ヤマザキマリ氏の漫画、テルマエ・ロマエ で一躍有名になった、古代ローマの公衆浴場。
私達日本人と同じく、古代のローマ人も相当の風呂好きだったようだ。
それは帝都ローマを訪れた外国人に、なぜ毎日公衆浴場に通うのかを尋ねられた当時のローマ皇帝の言葉にも現れている。
「1日に2回行くだけの時間をとれないからだ」
では古代ローマの公衆浴場の実態をあなたはご存知だろうか。
そこで今回はローマ人が愛してやまなかったお風呂、特に公衆浴場であるテルマエについて書いてみた。
この記事の内容は次のとおり。
- 古代ローマの公衆浴場の起源
- テルマエ(公衆浴場)の驚くべき構造
- テルマエ(公衆浴場)の各施設の説明
- お風呂大好きローマ皇帝ハドリアヌスのエピソード
- 有名なテルマエ(公衆浴場)の遺跡
あなたには、古代ローマ人がお風呂にかけた情熱をぜひご堪能いただきたい。
テルマエ(公衆浴場)の起源はギリシャにあり
帝政に入ってから本格的に作られる古代ローマのテルマエの起源は古代ギリシャに端を発している。
古代ギリシャでは、ギムナシオンと呼ばれる運動施設に公衆浴場が併設されていたらしい。
ただし、ギリシャは主に冷浴用だった。
それを温浴に変え発展させたのが古代ローマである。
個人用のお風呂は共和政末期にも存在したが、帝政に入ると初代皇帝アウグストゥスの右腕であるアグリッパがローマに娯楽施設としての浴場、いわゆるテルマエを作ってから徐々に増えていった。
また、ローマ以外の帝国各都市にも、最低1つは公衆浴場があったという。
それほどローマ人はお風呂を愛していたのである。
テルマエ(公衆浴場)の驚くべき構造
テルマエの生命線はなんと言ってもお風呂に使うお湯の供給と温室効果である。
3世紀末の皇帝ディオクレティアヌスが建設させた帝国最大規模のテルマエは実に3000人収容できる規模であったという。
これほどまでに大きなお風呂の仕組みは、どのような構造になっていたのだろうか。
お湯の供給
テルマエには薪を燃やしてお湯を温める、現代でいうボイラー室のようなものがあった。
ボイラー室にある湯沸かし器は3層構造になっており、火が当たる下の層が一番熱く、真ん中がぬるま湯、一番上が冷水の順番になっている。
湯沸かし器で温めたお湯を建物に張り巡らした水道管で、それぞれの浴室に供給できるようになっていた。
床暖房・室内暖房
さらに、お湯を温めた熱は、柱によって底を上げた床下と、隙間を作った建物の壁の間を抜けることで、床暖房と室内を温める構造にもなっていた。(イラスト参照)
この仕組みをハイポコーストという。
床が温かいので、冬場でも苦もなく人が歩ける、というだけではなく、お湯も冷めにくかった。
カルダリウムと呼ばれた熱めのお湯を張る浴室では、床もあついので持参したサンダルを履いていたようだ。
テルマエ(公衆浴場)の各施設について
テルマエは前述したとおり、単なるお風呂ではなく、総合レジャー施設だった。
そこで、どのような部屋や区画があったのか、主なものをいくつか紹介しよう。
アナトリウム(中庭)
建物の入り口付近にある中庭。
お風呂に入る前に、テルマエ利用者はアナトリウムで運動をしたり散歩を楽しんだ。
またテルマエの入場料を徴収する風呂管理者がいることもあった。
ちなみに当時の入場料は4分の1アスという記述が残っている。
1アスで安いワインが1リットル買える程度の価値だったので、とても手頃な値段設定だった。
なお、古代ローマの物価については、種類も図柄も様々!古代ローマ貨幣の価値や当時の物価についてに詳しく書いているので参考にしてほしい。
ヴェスティビュール(玄関ホール)
アナトリウムを含んだ部分。
ここで奴隷などの召使いは主人の入浴中、ウェスティビュールで待機した。
アポディテリウム(脱衣場)
服を脱ぐ場所。
壁には石のベンチや衣服を引っ掛ける釘があった。
ここには脱衣を手伝う専門の奴隷がいた。
しかし手癖が悪いものも多く、しばしば主人は自分の荷物を他の奴隷に監視させていたらしい。
フキダリウム(水風呂)
水が張ってある浴室。
水風呂はもちろん、水泳用のプールとして使われることもあった。
テピダリウム(微温浴室)
適度な温度の空気で満たされた浴室。
ぬるめのお湯で満たした浴槽があるか、もしくはお湯が張られていないこともあった。
利用者はこの部屋で体にオイルを塗り、湾曲した肌かき器をつかって体についた垢とともにオイルを落とした。
ちなみに現代でも古代ローマの肌かき器が売っているサイトを見つけたので、参考までにリンクを設定しておいた。ただしサイト自体は英語なので、あなたが語学に強いなら、ぜひご覧いただくといいだろう。
カルダリウム(高温浴室)
テピダリウムよりも高い温度の部屋。
高温の浴槽があり、利用者はお湯に入った後、併設されている浴槽の冷水をかけて体を冷やしたという。
スダトリウム(蒸気風呂)
発汗を目的とした部屋で、現代でいうスチームサウナ。
ラコニウムよりも温度は低めで、蒸気で満たされていた。
ラコニクム(サウナ室)
高温の空気で満たされた部屋。
こちらも発汗が目的の部屋で、現代で言うサウナ室。
テルマエによっては前述のスダトリウムとラコニクムがなかった施設もあった。
デストリクタリウム(肌かき器で体をこする部屋)
肌かき器で垢をこする部屋。
前述のテピダリウムよりも、こちらは専用部屋であろう。
ウンクタリウム(塗油やマッサージの部屋)
体にオイルを塗ってもらう、あるいはマッサージをしてもらう部屋。
現代のマッサージルーム。
ギムナジウム(体育館)
運動施設。
バーベルなど、体を鍛えるさまざまな器具が置いてあった。
パライストラ(レスリング練習場)
こちらはギムナジウムの一角にあるレスリングの練習をする場所。
その他、図書室、バー、レストラン、美術館など、ありとあらゆる娯楽施設があったという。
テルマエ(公衆浴場)には女性用の入浴室もあった
テルマエは日本のように混浴ではなく基本、男女別で利用されていた。
男女の利用客を分ける方法は2つあり、
- 利用する時間帯を分ける
- 施設内の利用区域を分ける
だったと考えられている。
火山の爆発により埋没した有名なポンペイ遺跡のテルマエでは、現代日本と同じく女性用の入浴室が用意されていた。
ただし日本のような同一の入り口で施設内から別の部屋に移動するのではなく、別の入り口から入場して入浴したようだ。
また、女性用の入浴室は男性用のものより一回り小さい。
これは差別的な意味ではなく、おそらく利用者の絶対数が影響していると私は思う。
女性用のお風呂もあったポンペイについて、詳しく知りたいあなたは、ポンペイ―ヴェスヴィオ火山の火砕流と灰に埋まったタイムカプセル都市―をどうぞ。
テルマエ好きの皇帝エピソードが楽しい
漫画テルマエ・ロマエ にも登場するハドリアヌスは、皇帝の中でも風呂好きで有名だった。
こんなエピソードがある。
ある時、ハドリアヌス帝が入浴している最中、一人の退役軍人が背中を大理石版にこすり付けてマッサージしているのが目に入った。退役軍人という身分を慮ったハドリアヌス帝は、この老人に助成金とマッサージをするための奴隷一人を授けた。
翌日、この噂を聞きつけた老人たちが皇帝からの恩恵に与ろうと、公衆浴場で一斉に大理石の壁で体をこすり始めた。
すると、この様子を見たハドリアヌス帝は、この老人たちを一列に並ばせ、互いの身体をマッサージしあうよう命じたという。
コインが好きで!フジタク談話室 古代ローマ人の日常①
当時日常的にテルマエに通う皇帝の姿が鮮明に想像できる上に、帝国の防衛線を再構築したハドリアヌスならではのエピソードだろう。
なおハドリアヌスがどのような皇帝だったかは、ハドリアヌス ―暴君になりそこねた、旅と美青年を愛する万能賢帝―で紹介しているので、興味のある方はどうぞ。
古代ローマの有名なテルマエ(公衆浴場)遺跡
帝国各都市で、最低でも1つは存在したと言われるテルマエ。
ここでは遺跡が残っている有名なテルマエを紹介しよう。
ローマ市内
アグリッパ浴場
古代ローマ初のテルマエ。
初代皇帝アウグストゥスの右腕である、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパが建設させた。
ちなみにローマ市にあるアグリッパ浴場以外のテルマエは、全て皇帝が建設させているので、この浴場のみ皇帝以外の人物によって建設された、ただ一つのテルマエである。
ネロ浴場
5代皇帝ネロが建設させた、帝国2つめのテルマエ。
現在ではほとんど遺構が存在せず、壁の一部とカピタリウムのハイポコースト後がわずかに残っている。
ティトゥス浴場
フラウィウス朝2代目の皇帝ティトゥスによって建設されたテルマエ。
ネロが造設したドムス・アウレア(大宮殿)を取り壊して再利用する形で作られた。
現代日本でいう『居抜き物件』というところだろうか。
またティトゥスの時代にはあの有名なコロッセオ(フラウィウス円形闘技場)の建設が完了した時期でもあった。
そこでティトゥスはこのテルマエをコロッセオのこけら落としの催しの一貫として供用したとされている。
コロッセオの興味深い話についてはコロッセオ ―エレベーターや天幕まであった、ローマ一の構造を誇る円形闘技場―に書いたので、興味があれば読んでいただけると嬉しい。
トラヤヌス浴場
五賢帝の一人、トラヤヌスが建てさせたテルマエ。
トラヤヌス浴場の建設以降、多くのテルマエがこの浴場を習って建設された。
トラヤヌス浴場にはテルマエ(公衆浴場)の各施設についてで紹介した施設の他に、エクセドラと呼ばれる図書館のような施設があった。
また地下には800万リットルもの水を蓄えられる部屋があったという。
カラカラ(アントニヌス)浴場
セウェルス朝創始者、セプティミウス・セウェルスの命を受けて建てられ、その子アントニヌスの時代に完成したテルマエ。
おそらくテルマエの中でも1,2を争う有名な公衆浴場である。
アントニヌスのあだ名が『カラカラ』のため、彼の死後はカラカラという名前で呼ばれることになった。
収容人数は約1600人。
テルマエの遺構として保存状態もよく、建設から1800年後の現在でもコンサートなど様々なイベントに使用されている。
ディオクレティアヌス浴場
軍人皇帝時代を収束させ、キリスト教の弾圧で有名なディオクレティアヌスが建てさせたテルマエ。
帝国最大規模を誇り、約3000人も収容できたという。
ディオクレティアヌス浴場の特長として、カルダリウム(高温浴室)の熱を太陽光で作り出していた。
しかしその隣りにあるフキダリウム(水風呂)には影響のない作りになっていたというから、ローマ建築の技術は計り知れない。
イタリア(ローマ以外)
ポンペイの公衆浴場
ヴェスヴィオ火山の噴火で埋もれた街、ポンペイにある公衆浴場の遺跡。
保存状態もよく、当時のテルマエの様子を垣間見ることができる。
イギリス
バースの公衆浴場
現存する中で最も保存状態の良い古代ローマ時代のテルマエ。
お風呂の英単語である『bath』の語源にもなっているローマ起源の街、バースの史跡として残っている。
このテルマエは近くから湧き出る温泉を引き入れて浴槽を満たしていた。
フランス
アルルのコンスタンティヌス浴場
キリスト教を公認した皇帝として有名なコンスタンティヌス一世(大帝)の建設したテルマエ。
トルイユ公衆浴場とも呼ばれる。
古代ローマのお風呂を楽しく知るならやっぱりこの漫画!
古代ローマのお風呂を楽しく知りたいなら、やはりテルマエ・ロマエがおすすめだ。
古代ローマ人であり、テルマエの設計士であるルシウスが現代日本にタイムスリップして、さまざまな騒動を巻き起こす物語だが、ひとしきりのギャグで笑うとともに、時代考証の確かさにも舌を巻く作品でもある。
噛めば噛むほど……もとい、読めば読むほど味が出てくるので、一度ご覧いただくといいだろう。
また、映画好きならテルマエ・ロマエの実写版もあるので、こちらも確認してみよう。
ちなみに2012年にはフジテレビ系列「ノイタミナ」でアニメにもなっているようだ。FOD(フジテレビ・オンデマンド)で昔のアニメも配信されているので、そちらから観るのもアリ。
また映画実写版「テルマエ・ロマエ」もFODで観ることができるので、映画のほうがスキ、というあなたでも満足できるだろう。
FODでは初回に限り2週間の無料期間がある(決済方法による)ので、登録して今後どうするか2週間のうちにじっくりと考えるのもいいだろう。
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紹介している作品は、2021年4月時点の情報です。現在は配信終了している場合もありますので、詳細はFODプレミアム公式HP にてご確認ください。
今回のまとめ
古代ローマの公衆浴場テルマエについて、もう一度おさらいしよう。
- テルマエの起源はギリシャにあった。
- テルマエの構造で建物全体を熱で効率よく温めることができ、またお湯を供給できた。
- テルマエには浴室だけでなく、様々な施設が付設されていた。
- ローマの皇帝もテルマエ好き
- 首都ローマだけでなく、帝国各所にテルマエが存在した
ローマ人のお風呂にかける情熱は、カルダリウムのお湯よりも熱い。
今回はこれをまとめの言葉としたい。