ヘリオガバルス ―エラガバルスとも呼ばれる奇行を繰り返した反抗期の祭司皇帝―

奇行を繰り返した祭司皇帝ヘリオガバルス

贅沢皇帝ヘリオガバルス

若干15歳で皇帝となったヘリオガバルスだが、彼が治世を通じてローマ皇帝の役割を理解していたか疑わしい。
皇帝には、専用に財産を管理する皇帝公庫がある。
いわば巨大なポケットマネーだ。
ただしこのお金は皇帝個人だけに使える財産というより、ローマ帝国の運営で足りない箇所や、もしものときに必要なお金だった。

しかしヘリオガバルスは、彼個人の贅沢に湯水の如く使っていくのである。

ヘリオガバルスの贅沢伝説

ではヘリオガバルスはどのような贅沢をしたのだろうか。
彼の行った散財は、次のようなものだ。

  • プールにサフランやローズウォーターの香料を入れないと泳がない
  • 宮殿のあらゆる場所にユリ・バラ・すみれ・ヒヤシンスなどの花をまき散らせる
  • 内陸に海水のプールを掘らせる
  • 純銀の長椅子では満足できず金箔で覆わせ、さらにうさぎの毛皮かキジの羽毛(それも翼の内側の柔らかい上級品)を詰めたクッションを敷く
  • 黄金の便器(携帯用?)とシマメノウのし尿瓶を作らせる
  • 真夏は厚いからと、宮廷の庭園に雪山を作らせる

などなど。

また、彼は自分だけでなく、ローマ市民も楽しませることが好きだった。
皇帝が慣例的に行うお土産を与えたり、剣闘士競技や戦車競技も頻繁に開催。
さらに首都の運河で模擬海戦も行った。

ただしこの模擬海戦にも凝った趣向をこらせている。
ヘリオガバルスはなんと模擬海戦を行う運河をワインで満たさせたという。
こんなことを本当に行ったら、イタリア中のワインが一日でなくなってしまいそうだが、このような逸話が残るほど、度肝を抜く贅沢をするのが楽しくて仕方がなかったのだろう。

食道楽皇帝

しかしヘリオガバルスの贅沢の中でもっとも有名なのは、食へのこだわり。
ヘリオガバルスは、食道楽で有名な1世紀の人物、アキピウスのレシピに書かれたものを食べるのが好きだったようだ。
例えば次のようなものである。

  • ラクダのかかと
  • 生きたまま切り取られた鶏冠(とさか)
  • クジャクやウグイスの舌
  • ダチョウの脳みそ

また彼は宴会に人を招くのも好きで、廷臣たちには

  • フラミンゴの脳
  • ヤマウズラの卵
  • ツグミの脳
  • オウム、キジの頭
  • ボラの腑

などが振る舞われたという。

さらにヘリオガバルスはソースにもこだわりを見せた。
魚料理には、海を再現する青い色のソースがかけられ、ソースの発明コンテストも行われたらしい。

私からすれば、彼の食べているものはゲテモノ臭いのだが、普通の食に飽きている人間にとっては、珍しさこそ食通の証だったのかもしれない。

ヘリオガバルスの「饗宴」

堕落の象徴として、しばしば映像化されてきたローマの饗宴。
その実態として、重要な商談や政治的会合のために用いられる外交的な側面が強かったことは、ケーナでの晩餐について―ローマの上流階級は本当に自堕落な食生活だったのか―で書いたとおりだ。

歴代の皇帝たちも部下や国賓をもてなすため、饗宴をしばしば開催したが、ヘリオガバルスのそれは、度を越して贅沢だった。
例えば夏の饗宴で使用する会場を、青や緑などの色で統一する。
これはまだかわいいほうで、宴会の天井に回転する装置をつくって大量の花を仕掛け、宴会途中に一斉に落とす。
中には花に埋もれて死んだ人もいたという。

花びらを宴会に降らせるエラガバルスの絵画
花びらを宴会に降らせるヘリオガバルス
ローレンス・アルマ=タデマ [Public domain]

そして極めつけは「宴会マラソン」。
参加者の自宅に一品ずつ料理を用意し、各家を順次訪問しながらコース料理を堪能する。
参加者は1日で回りきれなかったらしいが、その割には休憩がてら入浴を楽しんだり、女性と戯れたりしているので、全部食べきれなくても問題なかったのだろう。

いたずら皇帝ヘリオガバルス

ペット大好き皇帝

ヘリオガバルスはペット大好き人間としても有名だ。
彼の飼っていた動物の例は、以下の通り。

  • 犬や馬
  • ライオンや豹などの猛獣
  • カバやワニを始めとする、エジプトのあらゆる動物

またペットに与える餌も贅沢だった。

  • 犬にはガチョウの肝臓
  • 馬にはシリアから取り寄せたブドウ
  • 猛獣にはツグミやオウムなど

宮廷は動物園さながらの様子ではなかったかと思ってしまう。

豪快ないたずらエピソード

ヘリオガバルスもティーンエイジャーの遊びたいざかりで、いたずらが大好きだった。
しかし彼は皇帝としてあらゆるものを持っているので、付き合う方はたまったものではない。
ヘリオガバルスが行ったいたずらは、次のようなものである。

  • たくさんの人が集まる競技途中の群衆の中に、何百もの蛇を放つ
  • 饗宴に来た客に、レプリカの料理を振る舞い、自分はそれを尻目に本物の料理を食べる
  • 酔いつぶれた客を部屋に閉じ込め、夜中にペットの猛獣を入れる(飼いならしているため、噛みつかれる心配はないが……)
  • 蜘蛛の巣を300kg集めてくれば賞金を出すと約束する(奴隷たちは首都から3トンも蜘蛛の巣を集めたらしい)
  • ミッシリアというクジに「ハエ10匹」などハズレを用意する(通常は食品や貴金属などの景品)

ヘリオガバルスのいたずら好きや、気前のよいハデなパフォーマンスは、民衆には人気があったようである。
しかし彼のもとで政治を行う元老院議員や近衛兵たちに、ヘリオガバルスは見切りをつけられつつあった。

そしてそれを敏感に感じていたのは、彼を担ぎ出した張本人である、ユリア・マエサだったのである。

ヘリオガバルスの最期

母と娘の対立

ヘリオガバルスが皇帝に擁立されてから、自由奔放でまともに政務を行わなくても、大きな混乱がなかったのは、祖母マエサと母ソアエミアスのおかげだった。
彼女たちはヘリオガバルスの代わりに、影で国政を取り仕切っていたようである。

しかしヘリオガバルスの度重なる贅沢や背徳、ヘリオガバルス神を祀る祭司優先の態度が、ローマのとりわけ上流市民から受け入れられていないことを、祖母マエサは感じ取っていた。

だが孫にそのことを注意しても、皇帝は頑として聞き入れない。
おそらくヘリオガバルスの年齢からして、反抗期真っ盛りだったのだろうと思う。
さらに母ソアエミアスがヘリオガバルスの「奇行」を肯定したため、マエサとソアエミアスは対立。

このままでは自分の身も危ないと感じたマエサは、ついにヘリオガバルスを廃位する決意を固めた。

従兄弟アレクサンデルを養子に

そこでマエサは、もうひとりの娘ユリア・ママエア(ソアエミアスの妹)と結び、ママエアの子でヘリオガバルスの従兄弟であるアレクサンデルを後継者に仕立て上げることにした。

マエサはまず、

皇帝が祭司を兼業しつつ国務を果たすには荷が重すぎるので、従兄弟を養子にして国務を任せてみてはどうか

と言葉巧みにヘリオガバルスを説得し、まんまとアレクサンデルを皇帝の養子とすることに成功した。
さらにアレクサンデルに「カエサル」の称号を与え、正当な後継者にも祭り上げたのである。

実はアレクサンデルはヘリオガバルスとは違い、母ママエアがローマ的な伝統に則って教育された人物。
東方の習慣を頑として曲げない享楽志向のヘリオガバルスより、上流階級、特に近衛兵たちから人気を集めることを、マエサは期待していたし、事実そうなっていったのである。

従兄弟と執政官就任

これに焦ったのはヘリオガバルスだ。
彼はアレクサンデル人気に危機感を抱き、アレクサンデルに蟄居(ちっきょ)を命じた。
その一方で、彼はアレクサンデルが重病で死にかけていると公表したのである。

しかしことの真相を知る近衛兵は、ヘリオガバルスに抗議する。
彼らに迫られたヘリオガバルスは、慌ててアレクサンデルを彼らの前に連れ出し、近衛兵をなだめなければならなかった。

さらに近衛兵の機嫌を取るため、人気者のアレクサンデルとともに執政官職に就任する。
だがヘリオガバルスはアレクサンデルの人気を嫌い、彼と共に同じ席に姿を見せることはなかった。

そして苛立つヘリオガバルスはついに皇帝に敬意を払わない近衛兵を逮捕するように命じた。
彼にしてみれば、近衛兵に皇帝の権威を示そうとした起死回生の手だったのだろう。
しかしこの命令が、自らの死刑執行状となったのである。

近衛兵の離反と母子の暗殺

逮捕命令で火に油を注がれた近衛兵たちは、222年3月11日、ついに宮殿に乱入した。
ヘリオガバルスは箱に隠れて運んでもらい逃げようとしたが、発見されてしまう。

母ソアエミアスは息子を抱いてかばったが、結局2人とも首をはねられて殺された。
ヘリオガバルス、享年18歳。
ヘリオガバルスは首だけでは済まず、手足をもがれ、遺体はローマ市中を引き回されて、ティベリス川になげこまれた。

さらに彼の愛人ヒエロクレスや彼の支持者たちも、数時間のうちに追い詰められて殺されてしまったのだった。

今回のまとめ

ヘリオガバルスについて、もう一度おさらいしよう。

  • ヘリオガバルスの実家は、シリアの太陽神「エル=ガバル」の祭司を代々務める家系だった
  • ヘリオガバルスはセウェルス朝の縁者で、祖母マエサによって若干15歳にして皇帝に擁立された
  • ヘリオガバルスは皇帝というより祭司そのもので、彼の実家や礼拝の慣習を実践した
  • ヘリオガバルスは皇帝の権力や財力を利用して、贅沢三昧に明け暮れたが、最後はマエサの策謀で近衛兵の離反を招き、母とともに暗殺された

ローマ帝国史上、最悪の皇帝と評価されるヘリオガバルス。
しかし彼の不幸は、15歳の遊びたい盛りで反抗期真っ只中に、身内の権力欲によって利用されたのが原因と言えるだろう。
皇帝という肩書を外せば、ただのやんちゃな子供。
その彼に巨大な帝国の舵取りを任せるのは、まだ早すぎたのだ。

本記事の参考図書

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