古代ローマの庶民の食事 ―普段食べていたものや外食事情について―

普段は慎ましやかな古代ローマの庶民の食事

あなたは古代ローマの食事というと、どんなものを想像するだろうか。
よく描かれるのは、映画などでおなじみのベッド(のようなもの)に寝そべって、豪華な食事を優雅に食べる姿だろう。

食料の配給と娯楽(見世物)、いわゆる『パンとサーカス』によって堕落したとされる古代ローマ人。
しかし上記のような食事ができるのは、古代ローマ社会のなかでも1割にも満たない人々で、あとの9割は慎ましやかな生活をおくる庶民たちだった。

では古代ローマの庶民たちはいったいどんな食事をとっていたのだろうか。
この記事では次のことを書いていく。

  • 古代ローマの1日の食事回数と呼び方
  • 古代ローマの庶民が食事で食べていたもの
  • 古代ローマの庶民が食事で利用した外食店
  • 時には庶民に振る舞われた古代ローマ有力者の豪華な食事

それでは古代ローマの庶民の食事について、さっそく見ていこう。

古代ローマの1日の食事回数と呼び方

庶民がどんなものを食べていたのかを書く前に、まずは古代ローマ時代の1日の食事のとり方を説明しよう。

古代ローマでは、1日の食事はだいたい3回。
初期の頃は次のような形で食事をとっていた。

朝食:イエンタクルム
昼食:ケーナ
夕食:ウェスベルナ

なかでもケーナは、1日でもっとも量が多かった。

理由はおそらく次の2つ。

  • もともと古代ローマ人は農耕民族だったので、肉体労働である農業を支えるため昼間の食事をしっかりとった
  • 贅沢ができるほど食の種類がなかった

しかし時代が進み、ローマ周辺の植民地化が進むと、そこから仕入れる豊かな食材で豪華な食事を取ることができるようになった。
さらに都市に住む人々は肉体労働から解放され、暑い昼間は食欲がおこらなかったため、ケーナは夕食へと移行する。

それに伴い、ウェスベルナは夕食後に食べる食事(夜食)へと変化し、移行したケーナのかわりに昼食をブランディウムと呼ぶようなっていった。
つまり、古代ローマの食事は次のように変わったのである。

朝食:イエンタクルム
昼食:ブランディウム
夕食:ケーナ(晩餐の場合あり)
夜食:ウェスベルナ(ケーナや酒宴が終わってから)

ウェスベルナは、晩餐のあとに出す食事のことだ。

庶民はケーナを食べるとすぐに就寝したので、ウェスベルナを食べることはほとんどなかった。

古代ローマの庶民が食事で食べていたもの

では本題の、古代ローマの庶民が何を食べていたのか、食事別に見ていこう。

イエンタクルム(朝食)での食事

古代ローマ人の朝は早く、日の出直後の午前6時から7時ごろに食べるのがイエンタクルムとよばれた朝食。
イエンタクルムで食べたものは次のようなものだ。

  • パン
  • 果物
  • チーズ

パンは現代で言うフォカッチャのような平たいパンで、これをミルクやワインにひたして食べた。
前日に残った残飯があれば、それも朝に出して食べたという。
このあたり、現代の感覚とさほど変わらない。

また、平民であればパトローヌスの家にでむき、スポルトゥラをもらうこともできた。

パトローヌス

平民(あるいは貴族であっても)をさまざまな形で支援する、私的な保護者のこと。
パトローヌスは見返りとして、政治活動における票の獲得や、(兵士などの)人的支援や労働力を被保護者(クリエンテス)から提供してもらう。

スポルトゥラとは、小さなかごに入った食べ物。
パトローヌスから受け取ったら、

  • すぐに食べる
  • 取っておく
  • 妻子に分け与える

など、好きにしても良かった。
中でも変わっているのが、売ったり何かと交換してもいいということ。

スポルトゥラをもらうため、大きなパトローヌスの邸宅には朝から行列ができていたという。

ブランディウム(昼食)での食事

ブランディウムとよばれる昼食は、簡単に食べるか、あるいは食べないことも多かった。
古代ローマ人はブランディウムに食べたものは、次の通り。

  • パン
  • マメか粥
  • 冷えた魚や肉
  • 前の晩の残り物
  • オリーブ
  • 果物
  • チーズ

など。

また基本的に昼間は働きに出るため、食堂で食べる人もたくさんいた。
古代ローマの都市には外食用の店があり、そこでは簡単に食事をとれるものが売っていたのである。

外食で利用するために、どのような店があるのかは古代ローマの庶民が食事で利用した外食店で詳しく説明する。

ケーナ(夕食)での食事

前述したとおり、1日のうちで一番多くの量をとる夕食ケーナ。
古代ローマ人は日が暮れると眠ってしまうため、ケーナは夕方の4時から5時ごろ、日が暮れる前に食事をする。

庶民の食事は慎ましいもので、次のようなものを食べていた。

  • スぺルト小麦のポレンタ(粥)
  • ヒヨコマメ、ヒラマメ、エンドウマメを煮たスープ
  • ブルメンタリア(乾燥肉)

※たまにしか食べない

豪華食事にありつきたいものは、公衆浴場(テルマエ)に赴いた。
すると、たまに上流階級の人間と知り合いになり、晩餐会に呼ばれることもあったらしい。

晩餐会がどのようなものかはケーナでの晩餐について―ローマの上流階級は本当に自堕落な食生活だったのか―に詳しく書いているので、ぜひご覧いただきたい。

古代ローマの庶民はどのように料理をしていたか

古代ローマの住宅は、一軒家のドムスと集合住宅のインスラに分かれる。
もちろん一軒家を買えるようなものは富裕層で、調理場があり、料理をする奴隷を抱えることもできた。

しかしインスラ、特に上層階にすむ人々は、料理ができる調理場などなく、もっぱら卓上の炉を使って温める程度だった。
今で言えば携帯用のガスコンロが一家に一台あるような環境だったのである。

古代ローマの庶民が食事で利用した外食店

調理場がない庶民には、安価で手軽に食べられる料理をだしてくれる外食店(食堂)は心強い味方だ。
ここでは古代ローマにあった外食店の種類を紹介しよう。

バール

バール
Aldo Ardetti at Italian Wikipedia [CC BY-SA 3.0]

古代ローマにあった一般的な軽食屋。
現代で言えばファーストフード店に相当する。

バールの店頭にはL字型のカウンターがあり、石、もしくはセメント製。
このカウンターにはドリウムという丸い大型の甕(かめ)が埋め込まれており、甕はレンガで断熱されているので、中の物を保温、もしくは保冷することができる。
店員はここから玉杓子のような器具ですくい、客にメニューを出した。

また、カウンターで簡単に調理できるかまどや、パンを焼くかまどを備えた店もあった。

バールで売っている主なメニューは、次のようなものだ。

  • 豆入りプルス(小麦のかゆ)
  • 豚のゆで肉
  • 豚のもも肉や頭の串焼き
  • ウナギ
  • オリーブ
  • イチジク
  • ソーセージ
  • 魚肉団子
  • 肉団子
  • サラダ
  • 鶏肉
  • 野菜のマリネ
  • チーズ
  • オムレツ

など。

なおポピーナで出されていたような古代ローマの料理を、現代日本で売られている食材や調味料で再現した記事【食レポ】歴史料理本『歴メシ!』で、古代ローマ料理を再現してみたもあるので、興味のある方はご覧いただくといいだろう。

またワインを出したり、熱いお湯を出す店もあった。
ワインは古代ローマ人にとって最も親しみのある飲み物で、現在のように年代や産地によって品質がピンからキリまであった。

ワインについては古代ローマのワイン―起源やたしなみ方、当時のブランドと現代に受け継がれたワイン造り―に詳しく説明しているので、ご覧いただくといいだろう。

店内に空間が確保できる店はテーブルと椅子で客が食べることもできる。
しかしスペースが狭いと、立ち食い、あるいはテイクアウト専門で料理を売っていた。

タベルナ

古代ローマの居酒屋。
基本的な構造はバールと同じ。

タベルナは現代のギリシャやイタリアにタヴェルナとして残っている。

ポピーナ

食堂付きの宿屋。
あるいは泊まれる食堂、といったところか。

ポピーナの食堂は基本的にバールと同じ。
ただし、賭博ができる店もあった。

また、ポピーナでは働く女性店員を売春することも可能だったのだ。
女性を『買った』客は、宿に使った上の部屋で“こと”をすませた。
これは昼夜関係なかったらしい。

売春した料金は、料理の代金にプラスして精算された。


上記の他にも例は少ないが、グルグスティウムという現代のファミレスに相当するお店や、お腹いっぱい食べられるガーネアがあった。

高級料理店ケーナーティオー

庶民がなかなか利用することがなかったお店として、ケーナーティオがある。
これは現代の高級料亭のようなもので、ケーナでの晩餐について―ローマの上流階級は本当に自堕落な食生活だったのか―で説明した晩餐会ような、臥台に寝転がって食事をする店だった。

用途も現代とおなじく重要な商談や外国の使節を接待するために使われたものだろう。
部屋にはカーテンがあり、プライバシーを守ることができた。

時には庶民に振る舞われた古代ローマ有力者の豪華な食事

このように慎ましやかな食生活を送っていた古代ローマの庶民たち。
だが何かの祝い事があると、ときの権力者などから豪華な食事が振る舞われることがあった。

古代ギリシア・ローマ研究家の塚田孝雄氏は、ローマ人の食卓-庶民から皇帝まで の中で次のように述べている。

(前略)ある皇帝は競馬場を使いました。なんとこの当時から馬券があり、朝からレースが始まりお金を使い果たすのが夕方ごろ。その頃あいを見計らって皇帝が手を上げて合図すると、ラッパが鳴りお弁当とお酒が登場するんです。お弁当と言っても庶民にとってはかなり豪華で、肉あり、魚、野菜、果物もついています。お酒は、きれいな女性や美少年の奴隷が持ってきて、給仕してくれる。(後略)

ローマ人の食卓-庶民から皇帝まで

皇帝の庶民に対する人気取りも大変だったようだ。

ほとんどの市民が豪勢な食事を食べられたカエサルの饗宴

なんといって料理を振る舞ったエピソードの白眉は、カエサルの饗宴だろう。
カエサルは内乱が一段落すると、戦勝を記念してローマ市民たちにごちそうを振る舞った。

同じく塚田孝雄氏は、ローマ人の食卓-庶民から皇帝まで の中で、カエサルのエピソードを次のように語っている。

シーザーが地中海世界を統一して帰ってきた時、お金が有り余るほどありましたから、祝賀行事の一つとして2万2千席の饗宴を開いたんです。

当時の饗宴は横になって飲み食いします。1つのベッドのようなものに3人、それが3つに食卓が1つで1席です。ですから1席が9人、それが2万2千席ですから19万8千人が座ることができる。ただ、そのベッドに4人いたって構わないわけですし、入れ替わり立ち替わりやってきたことも考えると、当時の市民権を持った成年男子は32、3万人でしたから、反シーザー派を除けばほとんどの市民がご馳走にありつけた。

(中略)

上等なワインに、ウナギじゃ小さいからウツボを養魚場をやっている貴族から6千匹借り入れたり、料理組合に交渉して料理人を借りきったりしました。さらにシーザーお抱えの料理人や食通の貴族達の料理人も動員して、秘伝のご馳走を公開させたりもしたようです。

ローマ人の食卓-庶民から皇帝まで

まさに桁違いのスケールで開かれた宴。
庶民もお祭り騒ぎを堪能したに違いない。

このほかにも剣闘士の試合や模擬海戦など、派手なイベントプロデュースを行ったカエサルについては、ユリウス・カエサルとは ―ローマ帝国の礎を築いた男―にまとめている。

今回のまとめ

古代ローマの庶民の食事について、もう一度おさらいしよう。

  • 食事は基本1日三回で、朝食は早く、夕食は日が暮れる前に食べた
  • 古代ローマ庶民の食事は慎ましいもので、よく外食をしていた
  • 庶民の外食先は軽食屋のバールや居酒屋タベルナ、宿屋も兼ねたポピーナなどがあった
  • お祝いごとや記念日に、ときの有力者が庶民に豪華な食事を振る舞うこともあった

一部を除いて贅沢ができないのは、現代社会も古代ローマも同じ。
彼らはその日を暮らすため日々働き、時々豪華な食事を味わうことができるのだった。

ちなみにアッピア街道沿いには、古代ローマ時代の料理を堪能できるレストランがある。
古代ローマの料理を味わいたい方は、一度訪れてみてはいかがだろうか。

本記事の参考図書

4 COMMENTS

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通りすがりさま

コメントありがとうございます!

>ス「ペ」ルトでは?
誤字報告ありがとうございます。
確かにスポルト麦→スペルト麦でした・・・。
お恥ずかしい。

該当箇所は修正しますね。
誤字脱字報告は随時受け付けているので、ご指摘のほどよろしくお願いします。

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