後ろ向きに行進するという念の入れようだった。

御神体を戦車にひかせる様子を図柄にしたコインの写真
御神体を戦車にひかせる様子を図柄にしたコイン
Classical Numismatic Group, Inc.   [CC BY-SA 3.0  ]

そしてパレードが神殿に到着すると、ヘリオガバルスは塔に登り、見物人に次のような金品を投げ落とした。

  • 銀のコップ
  • 衣服
  • (宗教的に嫌われた豚以外の)家畜など

これらの「プレゼント」を得ようと大勢の人が押しかけたため、見物人の中には圧死者も出たらしい。


ローマに住む一般の人々にとってヘリオガバルスの「宗教儀式」は、おそらく奇妙な行事としての見物の対象や、お祭りが一つ二つ増えたような感覚だったのかもしれない。
ただし、ヘリオガバルスに付き合わされた元老院議員などの上流階級の人々、また近衛兵たちにとって、ヘリオガバルスは憎むべき対象に変化していったのである。

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