オクタウィアヌスⅤ ―フィリッピ後の協定からペルージア戦争まで―

オクタウィアヌス カエサルの遺志を継ぐ青年

アントニウス、レピドゥスと共に「国家再建三人委員会」を結成したオクタウィアヌス。
後世「第2回三頭政治」と呼ばれることになる体制を確立し、お互いの利権を約束し、統治の分担を決める。

またイタリア国内では悪名名高い「公権剥奪公示」を実行して、三人委員会に反対する勢力勢力の命と財産を奪っていく。

一方東方では、カエサル暗殺の首謀者であるブルトゥスとカッシウスが兵を組織し、一大勢力となっていた。

カエサルの暗殺者たちと戦うため、アントニウスとオクタウィアヌスはレピドゥスをイタリアに残し、ギリシアへと向かう。
決戦の地はフィリッピ。
兵站に不安を残しながらも2回の激闘のあと、オクタウィアヌス・アントニウス連合軍はついにブルトゥスとカッシウスを破り、勝利することができた。

しかし度重なる体調不良で、不本意な結果しか残すことができなかったオクタウィアヌスには、さらなる苦難が待ち構えていた。

オクタウィアヌス、アントニウスと今後の方針を決める

フィリッピの戦いでブルトゥス・カッシウスに勝利したオクタウィアヌスとアントニウスは、三人委員会で統治する今後の方針をきめる。
といっても勝利者は誰の目から見てもアントニウスであり、実際彼が主導権を握って方針を定めていった。

アントニウスの担当

まず、ブルトゥス・カッシウスが居座っていたために、手つかずになっている東方の再編成は、アントニウスが担当する。
再編成後は、カエサルの暗殺で頓挫していたパルティアへの遠征を計画する手筈である。

また、レピドゥスの担当であるガリア・ナルボネンシス(南仏)もアントニウスの統治下に組み込まれ、ガリア・キサルピナを除くガリア全域はアントニウスの領分となった。

オクタウィアヌスの担当

一方のオクタウィアヌスは、イタリアでの諸問題を解決することが決まった。
その問題とは次の2つ。

  1. 退役兵たちに分け与える土地の確保
  2. シチリアを実質上領有するセクストゥスの対処

どちらも頭の痛い内容であったが、後ほど説明するように、特に(1)はオクタウィアヌスにとって重い問題だった。

またレピドゥスの担当地域であるヒスパニア全域を、オクタウィアヌスの領分として組み込まれることになる。

レピドゥスの担当

ではレピドゥスはフィリッピの戦いの後、どうなったのだろう。

レピドゥスはイタリアに残っていたせいで、自分の立場を大きく後退させていた。
おまけにシチリアにのさばるセクストゥス・ポンペイウスと内通していた疑いをかけられ、レピドゥス自身でもその疑いを晴らすことができなかったため、自分の領有していた属州を手放すことに同意するしかなかったのである。

彼がもう一度表舞台に戻ってくるのは、2年後のことになる。

ガリア・キサルピナについて

アントニウスが手放したガリア・キサルピナは、今後属州ではなくイタリアに組み込まれることとなった。
なぜか。

ルビコン川以北、アルプス以南の現在の北イタリアに当たるこの土地は、もともとガリア人が住んでいた場所だった。
だが、時代が下るにつれてローマ人の入植も進み、この地はローマ化が著しくなる。
加えてカエサルがこの地の属州総督となったことで、とても有効な使い方ができることを学んだ。
つまり軍事力を持つことができる属州総督がその気になれば、 わずか数日でローマに到達することができたのだ。

ガリア・キサルピナの本国組み込みは、第2のカエサル出現を防ぐ意味でも、非常に有効な手段だったのである。

フィリッピの戦いの敗残兵14,000はアントニウス・オクタウィアヌス軍に組み込まれた。
カエサルの古参兵4万はイタリアに送られて市民生活に戻り、残りの11個軍団を

  • アントニウス:8個軍団
  • オクタウィアヌス:3個軍団

に分けられることが決まった。

アントニウスは8個軍団を従えて意気揚々と東方へ。
一方のオクタウィアヌスは、重い仕事を「任されて」イタリア帰国の途についたのだった。

オクタウィアヌス、イタリアに帰還する

イタリアに帰還したオクタウィアヌスは、退役兵たちの年金とも言える、土地確保に乗り出した。
しかしオクタウィアヌスの担当でも記したように、土地を確保するには非常に困難な状況だったのだ。
理由は次の2点。

  • 退役を望む兵があまりにも多く、イタリア本国だけでは土地がたりなかった
  • 戦争続きで国庫がカラになり、土地を強制的に買い上げることもできなかった

退役後の生活を保証することは、軍を率いた司令官の責任であり、もし面倒を見られなければ将軍としての力量を疑われるだけでなく、見限られる恐れもあった。
といって土地所有者から無理やり土地を奪えば、不満をつのらせた市民たちが暴動を起こすことにもなりかねない。

苦渋の選択を迫られたオクタウィアヌスは、結局イタリアから18の都市を選び、土地を没収することに決める。
しかし土地はこれでも足りず、力ずくで奪おうとするものまで現れる始末。

この状況を見捨てておけないオクタウィアヌスは、兵士をマルスの野に集めた。
彼は徒歩で向かうと、兵士たちに

  • 土地の配分の仕方を説明
  • いくらかの報奨金の支給
  • さらなる報酬の申請受付

を行う。

また兵たちに渡す土地がないからと言って、数年前の公権剥奪公示のような、強硬な手段に訴えることは控えた。
オクタウィアヌスは、このようなやり方が国内の不満を根本的に解決できないことを学んでいたのである。

しかし退役兵と、土地を没収された市民の不満はまだ収まらず、さらにオクタウィアヌスに力を貸したと思われる人々を兵たちが殺したことにより、市民と兵たちの関係も悪化した。
そして彼らは衝突し、いつしかそれはオクタウィアヌスへの抗議行動と暴動にまで発展。
この騒動は、ローマだけでなくイタリア各地でも起こりだす。
とくにイタリア北部から中部にかけてのエトルリア、ウンブリア、サビーニ地方の抵抗は激しかった。

さらにこの機会を利用し、オクタウィアヌスを追い落とそうとするものが現れた。
アントニウスの弟であり、前41年の執政官の一人だったルキウス・アントニウスと、マルクス・アントニウス(三人委員会の方)の妻、フルウィアである。

アントニウスの弟、アントニウスの妻とともにオクタウィアヌスに戦いを挑む(ペルージア戦争)

執政官ルキウスは、土地を奪われた農民たちに同情する一方で、オクタウィアヌスのネガティブキャンペーンと、兄アントニウスへの積極的支持を訴えた。
ルキウスはこの混乱を機会に、オクタウィアヌスの支持層をアントニウス側へとひっくり返そうとしていたのである。

さらにルキウスは、不満をつのらせている兵を集めて挙兵。
また男勝りのフルウィアも独自に兵を徴募し、自ら兵たちに命令を出すという、ローマ女性では前代未聞の荒業をやってのける。

8個軍団(およそ40,000人)を従えたルキウスとフルウィアはローマを制圧すると、兵を引き連れて北へと進軍開始。
目的はガリアにいるアントニウス派の将軍たち、カレヌスやウェンティディウス、ポッリオと合流すること。

また南では、古参兵の入植に従事していたアントニウス派の将軍プランクスが、 フルウィアの要請で軍隊を徴収し、ルキウスたちとの合流を画策していた。

オクタウィアヌスは直ちに、赴任予定のヒスパニアに向かう途中だったサルウィディエヌスに引き返すよう指示。
またオクタウィアヌスは兵を集め、アグリッパとともにルキウスの北進阻止へと向かった。

ルキウスたちは強行突破を図るが、合流をはたしたサルウィディエヌスとアグリッパに阻止され、ペルシア(現在のペルージア)に立てこもる事を選択。
アントニウス派の将軍たちが救援に駆けつけることを期待してのことだ。

オクタウィアヌスはただちにペルシアの町を包囲し、およそ10キロに及ぶ溝と壁を作らせて封鎖した。
また、ウェンティディウスとポッリオが率いる北の軍と、プランクス率いる南の軍を合流させたくないオクタウィアヌスは、アグリッパとサルウィディエヌスを派遣する。

結局オクタウィアヌスの将軍たちに合流を阻まれたアントニウスの将軍たちは、ローマ兵同士で戦いたくない兵士たちの士気や、なによりルキウスとの共闘にそこまで熱心でなかったため、オクタウィアヌスと戦うことなく引き返した。
これでルキウスたちは完全に孤立したのである。

子どものケンカ?

ペルシア包囲戦では、ルキウス、オクタウィウス双方でカタパルト(てこの原理で石や鉛の球を発射する飛び道具)を使用し相手を攻撃していた。
このカタパルトで発射された砲弾に、ルキウスとオクタウィアヌス双方の悪口が刻まれてる。
その悪口とは、一例を上げると次のようなものだ。

  • オクタウィアヌスのケツの穴を貸せ
  • オクタウィアヌスはフニャチンだ
  • ルキウスのはげ頭
  • フルウィアのクリトリスがほしい

この時代、お互いの非難を砲弾に刻んで放つことは、よくあったようである。
それにしても悪口の内容だけ見ると、「子どものケンカか?」と突っ込みたくなる内容ではないだろうか。

オクタウィアヌス、ペルージア戦争に勝利する

ペルージアに立てこもる兵たちは、何度もオクタウィアヌスの包囲に攻撃をかけるも、ことごとく失敗。
前40年2月頃、打つ手のなくなったルキウスは、オクタウィアヌスに降伏した。

ルキウスは軟禁されたが、やがて彼は釈放されヒスパニアの総督となり、現地へ赴任した(ルキウスはヒスパニアで亡くなっている)。
おそらくオクタウィアヌスは、兄アントニウスと事を荒立てたくなかったのだろう。
また降伏した兵たちも、許された。

しかし戦争捕虜たちの運命は悲惨だった。
町から逃げ出すことができなかった彼らは、オクタウィアヌスによってすべて処刑された。
この捕虜の中にいた元老院議員や騎士階級の人間300人が選ばれ、カエサルが暗殺された3月15日に、カエサルに捧げられた祭壇の前で生贄として殺されたと言われている。
ペルシアの町は軍によって略奪され、事故によって発生した火災によって焼け落ち、滅びることとなった。

生贄の真偽のほどはともかく、この話からもオクタウィアヌスの裏切り者に対する怒りが私には伝わって来るように思える。
オクタウィアヌスは、失敗には非常に寛容だった。
だが、一度オクタウィアヌスを裏切った人間には、必ずそれなりの運命が待ち構えていたのだ。
オクタウィアヌスに長年付き合ってきた、信頼する盟友でさえも。

ペルージア戦争の背景

ここでペルージア戦争を一度総括しようと思う。

ペルージア戦争は表面だけをなぞると、アントニウスの弟ルキウスと妻フルウィアが結託し、イタリアそのものをアントニウス派で固め、さらにオクタウィアヌスをローマ政界から追放しようとした政治劇である。

しかしその背景にあるのは、もともとの盟主である「都市国家ローマ」とそれ以外のイタリア諸都市との最後の戦いだった。

イタリアの地方都市は、ペルージア戦争からさかのぼること50年ほど前、同盟市戦争でローマと争い、彼らだけでコミュニティ「イタリア連邦」という国家を創ろうとしたことがあった。
それはローマに長年助力してきたにもかかわらず、ローマが常に「上」の立場にあったからである。

そのローマとの争いは、地方都市にいる市民の権利の獲得によって、一旦は終息していたが、不満の火種はくすぶっていたのだ。

それがオクタウィアヌスの退役兵処理により、土地を無理やり取り上げられたことで一気に表面化したのである。
だからこそ、地方都市の一つであるペルージアも、ルキウスとともに「ローマ側」であるオクタウィアヌスに対して、頑強に抵抗したのではないだろうか。

オクタウィアヌス、ガリア・コマタの軍を無断で自分の軍に組み込む

ペルージア戦争の結果、アントニウス派のポッリオとウェンティディウスはガリアには戻らずアドリア海へと去り、またプランクスはフルウィアとともに兵を捨てて、アントニウスの待つギリシアへと逃れた。
またこの戦いで難を逃れた共和政派の人々は、セクストゥスやアントニウスのもとに身を寄せた。

ペルージア戦争は、オクタウィアヌスにとって同僚や年長のものに助けを借りず、独力で大きな問題を解決した初めての経験だった。
卑近な例で申し訳ないが、RPGで言えば自分(とその仲間たち)で中ボスを倒せたようなものだったに違いない。

しかしペルージア戦争に勝利し、イタリアの騒動を解決したとはいえ、オクタウィアヌスの状況は相変わらず芳しくなかった。
なぜなら、オクタウィアヌスを取り囲むのは、敵だらけだったからである。

  • アルプスより向こうの全ガリアは、アントニウス派のカレヌスが統治
  • ポッリオが共和政派のアヘノバルブスを取り込んだことで、アドリア海はアントニウス派が制海権を握る
  • シチリア島を支配する、セクストゥス・ポンペイウスによって、海上封鎖が続く
  • ヒスパニアではマウリタニア(北アフリア西部、現在のモロッコあたり)に攻撃される
  • アフリカでは派遣した元百人隊長が攻撃にあい戦死
  • そして東方全域は、アントニウスが再編成と称した実質的な統治

オクタウィアヌスもこの状況を打開しようと、セクストゥスと同盟するため彼の義理の叔母であるスクリボニアと結婚した。
しかしセクストゥスはアントニウスとも同盟を図る動きをみせていたので、オクタウィアヌスの状況は改善せず。

このような中、オクタウィアヌスに幸運が舞い降りた。
ガリアの総督だったカレヌスが死んだのである。
オクタウィアヌスがガリアに向かうと、カレヌスの息子は無条件でガリアの11個軍団をオクタウィアヌスに引き渡したのだ。

オクタウィアヌスは、ガリアを古くからの盟友であるサルウィディエヌスに一任すると、イタリアに戻った。
だが、そこで待ち受けていたのは、ブルンディシウムをアントニウスが包囲し、攻撃をかけているという事態だった。

ルキウスとフルウィアの件は、彼らが独断で起こした行動であり、フィリッピの戦いの後、イタリアの問題をオクタウィアヌスに任せるとした手前、アントニウスが積極的に介入する口実はなかった。
だがオクタウィアヌスが無断でガリアの軍団を自軍に引き入れ、自分の部下をガリアの総督に据えることは完全に協定違反であり、アントニウスに対する戦線布告に等しかったのである。

オクタウィアヌスは、ブルンディシウム攻囲の知らせを受け、自分が重大なミスを犯したことを悟ったに違いない。
周りは敵対者に取り囲まれた状況。
そして最大の実力者であるアントニウスが、オクタウィアヌスを潰すため、ついに牙を向く。

オクタウィアヌスの命運は、もはや風前の灯火だった。

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